長男が7歳、次男が5歳の時、俺は元妻と離婚しました。離婚はよくあることだと思います。原因は俺の病状のひどさに元妻がついて行けなくなったから。だと、思います。
先日、長男が定時制の高校に行くことになったと知りました。
俺の趣味で、長男には3歳からサッカーをやらせてました。中2まで続けたみたいです。公文や塾などに行かせていたら、普通の高校にいけたのかな。なんて、思ったりします。俺が社員で働いていた時は、毎月養育費も渡していましたが、辞めて職を転々とするようになってからは、渡せなくなりました。そうなると、引け目を感じて子供たちとも会わなくなりました。最後にあったのは、3年くらい前の事でしょうか。元妻にも子供たちにも、居場所すら知らせていない今です。春が近づいてきました。大分暖かくなっても来ました。思春期真っただ中の子ども達のことを思うと、俺が病気にならなかったら・・・と。定時制は卒業が難しいと聞きます。働きながら学校に通うのでしょう。お祝いの電話すらしていません。
まとまらない文章で、読んでくださった方には、申し訳ありません。父親であったことを、人の親であったことを、なにも、本当になにもしなかった親であったことを、思うと、憂鬱な春です。
中学を卒業してゆく長男がどうなって欲しいというのは特にないけど、十代がそんなに良いものだとも思わないけど、自分の経験上、やりたいことが早く見つかるといいなと思います。長男に手紙でも書こうかと思っています。
病気のために辛い思いをされたのですね。
お子さん達に会えなくて、今もお辛いと思います。
引け目を感じて会わない、というのはわかります。
でも、つぼっちさんがお子さんを気にかけているという事は、お子さんに伝えた方がいいのになあ、と思いつつ、余計な事は書かない方がいいかな・・・とためらっていたら、お手紙を書こうかと思われているとの追記を読みました。
誰にとっても、とても良いことだと思います。
勇気が要ると思いますが、応援しています。
何も言わなければ、つぼっちさんがお子さんを大事に思っている気持ちも伝わりません。
子供は親がどんな状態でも、親に気にかけてもらっている事は嬉しいはずです。
それに、つぼっちさんは何もしなかった親とおっしゃっていますが、暴力をふるったり、借金を押し付けたりしたわけではないでしょう?
私の母はT型で、私や息子(母にとっての孫)に刃物を突き付けたり、私を保証人にして借金したりしましたよ。
母に比べたらつぼっちさんは良いお父さんだと思います。
(見知らぬお婆さんに比べられても迷惑でしょうけど)
息子への手紙、書いてみようと思います。昨晩、考えたらなかなか眠れなくなり、今日は3時間睡眠です。あまりクドクドと書かず「働きながら勉強する道を選んだことをお父さんは誇りに思うよ」とだけ、伝えようか。それとも、息子が知らないであろう、俺が精神障害を持っていること、それが原因でお母さんと離れて暮らすことにしたことを伝えるべきかなど、それを考えると、確かに勇気のいる作業です。まだどんな内容にするか、どこまで書くか、決めかねています。
yukoさんには、過酷なお母さんとの体験を話して頂きありがとうございます。母親に刃物を突きつけられる。怖いし、辛いし後々まで消えない記憶の傷になる出来事です。
自分は元妻にも、息子達にも暴力はないですが、元妻に言わせたら、俺が家にいたこと自体が辛かったみたい。鬱の一番ひどい時期で休職も何回かして、その期間はずっと寝っぱなし、風呂にも入らず、食べて排泄して寝るだけ。俺の寝るのを邪魔しないように、陽が暮れるまでずっと公園で小さな子供たちと過ごしていた。と、後から聞きました。
ある夏、元妻に誘われ鬱気分の中、子供たちを前に乗せ、自転車でプールに4人で行きました。俺は何とかプールまで自転車漕ぎましたが、プールでは多分寝ていたのだろうと思います。多分ずっと仏頂面だったことでしょう。笑いもせず。帰りに自転車置き場に行くと、沢山の自転車が重なり合うように止めてあって、自分たちの自転車がなかなか出せない状態でした。それにキレた俺は近くの自転車群を蹴り倒して自分の自転車を出しました。怖かったのでしょうね、息子たちは怯え妻は固まったようです。離婚の話をする際、そのプールでのできごとを言われました。それだけではないのでしょうが、象徴する出来事だったようです。俺とは一緒に居れないと思ったようです。
「良いお父さん」ではなかったと思います。自分の事だけで精一杯でした。無責任、です。これも、おとあとから友人を通して聞いたことですが、同居していた元妻の母は俺の事を陰で「なまけもの」とよんでいたそうで・・・すごく表面上は良くしてくれた義母だったので、複雑な心境になりました。
今は居候のような不安定な環境ですが、同居人と生活するなかで、家事をし、主夫もどきの生活をし、同居人からは「ほんとに良く働く(家で)男だね」と言われ始めています。息子の手紙の話から大分それました。
応援ありがとうございます。
私の体験が過酷でトラウマになってると思わせてしまったかな。
確かに当時は大変でしたが、今はもう過去の事です。
心配させてしまってごめんなさい。
私の苦労話をしたいんじゃなくて、つぼっちさんはそんなにひどくはないですよ、と言いたかっただけなんですが・・・
息子さんの事ですが、なんだかつぼっちさんは定時制に仕方なく行った、と思い込んでるような気がします。
息子さんがどんな理由で、また、どんな気持ちで定時制を選んだのか、本当の事はわかりません。
もし私だったら、状況がわからない相手に声かけする時は、言うべき言葉を選ぶのが難しいので、すごく慎重になると思います。
お節介ですが、まずはご自分が息子さんを大事に思っていることを伝えてはいかがでしょう。励ましの言葉は返事が返ってきてからの方がいいんじゃないでしょうか。(息子さんは充分頑張っていると思いますし)
いきなり多くの事を伝えようとすると、受け入れるのが大変ではないかと思います。
そこのところは、同居人の方の意見も聞いてみられたらいかがでしょう。
表では優しくして裏では非難してた、というわけではないと思います。
双極性患者ほどではないにしても、普通の人も気持ちや考えは揺れるものですから。
「息子を大事に想っている」という自分の1番の気持ちをそのまま伝えてみようかと思います。
ちょっと話は飛びますが、自分は美輪明宏さんのツイッターを毎日見ます。昨日「相手の立場に立ってみる。大きな視点を持ってみる。違う角度から考えてみる。」という文章を目にして、考えさせられました。自分には考え方の偏りや、思いこみがあるかな?と。
息子とは約3年ぶりのコンタクトになるので、yukoさんの言っていたように、少し慎重に、でも素直に思いを伝えられたら良いなと思います。
同居人にも今夜あたり、聞いてみようかと思います。余談ですが、同居人は現在69歳の女性です。人生の大先輩です。初めてあったのが、もう23年くらい前になります。事あるごとに、助けてもらってきました。私より私のことを知っているかも知れません。
yukoさんは、私の記憶が間違っていなければ、福岡の方でしたっけ?私は横浜です。今朝はこちらは嵐です。今日は、病院に行ってから仕事です。
ありがとうございました。
今朝から福岡も嵐ですよ。大きな低気圧ですね。
思い込み癖は私にもありますよ。
ただ、私の場合、相手にわりと何でも言える性質なので、聞いてみたら思っていたのと全然違った!という経験を重ねて来れました。
おかげで今は「私はこう思うけど、実際は本人に聞かんとわからんな〜」ということを実感しています。
ところで、つぼっちさんは主婦的な仕事をしながら年上の方と共同生活なさっているのですね。25年付き合っていて、つぼっちさんの事をわかってくれている方なら、出会えてとてもラッキーだったのでは、と思います。
つぼっちさんは奥様やお子さん達と一緒に家庭を守るべきだったと思われてるのかもしれませんが、奥様には双極性障害の人間と暮すだけの度量がなかったと思います。ですから離婚はつぼっちさんだけの非ではないと思います。
多分つぼっちさんの同居人の方は色々な人生経験をなさっていて、懐が深いのでしょう。その方のために一生懸命美味しいご飯を作るつぼっちさんは良い同居人だなあ、と思います。
これが女性なら「良い主婦」と呼ばれるのに、男性で、夫婦ではないというだけで、それではダメだ、ちゃんと働け、ってことになってしまうのは不思議ですね。
息子さんはまだ生まれて日が浅いから、つぼっちさんの事情を理解できないかもしれません。(というか、多分理解できてないでしょう)手紙を読んで、素直に父親の愛情を受け取れるかもわかりません。
でも、いつかきっと、つぼっちさんはつぼっちさんなりに一生懸命生きておられること、自分の事でいっぱいいっぱいだったけど、それでも子供への愛情があったことをわかってくれると思います。
今のつぼっちさんの気持ちを表す言葉が見つかりますように。
調理師免許をとり、食堂の責任者として長く働いてきた人で、口癖は「男の嫉妬ほど怖いものはない」です。男社会の中で、女性が上に立って働くことが大変だった時代に、訳のわからない人達をずいぶん見てきたんだろうな、と思います。
私の手元に1969年に書かれた日本料理の本があります。私の生まれた年です。調理師を目指すものの「心構え」として「料理というものは、真心である。真心でつくる料理は、世の中のすべてに通じる」とあります。また、「自分は若い時、先輩に殴られ殴られしながら仕事を覚えてきた。また殴られたことを自慢し、当たり前のことのように思いこんでいる調理師も決して少なくない」と続きます。48年前にこの文章が書かれたことに、感動を覚えます。
「これから料理を習い覚えて作る前に、もっとも大切なことは、料理を作る調理師の人間性の問題である。」悪い習慣をぶった切っています。でも、いまでもこういう人って、います。最悪な人間性で、嘘みたいな人も結構多いと思います。
同居人の女性が、ある営業所で経験したことは、会議に来るといつもエラそな態度をしていた人の後任で行った時、その食堂にあったのは一か月のメニューが1枚だけ。延々とその1枚のメニューの繰り返し。お客さんも食堂はそういうものなんだろうと、諦めていたようなところでした。同居人がしたことは、洗米機で研いでいた米を毎朝手で研ぎました。安い米は洗米機で研ぐと壊れてしまいさらにまづくなります。それを手で研いで炊いたところお客さんが、「米変えたの?」とすぐに反応があったそうです。またそこの悪い習慣であった、従業員がお客さんより先にできたてのものを食べてしまっていた食事の時間を営業後に変えさせて、ぎりぎりに調理して提供することに変えさせたりもしたそうです。習慣を変えさせるのは勇気が要りますが、ひるむ人ではないのですね。それを続けさせた結果、同居人はお客さんから、感謝状をもらい表彰されました。
「料理というものは、真心である」という言葉がまさにそうなんだなーと思います。同居人は今も5時40分に家を出て行きます。パートで仕込みをしています。年金だけではきついですからね。それに同居人から仕事を取り上げたらまづ、ボケるでしょう。足が痛い、腰が痛い言いながら、毎朝出ていきます。
そんな同居人を私は心から尊敬しますし、料理は技術はもちろん必要かもしれないけど、なにより人間性がでるんだなーと思います。
同居人の方は真面目で誠実な方なんですね。
ご縁があって良かったですね。
私も料理には作った人のキャラが出ると思います。
私の作る料理も体調や精神状態で出来が変わります。
鬱の時は味がちぐはぐだったり焦げたりすることが多い・・・
でも、躁で意気込んだ時もがっかりな仕上がりになったり。
一番美味しくできるのは、気持ちが鎮まっている時ですね。
そういう時は、次に何をするかが自動でできます。
作業しながら瞑想しているような感じ。
私は食べるのが大好きで料理するのも好きなのですが、基本的な事をきっちり勉強するのが苦手なので、完全に自己流です。
だから、調理師免許を持って料理を仕事にしている方はすごいなあ、と思います。
仕事中も、嫌だとか、帰りたいとか、緊張とか、不安とかなくなり、オーラが出ているような状態になる時があります。乗るということでしょうか。身体が勝手に動きます。
遅れました、「おはようございます」。早朝覚醒です。
息子達には手紙をそれぞれに書きました。母親から、子供たちにありがとうとメールが1行だけ来ました。
たいしたことは書けませんでしたが、返事が本人から来るかなーなんて、ちょっと思ったりもしていましたが、自分がずっと連絡していなかった父親から手紙が来たら、やはり返事は書いてないかな。何と書けば良いかわからないかな?などと想像しています。
でも書いて良かったと思っています。
もう春ですね。
そうかあ・・・あれもゾーンなんですね。言われてみたらそう思います。
ゾーンは数回スポーツで体験した事があるんですが、色が消えて時間が伸びて信じられないような結果が出ました。
そこまで極端じゃないけど、無心に作業ができる状態もゾーンの一種かな。私のような疲れやすい脳には考えなくてすむのは助かります。
ところで、お手紙を書いて出されたんですね。すごいなあ。
「書こうかなと思う事」と実際に「書く」そして「投函する」の間には大きなハードルがあると思います。(私だったら、思ってから実行するまで何年もかかりそうです)
元奥様から短くても返事が来たということは、少なくてもつぼっちさんの行動を否定していないということだから、良かったなあ、と思います。
お子さん達も、いつか返事をくれたらいいですね。
お子さん達は、お互いが同じ時代に生きている時間なんてはかないものなんだ、ということは考えたこともないでしょう。でも、いつかそれに気がついた時、なんらかの言葉をつぼっちさんに投げ返してくれるんじゃないかな、と思います。
子供時代は時間がずっとこのまま続くんだろうという、なんか感覚的に長く時間をとらえていたような気がしますが、年をとり、時間が短く感じるようになると、yukoさんのいう「はかなさ」を確かに感じるようになって、いろんな人の死に直面したりして学ぶからかもしれませんが、桜に涙が出そうになったり、川や海の有難さにこころをうたれたり、そんなことは、私の場合最近のことです。
息子達も「経験」をして、そんな「時間のはかなさ」に気づいた時、もしかしたら私のことも、もしかしたらですが、思いだしてくれるかもしれませんね。
今日の仕事帰りに、川沿いの桜が咲き始めたのを、見ました。
でも、結婚する時や親になる時には、必ずつぼっちさんの存在を思い出すでしょう。
もしかしたら、自分自身が親になって、子供を育ててみて、初めて会ってみたいと思うかもしれません。
いつになるかわかりませんが、会える日は来ると思います。この病気と共に生きるのは生半可な苦労じゃないですが、頑張って長生きすればそれだけチャンスが増えます。
その日が来たら、言葉でなくて手料理で語るのもいいかもしれませんね。
半年先のことも、どうなつているか分かりませんが、そうですね。子供たちが成長したら、料理を作ってみたい
すね。想像すると楽しい気分になります。その時も多分気合い入れすぎて引かれることでしょう。でもその計画、いただきます。
子供たちは私の手紙に戸惑ったと思いますが、懲りずにたまに、手紙を書いてみようかな?と思っています。
福岡はサクラ咲きましたか?こちらは6分咲きくらいです。
「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」
Х{相撲を歓談しにいったとき}
○相撲を見に行った時
相撲を歓談しにいったとき
廊下にテープで線がはってあった
客はせんからはみだして相撲のスタッフが
幼稚園でルールを守りましょうと教わっただろうと客に
怒って文句をぬかした
僕は頭に来て反論をした。
群衆は手段を選ばないと言うやろ
お前は未だに幼稚園の道徳を正当化するのか
お前はアホかと言ってやった
若造のくせに偉そうにぬかすなと
言ってやった
生きていても良いのかな。
昔の映画で、こんな台詞があった
私は信じたい個人と個人と友情があるように
国と国との信頼関係を信じたい。
皆様、こんにちは。
国と国との友好条約は最新殺戮兵器を
相手の国に握手をしながら、カメラが映って無いところで
相手の足を踏みつけながら
ニコニコしながら最新殺戮兵器を見せつけることだ。
心が折れそうな時
人の優しさに触れたとき
涙だが出てホッと、するね。
本当に悪い人間って
人を傷つけても後悔もせず何とも思わない
人間なんだ
誰でも胃が痛くなるほどに
眠れない夜があるんだね
僕だけがメソメソしとしたら
皆に、とても悪いから。