今日、全ての写真を捨てた
子供の時から
今までの写真を捨てた。
今は一枚も写真がない。
ため息ついても仕方ないよ
それが人生さ。
ヘタレ。
作業所でミスをすると、よせばいいのに、大声で「うわぁ、ごめんなさい!」と言います。
そして、鼓動が早鐘のように鳴り響き、「また、アイツだよ」と他の声を代弁して、自分を脅かします。
全くしょうがない・・
こんばんは。
バイトを始めて2ヶ月すぎました。思うところがあります。
前回、入院したときに合計5時間位の心理検査をうけましたが、その際、心理士さんは、私のむいている作業について、折り紙を延々と折るような作業と言われました。なんかそれを聞いたときは、馬鹿にされたようで、心のなかで否定していました。でも、今までしてきた仕事や今しているバイトを考えてみると、当たっているような気がしてきているのです。
私のしてきた仕事は飲食業が主ですが、お客さんからの注文が一気に入ったりしたときに、頭のなかで注文の優先順位を瞬時に決め、先の先を考えて調理することは自分にはひどくストレスです。ハッキリ言うとできません。たとえばお刺身を綺麗に切って盛り付ける作業は得意かもしれません。でも、それを流れのなかで焼き物を見ながら、鍋の仕上がりを見極めながら行うことは、できないのです。
幸いいまのバイトのメインはキッチンの後片付けです。
調理をするのは1時間だけ。でも、1度に注文が入るとあたふたします。
改めて、心理士の言葉を思い出しました。
折り紙を延々と折るような作業。
その意味するところは、こういうことだったのだ。
でも、あまり悲観もしてはいません。できないものはできないのです。その代わり、時間を与えられたら、それなりに綺麗な仕事は出来ます。
今の飲食業界では、向いていない人間かもしれません。
速さが命のような風潮がどこに行ってもあります。
でも、包丁を使うこと、料理を作ることは、好きなんだろうと思います。
たいして能力はないのですが、今は生計を立てる為にキッチンの後片付けをしているだけの人間ですが、もしかしたら年齢的に言っても、それで終わってしまうかも知れませんが、自分の大事な包丁だけは、錆びないように、切れるように、管理しています。
明日はバイトです。大学生に、はいはい良いながら、仕事を教わっています。私は店では最年長です。その子達の産まれるはるか前から料理の仕事をしています。
でも、私にできることは、あまりに折り紙的なのです。
辛い時もありますが、お金が入ってくると、気分が落ち着きます。だから、明日も行けるように、したいです。
いつまで続くからは、わかりません。
筋肉痛の、ただのBBAです、笑
一瞬だけど、身体の凝りがほぐれます^^
ハローワーク行ってきたよ♪
ズンバの前後はテンション上がります^^
遅くなってすみません。
確かに...ソウの時になると差が出るので誤解というか理解されるのは難しいかもしれませんね。私もありました。すみませんm(_ _)m
やはり何度も説明するしかないでしょうか。皆さまの話も聞いてみたいですね。
ああ、分かります
私も動く気になれなくて、ついスマホでダラダラと見てしまいます。
用事や誘いかあるとなんとか頑張れるのですが...それでも動きたくないなあと気持ちがわくのが多いです。
焦らないと分かっててももこのまま年をとるのかな...とかこんな自分がイヤになってしまいます。でも動ける、普通に近くに戻れる時が来るまで待つしかないかもしれませんね。
ヨガは素敵ですね。やろうとしたのが凄いですね。ほぼ効果が出るといいますし。早く効果がでるといいですね。
では、いつかまたここでお話できるといいですね
ご丁寧にありがとうございます。
ちゃぼさんは、何か回復のきっかけを掴まれたのでしょうか?
なんだかイキイキしておられるようにお見受けします。
私はパートナーの献身と作業所でなんとなく今を支えています。
私の今は、儀助さんの書き込みにある「暴力依存症者の次世代の超利己主義者」に当てはまります。(儀助さん、レスしないでごめんなさい)
「自死できない限りは、自分を守らなくちゃ」と必死です 笑
パートナーのことをどこまで信じていいか分からず、「夜出かけたいと言ったら、機嫌が悪くなり、追い出されるのではないか」と疑心暗鬼になりながら、ヨガやズンバに通っています。 今の自分に必要だから、恐る恐る言い出しています。
「脳を鍛えるには運動」という言葉を信じて、出かけて行きます。ズンバなどは一時間猛烈に踊るのですが、三十分を過ぎた頃からエンドルフィンが出始めるのか、気持ち良くなってきます。それで二匹目のドジョウで次の日も行き、「毎日通えたら、凄く元気になるのでは?」と思ったりします。 そして、肉体的に疲労困憊してしまって失敗しました。 笑
またヨガは先生も素晴らしく、心地よいのですが、終わった後のお喋りがちょっと苦手です。なぜかというと、「山で落石があって人が亡くなったんですって!」「まぁ、可哀想」「ね〜」と話していたとします。 私の頭は、「人はいつか死ぬのだから、死に方としてはなかなか良い死に方ではないか」と考えています。場の空気を壊さないように黙していますが、「可哀想ね」と無邪気に言えない自分を複雑な思いで眺めていたりします。
運動も「できる時にできることを」するしかないですが、考え事ばかりしていると、身体も弱ってしまいますからね〜
今日はこちら地方は雨ですが、ちゃぼさんもどうぞお気をつけてお過ごしください。
いえ、正直いうと今落ちてます。
衝動的な発作(強い自殺感)までは行ってないのでマシですが...
さっき儀助さまに昔の病院(ディケア、認知療法などをやった)のことを話した後、吐き気と胃痛が出て寝込みました。
それ以外も(薬で発作が減り安定してるものの、)ずっとダラダラとスマホを握りっぱなしの無力な日々ばかり過ぎ去っています。最近は物忘れがひとくなりした。
だから、バイトとヨガなどを始めたひーさまはすごいなと思ってます。
パートナーのことも不安な思いをしているかもしれませんが、ここまで頑張っていらしてるし、自信を持つといいですね。
つい「死」について考えてしまいますよね。私も自分への暴力とこの世への憎悪で自殺、のを考えてしまいます。それをごまかすためにスマホ依存症っぽくなってしまってます。
つい反応してしまう「死」ワードにうまく切り抜けて楽しいことが増えて行くといいですね。
そろそろ休みたいです。すみません、いずれまたここでということで、おやすみなさい
そうでしたか。
私も書き込みをしない時は結構ウツです。
ゆっくり休んで、大いにスマホに頼って下さい。
ウツの時は、生きていることが仕事みたいなものですものね^^
リンクを見ました。
そうですね。私もあります。精神か脳なのか線を引くのが難しいですが、悪化した時、気持ちと童児に脳がおかしくなった感覚がありました。
ただ、今の私にとっては、もちろん親のことが苦しいですが、どちらかというと、認知療法とかをやった病院の時の記憶の苦しみが大きいかなと思うことがあります。
その病院の医者(カウンセラーも含む)も親のことを話したし、精神教育や認知療法とかを何年もかけてやっても、よくなった、前向きになれたと思ったら(本当にそう思える、錯覚?)急に落ちてしまう、まるで私ではない人格が出来上がる(儀助様がおっしゃる通り、暴力的な自責と絶望感が出る)ようでなんかおかしいと一応伝えたのですが、
医者に双極性障害の可能性を気づかなかったところが、最後に「何ともないのに周りに求める」というなんか自己愛、境界人格障害みたいな見方をされた気がして、私の中でプッンと切れました。その言葉が今も張り付いてずっと離れません。親のことも私が甘えてるのか?都合よく悪者にしてないか?とか悩んでいまので、あの時はもうおかしくなりました。危なかったです。
トラウマの親と障害の上に病院の医者のことも上乗せされた感じです。
大げさかもしれないけど医療ミスで後遺症が残ってしまった感覚です。
客観的にみれば、双極性障害は診断が難しいと言われているので、過ぎたことは仕方ない、現実を受け入れるしかないと思うようにしてますがやはりなかなか難しいです。考えないようにしても、双極性障害による違う人格?が強くなった気がするし、自分自身もこの世への憎悪や絶望感にとりつかれている自分がいます。
自分の話ばかりでうまく説明が出来なくてすみません。
でも吐かさせて頂いて少しは...
ありがとうございます。
躁状態についてです。
怒りっぽくなるとか、ネットショッピングで必要以上に買いすぎるとか、調子がよく多幸感であるとか、自分が偉くなったり、強くなったりする気がするとかあります。
それで私の場合だと、うつの回復時の40歳の頃、女性の嘘を見破ったり、ガソリンスタンドの、エアコンガスが減っているので補充しましょうというインチキ商売を見破ったりと、立て続けに沢山続き、四六時中警戒し数ヶ月間怒りっぽくなったことがあります。
ドライブレコーダーのトラブルで怒る人、買い物依存症の人、重要な事や、期限が迫っているので、睡眠時間が短くなっている人。参院選挙の新人は1日3時間の睡眠で選挙を戦ったと話していました。
特に若い頃は、神経症の人や健常者でも、一時的に自分は凄い人間だと高揚感が湧き上がる時もあります。
それで分かり易い例として、1日3時間の睡眠でも疲れを感じない。寝る時間が惜しくて、もったいなく、活動したい気持ちが強い。
躁になると風呂に入いる回数が減る。風呂に入る時間が、惜しくて、もったいなくなり、活動したい気持ちが強い。
そして、その活動というのが、フェイスブックを一気に仕上げたというないようである。
この寝る時間が惜しい、風呂に入る時間が惜しい、その時間を活動したい。活動内容も重要でない。となると、ほぼ確実に躁状態になっていると判断していいと思います。
もう一つは、収入に対して、誰が観ても異常なまでお金を使いすぎるという点だと思います。
それは儀助さまにとっては判断はそれほど難しくはない、になるのでしょうか?
私のソウの場合は、やはりすごい活動的になります。頭に浮かぶことが激しくなる。
その上にどんどん行動ができる。例えばアイデアが浮かぶとバーっとパソコンを打ち続けてたし、やることをぱぱぱと出来る、本当に気持ちも体も軽くて疲れもあまりない幸せ感になります。
本を読み出すと止まらなくなり、つい徹夜続きしてしまうのが時々ありました。
起こりっぽくは...より、饒舌(筆談とかで)になり主張が強くなった、風に見られたと思います。
それと貯金があまりなく切り詰めていたおかげ?か買い物依存はありませんでした。
依存かなと思えたのが、漫画や本漁り、ネットサーフィンです。(フェイスブックはやってないですが)
2型か、2つの気持ちが同時に来ることもあるので混合性うつの可能性もあると思いますが、
感情起伏が激しくて周りを振り回すような自己中な性格として見られたと思います。
何年もディケアに通い、色々試してみてもなんかおかしいと感じましたが...
蒸し暑いからエヤコン24時間つけぱなしだ
冬だったらエヤコン故障しても布団のなかに入っていれば
大丈夫だけど
夏はエヤコン故障したら暑さでイライラする。
トラウマ、虐待経験のある方は、5分あたりからでも観てみてください。
幼少期に日常的に虐待を受けると、多量のストレスホルモン(特にコルチゾール)を分泌する脳に、変質します。
またゆっくりと、進行してゆき、思春期以降に、色々な精神疾患になりやすくなります。
健常者は、ストレスを受けると、コルチゾールが分泌され、ストレスを和らげてくれます。コルチゾールは、血圧を上げ、緊張状態を保つことで、ストレスを防衛してくれるしてくれる。そして、適量なコルチゾールが分泌されると、フィードバック機能が働いて、コルチゾールの分泌が止まります。
しかし、被虐待者は、過剰にコルチゾールが分泌する脳に変質していて、本来ストレスを和らげるコルチゾールが多すぎると、逆に前頭葉や海馬を損傷するということです。
被虐待者は、成人してからも扁桃体(不安、恐怖、緊張を司る脳の一部)が過剰に反応するように、変質しています。
被虐待者は、不安、緊張、うつで、物事がうまくいかなくても、脳が変質しているから仕方ないとを自分を責めないことです。
https://www.youtube.com/watch?v=4TkL1N-EThU