【2017 年第 4 回関東ウェーブの会例会報告】
《はじめに》
第 4 回例会の懇談会・懇親会では,スタッフを含め 14 名の方々に参加いただきました。
14 時からの自己紹介では、フリートークに近い自己紹介を行い、その中で次の懇談会で取り上げる話題を募りました。リピーターの方が増えてきたということもあり、冒頭では自己紹介だけではなく、近況や最近の体調について今までより丁寧にお話しすることができました。懇談会では、提案された話題の、病気の対処的な側面だけではなく、闘病生活を大きく捉える視点にまで、自然と話題の流れが広がっていって、とても深みのある内容になりました。また、このように気軽に話し合える居場所の貴重さについても共有することができました。
以下は当日のスケジュールと,懇談会で話し合ったことの要約です。
《スケジュール》
・ 14:00 から 15:15 フリートーク自己紹介
・ 15:25 から 16:10
1. 体調の不具合の原因の見分け方(病気・薬・病的じゃないもの)
・ 16:25 から 17:10
2.環境が変化する時に抱く葛藤、それを乗り切っていくための心持ち
・ 17:30 から 20:30 懇親会(買い出し・片付けを含む)
《懇談会で話し合ったことの要約》
1. 体調の不具合の原因の見分け方(病気・薬・病的じゃないもの)
話題提案者:だるさが強いが、薬の影響なのか、うつなのか、他の体の不具合なのか、見分けがつかない。
・減薬をする機会があった。その際、今までの不具合が薬の副作用だったというのが分かった。
・薬そのものでうつっぽくなる。自分の場合、デパケンやラミクタールで感情が動かなくなる。・上記は自分も経験したことがある。いわゆる「フラット」とはまた違う。専門用語で「感情の平板化」という。
・頓服を飲むと不安定でなくなるのは確かなのだけど、だるくて支障が出てしまうので、悩んでしまう。
例えば、飲まないと、悪夢を見てしまう。眠りが浅いのかもしれない。
スタッフより:病気の症状なのに、病的でないものと認識してしまう、具体的にはうつの認知の歪みで自分自身を責めてしまう場合は、皆さんはどのような対処をされているだろうか。
・すべての不具合の原因を病気に求めてしまうと、改善の取っ掛かりが求められない。例えば、老化によって体に不具合があるのと、病的なものが重なっている場合も、基礎的な体力をつけることなどを心がけると、前向きに考えられるのではないか。
・多分私たちにとって、最大のコンプレックスはこの病気である、ということだと思うし、そのコンプレックスそのものが病状の悪化につながってしまう。コンプレックスを抱いてしまうのは、この病気に限らない、という観点から物事は見たらどうだろう。
・うつで認知が歪んでいる時は、なかなか思考パターンの根源にうつがあることが自覚しにくい。
・病気の症状を乗り越えて、向上できるという視点は大事だと思う。しかし、うつの時は「今後、向上するという意味で、もう自分は何もかもダメなのではないだろうか」など、白黒思考になってしまう。病気と関係ない体調、自分、自分の身の回りの変化についての自分のとらえ方が柔軟にできていないことを、認知の歪みのサインにしてみてはどうだろう。
・ 105 歳の今でも、ブログを書いているスウェーデンのおばあちゃんについてのドキュメンタリーを観た。100 歳になってからが第二の人生だと言っていた。有名なブロガーになって、テレビ出演していた。
この病気になると、変化に対して、絶望的になってしまう。この病気に限らず大事な姿勢かもしれないが、どんなことがあっても、展望をもって生きる。「がんばる」というのはうつの人には NG だというが、いつもそうとは限らない。その症状の渦中では、確かに無理をしてはいけないが、積極的に生きていこうと展望するのはまた別。長期的な視点で、もう自分はダメなんだと沈んでしまうのか。自分自身が決めていかないといけない。
・気持ちが絶望へと傾いていく場合、何か取っ掛かりがあるといい。
・展望するのも大事だが、つらい時はできることだけをすればいい。とにかく日々自分の状態を客観視していくことが重要。
・この病気は自分の意志とは関係なく変わってしまう。
・うつの時は、大きい構想の中に自分がいるということを考えると、自分の悩みが小さく見えて、楽になる。例えば、ビッグバンのことを考えたり、人類史のスパンで自分のことを遡っていく。
自分を作っているのは遺伝的因子が大きい。自分が意識的にやっているものは10パーセントにも満たないらしい。
精神病や依存症は環境要因・性格などとの関係がクローズアップされてきたが、それに反して、最近の研究によって、これまでは社会的・精神的因子で説明されてきた病気も、素因としては遺伝子のデザインによるものであることが明らかにされてきた。
表現を変えて言えば、現代では人を家庭単位で捉えがちだが、本来は人間は集団で生活していたし、歴史的文化として「自分」というものが形成されてきた。
心持ちとして、狭い視野で自分を責めてしまうと、さらにうつが悪化してしまうと思う。
・表現がずれているとは思うが、病気も含めて自分を形成するすべての基礎が「運命的」(自分より大きい、人類史的、宇宙の歴史レベルで)遡ることができるとすれば、逆に言えばそんな中で自分を変える素質も備わっているとも考えられる。病気を捉える上で、多面的でいい観点だと思う。
・病気を受け止めるという意味でも、その困難を乗り越えることができるという見方でも、いい観点。
・「運命論」は少し表現がずれていると思う。人間は個性・自我というものがあって、客観的に周りを捉えて、それを変える意志を持つことができる。運命として捉えるだけではなく、自我のある動物として、自分の置かれた状況を客観的に捉え、変えられるという捉え方も重要。
・運命という表現を使ったのは、確かに違ったと思う。
・もちろん、変えられない、しょうがないという意味合いではない。性格や環境としてなった病気ではないと捉える中で、それを少しずつ修正していくことができるものとして捉える。とにかく認知が歪んでいる時に、自分を責めないような物の見方を持つように。
・愚痴るところは本当に限定されている。自分がほっとできる、元気を与えられている場所はほとんどない。こういう場所でそういうものを得ることができて、ありがたい。
・同病者が集うと「傷のなめ合い」と言われることがある。
・慰め合いの場ではけっしてないと思う。勇気をもらえる。ここに来れただけで、一歩進めたと考える。
・確かに自分の気持ちを吐き出すのは解放的だが、その表現の仕方は見極めた上ではないと、自分が発した言葉に囚われてしまう(ネガティブなことを言い続けると、自分をその言葉に当てはめて言ってしまう)ので、言葉を選びながらやっていきたい。
・いわゆる世間でいう「愚痴」と、ここで話されていることはまた違うと思う。私たちの苦しみを吐き出せる場は、本当に限られている。
・共感が建設的なものにつながる。
・この病気の人に出会うことがまずない。話す機会がない。
2.環境が変化する時に抱く葛藤、それを乗り切っていくための心持ちについて
話題提案者:この病気に限ることではないかもしれないけれど、皆さんの体験談をお聞きしたい。
・病気だと環境が変化する頻度も多いと思うし、その変化に人一倍敏感・体調に影響があると思うので、大事なテーマだと思う。・退職した際に、外に出ると、周りのみんなが働いている姿を見て、後ろめたさを感じた。「現実逃避」(気を紛らわす・気晴らしをする)趣味を見つけた。開き直ることが大事。
・変化があった際に、新しい観点で物事を見ることができると思う。自分の闘病体験を活かせる方向で転換をできればいいと思うし、具体的にそのようなことがなくても、違う「フィルター」で新しい環境を見れると思う。
・仕事を辞めたら、急に時間ができた。それを持て余して、何もやれない。うつで落ちている時は休養が必要だと思うが、それは計画的な変化というよりは、急なものだと思う。だけど、自分の場合は、完全に落ちてしまう前に辞めてしまったから、変化を起こす前に、その後何をするのか、具体的にイメージしてから辞める方が理想的だと思った。少し後悔しているところだが、それはとても難しいこと。
事前にある程度アイディアを考えて持ち合わせておけば、不規則な事態に対応していけるかもしれない。
・自分の経験をうまく活かせれば、今までの苦しさをプラスに変えられる。過去の苦しみを社会に還元する。つらいのは変わらないけれど、また心持ちが違うと思う。
・うつの時に変化が止むを得ない場合もあるが、躁の勢いで、自らガラっと違うことを始めてしまうこともある。躁のような無計画なものではなく、過去の経験から病識をもって、地に足についた変化を考えていきたい。
・変化というのは急にやってくる。計画的な変化というのはあまりない。慌てて、追い詰められて、その変化を短いスパンで考えて、葛藤してしまう傾向があると思う。その時気分に振り回されるのではなく、長い期間、極端に言えば死ぬまでの期間で闘病を考えることが大事だと思う。死ぬ前に、後悔のない人生を送ったと思えればいい。余裕を持って構えることが大事だと思う。
・最初の診断はうつ病だったが、それは大きい変化の中であった。変化すると必ず落ち込み、調子が良くなると突っ走る、たまにハイの勢いで何かを成し遂げて、反動でひどいうつになってしまう。そのパターンを繰り返してきた。今考えると、その根底には「すべき、すべき」ばかりだった。今は、一日一日が無事に終わればいいなという心持ちでやっている。・変化があることを踏まえた上で、できることをできた、感謝の気持ちを持つ。
・環境においての変化はまだ経験したことがない。しかし、同じ環境において上手く前に進めないというのももどかしい。ずっと同じ環境でストレスがかかっていると、自分の中で無理が生じていることに気づくのは難しいが、文字が文字として認識できない(信号機や標識でさえ、黒い斑点のように見えてしまう)というところまで頭が行き詰って、やっと気づいた。
・自分のキャパが受け付けない情報が入ってくると認識ができなくなっちゃうのかもしれない。
・闘病を重ねているうちに、自分をずっと見てきた人に「ずいぶん変わりましたね」と言われた。相手が誰であれ、自分が抱えているものを隠さずに、いわゆるカミングアウトしていく決意を持った。それで不都合があったら、それはそれで縁。
・病気を発症して、自分が思い描いていた人生を歩めていなかった。当初は症状をコントロールしたり、自分の起こっている変化を理解ができなかった、併発している依存症との関連性でやっとわかるようになった。
・大きな転換点が今来ている。残りの人生を生きた屍として生きるのか、転換点を機に、新しいやりがいを見つけるのか。しかし、一度休職すると、バッテンがつくので、まだそのような決心をする意志ができていない、ずるずる先送りしてしまっているのが現状。
・何年間も務めた職場を辞めた。うつになって、それが長引いてしまった。就労移行支援に通うようになって、とても居心地がいい。障害者雇用を目指している。
今まではクリエイティブな仕事ではなかったのにも関わらず、自分のクリエイティブなアイディアが採用されてきた。
障害者雇用はわりとルーティンな仕事が多い、躁うつ病はわりとルーティンな仕事に弱いと感じる。
・とてもリスペクトしている方がいる、その方は、毎日のルーティンに従って生きている。その人から学んだことは、生活リズムを大事にすること。同じ時間に起きて、ご飯を作って、仕事をして、帰ってくる。そのパターンを崩さないこと。そういうものを持っている人は変化に強い。・知人が体の病になったが、その人は変に同情を買おうとしないし、自分の現状をタンタンと受け入れて、卑屈にならず、周りにそれを伝えられることができる人。そのような姿勢でいたい。躁うつ病者の中でさえ、色々の苦しみがあると思うと、自分の苦しみを超えて物事が見えるように思える。
・どん底と思ったところから這い上がってきた。その経験から生かすところがあればいいな。
・ひきこもり経験も長かった。ひきこもりの場合、自分で環境の変化を作っていかないといけないし、その過程と、躁うつの過程とは無関係ではないと思う。ひきこもり期間を経て、死ぬ気で勉強したら、大学に受かった。死ぬ気でがんばれば、できるという成功体験をして、努力を過信してしまって、躁うつのリズムが激しくなったことにもつながったと思った。環境が変化しすぎると疲れる。上がるのを抑えるのが大事。
・環境が変化する時、急に変化するのは確かにそう。いい変化というのも悪い変化というのも、自分がどういうものなのかしっかり認識して粛々と対応している。
・自分を知る。
・環境が変化するから変わるのではなくて、自分というものをしっかり持って、やっていく。
《終わりに》
今回、参加者の皆さんの自然な話しの流れの中から、この病気との兼ね合いで、自分をどう捉えるか、自分の生き方をどう見据えるかという大きな視野についての積極的なディスカッションがなされたと思います。
関東ウェーブの会は、今年から当事者会としての会員制へと踏み切りましたが、参加者の皆さんが中心となって、すべての躁うつ病者にとって普遍的な、大きな課題について真剣に向き合うこのあり方、その発展が活き活きと形になってきたと思います。
今まで通り会員・非会員問わず、会が孤独な躁うつ病者にとって気軽に参加できる居場所であると共に、運営主体をスタッフだけではなく、会員の総意として発展させていきたいです。
スタッフ会議
≪次回定例会のお知らせ≫
2017 年度第 5 回例会は 8月5日(土)を予定しています。詳しくは「お知らせ掲示板」を御覧ください。ご参加お待ちしております。 9月は2日(土)を予定しています。基本的に今後の例会は、毎月第一土曜を予定して おります。 お手数ですが、参加の際には参加表明をしていただけると非常に助かります。