これからも生きていきたいので質問します

先日のリストラ騒動を経て、リストラ社員決定です。無理して残る意味などない職場ですが、せめて子供が大学を卒業して独り立ちするまでは頑張ってみようと思います。ああ、それにしても未来を奪われることの辛さを、しばらく忘れていました。

双極性障害と診断された時に、この病気は一生治ることがないと知り、それでもきっと道は開けると信じて歩んできました。でも、病気とは関係なしに、職場の都合でお払い箱になってしまいました。

これからは、せめて双極性障害などの心の障害を持った人の、苦しみが理解できる人間として、できることをしながら生きていこうと思うのですが、ただ、自分の感性があまりにも常識とかけ離れている気がして、不安でなりません。

みなさんにとって、世界はどのように見えてるのでしょうか。自然は美しいですか?闇は恐ろしいですか?人は優しいですか?動物はどうですか?木は温かいですか?水は柔らかいですか?草は香りますか?虫はこちらを見ていますか?雨の音は弾みますか?太陽の光は痛いですか?線路のつなぎ目の振動は骨にまで響きますか?死神は見えますか?

変な質問してすいません。

せん 2018/07/05(Thu) 19:31 No.1815
無題   せん
2018/07/10(Tue) 10:13 No.1816
この質問に答えはありません。さだまさしさんの防人の歌を思い浮かべながら、書いてみました。かつて、希望のない最前線に送られた防人たちが感じたやりきれなさを、かみしめることができたおかげで、できた詩です。

私の話になりますが、、、、   ちゃぼ
2018/07/11(Wed) 00:35 No.1817
はじめまして
私は2型でラミクタールを服用しております。
せん様の伝えたいことと当てはまるかは
分かりませんが、
私も自分自身が信じられない、もはや周りに
理解してもらえるのが無理に近いのだろうと、
孤独感と虚しさを感じてしまっております。

普段の時は本当に普通にいられるのですが、
急激に落ちる時は正に世界が豹変する感じです。
言葉を借りるならば、
美しかった自然が暗黒の闇のようになり、
ささやかなことでも幸せを感じられたのに
過去の嫌な記憶や感情でどす黒く塗り潰され、
耳鳴りが終焉のサイレンのように鳴り響き、
頭の中では本物の死に神がしつこくしつこく
世界を憎め、呪えとけしかけて来る
非常に苦痛の世界になってしまいます。

それがいくら言葉にしても、普段の私が
あまりも普通?過ぎなのか周りには通じにくく、
医者に嫌な記憶が不意に思い出したとたん
勝手に世界を変えられてしまう気がするので
PTSDに似てるかもと相談してみたら、
それはは命に関わるものだと冷たく言い放たれました。
今もその医師に会うのがとても苦痛です。

私の中のあべこべさとその混乱が激しくて
さきほどのように自分が分からない、信じられなくなります。

長文失礼しました。
世界という言葉に目が止まり、思わず投稿させて
頂きました
無題   せん
2018/07/11(Wed) 12:42 No.1818
ちゃぼさん、コメントをありがとうございます。

自分が見ている世界は、なんだか他の人と違うようだというのは、昔から感じていました。日によって、同じ風景が違って見えたりするので、小学校から帰れなくなったこともあります。

そんな中で、目に見えない世界にとても興味を持ち、科学の世界に入りました。目に見えないものの存在を、科学の言葉で記述できるとわかった時はうれしかった。その道が今回閉ざされてしまって、ちょっと凹んだのです。

でも人生それで終わるわけじゃないですよね。この世界の見え方が双極性障害という病気と関係があることが分かり、自分にしか見えない、簡単には伝わらないものもあるんだなということもだんだん理解できるようになってきました。

この病気、世界が真っ暗になってしまうこともあるけど、とても美しい姿を見ることもできます。その美しさをなんとかして伝えてみたい。医師に伝えても無駄だと思うので、絵や詩や、音楽や書、短歌や俳句、いろんな方法を試してみたら良いのかもしれません。

この空は 色とりどりの 闇に満ち わが網膜に 世界を結ぶ 
無題   ちゃぼ
2018/07/11(Wed) 21:59 No.1819
お返事ありがとうございます
芸術などの表現ですね、
自意識過剰かもしれませんが、ゴッホの気持ちが
少し分かる位、狂気そのものの世界を感じます。
だからといってあのような死に方はしたくありません。
それでも死に神が本気で私を殺そうと来ます。

死にたくないから、生きたいから足掻いているのですが、
周りにはそれがなかなか分からないようです。
むしろ私が"生きたい"のを信じてくれない気がします。
必死だからこそ助けを求めても、気を引こうとしてるだろうとか
距離を置こうとかするのがほとんどです。

死にたくないのに、助けがもらえない、具体的な対策が
分からないのが、すごい苦痛です。
その辺が孤独を感じるかな。
世界を呪いながら人生を閉じるなんで嫌です。

今できることは、多めの薬を飲み、長めに睡眠をとり
何もしない、思考を停止、無気力に生きる位です。
時々悪夢や幻覚も出ますが。
無題   せん
2018/07/13(Fri) 21:28 No.1820
生き続けるためにしてることと言えば、孤独を愛すること。自分を愛すること。今だけを生きること。

ゴッホを理解できるというのは、素晴らしい事ですよ。日本の社会が、普通を評価しすぎるんです。多分近いうちにこの国は大きく変わって、外国から多様な民族が入ってきて、普通なんてどこかにふっとばしてくれるはずです。
無題   ちゃぼ
2018/07/17(Tue) 01:30 No.1821
すみませんが、
死にたくない私にとってはそんな余裕がありません。
自分を愛するって、双極性障害としていやらしさが
出てきて、却って混乱する気がします。

ここで皆様にお聞きしたいです。
ソウになった時、自分自身を信じられる位、元気と強さを感じるのですが、
ほとんどその次は隙を突かれるように死に神が狂気の世界へ引っ張って来ます。
死に神から逃げるには、今の所、波を起こさない、つまり、
元気と希望を捨てて、現実から逃げるように無気力になるしかないです。ずっとニートである感じです。
それでも、そのやり方でいいのでしょうか?
ソウの危険があったとしても希望を抱いて自分を信じて
生きる方がいいのでしょうか?
ちゃぼさんへ   こういち
2018/07/17(Tue) 02:35 No.1822
はじめまして、事務局員の、こういちです。
「自分を愛する」と言うのは我々、双極性障害を患っている人々にとって大きな課題です。
何故なら、自分を愛そうと心に決めても、それを邪魔する者が現れるからです。言葉をお借りするならば、死に神です。

そうであるならば、無理に自分を愛そうとする必要はないと私は考えています。
落ち着いて考えてみましょう。
死に神に襲われている自分を愛せますか?
それは、双極性障害を患っておらず、一般の人でも無理だと思います。(例えば、一般の人が悪夢で死に神に襲われている夢を見た時など)

しかし、ちゃぼさんが死に神から逃げられた時、すなわち、躁になった時、とても安心した、生き延びられたと、お感じになられませんか?

もし、私が言っていることが的外れでなければ、その時、ちゃぼさんは「自分を愛している」瞬間なのだと私は強く思います。

ちゃぼさんは「死にたくない」躁になった時に「自分自身を信じられるくらい元気と強さ感じる」とご自身で語っています。

これが「自分を愛する」と言うこと、そのものではないでしょうか?

自分を愛することは、とても素晴らしいことです。
自分を愛することが出来れば、他の人々も愛せるのだと思います。

落ちた時に、死に神がやって来るから、無気力になって、死に神が去るのを待っているのですね。

ご存知の通り、双極性障害は落ちた時に、その方にとって不快なことが起きます。

しかし、考え方を少し変えてみましょう。

「躁の時は、元気と強さにみなぎった自分がいる!死に神よ!早く去れ!」と。

長くなってしまい申し訳ありません。

最後に一言、言わせてください。

「死にたくないと思っている、ちゃぼさんは、躁の時の希望にあふれている時が本当のちゃぼさんです!」

また、いつでも、メッセージ下さいね。

関東ウェーブ事務局員 こういち
無題   せん
2018/07/17(Tue) 15:04 No.1823
人それぞれに感じ方が違うし、対処の仕方が違うのが、この障害を難しくしていますので、とりあえず私のことを書きますね。

私の前に死神が現れたのは、極度の不眠と拒食によって健康状態が悪化し、飢餓状態の検査のため病院のベッドで寝ていたときでした。部屋の隅に、ぼんやりと子供のような姿をした灰色の影のような姿が見えました。次に死神が現れたのは、躁が暴走して真冬に真夜中のダムに身を投げるために行った時です。同じように暗闇の中に、灰色の影が見えました。

死神は、襲ってきたりはしませんでした。ただ、じっとこちらを見ていて、なぜか私に名前をくれたのです。その時から死神は、私のためにそこにいるのだと思えるようになりました。

狂った自分を愛するヒントがそこにあると思いました。死神に会えるということは、神様にも会えるかもと、神社やお寺を巡りながら、そこにいるであろう何者かとのふれあいが始まりました。時に、仏像が自分に話しかけてくる気がしたり、神社の大きな木が微笑んでくれたり。ああ、人に愛されることばかりに固執していたけれど、世界は人間のものじゃなかったんだと、だんだん気持ちが楽になってきました。

人間は、社会という檻の中に閉じ込められて育ちます。だから私も人間の社会が世界だと思ってしまっていました。それが間違いであり、逆にこの世界は人間など必要としていないことが理解できれば、この障害が与えてくれる充実感、満足感、感動などを自分の物として抱きしめることができるようになるのかもしれません。
無題   ちゃぼ
2018/07/20(Fri) 20:12 No.1824
こういち様初めまして
遅くなってすみません
コメントをありがとうございます。
いえ、長くても色んな情報やご体験を知ることが
できるので助かります。

また私の話の追加になりますが、
単純な話、自殺するかもしれないことです。
絶対死にたくないけど、
死に神の時は死なない自信はない、感じです。
今まで危なかったのが何度かありました。
正気に戻すために自傷もしました。
もう本気で束縛器をかけたいです。
その恐ろしさが医師や周りにはなかなか分かってもらえない、
対策や方法がいまいち分からないのが、孤独感や苦痛を
感じていると思います。

こういちさんがおっしゃる通り、
ソウの時の自分が私にとって望みの姿です。
それでも波的なのか、次に落ちる(死に神)はほとんど
来るので、それが怖くて嫌で
薬を調節してあえて無気力、何も考えないことで
ソウにならないようにしているのが今の現状です。

けど、そんな無気力な自分も嫌です。
矛盾しています。
ずっとソウのまま?の元気でありのままな私で
(落ちるなら落ち込む程度とか)いいのに、、、、と
強く願ってます。

それが出来ないのが双極性障害なんですよね?
元気で明るく前向きなのは実はソウで、
落ち込むとすぐに自殺なのが異常だと気づくまで
ずい分時間がかかりました。

薬の調節をすれば、ソウ?=元気に戻れます。
が、その分死に神、自殺を覚悟しなければならないと思います。
せん様がおっしゃる通り、
皆さまそれぞれだと思いますが、、、、
どのような生き方を選んでいるのか
聞いてみたいです。
ちゃぼさんへ   こういち
2018/07/22(Sun) 23:48 No.1825
こんばんは、事務局員のこういちです。
お返事が遅くなり申し訳ありません。

鬱の時に死に神が現れて、ちゃぼさんを自殺へと導くのですね。
私も、ちゃぼさんのお気持がとてもよく分かります。
何故なら私も同じ様な経験をしてきたからです。

私は今、30歳ですが、15年前に双極性障害を発病しました。
当時、高校生で気持ちの変動も激しかったです。
高校生活も最初は苦痛でした。
同級生にからかわれたりしました。
そんな日々が続き、かなりの鬱状態になりました。
それはそれは酷い鬱でした。

とある日、学校から帰宅するやいなや、親に向かって「これからベランダから飛び降りて死ぬ」と言い放ちました。

本気でした。

しかし、飛び降りる寸前に家の電話が鳴り響きました。

担任の先生からの電話でした。

不登校気味だった私を心配しての電話でした。

私は今死のうとしていたことを話し泣き叫びました。

先生は黙って私の話しを聞いていました。

そして、電話を切ろうとしたとき、一言、先生は言葉を発しました。

「人間は、いつかは必ず死ぬ。その時を待てば良い。どうせいつかは死ぬのだから、死ぬまでの間、好きなことをしなさい。」と。

私はこの先生の言葉によって救われました。
「そっか、いつか必ず死ぬんだから痛い思いなんてしなくていい。今、自分にできることをしよう。」と考え方を変えました。

だからと言って、双極性障害が治った訳ではありません。
死にたいと思うことも何度もありました。
しかし、先生の言葉を思い出して、前を見ました。

双極性障害は、ちゃぼさんの仰る通り、孤独との闘いです。
しかし、理解者や同病者が周囲に居たらどうでしょうか?
孤独は少しは解消され、ちゃぼさんの人生にとってプラスになるのではないでしょうか。

関東ウェーブは、孤独になりがちな双極性障害の方を温かく受け入れます。
そして、同病者という戦友を見つけていらっしゃる方もいます。

もし気が向いたら、是非、参加なさってください。

その時は、私も居ます。

また、いつでも、メッセージやご相談お寄せ下さいね。

関東ウェーブ 事務局員 こういち
無題   ちゃぼ
2018/07/26(Thu) 02:06 No.1826
お返事をありがとうございます。
とても素敵な先生ですね。

私は色んな病院や保健センターからセラピーや
認知療法や内観など色んなことを試してみました。
これでも私も含めてまさか双極性障害とは思われませんでした。
色んな方々に助けと助言を求めたのですが、
ソウの私が元気、前向き過ぎで、気付きにくかったのでしょう。
人間関係が破綻になるのが多く、理解者を頂けませんでした。

死は自然なこと。死ぬのは怖くありません。
怖いのは世界を人生を呪いながら自殺してしまうことです。
死に神が私の心を乗っ取り、狡猾な事にバレないように計画的に自殺を実行します。

関東ウェーブ会の皆さまから色んな話を聞きたいですね
集まりはこっちの事情で参加するのは厳しいです、、、、。
けど、何か他のやり方で関われたらなと思います。
本当にありがとうございました。
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