2015 5 30 19 関東ウェーブの会オフ会記録

はじめに

今回のオフ会は、スタッフを含め全体で 36 名の方々が参加してくださいました。今回は皆さんの発言の時間を確保できるようにと、懇談会ではまず 2 つのグループに分かれて話し合うグループトークを行い、最後にまとめとして全体でお話をするという形をとりました。グループトークを別々の部屋で行えたこともあり、新しい参加者の方々とも、より親密で気楽にお話をできたという印象を受けました。全体トークでは、病気に成り立てに抱く不安や将来の展望についてなど、みんなで共有できる普遍的なお話しができて全体の認識が深まったように感じました。最後に関東ウエーブの歩みをシェアさせていただきました。記録の下にレジュメを添えましたのでご参照下さい。

以下は各グループトークで話し合ったことの要約です。参加された方々には是非目を通していただき、今回のオフ会が少しでも記憶に残るようになれば幸いです。参加されなかった方々にも、この記録が何かしらの参考になり、そしてオフ会に興味を持っていただくきっかけになればと思います。

まずは基本的なオフ会の流れです:

オフ会の流れ

13001330 自己紹介

13451605 グループトーク(各グループで休憩をはさみながら行った)

  1: 病気のコントロールについて

  2: 周囲に病気をどう理解してもらうのか

  3: 継続した社会参加を目指すには

  4: 障害を抱えながら生きるということ

  5: 障害を抱えながら老いるということ

  6: 病気を抱えながらの子育て

  7: 「安定」「ふつう」という状態とは

  8: 診断されて間もないときの不安と病気の受け入れ方

  9: 病気を抱えながら前向きに生きる

  10: 関東ウエーブの歩み

16201640 グループトーク報告

16:4017:40 全体トーク

17:4018:00 関東ウエーブの歩み

18302030 懇親会

2100 有志で2次会(居酒屋)

自己紹介では、時間の都合上、今回は 1 1 分以内とさせていただき、簡潔に病歴・体調・服用している薬などについてお話いただきました。

グループトークの要約

各グループとも同じテーマを扱った。基本的には参加者に事前に出していただいていた話題を、各グループでテーマ別に話し合った。

最後に全体で、各グループで話し合ったことを簡潔に報告し合った。

 

(1)病気のコントロールについて

 

グループ1

<躁の症状・コントロール法>

・(ハラスメント的な発言を受けたときに)言ってはいけない発言をしてしまいたくな

・相手の核心をついて発言をしてしまうので嫌われてしまう、それで周囲との関係が怖くなってしまう

・自分は合っていて周囲が間違っていると言う感覚になってしまう

・躁だと表現者として長けているように思える

・外にでると果てしなく遠くまで行ってしまう。買い物をしてしまう

エネルギーが良からぬ方向を向かわないように、家のたたみのヘリを歩き続ける

・相手に何かを言いたくなったら、その場から物理的に離れて落ち着く

(トイレに行って中座する)

・パンチングボールなどの運動をして解消を図る

・躁状態を病気が治ったと勘違いしてしまうので、勘違いを起こさないように自覚する

・躁ではなくて発達障害の症状だったことが判明し、ストラテラで改善した

・なんとなく動き出したくなるときは、心が要求していることをある程度受け入れて体を動かしてみる

<うつ状態の状況について>

・うつ状態のときはひたすら寝ているしかない。これで人生終わりだと思ってしまう。

・趣味などはできなくなるが、うつになっても食べられるので、

絶不調ではない限りお酒のアテなどの料理をする(買い物に行くことも必要になる)・本格的なうつになる前、フラットなときに小さな楽しみをたくさん用意しておく(家庭菜園)

<小さな楽しみ>

・スパイターソリティア

・食べたいものを食べる

PC で病気のことを調べる、同病者のブログを見る、ブログを書く

・小さい楽しみが見つからないが、やらねばならないことを見つけて何が何でもやる

・自分の状態を表す言葉を見つける(言語探し)

・今の気持ちなどを書く

・料理

・遠いところで心が落ち着ける場所へドライブする

・唇に当たる気息が出たり入ったりする感覚に意識を集中させる(考える余裕がなくなるので不安感がなくなる)・寝てばかりなので、夢ぐらいは良くしたいと思い、ユングを読んで夢を操作しようとした

グループ2

・会社で、躁で何かをやらかしたら、プレッシャーで激うつになってしまう

・うつの時は、寝逃げをする

・最悪、会社をお休みする。体調が悪くなりそうになったら、前兆を察知できるようになる

・セルフモニタリングが大事       自分がどうゆう状態であるか、自分で自覚できるようになる

・ピアカウンセリングも同じぐらい大事     自分ではどうしても客観視できない状態も、同病者を鏡としてお話しすれば見えてきたりする

・うつや対人関係のストレスは、できるだけ割り切る。できないものはできない。そこから、うつでもやれることを見つけていく

・うつの波を抑えるために、躁をセーブする

・セルフモニタリングで自分自身を知ろう  エクセルを使って家計簿を作る・躁で人間関係が終わってしまう それは縁がなかっただけだから、どんどん新しく生まれてくるものだから水を流すもの      みんな昔働いたりしていたわけ、だけど発病してダウンしちゃった経緯があるんだけど、お金でつながっていた会社の同僚、今付き合っている人の中でいませんよ。今を生きる!こうゆうとこでも出会いがあればそれでいいじゃないか。

・睡眠リズム表


(2)周囲に病気をどう理解してもらうのか

グループ1

<周囲(社会)に理解されるためにしていること>

・期待されると裏切られることが多いので最初から期待しない

社会参加すると我々は精神病者とラベリングされがちでそれを自分で払拭するのは難しいので、社会に理解されようとはしない共存することは認めてもらう

・理解はされないだろうとするスタンスでいる。自分も同病者を理解できないので一般社会ができるとは思わない

・自分ができないことを伝える、そのときには代案を伝える(ダブルチェックを頼むなど)環境づくりをする

・就労以降支援をうけているので症状はオープンにしているが、スタッフが精神疾患一つ一つについて分かっているとは思えない

・病気になった時点で社会から阻害されているので、つながりを求めないのはつらいところがある。

・自分の状態を言葉で説明する

何かしらみんな弱さや共通する想いを持っているから、身体障害と精神障害は違うけど、お互いに思いやれるはず

・上司2人に話したところ、片方は理解してくれたがもう一人は「もっとつらい人がいるお前は子供」と発言された

上記のような理解のない人間はいるので、自分が傷つかないようにするしかない...

が割り切れない

・理解者は一人でいい。基本的に人は自分のこと以外に関心がない発病してから彼女ができた

・自分のことしかみんな考えていない。自分も病気になってから初めて躁うつ病者のこと考えた。

そうやって自分以外のこと考えられたから、それも輪を広げられた方法

グループ2

・人の「役」になって考える 役者になって、実際相手だったらどう考えるかどう動くか想像してみる

距離感を上手く計る

・あまり積極的に理解を求めないようにする 加減があるけれど、何で理解してくれないのと行き過ぎるとむしろつらいから、鼻から分からないと思うようにする

 

(3)継続した社会参加を目指すには

・3年前から具合が悪くなることが多く、就労が続かない

・その会社の中で自分のキャパを超えないような仕事につかせてもらう・障害年金(厚生年金3級があれば)を働きながら受給する   仕方がないときは割り切って休む

自分ができないことをやり続けても自己評価が下がっていくし苦しい      割り切ることも大事

・年金などのセーフティネットが心を少しでもゆるくしてくれるならば割り切って利用するべき

・最大2年の傷病休暇を取る      給与の 60%は出るので、障害年金と合わせれば生きていける

それは健常者も持っている権利なので利用すればよい

・お金のことがストレスになって病状が悪化するくらいならば傷病手当てを申請してエネルギー回復を待ったほうがいい

・福祉課に相談する  年金や手当てを受給することは悪いことではない!

・生きるか死ぬかの状況になって生活保護を受給した       最後のセーフティネットとして考えてもいい

・お金の心配がなくなると、「昔のように働くんだ!」という気力が出てくることもある

 

(4)障害を抱えながら生きるということ

・年によって出方が違ってくる 歳が行ってからうつ状態になると身体にでるようになる等

・病気と向き合える若さがなくなってきたらどうしようかと思う

<病気とつきあっていくことを受け入れられているか>

・治らない病気だと分かっているので付き合っていくしかないとは思っているが方法まだわからない

・家事をサポートしてくれる人がいなくなるのが不安         自分の生活の実態が保てるかどうかが不安

・社会資源で生活資源が活用できる場合がある

・お金のかからなくて生活の支援を受けられるといいのだが今は市でそういった援助が始まりつつある

・このように自助会で集まっていること自体がある種のセーフティネットになっている

・バーチャルなつながりがセーフティネットになっていることはあるか?

・ツイッターでつながった人から支援や手帳の申請について聞いて有益だった

・内面的にもネット上でつながった人からのメールで助けられた

・バーチャルな人間関係においてどれだけ人に踏み込めるか(自殺を助けるなど)という問題があるが

バーチャルとリアルのバランスが大事。

<将来への不安>

・自分はうつだから不安なんだと思っている

・親が亡くなってしまうことも考えるとどうやって自活していくかということが問題

・一人暮らしをしていて前に心筋梗塞をやっているので孤独死が不安

・社会が自分のような障害を持った者を認めてくれるか

・来月の不安はあるけれど遠い将来の不安を感じたり考えたりする余裕がない

・親が死ぬこと  親は支えになってくれ尊敬できる人 しかし癌があり再発が怖く不安

・実家に帰り一人暮らしをすることになったので孤独が怖い

・遠い将来のことは考えられない  一日一日で精一杯

・姑に介護が必要  自分が病気という状況なので不安

・父親と二人暮らし       今まで自分の老いたときのための準備をしていなかったのでこれから意識して取り組んでいきたい

・30年後には躁鬱は治る病気になっている可能性もあるのでそういったところも見ていく必要がる

・多くのものとのつながりを失ったので、もう一度他者との情感豊かな交わりを作っていけるかどうかというさみしさ

・奨学金の借金と将来仕事につけるかどうかが不安

・結婚して子供もほしいが、病気のことを子供にどう伝えればよいのか、また周りの人にどのように理解してもらうかが不安

(5)障害を抱えながら老いるということ

提案者:お金は使っているからないけれど、財産はある。今生活に困ってはいないけど、その中で老いというものを考えるとき、人生の過ごし方をどうすればいいのか。

みなさんそれぞれ病歴がある     私は40年        死を迎えるその瞬間に自分の人生幸せで迎えたいうつだったらたまんない          寛解が目標ではない     人生そのものが目標   それをこうゆう仲間で一緒に話せたらいい。

・自助会で余暇を楽しむ

・うつの時に死にたくない

・うつであろうと躁であろうと精一杯生きていたことには変わりないから、死ぬときに後悔しないことだと思う。自分としてはいつもそうゆう気持ちで生きてきたから、自分としてはいつ死んでも後悔することはない。

 

(6)病気を抱えながらの子育て

この病気を持ちながら子育てすることが不安。うつになった時に育児放棄してしまうんじゃないか。

二人のお母さんからそんなことないよ、子供を愛している、育ているために健常者よりも一生懸命育てることができたから、それは心配ないよ大丈夫!

家族のサポート  生きていく、子供を育ていくのは何とかやっていた

躁状態でほとんとうつがない。大変だけど、生まれたらとてもかわいい。愛情があるから全然やっていける。

 

 

以降(7)〜(10)は全体でトーク


(7)「安定」「ふつう」という状態とは

周りから、障害者には見えないし、元気ですね、と言われてもどかしい。波がちゃんとあって うつも躁もあるのに、見ただけでは分からない クローズドで働いているからといって安定しているかといったら、世間一般で言う「ふつう」じゃない 私がどこにいるんだろう?何をもって安定といえるんだろうか。

・躁うつ病者の中で自分の中で安定したというライン

周りが押し付けているスタンダード 周りから見たライン  この二つがずれている

・周りからは障害者には見えない

自分にとっての安定とは何か?

・自分に躁に近いのが安定だけど、世間的には NG モード、うつめがスタンダード

・私の安定は高め安定  8時間以上取ること  仕事ができる状態でいること

・すべてを気にしない 孤独でもいいと思う 千人みたいな生活

・人を楽しませている状態         ムードメーカー  人様に迷惑をかけがちだけど、笑顔でかわしていく許されるキャラクター

・会社や組織に属すると低め安定が求められる    高め安定でいたいそのギャップにどう向き合うか

・カチンと来たこと         健常者に例えば過眠があってずっと続くって言うと、「それ私にもある」と返される          健常者でも落ち込む人はいるけれど、あきらかに病的には苦しんでいないだろうという人はカチンと来る

それは聞き流す

・軽い、重い人で病気の実感の違いがあるかもしれない

軽い、重い人は躁より、うつ寄り、躁寄りな人がいるだけだと思う

提案者より:贅沢な悩みなのかなと思っていたのですけど、こうゆう場で聞けてよかった     色んな人の助けを呼べる状態にある       すぐ連絡をつけるようにつながりがあるあきらめないで努力すればなんとななるその心持が安定なのかもしれない

(8)診断されて間もないときの不安と病気の受け入れ方

提案者1:ずっとうつ病と診断されていて、躁うつ病がどうゆうものなのか分からない、受け入れられない    マラソンが趣味  すごい元気なとき300キロ、3 時間睡眠提案者2:診断された時「幼い時から見ているのかい」と言うほど当てはまっていたから、しっくりきた         逆に躁うつ病と分かったほうがしっくりきた

・受け入れがたかったのか、受け入れられた・しっくり来た、参加者に聞いたら大半が

「受け入れられた・しっくりきた」

躁うつ病の遺伝性について

・遺伝もありますと言われて、子供をもっているので子供に遺伝したらどうしよう。

・調べると遺伝の確立が高い。親戚も今考えると躁うつ病。でも発病するかどうかは別    。双極因子はもっていても、発病しないで性格で片付く場合もあるかもしれない

。子供の立場として、母親も姉も同じ病気をもっている、でも病院に行ったことがない。

自分の病気のことは家族に言ったことがない。逆にお母さんがそうゆう病気のことを理解していれば、もしそうゆうことになって、お母さんが受け入れて乗り越えていれば問題ない。子供がもし発病したとして逆にすごい楽なこと。

・うつ病のときはしっくりこなかったのですが、躁うつ病はしっくりきた。性格じゃなかったんだ。

・しっくりきてよかった。診断されてなければもっと苦しんでいた。治療に関わったこともそうだけど自分が困って苦しんでいたことを解決する方法が人類の歴史がある程度、手段があるってことを分かったことがすごい救い。治療すれば完璧に治ると言うと全然そうゆうこともなかったんですけど、その時はよかった

・診断されたい人が多い レッテルがどうこうってあるかもしれないけど       自分がダメな人間だじゃなくてそうゆう人が他にいっぱいいて

・子供が発達障害で、自分の発達を認識しえる。躁うつの因子を持っている。予防の薬を飲んでいた

(9)病気を抱えながら前向きに生きる

・病気と思ってもしかがたないので、落ち込む日もあれば楽しい日もあればと前向きに生きていれば

・最初頃地獄を見るような重いをしたんで、診断がついて非常にすっきりした 一生治らないことを腹決めして、精一杯生きて後悔しないで死ぬまでにという路線

・発病した頃は宇宙と交信しているような状態で   先生と二人三脚したことによって幸せへの道が切り開かれたよう。それの戦線上で社会復帰、再婚したい

・前向きになるためには共同性が一番     障害者ほど社会から阻害されていていないそこからまた社会とつながることほど、困難だけど、報われるものはないと思うので生涯同病者と向き合って生きたい

・同病者と初めて話せたことが大きな一歩  みなさんと歩んで生きたい

・栄養と薬と睡眠と生活リズム

・小さな達成感の積み重ねが心の安らぎ

・話せる場があった  聞く場があった  自分の状態が客観的にわかる

・自分のできることをこれからしっかり念頭において生きていきたいと思います

・躁にならないようにあんまり前向きにならないように気をつけて生きるとうつに時にましになる

・低め安定を目指しながらその上前向きに死んでいければ

・ずっと低空飛行で躁にならないよう、心がけて生活したい

・うつのほうが長いので自分のできることゆっくりしっかりやっていくことが今は一番いい

・高め安定を目指している 色んなことが普通よりこなせたり自分にとっての特性を生かして言って、うつのときはあきらめるっていうのを意識すると楽になる うつと躁のバランスをとって生きて生きたい

・就労目指している  感謝されることに喜びを感じる

・農業をやりたい 自然に囲まれた仕事をしたい そのような作業所があってそこに行きたい

・子供も健康で今日を生きれたことがありがたい

・自分を大切にしている人は大切にする  余計なことはしない

・汗を書いて仕事して大好きなロックを魚に大好きなお酒を飲む

・うつに負けたくない      躁に負けたくない         高め安定目指して        ここに集まっている人も孤独でそうゆう関係ももてない方もいると思うので、そうゆう人の助けになるような事例集を作りたい

・双極性障害から双極症 双極性障害になりたがっている人もいるークリエーターなどにあこがれる人がいる 来年双極美術館(世田谷美術館)          美躁    双極性障害を逆手にとって前向きに生きてやろう

・楽しいを追求  享楽という意味ではなく色々努力して楽しいと思えるような マイナス因子が多い中で楽しいを追求する

・四国88箇所歩いて巡礼したい

・京から九州まで自転車で

・同じ慢性病の糖尿病だってコントロールできる。この病気もそう思いたい

・心の中は自由だから何を考えてもいいじゃない、という心持で生きていく

・うつでなければ前向きになれるけど、うつなときだから何も考えられない

・後ろ向きにならないためには考えないこと

・この病気だということを受け入れること

・落ち着いてきて前向きになれてきて

・あまり予期不安を持たないように、うつから、躁になってから考えていいや 目標をもつこと 適当にいきること

 

(10)関東ウエーブの歩み

エルダーさんより:

関東ウエーブが設立してから訳10年経つ 小さい団体ですけど大変なことをくぐりぬけてここまできました

今後やっていけるというのはスタッフ体制をしっかりしていくこと    関東ウエーブの歴史をはっきりさせて認識を深めること

当事者会を名乗るようなフェイクも含めていろんなグループがあるが、何で関東ウエーブに来るか?関東ウエーブの独自性

・全体として関東ウエーブが掲げている目標「孤独な躁うつ病が集える場にしたい」

・孤独な躁うつ病者

躁うつ病をひとくくりにして考える場合に、共通した問題が「孤独」   孤立するってことは物理的、孤独は精神的

躁うつ病の性格 うつから躁状態 周りの人にはついていけない 基本的には一生治らない

・孤独がなぜ起こるのか

単純に躁うつ病者が孤独なのではない、孤独になってしまう世の中 世の中は徹底した競争社会    躁うつ病者は同じ土俵の中に投げこまれている    すぐ解決できるという問題じゃなくて、生涯まとわりつく問題

精神病、躁うつ病の歴史から解き明かす必要がある        日本では精神病者を精神病院に収容するという大正8年、自宅監置。江戸時代から座敷牢だったのが法律的に認められた

ずっとひきずった問題が未だにあるということなんです。

孤独と自殺率の高さ  あらゆる病気・事象は躁うつ病が一番高い  25%に一人

これは、躁うつ病であるという認識を医者との関係をもっていない人を含めんだもので、診断された人のみだったらもっと少ない

自殺するっていうことは相当な精神的状態 躁うつ病を生きるという過酷な現代

関東ウエーブの前に関西ウエーブ         関西で始めて躁うつ病の会を発足した時、会場を予約した時に色んな意見が出たけど名前は関西ウエーブがいいんじゃないかと一年後ぐらいに関東ウエーブの会         当初の問題意識の「孤独からの回復」が基礎になる

・安定して継続した交流の場

関東ウエーブができてきた過程で私たちがぶつかった問題。まったくなかった躁うつ病者の場がインターネットの普及によってそこのオフ会として始まったんです そこでオフ会が始まったんですけど、その時の一国一条的な主の人が色んな人間関係の問題があってやめちゃって、また別の人がやる。あの人を来させないようにしよう。そうゆうことから関東ウエーブは躁うつ病者全体に開かれた場にするべきだろう。制限を設けない。こうゆう人は来ないという排除の論理は絶対取らない。大変だけどそれでスタッフの方も深みをもった。

そうしないと安定した継続的な交流の場をもてない。関東ウエーブのスタッフの側もそうなのだけど、躁うつ病者として、躁うつ病者はそこにいけば気兼ねなく話せるということが継続して行われた、今は他のグループが続いているから簡単じゃんと思うかもしれないけど、設立した当初はとても大変だった  今後もそのような会にしていきたい

・当事者が中心の会

関東ウエーブは躁うつ病の自助グループ、当事者会。セルフヘルプグループが一番発展したのはアメリカ。上手く言ったからではなくて、アメリカは精神病大国 たえず精神病者を生み出している それに対する医療・福祉という点では非常に過酷な状態に置かれてそれに対して自立を求めて発展させてきた。

学問的にもはっきりさせてきたのが専門家にゆだねないというセルフヘルプグループ私たちも危機の時に全面的に力を借したある NPO 法人は精神科医が長 当事者会は名乗られるのは結構だけども私たちから見ればそうではない

・参加者と共に作る 双方向性 スタッフが決めて参加者に渡す 色んな意見をもらってスタッフがそれで進む 排除をしないからトラブルがあるのは覚悟した上で色んな方の意見をもらって、そのようなことができるスタッフ体制にならないといけない 独断主義では奥深い内容にはならない 徹底した民主主義 討論の自由、行動の一致まだまだ不十分だけど、月に二度スタッフ会議を開いて、参加していただく方スタッフ以外の方も来ていただいて話す         とある NPO 団体に責任を持ったとき、独断で決めるやり方はいけないと痛感させられた

年に二回の定期オフ以外にも参加者のみんなで討論するということをやっています。

 

最後に

以上が懇談会の記録です。この後行なった懇親会では、初めての方から常連の方までたくさんの方が参加してくださいました。懇談会では話し切れなかったことを話し込んだり、ラフな会話で盛り上がったりと、こちらも有意義な時間になりました。(しかし、懇親会の途中で大きな地震が起こり、帰る時の電車にも影響を及ぼしました。皆様無事に帰られたことを願っています。)

躁うつ病と向き合いながら生きることを治療・仕事・パーソナルな生活と色々な側面から取り上げる中で、いかにこの病気が私たちのライフスタイルを根底からガラッと変える力があるかと思い知らされました。それと共に、そこから再出発するためにも、同病者の皆さんの知恵と存在がどれほど貴重なものか身に染みて感じました。

闘病でつらい時期もある中で、同じ気持ちを共有できる仲間とのささやかなひと時が病気を生き抜く糧になっていると常々感じています。そして孤独を生き抜く術のみならず、当事者が集まるということは、当事者のパワーを発掘する、そんな可能性が秘められているように感じます。関東ウエーブの歩みで話されたように、当事者会として、その可能性をみんなで引き出していければと思います。

参加していただきました皆様、本当にありがとうございました。

この会が皆様にとって有意義なものであることを、スタッフ一同心より願っております。

平成 27 6 5 関東ウェーブの会スタッフ一同

 

関東ウエーブの歩み  レジュメ

関東ウエーブは、発起人が「孤独な躁うつ病者が集える場にしたい」ということから始まった。

孤独に注目するのがなぜ重要なのか

歴史的に躁うつ病者は集うことを阻まれていた    孤立の産物として、躁うつ病者の間にトラブルが起きやすい

なぜ孤独するかを意識することが、集いを実現することにつながる

なぜ孤独なのか

安定して継続した交流の場

躁うつ病者全体の交流の場とする  したがって排除の論理はしない

当事者中心の会

参加者と共に作る会

以下はスタッフで話し合ったものです

はじめに

関東ウエーブの会はすべての躁うつ病者(そして躁を一度は経験している方、家族)が対象であるので、「関東ウエーブとは何ぞや」ということは躁うつ病とは何ぞやを前提として捉える必要がある。そのために、関東ウエーブが発足した以前に遡って、躁うつ病者がいかに集うことができるようになったか把握する必要がある。一番のキーワードは「孤独」になると思う。

関東ウエーブはを10年近い歴史を踏んで、トップページに掲げた考えにたどり着いた

要約すると:

全ての躁うつ病者に開かれた、安定して継続した交流の場とすること。

躁うつ病周辺とは、躁を一度経験したことのある方、交際相手を含むご家族の方を指し、会に参加できること。

躁うつ病のオフ会とは、日常やバーチャルな交流だけでは得られない理解と孤独からの解放を得られる場であり続けること。

オフ会を継続することの重要性とは、躁うつ病者の集いはトラブルが多いが、それが今まで一人で病気と闘って来たことから生まれたとして、共にそれを乗り越え病気と闘い生きる糧を見出して行くこと。

関東ウエーブができるまで

−戦前

私宅監置(座敷労)

−戦中  戦時中は精神病の保護は全く顧みられず、病院の床数も減少

−戦後

西洋−大病院から、精神障害者を地域に受け入れる体制

日本では準備がないままの「クリニック化」のブーム最近の障害者雇用政策

資料参照(チャートは参加者に配布):https://www.e-rapport.jp/law/welfare/02.html

歴史的に躁うつ病者は(座敷労の時代などに遡れば精神障害者全般も)孤独を強いられ、集うことは阻まれてきた。その背景も持って、持続した当事者会を掲げてきた。

それを10年間貫くための関東ウエーブが築いてきた内容である。

躁うつ病者の当事者会の発足

基本的に躁うつ病者の当事者会を作る条件が存在しなかった中、インターネットの普及により、躁うつ病の大きなサイトができる。その掲示板のオフ会としての単発的にオフ会が行われたが、一国一条の主が生まれたりトラブルが起こってすぐに解散するのを繰り返した。

関東ウエーブができた後

・関西ウエーブ、関東ウエーブの発足−「安定して継続した交流の場」を目指した。

・関東ウエーブに置ける、躁うつ病全体を考えるのではなく、自分の考えを全体に対して押し付ける傾向(スタンダード論)との戦い。結果として「排除の論理を許さない」考えが重視されるようになった。

・ある NPO 団体に置ける問題(S 氏ワンマン運営と精神科医の野合)

会を大きく展開することを先走るよりも、まずは運営体制の強化を重視(運営の透明性、参加者と共に作る会、つまり集団的な民主主義的な体制)

当事者団体、自助会とは、というテーマが持ち上がる。当事者会の主体は、あくまで

当事者者であることを、関東ウエーブで再確認される。当事者中心の会

「セルフヘルプ(自助(努力)、英: self-help)とは、専門職・専門家の助けを借りず、自身の問題を当事者で解決すること」(Wikipedia) ○すべての躁うつ病者に開かれた会を今後も貫けるようがんばりたい。