躁うつ仲間の掲示板に詳細が書いてあります。
仲間の体験談はとても貴重だと思うので、講演会のご紹介、ありがとうございます^^
闘病生活ならぬ、ポスターもファイト精神にあふれていて、いいですね!
りさ
ありがとうございます。
うつ期には、自殺企図で、コードで首をした事まであります。
皆さんの例も参考にしたいと思います。
用がない時間はほとんど寝ています。
昔は鬱の療法に、継続睡眠療法なるものがあると聞いてたのに〜。
歯医者だったのに、朝から緊張で激しい下痢になり、いけませんでした。
3週間前に同じことがあり、再チャレンジでした。
申し訳ないから電話して、もう一度、来週予約しました。
2度も歯医者に行けなかったことで、自尊心が下がっています。
最初、詰めものが取れて歯医者に行ったら、虫歯になっていると言われたけど、鬱だったので仮どめだけにして、後日ゆっくり治す予定でした。
その後日が、この2回のキャンセルです。
久しぶりのこと、不慣れなことは不安です。
とくに歯医者は、今こうだと40年後にぼろぼろとか、将来の契約みたいな脅しみたいなのがあり、不安をかき立てられます。
しかも、私費か保険かに始まる、メリット・デメリットを説明されて、自分が選択、の繰り返しに、憔悴します。
実際には歯医者に行かなかったのにこんなに苦しいなら、仮どめでも、虫歯があってもいいことにして、来週の予約は取り消そうかな・・
双極性障害2型のACといいます。
それは大変でしたね…自分も体調不良で行けなくなったり、というのはよくあります。
いくつか問題はあると思いますけど自分からは予定のキャンセルと自尊心あたりの話を…
私たちのようにメンタルの病気をしていると、予約していても体調不良でいけなかったり、遅刻してしまったり…よくあることだと思います。やはり当日になってのキャンセルや遅刻などをしてしまうと自尊心は下がりますし自己嫌悪感が強くなったりと精神的にも辛くなりますね。
そこで…ここは病気のせいと割り切ってしまうのが良いかもしれません。ここだけの話、自分はメンクリや歯医者、病院関係はほぼ毎回遅刻してます。笑
大人としては最悪かもしれませんけど、病気のせいだから仕方がないです。お客様は神様ですから。客が来ないよりは遅れてでも来てくれた方が良いのでは…とか都合よく考えると気持ちが楽になるかもしれません。悪いのは病気です。笑
誰だって遅刻は嫌、当日キャンセルも嫌です。でも仕方がないですよ。病気のせいにしちゃいましょ!
久しぶりのことは不安です。不慣れなことは不安です。私もそうです。たぶんそれが普通なのかもしれませんよ。不安じゃない人の方が普通じゃないと。そりゃ緊張しますよ、慣れてないですから。緊張しない人の方が珍しいかもしれません。笑
…ありがちな言葉にはなってしまいますけど考え方次第で少しは気持ちが楽になるかもしれません。
もちろんすぐには考え方は変わらないです。だから少しずつ考え方を変えていければいいですよね…
役に立つかはわかりませんが自分はそのように考えています。
最後になりますが、ある程度進行してしまった虫歯は自然治癒しないので体調が良い時に歯医者に行った方が良いかもしれませんね…!
歯医者に行かなくても虫歯が治るような薬とか発明して欲しいですねー
今、応急処置した歯は、痛んでいないのですよね。元気な時でも、歯医者に行くのは気が進まないのに、具合が良くないときならなおさらに嫌ですよね。
Yahoo知恵袋を見たら、歯医者に行けないという相談がたくさんありました。それと、下記のようなサイトが紹介されていました。
全国の歯医者の口コミがあります。
http://www.denternet.jp/
今いらっしゃっている歯医者さんでは、将来が心配になるようなことを言われたり、私費か保険適用かの選択を求められたりするのでしたら、セカンドオピニオンを訊く意味でも、他の歯医者(ちかさんのお住まいの地域で評判の良い歯医者)に行かれるというのは、ハードル高いでしょうか。
何処であっても歯科へ行かなければと思うだけで緊張してしまうのでしたら、やっぱり厳しいかしら。
「自己評価」という件に関して言えば、例えば、口コミをご覧になって、別の歯医者に予約をなさってみて、当日無理ならキャンセルして良いと思うのです。
「歯医者に行けなくてキャンセルして自己評価が下がった」というのに対して、「別の歯医者を探せた。電話出来た。とりあえず予約出来た」ことで、「自分が困っていること」に対して、自分は決して無力ではなくて、何らかの行動を起こせるのたという自覚が持てるかもしれないですね。
何よりも、「キャンセルの電話が出来た」ということだけでも、土壇場のキャンセルで電話しにくかったかもしれないのに社会的マナーを守ることがお出来になったのですからね。最近、ちかさんお加減が良くなかったのに電話が出来たのは大したことだと思います。
歯医者のドタキャンは、必ずしも迷惑ではないと思います。急患の人を間に入れられますからね。
あと、予約するとかえってプレッシャーがかかりますよね。待ち時間が長くなるかもしれないけれど、当日突然行ってもOKという歯医者があるといいなと思いました。実際、歯が痛くても都合がつかなくて歯医者に行けない人が多いみたいです。
「仕事の都合で、その日にならないと時間があくかわからなくて、予約を取りにくいのですが、当日、お電話して行って待っていることは出来ますか?」みたいに訊いてみるのはどうでしょうね。
ちかさんにとって、最善の方法が見つかりますように。
けらけら笑いながら読んで、気持ちが軽くなりました。
歯医者ランキングも見ました。
痛いのはたまになので、虫歯の新薬の開発を待ちながら、気持ちの準備ができた瞬間に飛び込みで行ける歯医者をみつけます。
リフレッシュのために、別のところにします。
ところが、今度は職場の飲み会が不安で、頭痛と不眠になってしまいました。
病気とはいえ、気弱で虚弱すぎて、我ながらあきれます。
幹事にキャンセルの様子をうかがったら、設定が大変だったんだから5000円払って、と言われました(>_<)
歯医者も飲み会も、毎日とか毎週あれば体が慣れて自動で動ける気がします。
でも、数カ月に1回の行事は慣れなくて不安です。
実は飲み会は、申し込みはできても、近づくと不安で体調が悪くなり、私もこれまでに膨大に遅刻・キャンセルしています。飲み会メンバーは神様でないところが、難しいですね。
夜更かししてないで、眠剤とレキソタン(頭痛止め)を飲んで、寝ます。
今日は寝られるといいな〜
別のところです。
相手に期待しないように、治療中の病気 なし、服薬中の薬 なし、と書きました。
診察室に入る時、レキソタンを飲みました。
ゆるい感じで、BGMが尾崎豊のオルゴールバージョンでした。
できました、と言われた時、注文と別の歯が掘られていました(汗
でも、恐怖が少なかったからいいです。
目的の歯もできました。
まだ続きがありますが、行けそうです。
歯がだめなら早死にすればいい、と考えていましたが、もう少し生きます!
よく頑張って行かれましたね。
これからも通えると思えるような歯医者さんが見つかって
ほんとうに良かったです。
どうぞお大事に。
この応援を心の支えにもう少しがんばります。
ありがとうございます。
私も歯医者さんの予約ができませんでした。
診察が始まる前にレキソタンを飲むのを忘れ、パニクってしまいました。
仮詰め状態で暮らして、痛みがあれば神経を抜く、なければ銀歯だけ、と言われていて、
どうですか?ということでした。
どちらとも言えなかったのですが、どっち?みたいになりました。
虐待児童だったので、痛みの感じ方は状況に合わせてコントロールされるのです。
そんな黒歴史を歯医者で思い出させられたことにパニクってしまいました(>_<)
躁うつ仲間の掲示板にアップしています。
格闘技
http://www.boutreview.com/2/topics/seminar/item_23321.html
一般
https://twitter.com/sokyoku01/status/882298975054843904
こんにちは。病識初心者のyukoです。
4年間の鬱期を最近やっと抜け、ここで色々おしゃべりさせてもらってましたが・・・
今朝起きたら、イヤーな気分がもわあっと来ておりました。
さしたる理由もなく、「不安「とか「怯え」とか、そんな言葉が近いような、そうでもないような、
なんともはっきりしない気分。
「いやいやいや・・・これは来ては通り過ぎるものだから気にしない気にしない」と自分で自分に
言い聞かせるものの、心臓がドキドキし始めて、出勤する夫に「心細いよ〜」と泣きつく始末です。
(夫は可哀想にね〜と頭をなでてくれましたが、きっちり出勤しました)
起きていても何もできそうもないし、食欲もないから、とりあえず寝っころがっとこうと思って、
布団に戻って猫達とゴロゴロしてるうちに、少し眠りました。
起きたら朝の気分はどこかに行っており、ひと安心。
いえいえ、安心なんてもんじゃない。命拾いした感じです。
長期の鬱の間、一番苦しかったのは、動けない自分を責める気持ちでした。
それが、病識を得て、動けないしのもやる気が出ないのも認知が歪むのも脳の不具合のためとわかり、
「そんな脳なのに、けっこう頑張って来たじゃん、自分」と、自己否定から抜けられて、あーこれで
楽になれた、とほっとしてたのですが・・・
もう自己否定はしてないのに、嫌な気分が単独でやって来ました。辛くてパニック起こしそうでした。
この病気は一筋縄ではいかないのですね。
これと一生付き合うのかと思うと、あらためてびびってます。
インフルエンザにかかったと思ったら、マラリアとわかったような感じです。
この病気と長く付き合っておられる皆さん、本当にすごいです。
さしたる理由のない不安や怯え
朝夫を送り出す時、とても不安でした
でも、夫は出勤しなければなりません
私の場合、13年前が一番すごかったです
先の見えないトンネルの中にいるような、いつ改善するのか、とほうにくれました
ずっと何日も気持ちがつらいこともありました
寝た後よくなってよかったですね
今はさしたる理由がなく気持ちがとてもつらくなることが、たまーにあります
ソファーに横になってやりすごしたりしています
動けない自分を責める気持ちもわかります
夜寝る時、また明日同じ状態になるなら消えてしまいたい、と思ったこともあります
可哀想にねーと行って頭をなでなでしてくれるご主人 ありがたいですね
日頃の夫婦関係が大切ですね
みもさんもトンネルの中にいると感じるほど長い間、こういう気分になられた事があるんですね。
でも、最悪の状態(程度&期間)が定期的に来たわけではなくて、その後13年間はそこまで
ひどくならなかったのですよね?
だとしたら、私もそうかも、と思えて希望が持てます。
こんな気分にまた何年もつかまるのは恐怖なので。
短期間なら何とか耐えられますが・・・
夫は私より先に鬱になって休職までしたので、この辛さをわかってくれます。
こんな気分は、きっと経験した人しかわからないですよね。
ご主人うつで休職したことがあるんでしたね 何年位まえなのかしら
今は復職し、お元気の様子でよかったですね
うつのご主人を支えるのはたいへんだったと思います
そのぶんご主人にあまえるといいですね
台風は長崎から四国に向かって行き、福岡には来ませんでした。
私の住むところ(福岡の田舎)では、少し雨が降ったくらいです。
夫の鬱発症は8年前で、復職後再休職はしてないものの、今も通院中です。
お互い時々調子を崩すので、助け合って暮らしてます。(というか、そうするしかない)
なかなかスリリングな生活ですが、元気いっぱいだったころの夫は私や他人の体調の悪さに無頓着だったので、共同生活の相手としては、体調が不安定な事を差し引いても今の方がずっと良いです。
ところで、今日から2週間くらい所用で、ネットをする時間がなくなると思います。
最近ずっとここでおしゃべりさせてもらっていたので、しばらくとはいえ寂しいです。
月末のチャットデーにはお会いできたらいいですね。
今後もないことを祈っています
うちの夫は精神の病いにはなったことはありませんが、脳腫瘍(良性)、狭心症などを経験しています
狭心症になった時は、仕事のストレスに加え、私も心配をかけたので、ちょっと責任を感じてます 夫がいいというので、昼間心が苦しい時メールしてたんです 夫は休憩時間か帰りにしか見ませんが
私は自分が夫に頼り(依存)しすぎていることを自覚しています
チャット掲示版では、お騒がせしました
お姑さんには会えませんが(怒りがおさまらなくて)、夫に毎日電話をしてもらってます 土曜か日曜に夫にお姑さんを連れ出して二人でランチでもしてもらいます さびしいと宗教のおつきあいで月に6万円くらい使っていたようなんですよ
また お会いすることを楽しみにしています
母も寂しい人で、月に70万円遣ってました。
毎日服を買ってたようです。
借金の後始末、ほんっとに大変でした。
上(下?)には上がいるということで、
少しでもみもさんのお気持ちがおさまれば・・・
どうもありがとうございました
お姑は宗教依存といえると思います
買い物依存は、精神科の治療領域かと思いますが、宗教依存はむずかしいでしょうね
でも、あずかってる通帳のお金を使いこんだことは犯罪なんですが、被害にあったいとこにそんな知識がなかったのか、あきらめたのか
問題にはなりませんでした いとこ逹は みるからに純粋で優しい人達です
精神科のサイトで宗教の話は御法度ですね ごめんなさい
宗教とマルチまがい商法、ネットワーク商法には気をつけましょう
やってる人が、お世話になった人やいい人であっても
こんな話もここではよくありませんね
ごめんなさい
私自身は、お金のかからない宗教やセラピーや自己啓発本、が好きでしたが、老眼になってからは、読めなくなりました
お母さん、ご存命でしたっけ?
yukoさんの心を悩ませる事がおきないようお祈りしています
母は5年前に亡くなりました。
もう私を勝手に保証人にして闇金からお金を借りたり、刃物を持って家に押しかけたりできません。
母の事は長年大きな心配の種でした。
最近やっと、あの大変な人から解放されたことを実感してます。
そして、亡くなって5年たって、母への怒りもほとんど感じなくなりました。
怒るのはエネルギーが要るし、気もが悪くなるので、ほっとしています。
母の言動は私だったら絶対にしないものばかりでした。
なんであんなことできるの?なんで?なんで?とずーっと考えました。
苦しかったー
だから、みもさんのお姑さんに対する気持ちも、しんどいだろうな、と思います。
いつ、どうやったら、今感じておられる気持ちが消えるかわかりませんが、早くその日が来ることを祈ってます。
勧誘でなければ良いのではと思いますが・・・
スレッドの流れを読ませていただいて、私は当事者として周りの悩みの種になることは多いけど、周りに振り回されることを制御する力がなく自分も苦しむこともあるし、そういう相互のつらさは近しい中で起こりやすいから難しいなと感じました。
みもさんとyukoさんの旦那さまのようなサポートができる旦那さまはすてきだなと思いました(私も家族には依存しっぱなしですが^^;それはけっして悪いことじゃないと思うし)
それと、周囲でトラブルを起こす方をどう考え、対処すればいいかということも、自分のハイはトラブルを招くだけではなく苦笑、その経験から周りをもっと客観的に見据えるきっかけにもなるのかな、とくに近しい人はもっと理解と許容力をもって接せられるかな、と考えさせられました。
yukoさんから、宗教のお話しは関東ウエーブでOKなのかどうか、とありましたので、スタッフとしてお答えしますね。
関東ウエーブの会はすべての当事者に開かれている会を掲げていますので、もちろんどんな主義主張の方のご利用もOKです。
会の目的にも、おたがいの意見を尊重し合いながら、成長を助け合っていく・・・とあって、色んな観点から話し合いで考えを発展させたり、問題を解決していく文化を会として作っていければと思っています。^^
りさ
(個人的には神仏は「多分」レベルで信じてますが、宗教団体には属したくないです)
こんなふうにお姑さんにお金の心配をしなければならないのは、お姑さんが死ぬまでなんだろうか、と思います
こんなふうに心配させられるなら早く死んでほしいなんて、ちらっと思ったりしました
でも自分はどうなんんだろう いつか誰かに早く死んでほしいなんて思われることもあるのかな・・・・そんなことを考えるとこわくなります
りささんの「当事者として周りの悩みの種になる」という言葉に はっとしました
最近ちょっと調子がいいもんだからつけあがってた私
もっと謙虚にならなくちゃ
お舅さんが亡くなり、ひとり暮らしを始めたお姑さんに対して、今は
さびしくてどこかにお金を使ってしまわないように、かしこく対策しなくては、と思います
怒りのほとぼりも今はさめてます
でもいつまたほとばしるともかぎりませんが
さっきメールがきたので、返信するところから始めます
なんか疲れてて 変なこと書いたかもしれません
疲れてるもんで、すみませんー
「お金」のことについては いろいろありますね
私の言動で傷つく人がいたら ごめんなさい
私は 何の収入もないです
だめだ、頭がまわりません
「お金」のことについては いろいろありますね
私の言動で傷つく人がいたら ごめんなさい
私は 何の収入もないです
だめだ、頭がまわりません
お姑さんに対してだって、死んでほしいのではなくて、お金の迷惑をかけてほしくないだけでしょう?
私も母がアルツハイマーが悪化して入院した時、「やった! これでもう借金できない!」とほっとしました。
(実際は病棟の人に小銭を借りてテレビショッピングに電話してましたけど)
それまでは、こんな家族に迷惑ばかりかける人、早く死んだらいいのに、と思ってましたが・・・
別にそういうわけじゃなかったんですね。もう借金してほしくなかっただけだとわかりました。
「死んだらいい」なんて思うと、自分で自分を責めてしまうので、言葉ってコワいなあ、と思いました。
正直言って、お姑さんのお金の心配は、彼女が自分でお金を遣えなくなる日まで続くでしょう。
でも、お姑さんの寿命が尽きるずっと手前で、その日が来るかもしれません。
それまでは、みもさんご自身の気持ちをかき乱されないように工夫して、生き延びてください。
父が躁鬱病、父方祖母は統合失調症、私は鬱病ののちに躁鬱病と医師から診断されました。躁状態になってみると、ハイテンションでカードで買い物の時もありますが、いろいろ根を詰めて考えすぎ、しまいには周りの方に対しキレてしまう時もあります。現在、躁鬱の波を薬で調整しながら、ストレスを溜めすぎないよう軽い散歩をしています。夜、眠れずに起きてしまう日々ですがずっと病と付き合い、自分が本当はどんな性格だったのか、もう思い出せないのですが。それでもどっかに残っているであろう自分を大切にしたいです。
チャットデーや徒々ブログでたまに発言してるyukoと申します。
2型で、病識から1年半です。
この病気の事を色々調べているうちに、自分の気持ちや行動の何が病気由来なのか、
何が病気とは関係ないのか、わからなくなってきたところです。
だから、ゆりりんさんの「どっかに残っているであろう自分を大切にしたい」という言葉が胸に響きました。
おかげで、慌て者で気分屋なのはもとからの性格だったことを思い出しました(度を超したらダメだけど)。
危うく「一人の人間としての私」がいなくなって、「躁鬱病の患者」に置き換わるところでした。
うまく伝わったかどうかわからないけど・・・ありがとうございました。
・カードでで買い物をして使いすぎる
・夜、睨むれず起きてしまう
のは明らかに、躁状態ですよね。
私は、変な言い方ですが、躁を楽しむようにしています。
周りからは嫌がられますが。
今日は幼なじみと会いました。
病気が発症したり、大人になって色々考えも生き方も複雑になって、それを理解できない社会や健常者がいて。だからそれと真っ向から向き合う闘病仲間、リアルタイムのつながりも大事だけど、他の大人になってから出会った健常者友達とは違って先入観というかな、とか関係なく自然に接することができるのは幼なじみかな。
むしろ発症したのは高校生だから、うつも躁もすごくて、診断はまだでもこりずに側にいて心配してくれたわけだし、そういう意味で同病者とはまた違う感覚的な理解があって、子供の頃からのお友達は大事にしなきゃなと思いました。
今の私の、ちょっと理解しにくい事情があっても、りさはりさ、みたいな。自分としても、いまのクレージーさや複雑な悩みの下には、友達と話して楽しめる普通のりさがいるんだ、と再確認できて、なんだか安心しました。
りさ
良い話だなあ、と思いつつ読ませていただきました。
(ブログのエルダーさんとの相聞歌も、いいな〜と思いました)
私も謎の体調不良の正体がわかって1年余、はじめは「障害」とか「病」とかいう言葉にアイデンティティが壊れそうでしたが・・・
やっと最近、一大決心をして、ごく親しい友人達に「私、鬱じゃなくて双極性U型なんだって。だから元気になっても、ずっとは続かないらしいよ」と打ち明けました。
そうしたら、「昔からすごく活発だったけど、時々体調壊してたよね。そうだったのね〜」的なあっさりした反応で、拍子抜けしました。
彼女達はそれ以降も今までと変わらない態度で接してくれています。
(夫だけはちょっとした事で「アップしたんじゃない?」と心配しますが・・・)
古い友達は、病気というフィルター無しに私を受け入れてくれてるんだな、病気の私ではなくて、私という人間を見てくれてるんだな、と思うとほっとします。
りささんも、病気の影響を受けている部分もあるでしょうけど、それ以前に「一人の人間として個性を持ったりささん」がおられるんですよね。
その事を、自分に対しても、同病者に対しても、忘れないようにしたいです。
あ、それから、下の動物に関するコメントも興味深く読ませていただきました。
私もゾウリムシ(←動物じゃないかな?)のように在ろうと思っています。
私は社会的な存在としての自分像のためにずっと苦しんできたので、今は、より温かい方向、より明かい方向を目指す単細胞生物のように生きたいです。
(でも、もうちょっとかっこいい名前の単細胞生物がいいかも・・・)
「一人の人間として個性を持ったりささん」
「病気というフィルター無しに私を受け入れてくれてるんだな、病気の私ではなくて、私という人間を見てくれてるんだな」
そうそう、まさにその通りです!自分でさえ消化しにくい、見えない・理解しにくい気持ちがうずまくから、yukoさんのように、躁うつあるあるを適格に表現して下さると、気持ちがすっきりします。
病気や障害という言葉はほんと分かりやすかった自分像を壊しちゃいますよね。
発症時、高校生だった私だと「おっちょこちょいで泣き虫な私」「でも根明でいっぱい笑える私」「目標も夢もあって、それに向かっている私」と自分でもわかっていたつもりが、順番に「診断によると、うつな私」「躁な私」「それ以上は未知で未確定」な私と一
でもこの病気は自分像の「立て直し」を余儀なくするので、yukoさんのように、病前も躁うつ気質っぽかったってそのころのお友達から聞けて自分をより知れたり、
そもそも自分像がネガティブにもポジティブにもうつろいてしまうのがこの病気なので、常に自分を見返すスキルも身につくから、結果オーライと楽観的に思いたいです^^;
それでも「病人としての私」yukoさんがおっしゃるように「社会的な存在としての自分像」がけんかしてくるので、「病人としての私」は自己否定に陥らないぞ、とつい気張っちゃうので「一人の人間」としての私、と思い出せるとなんだか安心します。うまく言えないけど・・・
ゾウリムシとはww あんまり詳しくないけど、私も顕微鏡で見た細胞ってなんだか好きで、みんなごにゃごにゃ有機的につながっていて。うーん私はミドリムシにしようかなw
りさ
いつも私の言葉をわかって下さって、ほんとに嬉しいです。
りささんは時々、この病気は社会や世間による刷り込みや価値観をはぎ取られるという事をおっしゃってますよね。(私の理解不足だったらすみません)
私はそのお言葉がとても心に響きました。その通りだと思います。
ひどい鬱で要介護5レベルに動けなくなって、夢も希望もプライドも捨てるしかなくて、そこまで来てやっと「理想の私像」が世間の価値観で作られたものだと気がつきました。
50過ぎてやっとですよ・・・どれだけ夢子さんだったやら。
「私は誰」っていうのも、最近しみじみ考えるようになりました。
体でもないし、感情でもないし、考えでもないと思います。
だって、冷静な時は、痛みも気持ちも考えも俯瞰できますから。
なんか哲学とか宗教とかっぽい命題になっちゃうけど、私って何でしょうね・・・
ゾウリムシの話ですけど、単細胞生物っていうのは「快」を目指す命なのだそうです。
鬱の時の自分は、体が動かないだけではなくて、自分を苦しめるような感情や考えがわいてきて、しまいには死にたくなってしまって、ゾウリムシよりも生きる力が低下しているみたいだと思います。(それがこの病気なのかもしれませんが)
どんな時でも、自分にとってより心地よい方向に向かって進みたいですね。
「細胞の集まりとしての私」にはできる気がするんですが・・・
自分は誰なのか。この命題は机上のものではけっしてなく、死活的なものだと感じてきました。
この病気は、存在そのものを土台が取っ払ってしまう恐ろしい体験をさせてくれるからです。
私は発症する前は、とても能天気な子供だったので、無意識的にですが、世間においてはもっと本来的なつながりがあるという淡い期待を抱いていたのかもしれません。
でもうつになって、周りにとっても、自分にとっても、異質な存在になってしまいました。yukoさんの言葉をお借りすると、「体からも考えからも気持ちから」も引き離されるような孤独を経験して、世間の「誰」でもなくなってしまいました。分からないもの、あるいは自分の中に存在しても、目を背けたいものは、ないものにしてよし。それまでの自分も含めた、そんな世間のあり方を実体験しました。
社会的な場で生きる人々は、ほんとに価値創造的なのに、逆立ちしているというか、社会は第一にその一員一人一人が社会的存在であるということを蔑ろにしているように思えます。今の私の理想像はまさに、「細胞の集まりとしての私」なんだと思います。
yukoさんはとても知的な方ですから、けっして世間のレールに安易に沿ってではなく、夢や希望を育んでこられたと思いますし、病気を機に価値観がひっくり返された後も、そこからまた一番根源的な命題を生み出し、ご自身を生成し続けているわけですから、素晴らしいことだと思います。
私も、ただ死活的に「私は存在するよー!ここにいるよー!」というのではなく、もっとyukoさんのように明るく豊かに、みんなの中で私を生成していきたいです^^
タイトルはビートルズのi am a walrusからですw
りさ
病にあっても聡明なりささんに、褒めていただいて嬉しいです。
がっかりされるかなあと思いつつ、以前私の目指していたものと、今の本音を書かせてもらいますね。
学生時代に描いていた将来像は、大企業のキャリアウーマンか翻訳や通訳家でした。
もちろん、結婚も子育てもちょいちょい、とするつもりでした。
でも現実は、やっと入り込めた外資系企業は2年足らずで不平不満Maxになり辞め、やっと出せた翻訳本も一冊で気が済んで止めました。
その後始めた日本語教師の仕事も労働条件の悪さに2年で中止。
飽きっぽいというか、根性がないというか・・・
その間、家事育児はありえないほど必死でやってました。
全然余裕がなくて、チョモランマ登山レベルの大変さでした。
それでも、子育てと介護が終わったらまた何か始めようと意気込んでいたのですが、終わった後は鬱になってしまい、その後双極性の診断です。
これまでの事を振り返っても、これから何かを始めても、モノになるまで続けられるとは思えません。
それで、自分にとって本当に大事な事って何だろうと全身全霊で出した答えが、「スケジュールに追われない。美味しい物が食べられる。
行きたいところに行ける」・・・これだけ。
崇高な使命感とか、勤勉さとか、全然なくて自分でもびっくりです。「本当の私」が大事にしてることが、こんなもんか・・・
しかも、家族と友人に打ち明けたら、「前からそうじゃん」と言われてしまいました。
私の抱く自画像って、もっとかっこいいモノだったんですけどね。
というわけで、私は食い意地の張った、放浪癖のある、怠け者のおばちゃんなのです。
発症前の目標や夢、それに向かって社会で闘う過程、そして今本当に大事だとつかみとったyukoさんの到達地平まで、シェアしていただき本当にうれしいです。
しかし、本来の夢だったというのが
「大企業のキャリアウーマンか翻訳や通訳家でした。
もちろん、結婚も子育てもちょいちょい、とするつもりでした」
とその後の過程を読ませていただくと、先々に弊害があるにせよ、夢を譲らず実現を向かって進まられていて、かっこいい。夢想に浸ってばかりの夢子さんでは全然ないじゃないですか!
失礼だったら申し訳ありませんが、そんな本来のかっこよさと共に、yukoさんは発症前も躁うつ気質的にバイタリティーのある(逆に言えばとても頑張り屋さん)方だなという印象も受けました。
けっしてyukoさんが飽きっぽいとか根性がないというわけではないと思いました。そんなすてきな夢を成長させていく余地を与えない、職場の理不尽さんやいわゆる「現実」が狭いものだから、その枠内で実現しようとしても無理があるというか・・・。
子育てや介護をやられたyukoさんのお話しを読んで、私には真似できない・・・と思うとと共に、なんで現実はキリキリなお母さんにサポート網が与えないのだ!と感じてしまうところもありました。
発症するまで、本当にお疲れ様でした、と言いたいです。それと、語弊があるかもしれませんが、やっとダウンしたことによって、目まぐるしさにストップをかけることができて、現実の縛りから解放されて、本当の自分がうーんとストレッチできる状態になって、よかったです。
yukoさんがおっしゃられる、「もっと自分はかっこいいと思った」でも全身全霊で出た答えが「スケジュールに追われない」こと、案外欲求がこーしょーでない自分を見つけてお友達から聞くと「前からそうだったじゃん」という流れ、自分のことを言われているようです笑
でもなんていうかなぁ、前の記事にも書いたように、社会って逆立ちなんですよね。
もともとみんな、もうちょっと時間に追われないで、当たり前なことを噛みしめることが許されたらいいのにな。
そういう余裕があって初めて、すてきな英訳を作ったり、国を超えたコミュニケーションの媒介として通訳になったり、子供にとってロールモデルになれるような先生になったり、もっとゆったり家族との時間を味わえたりできると思うのです。
人間らしいつながりの担い手として社会人を大事にすることが、現実の社会の骨組みになるとも思います。yukoさんの夢はそんなものばかりで、核心をついているというか、素敵だなと思いました。
でも実際は、とにかく社会の尺度で生産生産、競争競争していて、それからはみ出る夢は、遠い理想とされて、運よく実現できたら「かっこいい」ステータスみたいにされてしまって、ほんとにはみ出者がはじかれちゃったら、やっと、なんだ、私当たり前なことが好きなだけじゃんって気づくという。
私は本当は、ハムスターカフェを作って笑 お友達といっぱいお話しをしたいです。でもそういう気づきは結局、社会からの疎外感、躁うつ気質などにふりまわされた裏側として気づけたことで、逆立ちながらも、やっとはぎとって「本当の私」のシンプルさを発見できて、よかったです。
長文失礼しました。汗 そろそろ、チャットデーですね!
りさ
昨日はリアルタイムで話せて楽しかったです。
りささんの返信、すごく嬉しくて、あと、もっともだなあ、と考えさせられることもあって、じっくりと返事を書きました。
ところが、なぜか投稿できずに消えた・・・
仕方ないから、大事なことだけまた書きます。
りささん、私のジタバタ生きて来た半世紀をしっかり読んでくださって、そして肯定してくださってありがとう。
すっごく嬉しかったです。涙出そう。
今は、りささんのおっしゃる通り、発症して一時停止できてよかったなーと思ってます。なんか、やっと夢から醒めた感じです。
あと、いつも思うのですが、りささんはとても大人ですね。
2倍歳を重ねた私より、ずっと考えが深いので感心します。
りささんの文章を読むと、この病気は福音という側面もあると思います。
ハムスターカフェ、実現できると思いますよ。
だって、りささんは、大変な体調の中、ウエーブの会の運営を続けて、「場を提供する」という大仕事をすでにひとつ実現なさってるのですから。
毎日営業じゃなくて、月に1回とかなら大丈夫じゃないでしょうか。
福岡には当日朝まで昼メニューがわからない店とか急に長期で旅行に行っちゃう店とかマイペースのお店がけっこうあるので、りささんのペースでできる形もあると思うのです。
(もっと色々書いたんですが、思い出せる範囲で再書き込みしました)
あらま、それは残念です。こちらの不具合だったら、申し訳ないです。
でもいただいた短いバージョンでも、とってもお気持ちが伝わります。
ほめていただいて、ありがとうです;; yukoさんから来るお言葉だからなおさらほんと嬉しいです;; ただ、「外の顔」の話しではないですが、私はいいかっこしいので、いうことばっかり大きくてそれを実践でフォローできているかは、自信がありません^^;
福音という言葉はあまり聞きなれないのですが、耳元の小さいベルをイメージしました。
病識を持ちなさい―!こうやって考えの転換できるよー!小さい幸せ噛みしめましょー!って認知が歪みそうな時に、ちろちろりんってリマインダーしてくれるベル笑
それはお空の上から聞こえてくるというより、やっぱり鏡である同病者や、闘病の中必死で意識しながら小さい自分がベルを鳴らしているイメージでした。
(映画「アメリ」を手掛けたmichael sowaの絵を思い出すので添付で添えておきます)
チャットデーにおいての「場」のお話し、胸に響きました。居場所、と言える場所は、本当に少ないように思えます。当事者が自らの手で作っていかないといけないぐらい。その過程で自分の力にも変わるわけだから、もちろん居場所作りは有意義だけど、それほど裏に孤独な当事者がいるということなので、なんだか愕然とするところもあります。
たらたらと書いてしまいました。失礼!
ハムスターカフェ、夢としか思っていなかったけど、現実的な方法を提案して下さると、胸がうずきます!カフェについてブログの方で書いてみたので、見ていただければ嬉しいです笑
ほんとこのやりとり、楽しくって、考えさせられて、yukoさんありがとうございます。
りさ
私は、福音という言葉に、天使が来て耳元でささやくイメージを持ってます。
ミッシェル氏のイメージに近いかな。(名前も天使っぽいですし)
でも、これはりささんに訪れた福音のイメージで、私のところへは鬼が来て金棒でどつかれたって感じでしたけど(笑)。
ハムスターカフェの話、最新のブログ記事を読ませてもらって、だんだんりささんの目指した形がわかってきたように思います。
ハムスターのパラダイスというか、子供にとってのレゴランドみたいなところで、思う存分遊んだり、疲れて眠ったり、一心にごちそうを食べたりする幸せなハムちゃん達。
それを見ながら、同じように幸せな気分で、くつろいだり、りささんとおしゃべりするカフェのお客さん。
そんな感じでしょうか?
だとしたら、もうすでに形になりつつあるように思います。
ウエーブの会という、りささんや皆が集まってくつろげる場を運営して。
ハムちゃん達の幸せな日々を、りささんのご自宅で実現して。
誰かと一緒にハムちゃんを見て目を細めるのは、愛するエルダーさんと。
そして、同じ空間にはいませんが、私もブログでハムちゃん達を一緒に見ています。
これ、全部集めたら、りささんの夢にかなり近いのではないでしょうか?
今のメル友は、中学高校短大の同級生ばかりです
私は高校時代までとても内気で控えめでぼーっとしていて、そんな私を好んでいた人に、「あの頃の方がよかった」的なことを言われて、はっとしたことがありますが、もう戻れませんねー
あの頃は人に心を開けず、孤独でした
今は、特定の人や、、ネットで匿名で、本音で交流することが心の支えです
でも、相手のご機嫌取りなところがあり、本音の意見が言えないところがあります ほんとは私ってつめたいのかなって反省することがあります あと「場をもりあげなくちゃ、せっかく時間をさいて会ってくれてたり、電話ではなしてくれてるのに悪い」と思ってがんばちゃうところがあります
ま、お互いに中高年なんで恥じらいにかけますわな
りささん、yukoさんの文章、明るくてウィットな感じで好きです
私も時々人におもねるような言動をしてしまうこともありますが、必ず後で後悔するので、少しずつ「わがまま」になるよう努力しています。
昔の方が良かったなんて言われてもねえ・・
今のみもさんは、昔のみもさんが一生懸命頑張ったり我慢したりした結果の姿なんだから、今がベストなんだと思います。
お友達にとっては、昔のみもさんの方が(都合が)良かったってことではないかしら。
こんにちは。管理人のうらです。
昨日,躁うつ仲間の掲示板にスパムが来てしまった関係で,
ただいま修復作業をしていました。
が,時間の関係で一端復旧作業を休止します。
今,各掲示板上のバナーの構造が崩れていますが,本日の夜に復旧させます。
なお,掲示板自体は正常に使えます。
見苦しくなってしまって申し訳ありません。
うつがひどくて、寝込んでいます。心が痛い。
死んで楽になる保証はないのに、ああ、もう死にたいなと気がつくと思っている自分。家族のこと、教会のこと、病気のこと、生きているのか死んでいるのかわからない状態でどんどん時間が過ぎていくこと、何もかも、もう嫌になりました。精神が健康なら、たいていのことは何とかなったのに。
明けない夜はないというけれど、眠れないままに夜が明けて行くのも辛いものですよね。
パンダの赤ちゃん、ニホンライチョウの赤ちゃん、ツバメ、かるがも、猫や犬の動物特集・・・生き物たちを、温かく見守る優しいニュース。わたしは生き物大好きだから嬉しく観ています。
どうして、人間は人間以外の生き物には優しいのかな。彼らのためにお金を使っても税金の無駄使いなんて言う人はいないだろう。でも、困っている人間に対しては、すぐにそういうことを言う。人って人には無情だな。
かるがもの赤ちゃんにふっと微笑むような一握りの優しさを、人間が人間に対して持てたら、自殺者も減るだろうに。
それにしても、ひどい気分です。双極2型は衝動性が高いのでとにかく頓服を飲んで「自分」から避難です。
おつらいですね。世の中が自分をおいてけぼりにしてまた一日を始めるようで、私も夜明けが怖いときがあります
精神が健康であれば・・・うつなんて、脳の勘違いで精神をつらくさせ、身体さえ縛り付けて、勘弁してよと言う感じです。
健康であれば、自分が望めば精神をチャレンジさせたり、逆に自分の責任で挫折もできるのに、幻想のようなものに精神を「弱く」させられて自分でその状態を変える効力さえ奪われる。もどかしいばかりです。
人間は唯一動物で自由意思があるから、チャレンジも挫折も他人と比べておたがいを素直な気持ちでうけとめられないのかもしれないですね。
その点、動物は素直にひたむきに(まあ弱肉強食でも無意識に悪気なく苦笑)自然と共に生きているから、人間がおたがいにするような決めつけや比較の目で私たちを見ないから、純粋に見守る気持ちになれるし、自分にないものに魅了されて癒されるのかもしれません。
考えてみればうつの私たちは人間のかぶりものをした動物のような気がします。上手く言えないけど、人間の虚勢をはぎ取られ、意思を一切奪われてさらされた状態というか・・・
極論ですが、人は動物に目を向け学ぶと共に、うつの私たちから目を背けちゃいけないよなあなんて思います。
そんな疎外感がますます私たちをつらさへ追いやるわけだし・・・
長文失礼しました。
りさ
メッセージ、有難うございます。
>考えてみればうつの私たちは人間のかぶりものをした動物のような気がします。上手く言えないけど、人間の虚勢をはぎ取られ、意思を一切奪われてさらされた状態というか・・・
極論ですが、人は動物に目を向け学ぶと共に、うつの私たちから目を背けちゃいけないよなあなんて思います。<
面白いことを言うと思いました。(面白いは、わたしの辞書では誉め言葉です)
人間のかぶりものをした動物・・・そうかもしれないですね。
人間のかぶりもの・・・なるほどね。
>人間の虚勢をはぎ取られ、意思を一切奪われてさらされた状態というか・・・<
はぎとられ、奪われて、さらされた状態・・・
痛感します。
「JUST TO BE」
年を取れば、人間誰もが、少しずつそういう状態になって行くのかもしれないけれど、まだ若いときに、まだ多くの人が働き盛りのときにそのようになることを強いられるのが、この病気の残酷さだなと思っています。
でも、りささんが、ブログのほうに以前書いていらっしゃったことを思い出します。
『うつで、目に見える活動は出来なくても、目に見えない精神活動(内的な活動)は続いているのだ』というような内容でした。
いいことおっしゃるなあと、思いました。
本当にそうだなと思いました。深い精神活動だと思います。
自分でしようと思って出来ることではないかもしれないので、この病
気の人にだけ与えられる贈り物、明かされるいのちの秘密?
そういうすべてをはぎ取られて裸になった心の営みは、「目に見えることだけがすべて」という感じの世界に、自分では夢にも思わなかったような影響を与えたり、警鐘をならしたりしているのかもしれないと思います。
「真の人間」って何なのでしょうね?
幼なじみのお友達に会えてよかったですね。
お返事有難うございました。
うつは続いていますが、今は素直に波に身を任せる感じです。
あずさ
just to be (ありの〜ままの〜♪が頭で流れています笑)というのを読んではっとすることがありました。
若い頃は、社会と向き合い前に進むために、心を鍛えていかないといけないから、
つらかったり、ごねたかったり、爆発したかったり、ありのままの存在は心の奥の奥に押し込んで、そんなサバイバルスキルを必然的に身に着けるし、それも成長の一環かなと思います。
それができなくなった私たちは、心が裸の状態で、情けない想いだし、社会のストレスから自分を防御する鎧も、耐性を作る条件も奪われ、それもそれでつらいし、残酷だよなと思います。
弱いものも、強いものはさらに強くなれと駆り立てられる風潮で、私たちは痛みながら「裸な心」をさらしてただただ存在していることそのものが、大変な精神活動だと思います。
目を向けてくれる人には、忘れてはいけない人間の側面だ!という「贈り物」だと感じてもらえればな。
「信の人間」は、なんでしょうね。病気を乗り越え社会と向き合う強さ、たまには立ち止まって本来的な弱さと儚さと向き合う勇気、療法を持ち合わせたのが人間だと思いたいです。でもそうは全部を上手く持ち合わせていないのも人間だから、おたがいを鏡にしながら、そんな人間像を目指したいですね。
りさ
こんにちは、はじめまして。
昨日から胃腸炎でお腹の調子が悪く、
さらにスマホが壊れました。
↓の自動思考の話、
今の私がそうです。
ただ、胃腸にくるウィルスにやられ
スマホが壊れただけなのに
これとは別に、
家族とうまくいっていないのもあり、
消えたい気持ちになるのと
それとは反対に
相手へ攻撃的な気持ちになります。
新参者なのに、こんなあちこちに書き込んでしまって、いいのかな〜と思いつつ・・・
胃腸炎の時にスマホが壊れたら、痛いし、苦しいし、食べる楽しみもないし、不自由だし、
修理にお金と手間がかかるし、誰だってすごく辛いですよ。全然「だけ」ではないと思います。
こんな時に自己否定の自動思考が来るのは辛いですね・・・
なんか、全然解決にならないレスですみません。
この頃行動が伴わなくて、
いろいろできてません。
こまったな。。
まいにちほんの少しでもできたらいいな。
自動思考を避けながら。
yukoさん返信ありがとう。
胃腸炎がよくなってきて良かったですね。
私の場合、やらなきゃと思うのに体がついていかず、自分や他人に腹が立ったら、そろそろ
鬱期の終わりってことが多いです。
鬱の底では心身ともにゾンビみたいになって、腹も立ちません。消える気力すらなし。
夜明け前が一番暗いというか、辛いです。
もしホワイトタイガーさんが私と似たパターンなら、夜明けも近いのではないでしょうか。
(だったらいいな、と 願いつつ・・・)
結果はわからないけど、
なんだかうれしい。