頭がわるいって
悲しい。
それとも何も知らないほうが幸せなのでございましょうか
何時の間にか友から裏切られた事もしらず
その方が幸せなのでございましょうか
僕なんって幼稚園の年長組の試験にも落ちるよ。
実話。
おはようございます。私の今の病状は何故過去にないくらい安定してきているのかを考えると、仕事とのかかわり方が非常に大きいような気がします。現在は障害者枠の、週4日、1日3時間の契約で雇われています。実際は3時間で終わることはまずありませんが・・・。それまでは、8時間の契約で、パートであったり、社員であったりの仕事を転々としてきましたが、続きませんでした。病状も躁と鬱をくり返していました。その時と今とを比較すると、同じ3時間労働でも8時間の契約で3時間しかできなくて早退するのと、契約通り3時間働けた、という「約束をまもれた。」という気分には大きな違いがあるように思います。今は5時間くらい働ける時もありますし、欠員が出た時に穴を埋めるために急に仕事を頼まれこなせたということも2回ほどあります。すべて「小さな達成感」の積み重ねが、小さな自信を生んでいるような気がします。できないときは目標(契約時間等)を見直してできるだけ、小さな成功体験を積み重ねて行くことが大切かな、と思っています。短時間労働でも、緊張・不安はありますし、人間関係にも巻き込まれますし、自分の能力の無さに愕然とすることも度々です。でも、休まず行けているという結果が小さな自信をくれるのは、確実にあります。仕事でなくても、家事や散歩でも、目標を少し下げてやることが大切かなと、思っています。誰かが言っていましたが「始めるのは簡単、辞めるのも簡単、でも続けることだけが難しい」と。私もそう思います。今は良い結果が出ているので、こんな偉そうなことをいってすみません。また何か嫌になって辞めたり、具合が悪くなり底に堕ちることもあるかもしれませんが、今回の小さな達成は大きいです。仕事場が歩いて行ける距離にあることも大きいです。
私の考えも短期間で変わりますが、私はそれが気に入ってます。
私も毎日色々真面目に考えてる(つもり)なんですが、それを書きとめておくと、後で「あれ? こないだは全然違う考え方してたやん!」と自分で驚くことがあります。
ある時、「これはこうなんだ」と考えついたら、私はその考えを「長年の経験から、ついに至った結論」と思って、その結論がその先も変わらず続くと信じてしまいます。「うん、そうだ!」って感じです。
でも実際は簡単に移り変わるんですよね。私も半世紀生きてやっと、自分の考えが、いかにはかない(いいかげん?)かわかってきました。
でも、そのはかなさが私にとっては「救い」でもあります。
重くて辛い考えにとりつかれた時には「今はこう思ってるし、この考えしかないみたいに思えるけど、きっとまた一時的なものなんだ」と自分で自分に言い聞かせることができるから。
おかげで、今も色んな考えが浮かんでくるけど、前ほど本気にしないようになりました。
私にとっては、体調の悪さよりも自分の考えが一番自分を苦しめるので、変わりやすいのを自覚してから、以前よりずいぶん楽になりました。
先日の夜、元妻と電話で話した際、長男が大腸炎で1カ月入院していたこと、それに血液の病気も可能性があると、全身麻酔で検査を受けていたことを知らされました。血液の病気の可能性は無くなったそうですが、年1回これからも検査をしていく必要があるそうです。長男は不登校だったそうです。かなり荒れていたそうです。
私は、その話を聞いて、手紙を書きました。電話の際、私は5時間程度のパートで働いていると言った時、元妻は鼻で笑いました。
その長男に宛てた手紙を元妻は開けて読み、長男には見せないと言いました。なぜ?と聞くと、今高校に入ってやっと前向きになってきたところだから、私の病気の事は知らせたくない、と言われました。何かが壊れたような気持がして瞬間的に怒鳴っていました。
同居人が何事かと起きてきました。
長男の事が心配です。母親とその家の支配下で苦しんでいるのが、伝わってきます。なんとかしてやりたい。
吐き気がやってきました。眩暈もします。
殺意、もありました。
私の場合、今現在の精神状態で過去の出来事や考えていたことも、簡単に塗り替えられてしまいます。しかもダイナミックに変わってしまいます。だから、そこに矛盾が出てくるのだと思います。
少し前に投稿した「母の死」についての記事でも、私は結局母が好きだったのか嫌いだったのかは、曖昧です。その点、ちかさんはお母様について「今でもきらいです」という一貫性のある意見をお持ちでした。しかし私は、入院中に喪の作業の真似ごとをしているうちに本当は母を必要としていたのではないかという考えに至り、入院中何度も泣いたと書きましたが、次の投稿では、私は結局家族全員が嫌いだったという具合に変わってしまうのです。揺れ動いていたのかもしれませんが・・・。私には一貫性がありません。
ので、私の投稿には今後も日替わりになる可能性が大ですが、その時その時は、真剣なのです。
一つ目の投稿(手紙が渡されてなかった話)を読んで、つぼっちさんのお気持ちを考えると、何を言っていいかわかりませんでした。
とても辛い出来事だと思います。
こんな時、私は無力だなあ、と思います。
この病気は、本当に、生きることのハードルを上げてしまいますね・・・
大丈夫です。
息子達2人の事は、変わらず心配です。
私は「なるようにしかならない」とか「ケセラセラ」とか言われる言葉は、あまり好きではないのですが、「しゃーないな」と無責任につぶやいています。そうやって乗り切るしかないと・・・
ある人から言われました。「子供は会いたくなったら自分から会いに来る」と。無事を祈りつつ、その日を待ちます。
今朝は私の日常に戻るべく、朝、出汁を取り、掃除をして、夕食の準備をして、仕事にも行けました。
なるべく、体調の許す限り、自分の日常を続けます。
息子達の事は、忘れません。
でも私はできる日常を送るしかありません。
無力です。
「いつの日か」を待ちます。
待つしかないのはお辛いと思いますが・・・
その日のために、ご自分を大事になさってください。
あと、住んでいるところに住民票を移すことをお忘れなく。
そうすれば、息子さんは直系親族なので、役所に請求して、戸籍からつぼっちさんの居場所を知ることができますから。
(↑これは最近相続の手続きをして知りました)
人生には三つの坂道がある。
一つ目は上り坂
二つ目は下り坂
三つ目が、くせものだ{まさか}だ!
気をつけないとね、ゆだんしたら
えらいめにあう。
私を勇気つけて。
普通の人なら、何でも無いことでも
チッとの事で眠れなくなる。
僕はいま高いビルから
下をみています。下の、かたいコンクリート眺めています。
松本興文君。
馬鹿な事しちゃ駄目だよ
明日が有るのだから。
主治医が言っていただろ鬱治るって
明日にかすかでも、いいから希望を持とうね。
失意のどんぞこにいて
いっも頑張ってますねと言われたら
とても嬉しいね
もう一度、頑張ろうと思うね。
○失意のどんぞこにいるとき
生きている事が苦しい。
でもこの世じゃ未練がまだあるさ。
生きている分だけ辛いんだ。
T型病歴約30年の男子です。
昨年、いわゆる「なしすまし詐欺」にあって約400万をもっていかれました。
ですが、本日、群馬県警捜査2課から実行犯の女を詐欺容疑で逮捕したと連絡がありました。
同課によると、女は全国をわたりあるいて犯行を重ねていたらしく、実刑は免れることができない、との事でした。
400万のうち、約50万は郵貯の補償でもどりました。
ですが、残りの350万は消えました。
でも、強盗に遭って命を落とす選択肢もあったわけで、いい方向に考えています。