2018年度第7回関東ウェーブの会例会(11月3日)報告
今回は事務局も含めて 9 名の方々が参加されました。
主に 3 つの話題を中心にして、意見交換を行いました。
また、最後の話題では、12 月の運営交流会に向けた事務局からの趣旨を簡単に説明させていただき、参加者の皆さ
んからご意見をいただきました。当日取り上げる運営にまつわる疑問や話題を募集しています!
1.病気をどう受け入れていくか
挙手でお聞きしたところ、1/3 は受け入れていると回答。
話題提案者:大変だから受け入れざるを得ない。
でも安定した状態が続くこともあって、その時には障害であることを忘れたくなるが、安定している時に自分の中で病気をどう位置づけているか。
・自分は躁うつ病当事者ではないが、数学に関して先生にドクターストップを受けている。簡単に言うと、数学を愛していて、適正がないから医者からやりすぎるなと言われている。麻薬的な感覚でラッシュを感じる。
心境としては受け入れられないけど、現実問題として数学から遠ざからないと狂気の道に進んでしまう。純粋数学を目指している人たちは変わっている人が多い。
↑ 物理畑の人から。難しい問題を答えられた時の達成感か、数学そのものの美しさ、どちらに魅了される?
↑ 4 対 6 数学はみんなうわずみぐらいは使えるものだけど、例えば人は電子レンジは仕組みが分からないけど使えるというのが受け入れられないと思って追及したけど、抜け出せなかった。
・躁うつ病と向き合っていた家族の立場として。当事者の人たちと懇親したいというのがある。自分も3〜4回躁エピソードがある。家族の症状が重い時に自分も薬を処方されたことはある。
・躁の時は病識がなくなるので、私こういう人だしと、これは本当の私だし、と思ってしまう。でもうつの時はつらいからそのときはうつ病なんじゃないかと自覚を持つ。
薬を機に躁転して薬物被害なのかなと感じたこともある。依存の会をやるようになって色んな病気の人を見るようになって私も受け入れないといけないと薄々感じていた。
薬を飲まないと死んじゃうかもしれないと思わざる得なくなったので、自分の気分を指摘してくれる人はいない。
外に出かける時は元気に見えるので、周りは元気な自分しか知らない。寛解は考えられない。
普通の人より大きな出来事によく出くわす。
受け入れたくないけど仕方なく受け入れている。
一生薬を飲まないといけないと絶対信じたくなかったけど、みんな友達からいつか治るよと言われるけど、違うんだよね、脳科学的、糖尿病のように慢性病。
反発心から受け入れないといけない。
・仕事のブランクを経て闘病前と比べると能力がびっくりするぐらい落ちた。すごい嫌だったけど上司にオープンした。自主的に受け入れているわけではないけど、現状が受容を強制した。
・環境がそもそも躁的な状態だから自分も普通だと思いたい。でも私にはダウンがある。
・受け入れたくないけど受け入れないと生きていけない。近所の人に誘われても、断ったりすぐに答えを出せないから、付き合いが悪いと思われて人が離れてしまう。迷惑もかけたけど過去のものとして受け入れていくしかない。
・受け入れるっていうのは半分あきらめる。
・結局は自分のペースを作っていくしかない。ルーティンを大事にする。朝早く起きてちゃんと 3 食、夜も寝て。退屈な生活を維持しないと生きていけない。受け入れるってなかなかできない。たまにすごい悔しくなる。
・躁転時にバラ色の生活をしていたからこそ、惜しく感じることがある。
・受け入れることに積極性を見出したい。当たり前だと周りが思っていても当たり前をかみしめることができる。
・私のキャラクターだと思って単純作業を受け入れた。医者が躁うつ病から気分障害に診断を変えた。障害者手帳を更新するために診断名をつけないといけない、自分に不利益が生じないように。それで少し気が楽になった。
障害者手帳を持っているとプールが無料になる。
認知症が入った。家族が受け入れてくれるようになった。
・最初に診断された時に躁転してたから躁うつ病なんてかっこいいアーテイストがなる病気じゃんとまったく病識をもてなかったし、躁の力で直してやろうと、世の中が鬱々しているのを躁うつの自分が解決するとさえ思ってしまう。
でも強制入院などを経てそんな一回の治療や一つのことで解決することではないと折り合いはつけられた。
それとは別にこの病気は自分の存在を受け入れるかどうかという葛藤を内包していると思う。
自分を受け入れること=病気を受け入れるという風にとらえている
うつの認知の歪みや躁のぶっとんだ承認欲求に左右されずに自分の存在を受けれて生きていいと思うようにしている。
・大学の時に自分が何者なのか分からなくて。こういう自分もあるしこういう自分もあるし。今でいう「アイ
デンティティ」。
診断された時は人生の謎が解明されたとしっくり来た。あきらめもあるけど、もうちょっと積極的な意味合い。
追い詰められて周りに当たり散らしてしまう。・この病気はギリシャの時代に発見されていた病気だというのは、医者からの診断の前から分かっていた。
でも前の方が言ったように解明されたというのも感じた。
それまでの苦しみだったり、自分が弱いからダメなんだ、自分はダメな人間だからそういうことになっているんだ、と思ったり。それを解決する手段も、自分はダメだからもうどうしようもない、とうつの思考になっていた。
でも、不治の病だけど科学の発展でその治療がないわけではないし学門の進展もある。それに対する科学的な対策を取れる。そう考えることができるようになって、困難な状態を打開できた。
ただ退屈な生活はなかなか受け入れられない。
・躁うつ病という視点をもたないと自分を同一的に見れない。
話題提案者:入院を機に受け入れないとダメなんだ、こういう会に来ないといけないなどと感じるきっかけになった。健康法は何だろうと、薬物療法も含めて生活リズムなど。でも今は世の中健康ブームだし普通の人もやっている。私は病気だからやんないといけないという感覚、病気だということに過剰になっている自分がいる。1 万円のものを買うことにびくびくしている。それは嫌になってしまう。そういうことを考えて過ごさない方がいい。私はどうしても病気だということを隠したい。でも偏見には負けたくない。先生との信頼関係はしっかりしている、薬は飲んでいるけど自分にブレーキをかけたくない。
2.カミングアウトについて
・外に遊びに行くのは元気な自分だから周囲に言う必要がない。
・近しい友達は躁の過程で無くしていってしまう。脳の一部の物質が出ない病気、それを足す薬を飲んでいるんだよ、と伝えている。糖尿病の人がインシュリンを受ける人みたいに、と。それは職場の上司の場合。友達に言う場合にもそういう風に言うと思う。診断名を言うと三大精神病という偏見があるから。逆に医療現場の方が偏見が強いかもしれない。
・医療側ではぷしこ(psycho から来ている)と呼ばれているぐらい。
・家族の中に同じ境遇の人がいるからカミングアウトができた。
・フェイスブックのステータスに自分の状態を書くとわりと周りが察知してくれる。
・家族にはカミングアウトしている。希死念慮がある時に相談できる親戚がいる。趣味のサークルの人に言ったら、色眼鏡で見られてしまった。行く気を失ってしまった。夫の親戚には言えない。
・結婚できない病気と言われていた
・親族と仕事仲間以外にはしない。カミングアウトの必然性がない。一番難しいのは仕事仲間。普通にふるまうというのは身についている。カミングアウトしても普通の精神病よりも話せてずっといいよ、と言われた。・フェイスブックで大々的にカミングアウトしたことがあるが、学生時代からの近い知り合いばかりなのにびっくりするぐらい無関心だった。むしろ腫れもの扱いされた。
・芸能人がカミングアウトして注目されるのは彼女たちだから。キャサリン・ゼタ・ジョーンズ。
3.親と家族との関係
話題提案者:親の立場でいつも子供に申し訳なくなる。自分の苦しみは親のせいだと考えたり、親を恨んだりしたことがあるか?
・家族が精神障害。子供も発病していると思う。
◎ 家族に精神系の人がいるか、というのを挙手でお聞きしたところ、大半の人がいた。
・発生の害悪。意識がなかったらいいのに。親は、人生生きていくために産まないといけなかったらと言っていた。ここまで私が拷問な日々を暮すと思ったら産んでいなかったと。意識がなかったらと思う。恨んでいるとまた違う。
・親族にいる。でも誰も恨んでいない。アダルトチルドレン。育ちが普通ではない。
・病気をした時に母を自分の病院に連れて行って理解して愛が欲しいからうつでも何でもすべてを費やす。ある時お母さんに私を生んでよかったと聞いたらまぁね、と。親の状況を理解していて、よくあんな過酷な状況でやっていきた、と。理解して心配してくれる母に逆に感謝している。
・まったく父から引き継いだのだが、申し訳ないと言われたが、同病仲間が家にいる感じで相談相手になってくれていて助かっている。あなたが原因だけどあなたのせいではない。
話題提案者 自分が病気で息子に影響したのではということに対して、卑屈になりすぎてたのでは?普通の親だったらどうしようと思ってしまったけど自立しなさいと突き放したことそのものは普通だし。
・愛情があってのことだと思う。
・愛があるというのはとても大事な視点。それがなければ他人のどろどろには関わらない。
4.第 6 回運営交流会に向けて
実際レジュメの配布はできなかったが、事務局の一人が下記の文章を読み上げ、その内容とその背景を説明した:
関東ウエーブの会 2018 年度運営交流会(12 月 1 日)に向けて
事務局から提起したいこと
まず、関東ウエーブの原点を振り返りたいです。
【会の 4 本柱】
(1) 孤独な躁うつ病者が気軽に集まれる会
(2) 安定して継続できる会
(3) すべての躁うつ病者に開かれた排除のない会
(4) 当事者が主体となったみんなで作る会(当事者会)
それを踏まえた上で、今後の「当事者会」の役割を皆さんと考えていきたいです。
【背景】
まず社会の流れとして、21 世紀に入ってから ICF(社会モデル=すべての人々が障害者を含めて分け隔てなく生活していく「共生社会」を目指す考え方)で捉えるようになってきています。
それまでは ICIDH(医学モデル=障害者の側に原因があるという考え方)でした。
この流れは主に欧米において当事者が自らの手によって作り上げてきたものですが、それに世界的に批准しましょうと 2006 年に国連で障害者権利条約が締結されたのですが、当事者自身の改革がなされていなかった日本は批准するのはその 7 年後(2014 年)でした。
一方では共生社会を目指すという流れがある中で、改革に当事者の声も含めていくという意識も高まっていますが、もう一方では福祉の切り捨てなど、障害者にとって厳しい情勢が進んでいます。
当事者の声が行政の側に都合のいいように曲げられないように、当事者自身の手でその改
革を進めていけるよう、当事者会がきちんと力をつけていく必要があると思います。
関東ウエーブもすぐにどうというわけではありませんが、そのような背景をもって、皆さんと当事者会の役割を考えていきたいです。
参加者より:会費の未納について運営交流会で取り上げて欲しい。会員の未納の場合の期限を作っていく必要
がある。会則をそれに合わせて変える必要がある。幽霊会員が生じる。
**会よりおしらせ**
☆彡 12 月は運営交流会です☆彡
12 月 1 日(土曜)は通常の例会ではなく 2018 年度(第 6 回)運営交流会になります。
運営交流会は、特に会の大きな節目において、皆さんと共に会の方向性を考えるために開催してきました。2017 年度から会員主体の会員制となって、定期化することになりました。会員・非会員問わず、運営に関わる議題をどしどし募集中です!