関東ウエーブの会ミニオフ会 2012年12月22日 報告

  

 

今回のオフ会は、途中参加の方とスタッフを含め12名が参加してくださいました。これまでになく充実した内容のオフ会だったと思います。皆さん、どうもありがとうございました。

 

オフ会は基本的に、

「レクリエーション」

   ↓

「自己紹介」

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「懇談会」

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「懇親会」

   ↓

「二次会」という流れで行われました。

 

まずレクリエーションで体をほぐした後、参加者の方々の簡単な自己紹介を行いました。

主に病歴と、最近の体調などについてです。

次に、事前に参加者から募った、躁うつ病に関しての話題を元に、懇談会を行いました。

 

最後に、懇談会の代わりに特別行事「前途を祝す会略」を行いました(「前途を祝す会」の記録は後ほどアップしますので、もう少々お待ちください。)

その後有志で居酒屋に行き、二次会を行いました。

 

久々に心置きなく話し合える場を作って下さった参加者の皆さんに感謝します。

 

この報告は、懇談会の部分を要約したものです。全部で3つの話題を取り上げましたが、考えさせられるような意見が次々と出され、結果としてとても濃い内容になりました。話の流れとしては以下の通りです。

 

懇談会

 

   1: どのような状態をもって「寛解」なのか

  2: 双極性障害だと、認知症になりやすい、という噂を聞いたが、事実か

  3: 躁うつ病の二次的症状として、色んな依存に走ってしまう

    傾向があると思うが、みなさんの体験談、克服の方法を聞きたい

 

 

 

話題1.どのような状態をもって「寛解」なのか            

 かんかい【寛解・緩解】クワン〔医〕(remission) 病気そのものは完全に治癒してはいないが、症状が一時的あるいは永続的に軽減または消失すること。特に白血病などの場合に用いる語。(広辞苑より)

 

疑問:薬や療法などで、意識的に管理しないで、自然と調子が良い状態が続いていることを指すのか。

あるいは、薬や療法を用いてコントロールしている状態も指すのか。

皆さんの意見:多分後者も寛解の内に含まれる。

 

疑問:「爽快な躁」が続いても寛かいなのか。

多分「躁病」は寛解ではない

 

「寛解」は自分にとって何か

一参加者が複数の意見を述べている場合もあります:意見1.

寛解という言葉は信じていない。

言葉の定義が曖昧すぎる。

状態が安定したことは、他の表現で表すべきだと思う

 

意見2.

毎日を寝込まずに外に出たりして過ごせること。

 

意見3.

アイデンティティーが確立していない時期に発病したから、自分のこと(能力、体力、性格など)を把握していないので、

どの気分のレベル、どの状態が寛解なのか分からない。

でも理想を言えば、「浪費をしない軽躁状態」

 

意見4.

ちょっと元気な状態。

一番ピンとくるのが水島広子さんの本

「何回か気分の波を繰り返していく内に、

自分に合った絶妙なポイントを見出していける」

 

意見5.

ある程度人生を楽しめるぐらい、社会生活が送れること。

 

意見6.

薬を飲まない状態。

 

意見7.

社会生活を中心とした人にとっては、低め安定が寛解に近いかもしれない。

普通に仕事して、普通に人間関係できるようになること。

 

低め安定で働いていると、自分を押し殺すことによって、ストレスがたまるが、ストレス

要因を文章にまとめたりして発散方法を見出せば、ストレスに対して強くなっていく。

 

低め安定は、自分を犠牲にしてでも守りたい、目指したい何かがあれば見いだせるのかもしれない。

 

我慢が鍵。

 

意見8.

自分を保てているのだったら寛解。

 

意見9.

自分が受けた刺激(外出、交流、仕事など)や気分の波の度合いを例えば「ハイ」「ニュートラル」「ロー」のようなスケールで記録して、「ニュートラル」が一日4つそろったら、その日は安定していたと判断し、

ニュートラルが続けば続くほど、寛解時も続いているという風に決めれば、寛解を目指しやすいのではないか。

 

意見10.

なごやかに過ごせていれば寛解。

意見11.

安定した状態が続いても、自覚症状を常にもっている必要がると思う。自覚症状が薄れてきたら、周りに指摘してもらう。

 

意見12.

自分としても良くて、周りからも受け入れられている状態

自分がどう感じているかもそうだが、他者に安定状態かどうか判断してもらうのも重要。

 

意見13.

自分らしくが生きていられれば。

自分が満足できる、ありのままの状態が寛解。

 

病気って言われる前から感性が変わっているし、普通の生き方と言うのも、よく分からない。

寛解は、ほかの人に合わせることではないと思う。

本人が自分の状況に満足していればそれでいい。

 

意見14.

働いていられるぐらい、あと趣味も続けられるぐらいがちょうどいいのではないか。

医者には「低め安定」を進められて、躁転防止として趣味も諦めているが、むしろ抑えを外せて自由気ままに生きられる方が寛解なのではないかと思う。

躁鬱の波も含めて、自分らしく生きられるのが理想。

 

意見15.

精神病は社会病だと思う。

障害者の状態を理解できない、抑制が効きすぎた「健常者」の状態だって心の病として捉えられる。

健常者も障害者も同じ人としておたがいを理解し合えるべきだと思う。

社会全体がそうゆう意味で寛解する必要があると思う。

 

意見16.

自立できた状態。

依存も取り払った生活。

 

 

話題2.双極性障害だと、認知症になりやすい、といううわさ(例えば、 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1738846/L Kessing P Andersen

2004 英論文、重度の躁うつ病と認知症は比例するとのこと)を聞いたが、事実か。

 

意見:加藤忠史先生の研究によると、双極性障害ラットの脳神経細胞のシナプスが縮小しているとのこと。 

これは、神経細胞のネットワークが縮小し、脳細胞の活動が弱っていることを示す。

 

疑問:もしも関係性があるとして、薬を長期間服用していることが原因か、それとも病気自信が原因か。

多分前者

 

意見:うつ症状と認知症の見分けがつかないのではないのか。

 

意見:関係性は直接的ではないかもしれない

 

意見:ベンゾジアゼピン系の薬は、確かに健忘の症状が出るまだはっきりした

 

意見:多分躁うつ病もまだ知られて間もない病気で、人生ずっと薬を服用してきた躁鬱病者も少ないのではないか

私たちが実験台!?

 

結論:認知症自身解明されていないし、躁うつ病との関連性も科学的根拠があるとはっきりとは言えない

 

 

話題3.躁うつ病の二次的症状として、色んな依存に走ってしまう傾向があると思います。みなさんの体験談、克服の方法を聞きたい

 

依存の種類:過食、アルコール、たばこ、ネット、他の人

 

意見:心理的な依存と、薬物依存に分かれると思う。重なる場合も。

 

脳内に依存する作用が作られた、「薬物依存」の例:タバコやお酒

 

「心理的依存」の例:

人への依存(この場合は「自立」の反対語)過食

 

 

意見:心理的な面があるからこそ、乗り越える希望がそこにある。

純粋な薬物依存は怖い

 

意見:病気がストレスを作って、そのストレスを健康的でない形で発散してしまうのが「依存」だが、

健康的なストレス発散法を見出せて行けば、依存も克服できるのではないか(例えば趣味とか)

 

意見:すでに依存しているもの、例えばお酒の量を「適度」にするなどの調整は絶対無理。

止めるんだったらさっぱりやめないといけない。

 

意見:寝逃げや過眠も依存かもしれない

 

意見:とくに人や趣味が関わると、支えなのか、依存なのか、その境界線が微妙いずれにせよ制限をつけることが重要。

例えばネットの場合は「時間制限」

 

懇談会の内容は以上です。拙いまとめになりましたが、実際はとても内容のある懇談会でした。皆さんありがとうございました。