
遅くなってすみません。
確かに...ソウの時になると差が出るので誤解というか理解されるのは難しいかもしれませんね。私もありました。すみませんm(_ _)m
やはり何度も説明するしかないでしょうか。皆さまの話も聞いてみたいですね。
ああ、分かります
私も動く気になれなくて、ついスマホでダラダラと見てしまいます。
用事や誘いかあるとなんとか頑張れるのですが...それでも動きたくないなあと気持ちがわくのが多いです。
焦らないと分かっててももこのまま年をとるのかな...とかこんな自分がイヤになってしまいます。でも動ける、普通に近くに戻れる時が来るまで待つしかないかもしれませんね。
ヨガは素敵ですね。やろうとしたのが凄いですね。ほぼ効果が出るといいますし。早く効果がでるといいですね。
では、いつかまたここでお話できるといいですね


ご丁寧にありがとうございます。
ちゃぼさんは、何か回復のきっかけを掴まれたのでしょうか?
なんだかイキイキしておられるようにお見受けします。
私はパートナーの献身と作業所でなんとなく今を支えています。
私の今は、儀助さんの書き込みにある「暴力依存症者の次世代の超利己主義者」に当てはまります。(儀助さん、レスしないでごめんなさい)
「自死できない限りは、自分を守らなくちゃ」と必死です 笑
パートナーのことをどこまで信じていいか分からず、「夜出かけたいと言ったら、機嫌が悪くなり、追い出されるのではないか」と疑心暗鬼になりながら、ヨガやズンバに通っています。 今の自分に必要だから、恐る恐る言い出しています。
「脳を鍛えるには運動」という言葉を信じて、出かけて行きます。ズンバなどは一時間猛烈に踊るのですが、三十分を過ぎた頃からエンドルフィンが出始めるのか、気持ち良くなってきます。それで二匹目のドジョウで次の日も行き、「毎日通えたら、凄く元気になるのでは?」と思ったりします。 そして、肉体的に疲労困憊してしまって失敗しました。 笑
またヨガは先生も素晴らしく、心地よいのですが、終わった後のお喋りがちょっと苦手です。なぜかというと、「山で落石があって人が亡くなったんですって!」「まぁ、可哀想」「ね〜」と話していたとします。 私の頭は、「人はいつか死ぬのだから、死に方としてはなかなか良い死に方ではないか」と考えています。場の空気を壊さないように黙していますが、「可哀想ね」と無邪気に言えない自分を複雑な思いで眺めていたりします。
運動も「できる時にできることを」するしかないですが、考え事ばかりしていると、身体も弱ってしまいますからね〜
今日はこちら地方は雨ですが、ちゃぼさんもどうぞお気をつけてお過ごしください。


いえ、正直いうと今落ちてます。
衝動的な発作(強い自殺感)までは行ってないのでマシですが...
さっき儀助さまに昔の病院(ディケア、認知療法などをやった)のことを話した後、吐き気と胃痛が出て寝込みました。
それ以外も(薬で発作が減り安定してるものの、)ずっとダラダラとスマホを握りっぱなしの無力な日々ばかり過ぎ去っています。最近は物忘れがひとくなりした。
だから、バイトとヨガなどを始めたひーさまはすごいなと思ってます。
パートナーのことも不安な思いをしているかもしれませんが、ここまで頑張っていらしてるし、自信を持つといいですね。
つい「死」について考えてしまいますよね。私も自分への暴力とこの世への憎悪で自殺、のを考えてしまいます。それをごまかすためにスマホ依存症っぽくなってしまってます。
つい反応してしまう「死」ワードにうまく切り抜けて楽しいことが増えて行くといいですね。
そろそろ休みたいです。すみません、いずれまたここでということで、おやすみなさい


そうでしたか。
私も書き込みをしない時は結構ウツです。
ゆっくり休んで、大いにスマホに頼って下さい。
ウツの時は、生きていることが仕事みたいなものですものね^^

リンクを見ました。
そうですね。私もあります。精神か脳なのか線を引くのが難しいですが、悪化した時、気持ちと童児に脳がおかしくなった感覚がありました。
ただ、今の私にとっては、もちろん親のことが苦しいですが、どちらかというと、認知療法とかをやった病院の時の記憶の苦しみが大きいかなと思うことがあります。
その病院の医者(カウンセラーも含む)も親のことを話したし、精神教育や認知療法とかを何年もかけてやっても、よくなった、前向きになれたと思ったら(本当にそう思える、錯覚?)急に落ちてしまう、まるで私ではない人格が出来上がる(儀助様がおっしゃる通り、暴力的な自責と絶望感が出る)ようでなんかおかしいと一応伝えたのですが、
医者に双極性障害の可能性を気づかなかったところが、最後に「何ともないのに周りに求める」というなんか自己愛、境界人格障害みたいな見方をされた気がして、私の中でプッンと切れました。その言葉が今も張り付いてずっと離れません。親のことも私が甘えてるのか?都合よく悪者にしてないか?とか悩んでいまので、あの時はもうおかしくなりました。危なかったです。
トラウマの親と障害の上に病院の医者のことも上乗せされた感じです。
大げさかもしれないけど医療ミスで後遺症が残ってしまった感覚です。
客観的にみれば、双極性障害は診断が難しいと言われているので、過ぎたことは仕方ない、現実を受け入れるしかないと思うようにしてますがやはりなかなか難しいです。考えないようにしても、双極性障害による違う人格?が強くなった気がするし、自分自身もこの世への憎悪や絶望感にとりつかれている自分がいます。
自分の話ばかりでうまく説明が出来なくてすみません。
でも吐かさせて頂いて少しは...
ありがとうございます。


躁状態についてです。
怒りっぽくなるとか、ネットショッピングで必要以上に買いすぎるとか、調子がよく多幸感であるとか、自分が偉くなったり、強くなったりする気がするとかあります。
それで私の場合だと、うつの回復時の40歳の頃、女性の嘘を見破ったり、ガソリンスタンドの、エアコンガスが減っているので補充しましょうというインチキ商売を見破ったりと、立て続けに沢山続き、四六時中警戒し数ヶ月間怒りっぽくなったことがあります。
ドライブレコーダーのトラブルで怒る人、買い物依存症の人、重要な事や、期限が迫っているので、睡眠時間が短くなっている人。参院選挙の新人は1日3時間の睡眠で選挙を戦ったと話していました。
特に若い頃は、神経症の人や健常者でも、一時的に自分は凄い人間だと高揚感が湧き上がる時もあります。
それで分かり易い例として、1日3時間の睡眠でも疲れを感じない。寝る時間が惜しくて、もったいなく、活動したい気持ちが強い。
躁になると風呂に入いる回数が減る。風呂に入る時間が、惜しくて、もったいなくなり、活動したい気持ちが強い。
そして、その活動というのが、フェイスブックを一気に仕上げたというないようである。
この寝る時間が惜しい、風呂に入る時間が惜しい、その時間を活動したい。活動内容も重要でない。となると、ほぼ確実に躁状態になっていると判断していいと思います。
もう一つは、収入に対して、誰が観ても異常なまでお金を使いすぎるという点だと思います。


それは儀助さまにとっては判断はそれほど難しくはない、になるのでしょうか?
私のソウの場合は、やはりすごい活動的になります。頭に浮かぶことが激しくなる。
その上にどんどん行動ができる。例えばアイデアが浮かぶとバーっとパソコンを打ち続けてたし、やることをぱぱぱと出来る、本当に気持ちも体も軽くて疲れもあまりない幸せ感になります。
本を読み出すと止まらなくなり、つい徹夜続きしてしまうのが時々ありました。
起こりっぽくは...より、饒舌(筆談とかで)になり主張が強くなった、風に見られたと思います。
それと貯金があまりなく切り詰めていたおかげ?か買い物依存はありませんでした。
依存かなと思えたのが、漫画や本漁り、ネットサーフィンです。(フェイスブックはやってないですが)
2型か、2つの気持ちが同時に来ることもあるので混合性うつの可能性もあると思いますが、
感情起伏が激しくて周りを振り回すような自己中な性格として見られたと思います。
何年もディケアに通い、色々試してみてもなんかおかしいと感じましたが...

蒸し暑いからエヤコン24時間つけぱなしだ
冬だったらエヤコン故障しても布団のなかに入っていれば
大丈夫だけど
夏はエヤコン故障したら暑さでイライラする。

トラウマ、虐待経験のある方は、5分あたりからでも観てみてください。
幼少期に日常的に虐待を受けると、多量のストレスホルモン(特にコルチゾール)を分泌する脳に、変質します。
またゆっくりと、進行してゆき、思春期以降に、色々な精神疾患になりやすくなります。
健常者は、ストレスを受けると、コルチゾールが分泌され、ストレスを和らげてくれます。コルチゾールは、血圧を上げ、緊張状態を保つことで、ストレスを防衛してくれるしてくれる。そして、適量なコルチゾールが分泌されると、フィードバック機能が働いて、コルチゾールの分泌が止まります。
しかし、被虐待者は、過剰にコルチゾールが分泌する脳に変質していて、本来ストレスを和らげるコルチゾールが多すぎると、逆に前頭葉や海馬を損傷するということです。
被虐待者は、成人してからも扁桃体(不安、恐怖、緊張を司る脳の一部)が過剰に反応するように、変質しています。
被虐待者は、不安、緊張、うつで、物事がうまくいかなくても、脳が変質しているから仕方ないとを自分を責めないことです。
https://www.youtube.com/watch?v=4TkL1N-EThU

mixiというサイトで、虐待と検索したら、親の虐待を受けて育った人というコミュニティがありました。
管理人は経歴から、61歳か62歳です。
そして、鳥取大学医学部卒業とありました。
以下のように説明文があります。
異常なプレッシャーを子供に与え、5人中3人がうつ病で自殺というのは、やはり幼少期の虐待が影響しているのだと思います。
友田明美著 虐待が脳を変えるという本に書かれていることに更になるほどと思ったしだいです。
アメリカの心理学者によると、人の85%は、親から、何らかの虐待を受けて育っているそうです。
その虐待は、優しい虐待と言われるような、やんわりとした押しつけから、暴力、性的虐待まで実に様々です。
ただ、どのような虐待も、受けた子供が、それが虐待であるという自覚なしに育つと、それが虐待であると知らずに、自分自身の子供へも、同じ虐待をしてしまいがちです。
それが、代を経てエスカレートすると、うつや、自殺が現れます。
私の父方の曾祖父は、アルコール依存症者で、当時6歳の祖父を住み込みの仕事へ行かせ、半年分の給金を、前借りして、一晩でお酒に使ってしまったそうです。
祖父は、そういう曾祖父の虐待に耐えながら育ち、商売で成功しますが、自分の子供を育てるとき、子供たちに非常なプレッシャーをかけ続けました。
子供たち(私の父と叔父や叔母)はプレッシャーの中で育ち、30代から、50代の間に、次々に鬱病になって、5人中3人までが自殺しました。
二人は生き残りましたが、一人は、暴力依存症者となり、もう一人は、極端な利己主義者になりました。
この、暴力依存症者が私の父親です。
私は、約11年かけて、自分自身の心の問題と取り組み、上に述べたようないきさつを理解するに至りました。
自分の心の問題が、完全に解決したわけではありませんが、今は、少なくとも、自分の心が生き生きと動いていることは、はっきり感じるようになりました。
私の話に何かを感じる人がおられましたら、よければ、投稿、あるいはメッセージをください。
メッセージを送りたいが、意見やコメントされたくない方は、文末に、ノーコメント希望とお書きください。
このコミュニティは、虐待者への復讐を目的とするものではなく、自分自身の人生をよりよいものにし、親から受けた悪影響を、子孫へ持ち越さないようにするためのものです。
新規参加ご希望の方へ
ご自分のトラウマの内容、
コミュに対して期待する事、
を1、2行で結構ですので書いて申請して
下さい。
私の経験上、自分の受けたトラウマを、たとえ一行でも、
言葉で表現可能な人と、
表現不可能な人は、
自分のトラウマのからの回復上のステージが、
全く違います。
表現できない人は、ステージが低いのですが、
表現できるステージまでは、自力で行くしかありません。
行けない人をコミュが助けることは不可能で、
行けない人や、行く気のない人が、
コミュ内で他のメンバーとトラブルを起こしています。
よろしくお願いしますと、
他に何も書かずに、それだけ一行書かれる方は、
回復のステージがあまりにも低いと、こちらは解釈せざるを得ないので、
100%拒否になります。
参加を本気で希望される方は、これらを踏まえて、
文章を書いて、トライして下さい。
お願い致します。
再トライは、歓迎です。


地獄のような負の連鎖にとりつかれ本当に大変だったですね。よく立派に生き抜いて下さいましたね。
私はあまり形状とかレス?とか良くわからなくてミクシィのことはやったことがありません...新しいアプリを入れるたびに設定とかであわわわ、げっそり...になってしまいます。
管理人にお礼を申しあげたいです。
コミニュテイについては、どういうしくみで活動してるかどうかはちょっと想像が難しいです。
いまやってる掲示板のようなやり方なら分かるのですが...
私の場合は分かりやすい悪意より精神タイプの虐待?が多いのかも?
家族の中で私が先天的聴覚障害なので、教育について色々ありました。その上で父は毒親系でパワハラで家族を支配していました。
それが苦しくて自立して逃げたいのに体か思うように行かなくて、回りに相談しても、その時は毒親のいうのが流行っていないため?で仲直りしたら?障害児を育てるのは本当に大変、意地はるのをやめて親を思いやったら?風の声がとてもとてもきつかったですね。
それと私の中にどうしても消えることが出来ない深刻なトラウマがあります。
そのため家族といるのがとても苦痛です。
就職を終えた父は好きなことに夢中で引きこもりっぽくなり、あまり関わりや会話をしないので比較的に落ち着いていますが、私はやはり家を出たいです。でも双極性障害の影響なのか何回も何回も挑戦しても体を壊して挫折しています。
病人として実家にいるのは安全ですが、昔と変わった母の家事などでそのへんは感謝してますが、ダメなんです。家から何度も何度も呪いのように嫌な記憶が混み上がってしまいます。
過去に認知療法など精神教育で、親の話をしてみたのですが、その時は双極性障害とは判断されてなかったので、双極性障害の嫌らしさのせいで心のついてや在り方がどんどん変な方向になってしまい、なんか心の問題のアラ探しみたいみたいになって、最後はおかしくなりました。正に死ななければならないと強迫と絶望にとりつかれてしまいました。
今は、幸い合う薬で無力でほーとしてますが、一応生きています。
今までは親や自分の心の問題について私がちゃんとしてないからだ、とか私が無意識に思い込みや歪曲してないか?と自分を責めましたが、病気のことを知ってからは、少し気持ちが軽くなりました。
それでも、頭の問題なのか心からなのか一線を引くのはとても難しいと思いますが、家族のトラウマはいつか聞いて欲しいと思うときがあります。
長文失礼しました。スマホからなので全体文が見辛くて、間違い語とかあると思うのでお許しください


私の場合は、虐待で脳が変質しているので、強い恐怖、緊張によって、物事がうまくいかなかったり、嫌な事を思い出して、心が不安で動揺しても、自分を責めない事と思うようにしています。
身体的虐待でも、精神的虐待でも、自分がイライラした時に、相手に暴言、暴力を与え、不快にさせることで、一時的にストレス解消になり、また相手を不快にさせることは中毒性があるとのことです。
それは、人の不幸は蜜の味という言葉があるように、自分の気分が不快な時に、相手を自分と同じ不快な気分にさせることで、一時的に自分の気分がスッキリするということのようです。
カウンセラーさんの場合は、やはり、例えば自分が対人恐怖的な心の問題を抱えている人が、臨床心理士等になりたがる傾向があるので、心の問題のあら捜しのようになったのではないかと推測されます。
もちろん、相手の気持ちを思いやり適切なアドバイスをしてくれるカウンセラーさんもいます。
深刻なトラウマに関しては、その内容を客観的に観れるようになれる相談相手がいたらいいですね。
自分一人でも、客観的に観れて、判断できるようになることもできるのではないかと思います。
毒親的行為に関しては、許す必要もないというのが私の意見です。
毒親に関する記事のURLを貼っておきました。
https://fuwafuwafuwafuwa.com/toxic-parents/about-toxic-parents/
お互い、少しでも心がほぐれて安定するといいですね。

最近は頭と身体に怒りと恐怖が充満しています。
今朝は「怒りが外に出ませんように」と念じて作業所に行きました。
顔も結構怖いです。昔の笑顔を忘れました。
そんな私でも受け入れてもらえるのは、ありがたいことかもしれません。
月曜日はヨガに行きました。すぐ近くで一回千円です。身体が凝り固まっているのでほぐすにはちょうどいいです。
明日はズンバに行きます。一回500円です。インストラクターを見ながら、フラフラになるまで踊ると気持ちいいです。
土曜日は町内の草刈りに行きました。 「私の体って、どうしてこう動かない。役立たず」と思っている自分に気づき、「いいんだ、自分のペースでやろう。 疲れたら休もう」と言い聞かせました。 翌日町内の人に会い、「昨日はどうも」と言ったけれど、相手の顔を見たら笑ってなくて、気がついたら自分が笑っていませんでした 笑
「ダメだよ、女性は笑顔でなくちゃ」と思うんですけど、この頭の締め付けで、笑えるほうがどうかしてますよね。
自分はどこへ行こうとしているのだろう?
どこへも行けないのかもしれないけれど。
頭と身体が楽になったら、言うことないんですけどね。


なんとかなっていらしてるようで、安心です。
それは回りからどう見られてしまうか、気になってしまいますね。
ついひと提案してしまいますが、
病気と薬て苦しいのでついこんな顔になってしまうんです、風に回りにアピール?してはいかがですか?
そう、ひーさまは正に怒りを抑える、恐怖に苦しんでいるのですから。
ヨガは素敵ですね。体をがリラックスできて、錨などが減るといいですね


そうですね。チャンスがあったら、そのように説明したいと思います。
躁の時の愛想の良さを思うと、「どうしてもっと愛想良くできないものかな?」と思ってしまいます。 でも、中にない物は出て来ませんから、しょうがないですよね。
幸い、怒りの方は少し収まっています。ヨガやズンバは、掛け声がかからないと身体を動かす気にならないので、行ったりしています。放っておくと、インターネットを眺めながら、「あーでもない、こーでもない」と考え続けてしまいます。
残暑が厳しいですが、ちゃぼさんも無理をなさらず、どうぞお元気でいてください。
ちゃぼさんも、残暑が厳しいですが、

落日 歌詞
歌:小林旭
作詞:川内 康範
作曲:北原 じゅん
うらぶれこの身に 吹く風悲し
金もなくした 恋もなくした
明日の行方が わからないから
ままよ死のうと 思ったまでよ
生まれた時から この世のつらさ
知っているよで なにも知らずに
落ちてはじめて 痛さを知って
恋にすがって また傷ついた
それでもこの身を つつんでくれる
赤い夕日に 胸をあたため
どうせ死ぬなら 死ぬ気で生きて
生きて見せると 自分に云った

俺が死ぬ時はま白い灰になって死ぬんだ
残りかす、なんか残りはしない。
きょうを、悔いのないように精一杯生きるんだ
あしたのジョーの台詞。