12 回関東ウエーブの会オフ会 2012年4月28日

  

 

今回のオフ会は、スタッフを含め14名が参加してくださいました。皆さん、どうもありがとうございました。

 

オフ会は基本的に、「自己紹介」「懇談会」「懇親会」「二次会」という流れで行われました。まず参加者の方々の簡単な自己紹介を行いました。主に病歴と、最近の体調などについてです。

次に、事前に参加者から募った、躁うつ病に関しての話題を元に、懇談会を行いました。

最後に、ご飯などを食べながら自由にお話しをする懇親会を行いました。

その後有志で居酒屋に行き、二次会を行いました。

 

この報告は、懇談会の部分を要約したものです。全部で5つの話題を取り上げましたが、考えさせられるような意見が次々と出され、結果としてとても濃い内容になりました。話の流れとしては以下の通りです。

 

話題

 

1)周囲にいつ、どうゆう風にカミングアウトをすればいいか

2)病気を抱えながら、能力を発揮して働くにはどうすればいいか

3)交流の輪を広めるにはどうすればいいか

4)病識について-本来の性格と病気の症状の見分け方

5)障害者自立支援法と障害年金の実態について

 

 

 

  1)周囲にいつ、どうゆう風にカミングアウトをすればいいか

カミングアウトとは、自分が病気であるということを周囲に伝えること

 

 

「病気を担いながら、長期的な関係(仕事も個人的なのも)を成り立たせるにはどうすればいいか。」という話題にも触れた

 

話題の詳細:結婚や就職など、人生の新たなステップを踏んでいく度に、新たな人間関係を築いていく。その都度、カミングアウトするべきかどうか、悩む。する場合は、受け入れてもらう形に病気について打ち明けるには、どうすればいいか。

カミングアウトするというのは、相手との関係が壊れてしまうかもしれない、という恐れが必ずついてくる

とくに結婚の場合は、相手は知る権利があるし、伝える責任も大きい気がする。

 

 

  参加者の意見:

 

(するかしないか)どちらが適切かという以前に、カミングアウトしないまま相手に合わせ続けるというのは実際問題難しい

 

カミングアウトする価値があるケースと、ないケースと、相手による。

分かりやすい例で言えば、職場でのカミングアウトは必ずリスクを伴うが、友情関係であれば、受け入れてもらわなくても損はない場合もある。

 

(上の発言の返事)逆に、カミングアウトして、友人として残る人と遠ざかる人と分かれるので、誰との友情が本物なのかうわべなのかはっきりさせるのにいい機会にかもしれない。

 

カップルで、男性の方が当事者で、女性の方が健常者とケースはあまり聞いたことがない。もしかして、社会的に男性の方が経済力をもたなければいけないというプレッシャーが大きいので、当事者の男性は女性にプロポーズする際、自分の病気について打ち明けるのにより抵抗感を感じてしまうかもしれない。

 

実際カミングアウトした人で、相手が離れていった例があるのか?

 

(上の発言の返事)ある。

 

 

職場でも個人的にでも、長期的な関係を誰かともつとして、自分の症状は相手にどう映るのか、それ以上に迷惑をかけるのか不安。

長期的な関係を始める際、関係が成り立つ程度に、自分の症状をコントロールできるという自信がほしい。しかし、いくら自分で症状が安定し、気分の波が穏やかになっていると思っていても、長いスパンで見て、自分がわからないところ、あるいは相手にしか見えない形で、症状が悪化するかもしれない。

安定した関係を、相手に保障するという点でも、100%自信を持てない。

 

 

健常者にとっては、躁うつ病者と付き合うのは、リスクが伴うのは確か。でも、異なった観点など、躁鬱病者から学ぶ面もあって、付き合う中でメリットも色々あるはず。関係が成り立つには、健常者の方が、メインストリームからちょっと外れた関係が OK でないと。

 

 

この病気を担うと、プライベートな行事とワークライフを両立できない。例えば、お葬式があれば、それに出席した日数分の仕事をあとで埋め合わせるなど、体調的にきつい。自分の生活も上手くコントロールできないのに、パートナーにどう安定した生活を保障できるのか。

 

 

私たちは、躁うつ病を抱えながら、社会に適応しなければならない。慢性病と呼ばれているぐらいだからこれは至難のわざ。健常者の「自立」より二倍の重みがあるよう。

自立を健常者と同じ定義で考えない方がいい気がする。

私の場合、経済的自立より精神的自立を重視するようにしている。同病者との交流サークル、生活保護なども視野に入れる。社会から外れた形でも自分流に長期的な生活、関係は成り立つ。

 

 

(カミングアウトの話に戻って)病状が寛解に近いのであれば、必ずしも相手に伝えなくてもいいのではないか。

 

(上の発言への感想)一生涯一緒に過ごすのなら、丁寧に伝える責任がある。友達レベルだったら、その責任の重さも変わってくる。

 

カミングアウトするべきかどうかは、結果的に自分が決めること。関係の質にもよる。

 

 

 

    2)病気を抱えながら、能力を発揮して働くにはどうすればいいか。

 

話題の詳細:

調子が良いと感じ仕事をこなしていくと、知らぬ間に躁転している。

医者には「仕事を減らしなさい」とアドバイスされているが、せっかく調子が良い時に必要以上に活動量を制限したくない。だからと言って、あまり活動量を増やして躁転してつぶれてしまえば本末転倒。

病状的な限度と自分が発揮できる能力と、いいバランスをもって仕事を持続していきたい。

 

   参加者の意見:

 

 

働く時間が不規則な仕事なのだったら、できるだけ休みを間に入れて働くのはどうか。あるいは、自分なりに規則性をつける(毎日何時から何時まで働いて、それ以上は働かない)

 

ハイで休みたくない気持ちが強い場合、決まった時間にどうしても仕事を抜けてしなければいけない要件をあえて作る。

 

仕事場の人間が病気を理解してくれない場合、病気に合わせて色々仕事内容に変化をつけるのが難しい。自分がいろいろ対策を練るのも必要だが、周り(職場)が病気を理解してくれるということが一番好まましい。

 

(上の発言への感想)主治医の方から上司へ病気についての説明をお願いするのはどうか。

 

躁転を予防するには、毎日の活動量と気分をグラフなどにして、自分の病状について常に自覚をもつことが重要。(認知行動療法)

 

 

 

   3)交流の輪を広めるにはどうすればいいか

 

 

話題の詳細:

自分をさらけ出すような、深い友情関係でも、イベントなどを通したもっとライトな交流でも、とにかく孤立から解放されたい。

 

 

順番的には、まず最初は自分が興味のあるイベントあるいは交流サークルなどに参加して、そこからもっと深い友情関係を見出していく。

 

区役所に行けば相談窓口があって、地域別の障害者支援センターについて聞ける。例えば仕事ネット、クローバーの会など、月に一回集まる会があり、近況報告をしたりピクニックなども主催している。

 

(質問)孤立してしまう理由に関して。体調的に人間関係が持続できないということなのか、あるいは、病気を理解してもらえないということなのか、あるいはただ単に自分に合った交流の場が見つからないということなのか。

 

(上の発言への返答)どれも当てはまる。

 

この病気を担う人間として、居場所は重要。孤立ほどつらいものはない。

 

同病者との交流会に限らないのであれば、自分の趣味に会ったサークルなど、ネットで見つけることができないか

 

(上の発言への返答)サークルや交流会を見つけたとしても、参加者との関係が深まるほど、体調的に持続して参加できない。

 

 

加藤忠史先生が、理化学研究所の発表で、こう発言していた。

「統合失調症者の交流の場はあるけど、躁うつ病者の交流の場はない」

躁鬱病は「人生に逼迫していない」方が多いので、研究の資金を国がなかなか出さない。

もっと啓蒙活動を広めて、国に働き掛けないといけない、と加藤先生は言っていた。

 

 

確かに、デイケアなどに参加するのは統合失調症の方が多くて、躁鬱病者は少ない。

統合失調症の場合、デイケア分の保険が出る。躁うつ病の場合は保険の範囲が曖昧。保険から補助が出るように、と主治医がしっかり書かないと、出ない。デイケアの参加に関しては、主治医に交流の悩みについて相談してみれば、補助について前向きな話が出るかもしれない。

 

 

躁うつ病の交流会は確かに少ない。私の場合は、もっと多くある気分障害やうつ病全般の交流会に参加している。東京より千葉の方が多い。

 

病院側は、躁うつ病が集まると、トラブルが起こることを懸念している。統合失調症の会に入れない、という案も出している。トラブルを乗り越えた上で交流会を成り立たせるというチャレンジに踏み込もうとしない。

 

ネットで調べるだけではなく、関東ウエーブなどの交流会の口コミで他の交流会や仲間を見つけるのが、安全。

一つの交流会に持続的に参加して、交流の輪を広めるのが確実な方法。

 

 

 

   4)病識について本来の性格と病気の症状の見分け方

 

話題の詳細:

まだ、自分が躁うつ病だという自覚が薄い。認めたくないという面もある。

単なる甘えや怠けなのか、病気の症状なのか区別がつかない。

 

  参加者の発言:

 

うつの時にミスなどをするのは自然。基本的には、自分を責めないでほしい。

 

しかし、すべて病気のせいにするというわけにもいかない。

自己責任のことと、病気が原因のことと、見分けられるようになる必要がある。

本来の自分だったら明らかにしないミス、病的に能力が低下している時は感覚的に分かる。

 

躁の時も、うつの時もトータルに「自分」だと思っていいと思う。病気の部分も受け入れるように。 激うつは分かりやすいが、低め安定というか、軽いうつの場合、自分を多少責めてでも

押すべきなのか、病人として休むべきなのか。その度合いがつかめない。

 

 

病気を担いながらも働けていること自体、自分を責めるよりは大いに褒めるべき。

 

病識をもつには、気分の波をグラフなどにして、「本来の自分」より波が極端な時を自覚するように努めるべき

 

 

自分の場合、一回目光りトポグラフィを受けたら、躁うつ病のような波形が出たが、別の医師の元で二回目受けたら、「あまり(結果)は気にすることではない」と言われた。確かに診断されて間もないと、躁うつ病ある、ないとはっきりした線をつけるのがむずかしい。

 

(既に病識をしっかり持っている参加者へ質問)

「いつ、どうゆうきっかけをもって自分が躁うつ病だと認められましたか」

 

上の発言への返答

多弁になった時

希死念慮を感じたとき

処方が気分安定薬になった時。(躁転防止のため)

 

 

 

   5)障害者自立支援法と障害年金の実態について

 

話題の詳細:

法改正が行われるのだが、名前は違うだけで実質上中身は同じだ。

 

   参加者の発言:

 

(精神障害者保険福祉法の)32条が自立支援法を扱うようになってから、かなりまがいものになっている。

非常に表面的にはいいことを書いてあるけれども、例えば自立支援法が通る時に私の精神病医長の友達が言っていたことが、障害者にもお金を出してもらうこと(所得税)今から先どんどん不況になっていく、国家財政としては障害年金とか生活保護には回すお金がなくなっていく。いわゆる派遣連動とかリストラとかも多くなっていく。

それに対してどう先手を打ってそうゆう人たちに騒ぎを起こさせない、文句を言わさせな

いという観点から作られたのが今回の障害者総合福祉法と僕個人は考えている。

 

32条のころは0.5円負担

障害者自立支援法の反対として障害団体が運動をしていた

 

今回の名前の変更の裏が読めない

 

32条前に来ていた患者が、32条後に経済的に病院に来れなくなっている人がいるそう、地方では

 

32条を自立支援法に変える時は、三者手帳の統合が目玉。法律だけ通って、

精神の場合は差別を受けるからって写真を張らなくてよかったが、張らないといけなくなって、なぜかというと、JR の割引のためにって言っていたのに、そんな割り引きなかった

 

今回も三者手帳の統合が約束されているが・・・。

 

32条の時は二年の一かいが、一年に一回の書き換えになった