/20() 関東ウェーブ 第 10 回オフ会報告

震災の影響で、今回のオフ会は過去のオフ会のような懇談会・懇親会・二次会とという流れとは違い、簡単な自己紹介の後にフリートークを行い、早めに切り上げる予定でした。

しかし、フリートークとは言え、躁うつ病者にとっては普遍的で難かしいテーマを参加者の方々から出してもらい、それに対して発言もテーマの難かしさに負けず、意欲と希望を感じました。スタッフとしても、とても勉強になるフリートークでした。

話題も盛り上がり、予定にはなかった懇親会や二次会も行いました。

以下は自己紹介と、フリートークの記録です。自己紹介は、各人の発言を記さず、共通したテーマや疑問を要約したものです。その後のフリートークで再度話し合ったテーマは記しませんでした。

自己紹介の部分(テーマ別に要約)

*病気の自覚がない期間・診断されるまでの期間が長かった。診断された時は、「人生の謎が解けた!」と思った

*しかし診断後も、「自分が何なのか・何者なのか」なかなか答えが見いだせない

*鬱と先ず診断され、後に躁うつ病に診断が変わるというパターンが多い(抗鬱剤で躁転してしまったら、躁うつ病であるサイン)

*長い軽うつをどう乗り越えていくか

*躁の症状について。集中力がバラつき、結局一つのものが持続できない

*診断されて間のない時の心境

*アルコール依存 (他の病気も伴う躁うつ病者)

(大きいテーマ)

どう生活に支障をきたさずに過ごせるか躁うつ病と今後どう付き合っていくか、今後の生き方のためのアドバイス

「これから、どうしよう」

フリートーク

議題:躁うつ病を担いながらの離婚について

質問:家族との関係をどうやって修復していくか、家族に病気を理解してもらう困難さ

*周りの偏見が強いので、子供と定期的に会えるかどうか

「悪影響になるから」と言われる躁うつ病は、遺伝するのか?

発言:

*時間が解決する面もある

時間とともに、自分自身が立ち直ってくる、状況を受け入れるようになる

*その上で、病人であれど父親として自分ができることを、見出していく病人でも、親であることは変わりない

質問:仕事と病気をどう両立していくか。病気が安定しないまま、養育費をどうやって払っていくか

発言:

*自分は症状が軽かったので、なんとか続けられた、とにかく我慢した

*周りのサポートを得ることが、大事(家族、職場、主治医)しかし、周りのサポートにも限度はある

*自分の場合、一回休職すると、もう行けなくなってしまうので、とにかく休み休みにでも仕事に通う

*例:養育費を送るのをやめてみたら、連絡が途絶えた

それほど、病人としての自分と縁を切りたかったのだろうか

この出来事から「病気が安定した後、子供と再開する」というモチベーションを見いだせた

しかし、比較的安定した今、どうやってまた連絡を取って養育費を送るのを、再開すればいいのか、現在この問題に対しては「否認」状態

*養育費を払えるかどうかで自分の人間性を評価するのは、正しくないと思う障害者として、養育費を毎月必ず払う、という約束をする必要はないはず

質問:病気を抱えながら、離婚した後も、父親としての責任を果たせるだろうか

発言:

*精神障害を担う父親だからこそ子供に教えられることがあるはず

精神障害の理解をはじめ、健常者の理解の範疇を超えた寛容性が身に付くかも

*子供は現実問題がどうであれ、感覚的に親を愛し続けると思う。自分の子供への愛情も、病気と関係なく伝わるはず。

*子供のために、今生きれている、という現実

いくらつらくても、子供を思うと病気を超えてがんばれる

*夫婦の関係と、親子の関係は別。夫婦間に問題があっても、自分が親であることには変わりない

質問:地域活動支援センター(障害者のための生活サポート)と生活保養センター

(職務サポート)について詳しく知りたい

発言:

*喫茶店のような、「居場所」以上のことは求めらないかもしれない*生活保養センターというのもあるが、統合失調症患者が多く、あまり話が合わなかった

*作業所の種類について 作業所 A:就職を目指さず、活動をそこに留まる   作業所

B:主に障害者枠で就職を目指す

質問:認知療法の成否

*主観的な感情を客観化する・自分で自分を振り返り、自分の限度を知る。自分の病気をこのように把握していくと、躁鬱の波が浅くなる

*認知療法とは違うが、なぜ自分は理解されないか、客観視してみたら、健常者は許容範囲が狭く、私たちよりもそうゆう意味で精神がとってももろい、と気づいた。つまり、その狭い範囲から外れた自分は、排除されてしまう。このように、健常者ももろいのかと気づいたら、なんだか気が楽になった。

*認知療法を、対人関係療法(水島広子著)と比較:自分一人で自分の病気と向き合う療法と、無理解をある意味及ぼしている周りも一緒に病気と向き合ってもらう、療法。

大きい意味で、私たちが「健常」な社会に適応する「責任」と同時に、周りにも「病人」を理解し、社会の中で受け入れていく「責任」があるのではないか。

質問:病歴が長い方に、病気の安定をどう持続できるか、アドバイスがほしい

発言:

*合った薬を見つける、飲み続ける

*普段は安定していても、思いがけない、大きな出来事(災害、喪失経験)の時にどう病気をコントロールできるか、考える

*繰り返し訪れる躁と鬱の経験から学び、何らかのパターンを見出す

*極端にひどくなって、「どん底に落ちた」時に初めて学べることもある

*信頼関係を作り、しっかりと保つ

例えば、自分の一番病態が悪かったころを知っている、先生、

自分の躁鬱の波を見てきた友人・家族に自分の進歩を評価してもらう、等。

質問:うつを抑える方法−ラミクタールは効果があるのか?

発言:

*「魔法の薬」ではない、しかし、慎重に使えば適度の効果はある

今回は躁うつ病者にとって普遍的なテーマがいくつか取り上げられ、その中でもとても難解な問題も持ち上がりました。

大きく言うと、今回のオフ会は(自己紹介からの引用ですが)「今後、躁うつ病とどう付き合っていくか」についてのアドバイスや意見交換の場となったと思います。「これから、どうしよう」という同病者共通の疑問に対しての、同病者の集いでしか見いだせないアイディアやアドバイスを元に、つらい状況にいる方にとっても、少しでも希望の光が感じられたらな、と思います。

参加していただいた皆様、本当に、ありがとうございました。またお会いできることを心待ちにしています。

オフ会報告がたいへん遅れて申し訳ありませんでした。

スタッフ一同