いきなりの自分の話でごめんなさいね
今日 墓参りに行ってきました
夫に従っていつも行くのだけれど、私 これが嫌で嫌でたまらなかったのだと思い出しました私はいわゆる長男の嫁で、姑の世話もし小姑とも
付き合わなければならなかったのだけれど
姑も小姑も大嫌いなのだとはっきり感じました
姑を見送って8年 もたっているのに、姑の呪縛から逃れられなかったのだ
それが私の強迫観念の正体のようです
辛い感情を見ないようにしていたのです
あっ、書いてしまいました
もう一度検討してみますね
私の話には脈絡がないですね
私の気付きは動画とは関係がないかもしれませんね
私はひーさまのように、婚家を飛び出す事もなく
この家で頑張って来たのだけれど、それはこの家が実家よりもずっと素晴らしい家庭だと思い込んでいたからなのです
口では、姑も小姑も大嫌いと いいながら、あんな酷い環境で育ってきた自分にはそう感じる資格がないと思っていました
自分の感情に自信が無くて、むしろ怖かったです
姑を見送って8年も経つのに姑の影に怯えていました
これはきっとトラウマと言うものなのでしょう
でも、ある時ふっと
姑はもう死んだんだ!夫の親戚とも冠婚葬祭さえ我慢すれば、もう会わなくていいんだ!私は自由なんだ と気づいたのです
それが動画を見ていた時でした
動画の何かの場面がきっかけになったのかもしれません
分かりづらい内容ですみません
読み流してくださいm(_ _)m
きっとご自分の中でなにかに気づかれたのだろうと思いました。
気づくということは諸刃の刃で、気づいたことによってその場に居づらくなってしまったり、関係が変わってしまったりするので、お返事することも慎重にしていました。
気づきはまるこさんの中で起こることなので、いいも悪いもなく、まるこさんにとって大切なものだと思います。だから、ここに書き込みたいことは、例え脈絡がなくても書いてもいいのだと思います。
私は読んでいますが、「それはこうだ」とか「こうした方がいい」とか言えません。 気づきが気づきを呼び、どんどん変化していくかもしれません。なので、自分の中から言葉が出てきた時だけ、お返事致したいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
そうですね
脈絡が無くても書くことで気持ちが整理されて行く感じです
これから、どう変化していくか分かりませんし
何も変わらないかもしれません
こちらこそ、どうぞよろしくお願いします
https://youtu.be/NMA2mAsIJns
「統合失調症についてのドキュメンタリー」
これは相当以前にユーチューブで見つけて、ときどき見ては自分を勇気づけていました。
見ている内にはっと気づく事もありました
私の強迫観念の正体です
まだはっきりしないので、ここには書きませんが
有難うございました
躁の早とちりではないか
よく検討して見ます
まだ私の子供たちの小さかった頃に書いていた日記を、たまたま見つけて、読んでしまいました。
私の病状が1番酷かった頃の日記です。
元奥さんにもずいぶん苦労かけました。
今読むと、離婚して当然と思いました。
ちょっと前に元奥さんを通して、子供たちに会ってみたいとメールしました。子供たちの答えは、大人になってから考えるというものでした。確かにそういう気持ちは理解できました。
周りの人に辛い想いをさせてきた自分。今になって自分の、会いたいという気持ちだけで、子供たちの気持ちも考えずに、安易だったかもしれません。
いい加減なことも、ずいぶんしてきました。
今思うのは、元奥さん、子供たち、あなた達だけはどうか幸せに、という願いです。
自分と同じように、周りも辛かったということを、思い出させられました。
私は今、同居人とまぁ穏やかな生活を送らせてもらっています。バイトも始めたりして、いろいろ緊張や考えることも増えて、自分のことばかり考えていました。
でも、これは良かれ悪かれ、自分で選択してきた道なので、誰にも、ひょっとしたら病気にも、責任をなすりつけることは、できないのかもしれません。
今は、元奥さんと子供たちの幸せを願いながら、自分の幸せを見つけて行く事だと思います。
私は、失ってから気づくことがあまりにも多いです。
ふつうの人は失う前に気づくのかな。
同居人もこの微妙な心の動きは、話しても理解してもらえず、投稿してしまいました。
自分は、命も失ってから、その特別であったことに気づくのかもしれません。
そうならないように、日々感謝を忘れないようにはしたいです。今まで、できていなかったので。
みなさんも、幸せに。
私も娘の良い母親でありたいと願いながら、自分の病気のために随分と辛い思いをさせたと思います。
病気に溺れていた時もそれはそれで苦しいですが、仕事を始めるなどして少し病気から離れて冷静に考えられるようになると、そういう事実にも気づかなければならないので、新たな苦しみがやってきますよね。
でもそれが回復してきた証拠なのだと思います。(偉そうに聞こえたら済みません。自分にも当てはまります)
病気になったのは、つぼっちさんが100パーセント悪いわけではないと思います。生い立ちなどは自分で決められるものではありませんから。でも回復の責任はつぼっちさんにかかっています。ですが、焦らずじっくりなさるのがいいと思います。
お子様達も大人になったら考えてくれると仰っているので、それまでにつぼっちさんが仰るように自分自身が幸せになるように進んでいけば、お子様達にもきっと会えると思います。
何か偉そうな言い方になってしまい、済みません。
簡単にお返事させていただきました。
偉そうなんて、全然思いませんでした。
優しさと希望のあるレス、感謝いたします。
私の考える方向は間違っていないのかな?と確認もできました。
良くひーさまの投稿には、自分の責任を自分でとるというワードがでてきます。これは単に自己責任とかいう意味ではないように聞こえるのです。うまく言えませんが、責任をとれる事において、人は自由にやって良いという意味に読んでいました。間違っているでしょうか?もし良かったら、ひーさまの言う責任の意味について、もう少し深く知りたいです。とても大事な意味があるような気がするのです。
人っていろんな思い込みがありますよね? 例えば私だと、「パソコン買ってサポート(当時は有料でした)に入ったけれど、『えっ? そんな初歩的なこともわからないの?』と思われるかもしれないから、恥ずかしくて聞けない」というのがありました。その時にセラピストに「貴女はお客さんなんだから、何を聞いても大丈夫だし喜んで教えてくれるよ」と言われました。理屈はそうだけど今までの習慣があるから、最初は恐る恐る、「こんなことを聞いて本当に申し訳ないんですが、・・・」って電話して聞いていたのです。取扱説明書が難解で、友達も誰も居なかったので、そうする他はありませんでした。
最初はサポートの人と話すだけでグッタリで、「すいません、限界なのでここまででいいです」とか言ってました。 ここまで書いて気がついたのですが、私は周りに誰も居なくなってセラピストだけが頼りという時期が何年もあったのです。
だから、生き延びるために、セラピストが「〜してもいいんだよ」ということはやってきました。 またセラピー外の時間は自分だけが頼りなので、出来ないことは出来ませんが、他に止める人も居ませんし、思いついたことは全てやってきたのだと思います。
パソコン・サポートの話に戻ると、「自分はお客さんなんだから気にしないで聞きたいことを聞いていい」と思えた瞬間から、とても自由度が広がりました。 そんな生活をしていたから、「出来ること、やってみたいことは人に迷惑がかからなかったら、とりあ
えずやってみる。 恥ずかしいか恥ずかしくないかは人によるから、あまり考えない」ということが身についたのかもしれません。
何故、責任について聞いてみたいと思ったかというと、ひーさまの書かれていた、病気の回復の責任はつぼっちさんにかかっている、という意味が今一つ分からなかったからです。ひーさまの返信で思ったことは、勇気はいるけどやってみる自由。そこから生じる責任は自分で引き受ける。ひーさまの場合、セラピーだったのでしょうが、専門家の力を借りつつ、しかし自分の病気は自分で突き止めるという気持ち。それが、病気の回復の責任はつぼっちさんにかかっているという言葉の意味することだったのでしょうか?
鬱のドツボにはまっている時は、なかなか難しいことですが、じっくり焦らず取り組む価値のあることだと思いました。
ありがとうございました。
今、自分に理解できるのはこれくらいですが、じっくり取り組んで行ってみたいと思います。
「回復の責任はつぼっちさんにかかっています」の意味は、「自分で選べない生い立ちなどのせいでこんなに大変な病気になってしまっているというのに、回復するためには本人の努力が不可欠だなんて、理不尽だ。 でも頑張って」ぐらいの意味です^^
私ももう少し自分が何を言わんとしているか、きちんと伝えられるように努めます。
何だろうと考えてみると嫉妬のようです
何の嫉妬かというと、私がいい歳をして過去に囚われているのに比べお二人が進む方向を見いだしているという
事に対しての嫉妬です
私はこの感情と直面するのが辛くて、随分と遠回りをしたのだと思います
私の苦しみは
躁鬱や生い立ちのせいだけではない
この事実に、本当はうすうす気付いていました
でも
怖くて目を背けていました
自分の醜い感情に向き合わないから、自責の念に苦しんだ
子供たちの課題を子供達に託す事が出来なかった
ああ そうだったのか
つらいけれど とりあえず今は、この感情に向きあって見よう
そんな風に考えて、少し落ち着きました
そうなんですよー 夫は長男でね この時期は大変!
お墓掃除に、坊さんに挨拶、仏壇に花や鬼灯を飾って
だんご作って、果物や野菜を備えて、14日には
お坊さん お経をあげに我が家に来ます
ね!昭和初期の暮らしみたいでしょ!
(*^_^*)
鬼灯 可愛いですよ
赤い色は1年以上持ちます
お孫さんに見せたら、きっと 喜んでくれると思います
うちもお坊さんがお経をあげに来ていました。
月一回ぐらいと。盆と暮れに。
両親は共働きだったので、お坊さんが来る日は仏間に通じる扉は鍵が開けてあったのです。
二人とも般若心経だけは一生懸命に唱えていました。
うちの父は実母が5歳の時になくなり、その後にきた継母に虐められて性格がいびつになってしまいました。まるこさんのお母さんと似ていますね。
不幸自慢ではありませんが、実母が脚気で亡くなり母乳で育った三人の兄弟が乳児脚気で亡くなりました。父と伯母だけミルクで育ったそうです。今思ったけど、奇跡ですね。父も母乳で育てられていたら、父も私もこの世には居ませんでした。DV父だったけど、そう思うと、疎遠にしていますが大事にしてやらなくてはと思ったりします。
楽しかった思い出も実家にあります。
気づかせてくれて、ありがとうございます^^
前向きで明るいひーさまにもいろんなことあったのですね
私の母とお父様は似ていますね
私は母が嫌いでしたが、今は母の気持ちがわかるような気がします
悲しくて、淋しくて、苦しくて、だけれどどうすればいいのかわからなくて・・
私も苦しかったけれど、母はもっと苦しかったのだと思います
そう言えば、七夕の季節には必ず、大きな笹に一杯飾りを付けてくれましたっけ
母はやはり、幸福な家庭を夢見ていたのですね
お盆には母のことも思い出してやりたいです
ひーさま、声をかけて下さってこちらこそ有難う
私は鬱の長いたちで、家に居る事が多いです
こうして、お話が出来る事ありがたいです
私が躁鬱と診断されたのは10年前 発症したのは30年前でした
20年もの間 混乱の子育てでした。私も苦しかったけれど、子供達はもっと もっと辛い毎日だった事でしょう
今でも、子供への申しわけなさと自責の念が私を苦しめます
親に愛された子供は人に対する信頼感を持つ事が出来るという文章を読めば、消えてしまいたい思いになります
私は自分が生きるだけで 精一杯でした
死にたいけれど死なない
毎日、ご飯を作って洗濯をする。これだけはしよう!
そう思って生きて来ました
子供たちは、私の混乱の影響を受けています
私は躁鬱の他に 実母との関係の悪さから、子育てに対して強迫観念も持っていたのですから尚更です
それでも、いい母親になりたいという思いは強くありました。思いだけが上滑りしていました
娘とは行き来がありますが、息子からは音沙汰がありません
今の自分に何が出来るだろう
私も死ぬまでこの疑問を持ち続ける事になると思います
辛い経験を思い出させてしまいました。文章にして投稿するのは、さらに辛かったと思います。
何度も読み返しました。
同病者として、また親として、まるこさんが今抱えているであろう懺悔の気持ちはとてもとてもわかります。
自分の事で精一杯。その感覚はなったものしか分からないと思います。自分の親と同じことをしてしまうかもしれない。自分が親にたいして思っていたように、子供たちも自分のことを原因に心に病を抱えてしまうかも知れないという思いが、おありかもしれません。私がそうです。間違っていたら、ごめんなさい。
私からは、こう考えなさい等とは、言えませんが、まるこさん、もう肩の荷を、重い重い肩の荷を、少しだけおろしても良いのではないでしょうか?
ご飯を作り洗濯をするのは、病状がひどい時にはとてもしんどい家事ですね。それをなさってきた。立派だと思います。
自分は17歳の時に、自覚しました。私には自信というものがないと。50歳近くになってもその課題は解決していません。私はその事で、両親や、育てた人たちを憎みました。今でも素直には考えられません。
でも、意味があってその親の所に生まれたとしたならば、その意味を見つけて、乗り越えて行くのは、その個人の課題だとも思います。
私のもとに生れてきた息子たちは、私の子供としての学びをする課題があるのではないか。それは親である私も介入することはできないのかもしれません。
彼らの問題なのかも。
冷たく聞こえますか?今私は自分に言い聞かせながら書いています。
こんな私なので、偉そうに言えませんが、まるこさんは精一杯やったと思います。
ひーさまも言っていたように、焦らずじっくり行きましょう。
この文章が、トンチンカンでないことを祈ります。
その言葉がどんなに私を救う事か・・
どうしてこんなにも、私の思いを言い当てているのかと感じるばかりです
肩の荷を降ろす そうですね 大きな手で頭を撫でてもらったような気持ちです
年を取ったせいか すぐに涙が出ます
ほっとします
分かって貰えた安心でしょうね
子供のこと、もう少し距離をおいてみてやりたいです
すぐにはできないかもしれないけれど、自分のことも許してやれるようになりたいです
焦らずじっくりですよね
お盆のお買い物が本格的なので、七夕と同じように小さい頃を思い出してしまいました。
実家も今もお盆は旧暦でやります。
でも母が鬼灯やお花を揃えて、お彼岸には団子を必ず作っていたので、それらを全部思い出しました。
いいものですね〜
私が鬼灯を買ったのは仏花に一本入っていた時ぐらいです。
私も今年は鬼灯を買ってみようと思います。
ありがとう、まるこさん^^
私が死んだら身内は絶対に呼ぶな
お金は使うな
お前一人で葬式をするんだ。
私の骨は砕いてパウダー状にして
ベランダからお天道様に向かってまくんだ。
骨の一部はアリスの骨壺に入れるんだ
これが私の遺言である。
こんばんは。今日はバイトに行って来ました。
今日で5回目のバイトです。短時間のバイトですが、夜のバイトなので、不規則になります。大概、次の日は1日寝ています。バイトの日は朝から緊張して、頓服を飲みまくり、なんとか行ってる状態です。終わるとハイになります。そして寝るのは、この時間。
今日一緒にやった大学生の男の子のおとうさんは52歳だそうで、俺と2つしか違わない。まぁそんなことはどうでも良いのですが・・・
俺は仕事中、楽しそうでないみたいで、責任者の人からそう言われましたが、実際楽しくないので、否定できません。終わると達成感はありますよ。10ヶ月無職だったので。金、金、金、それだけです。
夏は息子たちの誕生日が続いているので、お小遣いも送ってあげたいし、ステンレスの柳刃包丁も欲しい。
先のことは考えられないですが、まだ始めたばかりなので・・・でも、とりあえず今日は終わりました。
おやすみなさい。
生きる為のあらゆるものと交換できるお金に拘って生きるのは、とても人間らしいと思います。 勿論それができない人を責めるわけではないけれど、できる範囲でそれができていると誇らしい気持ちになりますよね。
欲しいものを得る為に楽しくない事をするのも、仕事に限らず(例えば、山登りをする為に普段から単調な階段の上り下りをしておくとか)は当たり前かなぁと思いました
楽しくなくても、お金の為に働いて、達成感まであるのは素敵だなぁと思います
私の場合、楽しくて仕方ない時は 躁状態でした
自分は楽しくても周囲に迷惑かけてました。
それにミスが多かったです
だから、少し低い方が 私の場合は 丁度良いようです
レスありがとうございます。
最近は、元奥さんにメールしてもシカト。元働いていたところの店長にラインしてもシカトと、シカト続きだったので、自分がおかしくなってきたのかな?と、疑っているところでした。少ない友達からも連絡が来なくなって久しいです。でも、これは、自分が変わり始めているサインか?等と勝手に解釈しています。
お金にものすごく拘って生きてる訳でもないのですが、もちろんあればスゴくうれしいですが(笑)
今回のバイトは労働力を提供してその対価としてお金を頂くということしか、行く意味を見出だせないので、そうしてます。
また、ダラダラと雑談を書いてしまいました。
でもまぁ、雑談掲示板なので、お許しを(笑)
レスありがとうございました。
天気の悪い日が続きますが、悪いなりにやっていきたいものです。
私は、幼少期から中学1年まで3階建の鉄筋アパートの1階に住んでいた。
1階といっても、5段ぐらいの階段を上って、玄関がある。
今でも人が住んで残っていて、最近確認したら、階段はコンクリートであるが、角が滑り止めのようなタイルを施しており、丸みがある。
とがっていなかったのが幸いした。
家の中で暴行を受けた後、引きずりだされ、1階の階段から投げ飛ばされた。
万引きとか、何か悪い事をして、暴行を受けたのなら分かるが、そのようなことは無く、一つだけ覚えているのは、弟と喧嘩して、覚えとけよと言った瞬間、ボコボコに殴られ、顔面血だるまになって、いつもならそのまま階段に投げ飛ばされるが、その時は、玄関まで引きずられたが、血だるまの子供を外で見られるのが、まずいと思ったのか、外に出されなかった。
もちろん、4歳下の弟と喧嘩と言っても、弟を殴るわけでもなく、文句を言うか、物の取り合い程度である。
外に出されている私を、2階に住むおばちゃんが見かねて、外まで降りてきてくれ、儀助ちゃんを家の中に入れてあげてと、玄関まで一緒に連れていってくれたことがある。
何度も、外に出されて、階段のところで投げ飛ばされると、要領もよくなり、玄関のところで、自分から飛び出たの覚えている。
何回ぐらい殴られた後、外に出されたかは覚えてないが、少なくとも5回以上はあると思う。
こちらのタイの動画では、勉強しろと会話と蹴られる間隔があり、最後は持ち上げて床に落とされ、本を投げつけられるが、私の場合は、あっという間にボコボコに殴られ、頭部や顔を容赦なく平手で手加減なく殴り、手で、顔を防御していたら、その隙間を狙って殴られていたのは覚えている。
幸い自分は、よく外で遊び、足も速く、市内の小学校対抗リレーにも選ばれたり、運動神経も良かったので、投げ飛ばされても受け身ができて、大けがをしなかったのだと思う。
おそらく、タイの子供よりも、私のほうが、もっと酷かったと思う。
↓
http://re-file.com/44/585/
やはりこのような動画を観ると、幼少期の脳が未熟な時期に虐待を受けるる、友田明美著 虐待が脳を変えるに書かれているように、些細なストレスで、大量のストレスホルモン(コルチゾール等)を分泌する脳に変わり、それがうつや不安障害の原因になるというのも納得できる。
神経症の不安は、生まれつきの神経質性格からくるもので、嫌なことを嫌で無くしようと、凄い精神葛藤から不安が増幅されたもので、虐待からくる不安とは違う。
こんな扱いを受けた子供は、それこそ脳の仕組みを変えなければ生き伸びる事が出来ないだろうと腑に落ちました
私の母は継母から虐待を受けた人でした。その程度がどのくらいのものかは分からないのですが。
私は母の不安定や混乱 猜疑心の強さを軽蔑していました。
でも、母の有り様は無理の無い事だったのですね
そして、儀助さんは、これだけの事を乗り越えて生きておられるのですね・・
虐待を与える人間を心の底から憎みます
まずは僕のことなのですが、子供時代周囲は社宅だらけで、同年代の遊び相手が沢山いました。
小学校時代の出来事です。 私の両親は共働きでした。
友達の家へ遅くまでいたら、友達の父親が仕事帰りにタコ焼きを買って帰宅したとき、一緒に食べさせてくれた。
友達の親とキャッチボールをしたり、バトミントンをした。
おそらく、運動会の代休の月曜日に、友達と遊んでいたら、昼ごはんを食べさせてくれ、食事の雰囲気を経験した。(白ご飯に薄切りハムを醤油につけて食べたのが、凄く美味しかったのを覚えている)
友達の家で、たまたま、友達の父親が家にいて、町内会のソフトボールはどこを守るんやとか、野球の事を話しかけられた。
夏休みは祖父母の家へ預けられ、いとこと遊んでいた。(普通のいとこの家の雰囲気を経験した)
当時珍しかった、友達の自家用車で遊びに連れて行ってくれ、友達の両親の雰囲気を経験した。
以上のような、普通の出来事が、私の家では全くなかった。
自分でも、小学生の頃、自宅の雰囲気は何かいつもピリピリ緊張していておかしいと感じていた。
小学生の頃、いくらか、他人の家で普通の雰囲気を経験していたので、30歳を過ぎて、森田療法で神経症が良くなった人から精神的にお世話になり、少しずつ歪んだ人格が、大分是正されたのではと思っています。
まるこさんの母親が、15歳、16歳頃に継母から虐待を受けたならそれほど影響はなかったと思いますが、小学1年生のような、明らかに体格で劣る時期であれば、かなり影響を受けていたと思います。
どうしても、自分が受けた虐待の言動を、今度は自分が周囲の人にするようになりますが、ここのところは、今度は生まれつきの性格で度合いが変わってきます。
相手の気持ちが汲み取ることができたり、これ以上攻撃するとやり過ぎだとか感じ取る事ができる生まれつきの性格であれば、攻撃的言動や相手の悪口などをほどほどで止めます。
まるこさんの母親に少し救いがあるのは、虐待をしたのが、実母ではなく継母であることで、いくらか冷静に、客観的に観れる余地があったと思います。
虐待の影響で、母の不安定や混乱 猜疑心の強さが強く出ていると腑におちれば、まるこさん自身が、母親に精神的に振り回されることが、いくらかは減ってくると思います。
母は余り自分の生い立ちを話したがらなかったのですが、
小学校低学年から、帰宅すると継母から水をかけられたとか、食べるものがなくて、畑の芋を掘って食べたなどと漏らした事があります
又 その継母も鉄道自殺遂げています
ごめんなさい
朝食なので、一旦失礼します
その原因として、母の父の存在があります。
私の祖父です
祖父は意思が弱く、女にだらしがなくて、子供を放っておいて、外で女と暮らす人だったようです
こうして整理していくと、母が両親共から保護される事がなかったのだと分かります
只、母が二才の時に亡くなった実母に愛された事実が、わずかに母の救いに…なっていたのかもしれません
親の愛情を知らない母は、家庭の作り方や子供の愛しかたも分からなかったのかもしれません。
私の家もピリピリと緊張で張りつめた雰囲気でした
私は、嫁いで、夫の親や兄弟との関わり方を見て、自分の実家との違いをつくづくと感じました
何時間も楽しくおしゃべりしたり、遠慮なく本音を出しあったり、トランプをしてたのしんだり・・
書いて居る内に、少し辛くなってきました
又、元気のある時に、ゆっくり考えてみます
失礼しました
りささん、みなさん、こんばんは。
アプリを使って写真を圧縮してみました。
出来てるかな?
ドキドキです^^
遊びながら、また一つ賢くなれました。
それではおやすみなさい
りささんのハムスターは長毛ですね。 珍しいですね。
前のタイトル、「美味しそう(チョコが)」というのは、「ハムスターが美味しそうなのではないよ」というギャグです。 ギャグはテンション高すぎると、滑りますね。
子供の頃、自分だけで受けてて誰も笑っていないという事が時々ありました。
懐かしいです。
もはやギャグなのか、判別できません。
ハイ、落ち着きます。