2013年9月14日 第16回 関東ウェーブの会オフ会 記録
≪はじめに≫
今回のオフ会はスタッフも含め、全体で23名の方々が参加してくださいました。
この記録は、オフ会の流れと「懇談会」で話し合ったことの要約です。
今回は「病気との向き合い方」などの大きいテーマを、色々な側面からディスカッションすると言う形式を取りました。結果的に、躁うつ病を総合的に捉え返す、とてもいい機械になったと思います。
ディスカッションが展開していく中で、次々と話題に対する建設的な結論が生まれて行ったので、その流れをたどるために、今回の記録は、あえてあまり要約しないものとしました。
参加された方にはぜひ目を通していただき、今回のオフ会が少しでも記憶に残るようなものになれば幸いです。
参加されなかった方々にも、この記録が何かしらの参考になり、そしてオフ会に興味を持っていただくきっかけになればと思います。
≪オフ会の流れ≫
・13:30〜14:15 レク(風船バレー)
・14:30〜15:45 自己紹介
・16:00〜18:00 懇談会 ※詳しい内容は下記
・18:00〜20:30 懇親会
・21:00〜 有志で2次会(居酒屋)
※レクの風船バレーは、本格的なコートを会場に作り、チームに分かれて対戦形式でプレーしました。前回と引き続き、ついつい童心に帰ってしまうような楽しいレクになりました。
※続く自己紹介では、時間の都合上、今回は1人3分とさせていただき、簡潔に病歴・体調・服用している薬などについてお話ししました。
----------------------------------------------------------懇談会で取り上げられた話題は以下の通りです:
a.病気を悪化させないための普段からの工夫
b.薬物治療はQOLを上げることにはつながっているのか
c.病気のために諦めることがある中で、生きる希望を見出して行くとは
話題3.躁うつ病を抱えながらの恋愛、結婚などの人生設計について
------------------------------------------------------------以下懇談会の記録です:
話題1.病気との向き合い方
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話題1のa.病気を悪化させないための普段からの工夫
意見1.自分のカウンセラーにアドバイスされたことは、不安などをとにかく言葉や文字にするということ。ツイッタ―やブログなどの媒体でもOK。
それと、イメージトレーニング。自分の頭の中で、「今後こうなりたくない」とイメージすれば、脳が認知してブレークをかけてくれる。
リラクゼーション法も。例えば、湯船に浸る、歌う。
とにかく気分転換をして、不安から気をそらす方法を見出す。
意見2.アロマテラピー。お風呂で使うとさらに効果的。自分のおすすめは、ラベンダー、マンダリン、ゼラニュウム。
それ以外に、コーヒーなど、とにかく文字などよりは、香りや雰囲気から入っていく。
自分の気持ちを文章にするとしても、マイナスのことはあえて使わない。
捌け口を持たなければいけないような状態に自分を持っていかない。
例えば、自分にはリーマスが効いているので、捌け口が必要なような状態になった、リーマスが足らないサインとして認識する。
睡眠覚醒リズム表をつけるのを日課とする。記録をつけていくと、自分の悪いくせが見えてくる。つまり、昔の記録を振り返ることによって、今使える予防法を見出せる。
瞑想も効果的。座禅やマインドフルネス。体調が悪化しないような技術、スキルを自分で積極的に習得していく姿勢が大事。曹洞宗。
意見3.体調を積極的に改善できる状態にいない時、寝ながらできる工夫が欲しい。
例えば、躁うつ病を社会問題として捉え、寝ながら頭の中で問題意識を深めていく。例えば、マイノリティの問題についてのドキュメンタリーを見て、それについて考える。躁うつ病者である自分しか思いつけない観点などあって、何もできなくても自信がついて、毎日も過ごしやすくなる。
意見4.睡眠の確保が大事。
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話題1のb.薬物治療はQOLを上げることにはつながっているのか。
提案者より:私は現在薬を服用していないのもあって、薬の役割について考えさせられるところがある。
加藤忠文先生の著作を読んだりしても感じることなのだが、脳科学的に言っても、分泌されるセロトニンの量を調整したりして、波を抑えるのは薬でしか果たせないことなのだろうか。
。
例えば、上記の話題で話し合った、日常的に行える工夫もある意味薬の一つだと感じている。
むしろ薬を服用することによって、体調の悪化、QOLの低下につながっている側面があると感じる。
それはつまり薬の役割が、直接的に患者の生活の向上のためというより、患者が社会に迷惑をかけないように抑えるためだからではないだろうか。
意見1.私は薬を比較的多く服用している。
主治医との信頼関係が今の安定につながっている。
薬の役割をこう考える。
例えば、薬を飲まないで波の幅が+10、−10だとして、薬を飲むことによって、+5、−5になる。躁を抑えるためというよりは、なるべく平均的な波をキープするために薬を飲んでいる。
減薬を目指している方も多くいるが、私にとっては薬は友達。
意見2.確かに躁を抑えて生活していくのはつらい。
しかし、社会で働いていくためには、躁を抑えるかどうかを考えるにあたって、甘んじた考えではやっていけない。
躁状態は強くなって行けば、集中力もなくなり、判断力も低下して、仕事へも影響が出てくる。
やはり薬を上手く使うことと、主治医との信頼関係は大事。
意見3.薬は、良い意図で使えばとても効果的だと思う。だが、薬が使われている意図に不信感を感じる。提案者が言うように、躁うつ病者のQOLを上げるためでなく、社会に躁うつ病者が迷惑をかけないようにというのが意図。
個人の安定でなく、社会を安定させるため。
例え主治医が良心的な人でも、裏で手を回している製薬会社などの圧力は強いものだと想像する。
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話題1のc.病気のために諦めることがある中で、生きる希望を見出して行くとは
提案者より:躁うつ病と診断された時に、主治医に、「あなたは障害者なんだから、能力の半分を仕事に注いで、残りの半分は病気の療法に向けるべきだ。」と言われた。
周りにも迷惑をかけてしまう中で、色々なことを諦め、ただ生きているために生きているという感覚に陥る。
割り切ったり、諦めたりするのは必要だけど、その中でも生きている希望を見出して行かないと、やりきれない。
意見1.仕事は今まで通り続けて行かないといけない、というあせりが最初があった。しかし途中で割り切って、自分は昔の自分ではないんだから、できることをやろうと思えるようになった。
それで気を楽に持てるようになったが、世界的にも最先端の仕事をやることが夢で、それを諦めたというつらさは確かにある。
意見2.提案者の主治医と同じようなことを、自分の主治医に言われた。
「君の言っている(昔発揮できた)100%というのは果たして本当に100%だったのだろうか。自分のキャパシティを考えていたのだろうか。100%の発揮の仕方は今後どんどん増えて行くだろう。そこに希望はあるじゃないか。」
意見3.(病気に)なったんだから、もう仕方ないと思うしかない。その上で、健常者が見えていないことを見えている自分がいることに気づいた。私たちは健常者が見たことないような地獄を見てきた。
彼らと僕らの見える世界が違う、そこから物事の見方を始める。これを大事にしている。
そこから始めて、生きていける方法を探すことかな。
楽って字は、楽しいから来ている。だから楽に生きて行こうと思っている。意見4.友達が、「生きてくれるだけで嬉しい」と言ってくれる。何もできない中で、そうやって言ってくれる人がいるってくれることが希望。
図々しくなろう、頼っちゃおうってことを意識して行こう。遠慮することが習慣になっていたので、違う習慣を身に着けることにしている。
意見5.昔の100%が本当に自分の100%なのだろうか。
そうやって見方を変えていく中でできることとできないことは変わっていくけど、今はとりあえず仕事をがんばっていこうかと思っている。
小さい幸せを見つけて行こうと思う。希望を見出そう見出そうってあせって思うと言うとむしろ希望を見失うと思う。ちょっと拾ってこうという程度の方が見つけやすい。
意見6.バイクを乗っている時感じたこと。バイクを飛ばしていると爽快をだけど、周りの景色が見えない。でも、今はゆっくり進んでいるから、周りの雑草まで見えている状態。
今日一日、今いるここの自分。小さいものに潜む世界と向き合っていく。
自然の摂理として、捨てていくと同時に手に入るものもあるはず。
手に入ったものに光りを当ててみる。
それが希望にもつながっていく。
意見7.い〜いかげんでやっていきたい所だが、100%の力を出さないと、社会ではやっていけない。現実問題、責任を担っているので気持ちを緩められない。それでも5
0%〜70%の間を目指す。
意見8.社会には私たちのように「弱い」人が必要。社会のみんなが100%なスーパーマンだったら人間の本質からずれることになる。
あるいは弱い人を見下して分断の材料にしていく社会も人間のあり方として不自然。
だから私たちの諦めた、弱さをさらけ出したあり方には存在意義がある。だから自分をリスペクトするべき。
自分の存在自身に希望を見出せるべき。
意見9.
現代科学においては動植物も生存の可能性が多様性の中にあると位置づけています。つまり多様性もなくなると生存の可能性もなくなるとという事です。人間の考え方の歴史に置いては、過去から現在にかけて果たして多様になっているでしょうか。まったく逆に単一化されているのが現実です。それは例えば、金をたくさん設けるほどいい、あるいは高い地位につくほどいい。そうした価値観が主流となっている結果です。
さて、躁うつ病の本質は気分が変動する=つまり価値観が変動するという所にあります。先ほど述べたように、人間の社会の考え方多様性が必要であるとすれば、こうした躁うつ病の多様な価値観もきわめて重要な存在であると言えるのではないでしょうか。
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話題2.家族の理解をどう得るか
提案者より:理解しているとは口では言ってくれるけど、例えば希死念慮などの極端な症状なども含めて、本質的には理解してくれていない。
意見1.提案者と同様、家族には理解されないと感じる。家族と一緒にいると、精神的に不安定にある。独り立ちする方がいいかも。
意見2.最大限の努力をしてくれているのは分かる。でも、自分は基本的に他人と相容れないから、親もその内に入っている。
本質的な理解を求めるというより、具体的な欲求をすることによって、適切な対処だけでも理解してもらえる。
例えば、「発狂しそう、ODするよ」ではなくて、「今入院したい」
理解という点で割り切ると言うことと、要求だけはしっかりしていこうと言う二つの心構えを混同しないこと。
意見3.他人に迷惑をかけることがないから、一人の方が気楽。他人に迷惑かけることはない。自分の場合、逃げ場所があるから違うのかもしれない。
意見4.この病気について説明をしようとすると、どうしても理解にずれが生じるし、いらいらして来てしまう。それよりも、加藤忠史の簡単な躁うつ病の本をぽんと渡したら、ずいぶん分かってくれたみたい。
意見5.家族にすべてを理解してもらうのは諦めた。しかし金銭面など、自分が置かれている状況は受け入れてもらえた。
意見6.あんまり細かく病気のこと言うと、嫌になってきてしまうので、適度に距離を取ること。
躁になったら、自分の部屋にこもるなど。
意見7.診断前に、母の前に一度荒れたときに、専門的なことなどは別に「状態がおかしい」ということを、感覚的に認識してはもらえた。
なので、診断名をもらった時に母は「やっぱり」と納得していた。
母は積極的に躁うつ病についてのメディアをチェックしてくれるし、寝込んでも文句は言わない。
本質的な理解を求めず、家族と共生をすることだと思う。私は母を金銭的に支え、家事は母がしてくれる。
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3.躁うつ病を抱えながらの恋愛、結婚などの人生設計について
提案者より:恋愛していると感情がぶれやすい。その他の人生の大きい転換点にも言えることだと思う。どう取り組んでいけばいいか。
具体例をたくさんもらって糧にできればと思う。
意見1.恋愛と結婚は諦めている。自分のパートナーいないと思う。
人生設計と言うと、医療保険に入れないことが悩み。
→提案:躁うつ病者が利用できる保険に関しては、関東ウエーブの会の資料ページに載っている
意見2.提案者は、当時の彼氏さんにカミングアウトしていたんですか?
提案者より:はい。それでも、上記の家族のケースと同じで、理解は得られない。
意見3.病気になったら、即別れられたという過去がある。自分がいいなと思う人がいても、どう進めていいか悩んでしまう。
意見4.失恋は、病気の引き金の一つ。
病気で休職中なので、誰かと付き合おうということは頭にない。
健常の方と付き合うべきのか、同病者の方と付き合うべきなのか、分からないし、覚悟も出来ていない。
同病者だったら、経済的な問題があるだろうし、精神的に支え合うことができない。
健常者と付き合えば、もう片方が働いてくれれば経済的な問題はクリアできるかもしれないが、自分の病気への理解がないかもしれない。恋愛や結婚など考える段階にない。まずは復職。
意見5.結婚には希望を持っている。現実的な問題はいろいろあるけど、希望だけは持ちたい。
意見6.健常者の知り合いでも、孤独死など不安を抱いているが、自分は平気。そうゆう思考方法にならないように、自分の趣味や勉強をしていきたい。興味のあることを目を向けることが大事。
意見7.恋愛感情持つことが怖い。例えば、躁になって変な姿を見せてしまう。カミングアウトはできないから、いわゆる自分の「ノーマルな」部分から認めてもらっていこうかと。
意見8.自分よりどん底な相手と将来を共にすることを考えている。だから健常者と障害者の関係の逆転ではないが、自分が相手を支えることになっている。
支える立場として自分の病気のことを恋愛において挟むことができないので、相手とは今の所距離を置いている。長い目で見て相手との関係に希望を持っている。
意見9.夫はうつ病なので、自分が寄りかかることができない。おたがいの状態や気持ちを理解できる範囲内で、出来る限りの生活をしていくしかないんじゃないかと割り切っている。
意見10.フェイスブック病-フェイスブックの昔からの知り合いのリアルな充実ぶり(大学生活、結婚生活、旅行など)を見てうつ状態になってしまうこと、について。私がフェイスブック病に昔なっていたが、最近はフェイスブックで描かれている人生設計を必ずしも目指す必要がないと感じてきた。躁鬱病者のリアルな充実は形が違うのかも。私にとってのリアルな充実は同病者のみんなと会う事。
意見11.仲間を増やしていきたい。それと同時に、知識を蓄積して、自分を取り巻く経済的や福祉などの状況を勉強して、自分を自ら守っていくことも大事。
懇談会の記録は以上。
≪おねがい≫
記録間違いや、発言者の意図を再現できていない場合もあるかと思いますので、発言者は遠慮なく修正を申し出て下さい。よろしくお願いします。
≪最後に≫
このあとの懇親会でも、夕食を食べながら自由きままにお話しをしました。
その後有志で二次会を行い、最後まで活発な一日になったと感じます。
今回のオフ会で強く感じたのは、同病者の皆さんで集まることにより見いだせる「希望」と「解放感」でした。一人では重荷に感じてしまうような話題も、懇談会で皆さんと一緒に話し合うことで、自然と明るい結論が見えだしてくること。あるいは、懇親会や二次会では、なかなか日常では味わえない理解のある雰囲気が作られて、自然と明るい表情になって行くこと。同病者の皆さんの存在が一つの場所に集まるだけで、生き生きとした力がみなぎることに感動を覚えた一日でした。
参加してくださった皆様、本当にありがとうございました。
この会が、皆様にとって有意義なものであることを、スタッフ一同、心より願っております。
2013年9月16日 関東ウェーブの会スタッフ一同