私にとって【一日を生きる】という事は登山だと思います。
目の前にそびえる大きく高い山を一歩一歩踏みしめながらゆっくりと登っていく。
休憩しては、登って。をゆっくりと繰り返して。
何度立ち止まっても、頂上にはきっと自分にとって新しい未知の発見があると信じて。
この掲示板に投稿されているすべての方々を改めて尊敬します。
物事には妥協という事も必要だと思いますが、どんなに辛く苦しくても、どれだけ過酷な状況であろうともその先の未来を見据えて力強く日々を生きているからです。
生きる事に的確な目的など無いと思いますが、
10分後に見つかるかもしれない、1時間後に見つかるかもしれない。と私は信じて今を生きています。
明日は体調が良くなるかもしれない。
明日は雨かもしれないけど、晴れるかもしれない。
美味しいラーメン屋さんが見つかるかもしれない。
ケンカしていた人と仲直りが出来るかもしれない。
接客したお客様から【ありがとう】と言われるかもしれない。
会いたかったあの人に会えるかもしれない。
どれだけ小さく些細な事でも諦めないでいる事が最重要だと信じて。
皆さんの心に光が絶えないよう願っています。
ゆうさんみたいに文章を組み立てるのが苦手なので単刀直入に。
この投稿をみて、得意の直感で音楽が響いてきました。
音楽の押し売りかつです(苦笑)。
なにも感じなかったらスルーでいいですよ。
ほんと、気を使わなくていいですからね。
山でなく海です。少しピントも外れてますかね。
Keep On Sailin' https://www.youtube.com/watch?v=1XmkVACs_R0"" target='_blank'>https://www.youtube.com/watch?v=1XmkVACs_R0" target='_blank'>https://www.youtube.com/watch?v=1XmkVACs_R0</a>" target='_blank'>https://www.youtube.com/watch?v=1XmkVACs_R0</a>
みんな病気とただ生きるだけで、毎日がバトルのようで、ほんと辛い時はとくに、果てしなく急な山を登っているようですよね。
j
でもゆうさんがおっしゃるように、ら美味しいラーメンとか、私にとってはなとくに仲間との笑うことの出る一時とか、小さい幸せを見失いで拾い上げながら、着々と大きい目標に向かって行きたいですね。
その大きい目標そのものが内向きにならないで、心の光が最後まで耐えないように生きていけることかもしれないですね。
自己否定 に陥りやすい私たちにはとくに困難な目標ですが、それほど辛い登山だからこそ、小さい幸せも、おたがいの中の輝きも噛みしめる大事さを覚える機会を与えてくれるのかもしれませんね。
いい記事ありがとうごいます。今までの僕の人生を振り返って、ここに書かれていることは強く身にしみてきます。
僕は「頑張る」という言葉は嫌いではありません。今まで治療の過程で「…を頑張ります」なんて言ったことは何回でもあるのです。しかし、頑張りますといって長続きしないのがこの障害の悲しい現実です。
現に…
通院している病院の精神科リワークに、退院後の昨年6月から通っています。少しおかしな症状が残りながらも、毎日頑張って通っていれば何とかなって、年明けくらいには次の道が見えるだろうと考えていました。しかし、現実は甘くなく、昨年9月の5連休のあたりから具合が悪くなって、長期の離脱となりました。今年の2月から少しずつ戻り始めましたが、以前のような全部の日には行ってません。
つまるところ…。
僕は自分の障害が何たるかについて、わかっていなかったわけです。頑張りますと同時に車は走り出し、止まることがないのです。ブレーキもありません。壊れるか、ガス欠にならないと止まらないのです。自分が働いていた職場ならまだしも、治療する場の病院でこの失敗ですから、ショックが大きかったです。
そんな中でもいろいろ考えていて、僕は「1日頑張る」でなく「1日生きる」にしたんです。頑張ると言ったら暴走車にしかならないので、ゆうさんのいうように登山でもいいのでゆっくりと、周りに左右されすぎずにたんたんと生きようと考えました。
次のステップに向けて、仲間と交流するきっかけも持てました。りささんの返事の中にもあるように小さい幸せを大切にしながら生きていきたいです。
JYA
連続投稿でごめんなさいね…。今日いつもの散歩をしていて、「1日を生きることは登山だ」ということについて、ふと思ったことがあるので、書き込みしますね…。
ゆうさんのとらえている感覚とは、少し違うかもしれませんが、よければ聞いてくださいね。他の方からも意見を聞いてみたいです。
登山はゆっくり休みながら、昇っていくのは確かです。そうしないと体力が持ちません。ところが僕たちのような障害を抱えているものは、目の前にある壮大な山を見て異様に興奮し、小走りに上り始めます。どこかで休憩するならまだしもそれなしでなお上り続けるため、どこかで疲れ果てリタイアになるのです。僕の人生がそうでしたから…。1回のリタイアならまだしも何回リタイアしたか…。
だから、僕たちは走って登りたいと思っても、そこはぐっと気持ちをこらえ、絶対に歩かないとだめなのです。低い山でも同じです。途中で休みも必要です。そこにはいろいろないいことが待っているかもしれません。僕が最近思ったのは、休みに時にこのような交流などをして、自分を見つめる必要があるのでしょう。いわゆる人生の勉強です。一人で考えることもできるのでしょうが、少なくとも僕は不可能です。
また、頂上は見えているんだけどたどり着けないように思うんです。なぜなら、人は生きている限りゴールはないと思うからです。ゴールがないということは、障害との付き合い方について絶えず学ばないといけないということだと思うんですね…。学び続ける限り、「自分にとって新しい未知の発見」がどんどん出てくるんだろうと思います。
たくさん話してしまいました。ごめんなさい。みなさんは「1日を生きることは登山だ」という感覚、どう感じておられるでしょうか…。
JYA
おはようございます 今朝も霧雨のような天気のなか、歩いてきました。さて…
今日は朝からブルーです。朝の支度をしていて…
朝ごはんは自分で準備します。トースト、ヨーグルト、サラダ、健康ジュースと目新しいものはありません。
それぞれに入れる皿を決めています。しかし、今日はトーストのせる皿にサラダを入れてしまったり、ヨーグルトを食べるのにスプーンでなくはしを入れたりといつものような混乱ぶりです。寝ぼけているつもりはないんですけどね…。
ここまでならよくあることなのでいいのですが…。ショックなのは次です。
朝ごはんのあと、主治医から進められている睡眠日誌をつけ、薬を飲みます。ところがいつもなら何でもない日誌の記入で大混乱。マーカーの印をあべこべにつけるなどして、貼りなおす始末に…。
さらに薬を飲もうとしたら、「あれっ、マグビット(下剤)が一つ残っている」。1回につき2つずつ飲んでいるので、あまるわけがないのに…。そう…。昨日の夜に無意識のうちに一つしか飲んでいなかったのです。薬のまちがい、こわいね〜。夜だから頭はさえているはずなのに…。
こんなわけで、無意識のうちに起こしている混乱ぶりが、僕の大きなネックです。障害からくるものなのかはわからないんですが、つらいですね…。仕事なんて自信持ってできない。
先は長いですね。
とにかく、今日も1日生きます。
JYA
そうゆう頭がちぐはぐ状態になっちゃうの、とても分かります。現に私も今そうなので(^^;)
今は入院してて管理しなきゃいけないベッド周りのスペースがとても小さいのにも関わらず、歯をみがこうとしたら鉛筆と歯ブラシを間違えたり、
そうゆう記入するものもほんと混乱しちゃいますよね。毎日体温を測って紙に書かないといけないのですが、今度は鉛筆じゃなくて体温計でメモろうとしたり・・・
あとはよくあるボケの症状っぽい、何かやろうと立ち上がっても、あれ?何しようと思ったんだっけ?って。
薬の副作用もあるかと思いますが、基本は頭が疲れているんでしょうね。
JYAさんもお暇がある時、何もかまわずぼーっと頭と心をチャージできる時間が作れること願っています。
ほんとに、一日ずつ、がんばりましょう!ではでは^^
りさ
お茶を入れるのに、ポットに急須のはずが湯呑を近づけたり、倉庫の鍵穴に玄関のカギを突っ込んだりなどなど、数え切れないほどのちぐはぐだらけです。
今日はDrの診察の日だったので、今日は朝からトラブルだらけでブルーだと話したらね、こんなやり取りになったんです。
J:究極の目標は仕事ができるようになることだけど、こんだけトラブルが続くと、自信なんて持てませんわ〜。
Dr:この症状は抑うつからくる部分もあるから、いろんな活動をしてリハビリするのが有効ですね。例えば、短時間のバイトをしてみるとか…。
J:ただでさえ躁うつでトラブルを起こしてきたものに仕事なんて、ハードルが高すぎますわ〜。(ハードルというより壁ですな〜)
Dr:この先こうしていきたい、けど不安な部分があるという天秤状態のところまで持ってこられたわけですから、順調ですよ。
という感じ。
順調だといってもらえるのはありがたいけど、本当に大丈夫なのかな。他にもまだ課題はあるのに…。さてどうなることやら…。
付け加えて、同じ障害に悩む人と交流を持つことにしたとも伝えました。DrはOKと言ってくれたので、気兼ねなく交流できます。あ〜うれしい。
JYA
JYAさん、
先生がおっしゃるように、そうゆうちぐはぐは抑うつのサインというか、要するに頭が疲れているんですよね。私も医者に言われました。
でもそれが天秤状態っていうのは、新しい観点ですね。そこは踏ん張っていれば、なにか切り開かれるのかな。
もしかして今の不安定さに頭を悩まさないでじっと休んでいれば頭も晴れてきるってことかな。
私はぼーっとしていると自分のちぐはくとかを心配しちゃってもやもやするので、絵とか手を動かしながら無心になれる作業をほんと何も考えずにやっておこうかなと思っています、とりあえず。入院中だから特殊な環境でのことですがw
同病者との交流は私の一番の交流です。JYAさんにとっても何かいいことにつながればいいなと願っています^^
りさ
現に毎日の生活のなかで起こることですから、すべてを気にするなといっても無理があると思うんですね…。昨日の今日でちぐはぐだらけですしね…。
でもね…。昨日のりささんの返事を見て、一晩考えていたんです。実はこのトラブルは僕にしか起こってないことだから、もうどうにもならんだろうと考えていたんです。しかし、りささんも苦労していることがわかったので、少し安心したんです。自分だけじゃないんだと…。ですから、ゆっくりかもしれないけど光は見えると信じて進んでいきたいなと思います。
何も考えずに作業をするのはいいかもしれませんね。リワークで創作活動しているときなんて、すぐに時間がたちます。何も気にならないというか…。隣で話し声がしていてもね…。
このサイトに書き込みする時も他のことが気になりません。この交流、楽しいし充実してます。
JYA
はじめまして。私は両親と実家暮らし、三十代女性、統合失調症型の躁鬱病患者です。やっと風邪から来た統失、躁鬱の症状からフラットに戻りました。夜中のパニックで父親には迷惑を掛け、母親は鬱になり入院ギリギリまで追い詰められました。残ったのはストレスと不眠、過食からくる体重増加です。かかりつけの病院までは車で一時間以上かかり、将来持ち家を手放さなくてはならないかもしれません。友達兄弟とは絶縁状態です。いつも思うのですが、みなさんはフラットな状態の時どう過ごされていますか?私はただ起きてぼーっとして、以前趣味だった読書も出来ずに母親の顔色を伺ってばかりいます。集中力もなく、何もできません。車の運転が出来ないため、引きこもり状態です。障害年金は二級です。将来の不安ばかり先立って、生きがいの見いだせない辛い暇が続く毎日です。
香凛さん、JYAさん
初めまして。ここの管理人をしています、りさと言います。
生きがいとは、というのは、誰だって疑問に持つことだけど、私たちにとっては、毎日を生き抜くために、本当にちょっとでもつかみとりたい、切実なことですよね。
香凛さん、
私も状態がわりう時は、夜中にひどいパニックになって、母がつきっきりでないと、不安でぶり返してしまったので、親も精神的にとても追い詰めてしまったと感じています。
状態が一番悪いときはその悪さの渦中にいて考える暇もないですが、
いざ「フラット」になると、悪いときに迷惑をかけてしまった人のことへの罪悪感、自分の言動への後悔を振り返る冷静さがあって、それもそれで向き合うのがつらいです。
なので、生き甲斐というか分かりませんが、私は自己否定に陥らず、今の自分を認めてあげて毎日を過ごすことを努めています。
もっと具体的に、嫌な思考から気を紛らわすのに、テレビとかパソコンをいじるとかありますが、今はわりと動ける方なので、絵を描いています。(さっき描いたの添付しました笑)
もっと積極的に生き甲斐を貫けるようになりたいけど、とりあえず病気を抱えながら自分を嫌いにならず生きているだけでよしとしています笑
どうかおたがいですが、お大事になさってください。
JYAさん、
もしよかったら、上記の投稿された(記事No.25171)をこちらのスレッドに移動しますが、いかがでしょう?
ほんとに、JYAさんがおっしゃるように、毎日をゆっくりと生きること、ですよね。何かこの病気から得ることがあるとすれば、そうゆうゆとりをもった心構えかもしれません。
ウオーキング毎日3時間とは、すごいですね!
私も見習いたいな。一歩づつでも^○^
りさ
今も2回目のウォーキングから帰ったところです。少し汗が出ますね。最近は波がおだやかですので、ウォークして、テレビ見て、新聞見てなど、他の人から見たらとりとめのないことをしています。ひどかったときは文字を読んでも頭に入ってこないんですよね…。理解するのに1000倍くらいエネルギー使ってる感じでしたね。それでいて読み終わって、忘れていることがたくさんあって…。もう何してるかわかりませんね。でも、最近は頭に入ってくるようになったので、少しばかり生活が楽しいです。
自分を嫌いにならずですね…。僕も自分が好きになれないことがよくあります。自分が好きになれないゆえに、してはいけないことに手を出してしまったこともありますから…。すぐにはうまくいかないでしょうが、ひとまず今日も1日行きます。
JYA
JYAさん、こんにちは。
はじめまして。
りささん、疲れさま(レスなしで)。
ウォーキング凄いですね。会社のかたがたに禁煙とウォーキングさんざすすめられましたが無視でした(笑)。
自分を好きにになるとのこと、ぼくのバイブル「角礼寿先生の心が浄化する魔法の言葉」の1P、2Pに「どんな自分も好きでいる」書いています。
是非、参考にしてみてください。
いい本ですよ。
こちらでは、ミスチルをチョイスしました。
https://www.youtube.com/watch?v=_B09-nM3knE"" target='_blank'>https://www.youtube.com/watch?v=_B09-nM3knE" target='_blank'>https://www.youtube.com/watch?v=_B09-nM3knE</a>" target='_blank'>https://www.youtube.com/watch?v=_B09-nM3knE</a>
りささんへ 午後になってサイトにあるアートを見ました。世の中には素晴らしい絵がたくさんありますが、必ずしも心にスーツとは入ってこないですね。でもりささんの絵は、スーッと心に入ってきました。違和感がないんだよねえ。ずっと見ていても苦にならないです。僕は通院の際に精神科リワークで、ちぎり絵をしています。自分なりの案はあるんだけど、うまくいくかな…。練習ですね。 JYA
そうですか、ありがとうございます。
物理的に困難でなければ、オフ会に参加してみたらどうでしょう。
あとは、ある程度就労がつぎのステップとして考えられそうでしたら、ハローワークのトータルサポーターのかたとの面談で方向性を決めていくというのもありだと思います。
ぼくがお世話になっているのはPSWの資格があり、普段は病院に勤務をしているかたです。窓口とは違ってカウンセリング色がつよいですね。
ご紹介した本にこう書いてありますよ。
相談するひとを選ぶ
自分のやろうとしていることをすでに成し遂げている人
自分の心を受け止めてくれる専門家
友だちいわく、図書館もあるらしいです。
その彼がへこんでるときに紹介してくれました。
試練は必ず訪れると
つづきはおたのしみに。
アドバイスをありがとう。オフ会、楽しそう…。でも、関西に住んでいるので、どうなのでしょう…。遠出してでも出てくる方っていらっしゃるのかな…。
先ほど書いたように病院のリワークで自己分析(これまでの自分を振り返る)をしました。プレンゼンテーションだったので、参加者の前で発表したんですけどね。(今思うとよくできたな〜と思ってます)
これからしばらくは、障害との付き合い方を学ぶ段階になりそうです。就職などはその後ということで…。
いろいろ教えてほしいですね…。
JYA
本には書いてありませんが
相談するひとの追加です
同病者の仲間とのつきあい この会で知り合いました
いつも助けてもらってばかり
ほんとうに理解ある友だち 同じくこの会で『親友』です
お互い助け合ったり
横レス、すみませんでした。
生きがいですか・・・
ひとそれぞれですよね。
ぼくはいつもそう問われると「ひととの交流、そして仕事を通して成長していくこと」と答えています。幸いにしてぼくにはこことカラオケサークルと就労移行支援事業所の3ヵ所があります。いま足りないのは仕事だけです。
やはり生きがいって、仲間だと思うんですよね。
あくまでも主観ですが。
香凛さんの、ご家庭環境の事情はよくわかりませんし、ピント外れかもしれません。不快に思われたとしたら、申し訳ありません。でも、1度地域活動支援センターに相談されてはという感じがします。同じような境遇の仲間が見つかるかもしれません。
@関西ウエーブの会は現在休止中です。
A関東ウエーブの会には、ごく数人ですが関西や九州からの方々が参加してくださっています。
次回のオフ会につては「関東ウェーブの会主催の第21回オフ会を3月26日(土)におこないます」をご参考ください。
返事遅れてごめんなさい。
本当に、人には簡単に思えるようなことだけど、同病者だからこそ、私JYAさんのウオーキングなどルーティンをこなされていることがほんとすごいって分かります。
うつでほんと何もできない、あるいは躁で自分の生活をコントロールできないのを経験したあとだと、ひきこまらないで天気のいい日散歩できるとか、テレビでくだらないバラエティに集中できたとか、それだけでもすごい噛み締めたい幸せのように思えるから不思議です。
でも一進後退で、得た幸せはあせらずちょっとずつ噛み締めて、できなかった自分も受け入れてあげたいですね。
それで実は私今入院中で汗 トップ記事をこちらのレスとして移動させるのは、もう少しお時間いただけないでしょうか。私から言ったことなのに、申し訳ありません。
(絵を褒めてくださってありがとうございます!!多分な〜んにも考えないで描いているからスーッと入ってくるのかもです笑)
ではでは
りさ
こんばんは。入院中だったのですね。知らなくて、すみません。マイペースで生活してくださいね。
移動はいつでもいいですからね。いろいろ交流ができて、うれしいわ〜。
今日も歩きました。雨が降ったので少し暑かったですね…。あと、僕の場合、日中にすぐ眠くなりやすいんです。睡眠の質が悪いのか、困るんですよね。眠気覚ましで歩いているところもあるんですが、歩き終わって、いきなりあくびなんてしょっちゅうです。
今日は夕べめずらしく眠りがよかったんですけどね…。ところが朝1回目の歩きの後に、少し眠り込んで、さらに昼寝もどっぷり。朝起きるのに少しだるかったので、ちょっと頑張りすぎ?と思うことも…。これって、軽い躁からうつに入りかけてるのかな…。
僕の場合、普通の頑張りがいつの間にか躁に入ってトラブルになるので…。自分のコントロールって難しいですね。
今日夕方、少し自分の絵のことを考えてました。りささんのいうように何も考えないほういいかもしれませんね。自分の思いをストレートにっていうのが大切かな。
では…。
JYA
JYAさん、
日中眠いのとても分かります。
日内変動で、夕方の方が過ごしやすいのもあるのかもしれないですが、
あとは基本私たちは疲れやすいので、度々疲れがどっと来るのかもしれませんね。
私もなんか、軽躁と体が動かないってのが同時に来ることがあります。気持ちばっかり先走って、でも体がついていかなくて、ひーひー言いながら動いているというか笑
色々そうゆう症状と付き合うだけで疲れますね。
というか、JYAさんも絵を描かれてるんですか?是非こちらのアップして下さったら、観たいです!!
りさ
りささんへ
眠いのがコントロールできないのは本当につらいですよね…。絶えずうたた寝状態ですね。好きなテレビがかかっていても、コックリコックリとなってしまいます。
ひどいとね、散歩中にも眠りモードに入るんでよ。頭のてっぺんが上につられるようになって、意識が少し遠のくというか…。倒れて行方不明なんてなったら大変だわ…。
気持ちがハイになるのは気持ちがいいことなんだろうけど、どうも僕らには必ずしもいいことだけはなさそうですね…。何を楽しみにしたらいいのか、ちょっと困りますよね。
絵(ちぎり絵)のほうですが、今日、病院のリワークで完成させました。
ただ…。
初めての作品なので失敗が出たから、ちょっとだけ手直ししますね。それからアップします。(りささんのだけ見て、自分だけ見せないじゃ失礼なので)第2作のデザインももう考えています。
JYA
りささんへ
今日も歩いてきました。しかし、途中で雨が降ってきたので、ぬれてしまいました。天気予報もこれから先は雨だったので、今日は歩き納めですね…。さて…。
歩き終わった後に、作品の手直しを完成させました。
ちぎり絵の試作品なので、あまりぱっとしないかもしれません。かぼちゃとピーマンですが、ふつうにみられるものとは違って、色模様がバラバラです。均一の金太郎アメのような野菜だけが選ばれるのでなく、幅広い特徴を持ったものも選ばれれば…。私たちのような障害を持つ人間も、幅広く受け入れてもらえればと思います。
ちがいがあるほうが生きている感じがしませんか…。
次は第2作にかかります。僕はデザイン(グラデーションのような)が好きなので、それも取り入れたいです。
では…。
JYA
かつさんのはミニマリストで、おもしろいね。絵はその人の個性が出るから、不思議ですね。「五つの果実」もアップしてほしいなあ笑
JYAさん、
手の振るえ、大変ですね。
手の振るえがひどくても絵を描くのが好きな同病友達がいて、でも線がまっすぐじゃない方が、なんだか優しいタッチになって私とても好きです。
JYAさんのちぎり絵、とても好きです(*^^*)
なぜだかお野菜とかデザートをいっぱい食べて蝶々になれた「はらぺこ青虫」の絵を思い起こすなと思いました。
障害者も健常者もみんな中はカラフルなんですよね、でもその表面にに(たまねぎじゃないけどw)周りと合わせようと固くて地味な皮、つらい想いで黒く染まっちゃった皮とかになっちゃってきれいな中身が見えなくなっちゃうのかもですね。
その中でも私たちは個性がとくに変わってむき出しだからつらいともいえますよね。
このかぼちゃさんみたいに、とってもきれいなのに!素敵なテーマですね*^^
アップして下さってありがとうでした。第二作楽しみにしています。
りさ
かつさんへ
りささんの返事もあるように個性が出てますね。自分のおかれている現実と似ているようなところがあって、共感してしまいます。
次のステップに進んでいこうということなんでしょうけど、歩みだし方を間違えないようにということじゃないでしょうか。道具(刀)はいいものを持っていても、最初から勇ましく派手に振り回したら、後で持たないよと…。
自分の立ち位置に勝手に合わせた感じのところがあるので、ちがったらごめんなさいね…。
紹介いただいた本、図書館で取り寄せてもらえそうなので、手に入りしだい読みますね。
りささんへ
はらぺこ青虫ですか…。僕もうまく栄養を取り入れて、自分なりに立派な蝶になってみたいですね。
絵をほめていただいて、ありがとう。
手がふるえる同病者の方がいらっしゃるんですね…。自分だけじゃなかったんだ…。ふるえてもおもむくままに描いておられるんですね…。僕も見習います。現実を隠さないほうがいいんでしょうね。
第2作も気のおもむくままに作ってみます。
JYA
真田の六文銭 真田丸
吉川晃司VSTOKIO 宙船(そらふね)
https://www.youtube.com/watch?v=ZpeAcjOb_Og&list=RDNP_I4T_u4g4&index=12" target='_blank'>https://www.youtube.com/watch?v=ZpeAcjOb_Og&list=RDNP_I4T_u4g4&index=12
ブランコ、力作ですね…。僕にはまねはできません。デッサンとか水彩画が苦手なもので…。うまくなるコツはないかな…。
僕は僕で次の第2作を黙々とやりますね。作業が来週火曜日から。
では…。
JYA
ブランコ、力作ですね…。僕にはまねはできません。デッサンとか水彩画が苦手なもので…。うまくなるコツはないかな…。
僕は僕で次の第2作を黙々とやりますね。作業が来週火曜日から。
では…。
JYA
いつものようにサイトを開いて掲示板を見たら、自分がかかわった記事が一切ありません。
自分がいろいろと言い過ぎたのか、はたまた書き込んではいけない言葉を使ったか、相手を傷つけることを話してしまったか。相手の顔が見えない中でのやり取りですから、真意はわかりません。失礼な方法をとったのであれば、おわびします。
ただ…。言い訳がましくなりますが…。
このような障害を持っていますので、躁が入ってくると適切な間の取り方など対応がうまくできないようなのです。消された書き込みの中でもブレーキが効かないと書いたように、自分を制御できないのです。これがもとで仕事が続かなくなったのですが…。
治療して立て直すために始めたことなのに、もう愕然です。何をどうしていいかわからない。自分が嫌になってきます。
少しでもきっかけがほしい。
トラブルを起こしたとなれば、もう書き込みはしにくいですね…。本当は悩みを打ち明けて行きたいんですが…。悲しいです・
JYA
私も今消えているのを見て、びっくりしています。
不快な想いをさせてしまって、大変申し訳ありません。
スタッフ以外は他の人の記事を削除することはできないので、故意に削除されたことではないです。
せっかくウエーブを居場所のように感じで下さっていたところ、ほんと申し訳ありません。
入院中なので、やれることに限りがありますが、できるだけ復元してみますのでお時間いただければです。添付して下さった絵はまた再度投稿していただかないと、こちらで復元できないかもしれません。
改めてごめんなさい。
管理人 りさ
そんなことが起きていたんですね。機械にうとい僕は状況がわかりませんでした。怒りや失望など、いろいろな気持ちが渦巻いて、今日1日はここ最近にないくらいブルーになっていました。いろいろな疑いの目を持ったのは事実で、りささんを始め、僕に真摯にかかわってくださっている方々に謝りたいです。ごめんなさい。
ただ、今回の1件で分かったこともあります。
1つ目は、相手の都合や病状(りささんのように入院しているとか…)を考えないで、自分が出しゃばり過ぎていたんじゃないかということ。
みんな双極性障害で苦労しているんですから、冷静に考える訓練をしないといけないなと思っています。サイトでのやり取りですので難しい部分もありますね…。やはり顔を突き合わせるのが大切なんだなとも思っていました。
2つ目は、今回の件で怒りに任せた行動に出なかったことです。怒りのモードに入ってもブレーキが効かないことがあります。仕事をしていたころ、仲間の方に僕の心配から気遣いのアドバイスをしてもらっているにもかかわらず、「僕の気持ちがわかるか」と言ってけんかを売ってしまったことがあるんです。(それ以来、口もきけない関係になっています。)
今回はこれからもみなさんに助けてほしいんだという気持ちから、大変でしたけど我慢しました。少しだけ、自分で自分をほめられるかなと思いました。
とにかく、そこそこフラットの状態で、見た目は体は元気なように見えるのですが、いろいろな過去を背負っていますので、心はボロボロです。今回の1件でも、少しのことが大きな傷になってしまうのが現実です。(弱い自分がダメなんですが…)
これからもよろしく…。もし、体調が悪くて受け止めきれないなどがあれば、無理せず言ってくださいね。僕も人に対する対応のトレーニングになるので…。
復元はぼちぼちでいいですからね…。まず体を第一に。
では…。
JYA
JYAさんは掲示板を生き生きとしてくださって、とても繊細でお優しい方で、私もレスの内容考えるのに楽しいですし、書き過ぎかなとかは、全然気になさらないでくださいね。
むしろ、私たちは、かなり理解が得られない環境にずっといて、いきなり同病者と話して、感覚的理解を瞬時に、ツーカーに得られて、その分いっぱい話したいのは躁とかではなく、自然かと思います。
バーチャルの、文章だけの世界だと、確かに誤解を招きやすい面があるし、だからオフ会も大事にしていきたい次第ですが、
フォローし合って丁寧に話していけばいいかなと思ったりします。
スタッフの私が言うのも何ですが、スタッフと言っても当事者なので、余裕がない時とくにミスをしやすいです。でも、ミスを受けた相手の参加者の方も当事者ですから、とくにしんどい時は敏感に反応してしまう。でもああ同じ辛さを共有している仲間同士、一緒につながりが絶えさせないことを通して、支えあっていければと切に思います。もちろん、無理がない距離感で、ですが。
とにかく一日苦しい想いをされたJYAさん、ほんとごめんなさいでした。またお話し続けられたら幸いです。
りさ
余裕がない時にミスしやすいって、よくあるよね〜。僕は教師をしていたんですが、まだ仕事をしていた時、次から降りかかる仕事に頭が回らないことがよくありました。それこそ、次何やるんだっけてな感じで、しばらく茫然としていたり…。なので、やることが増えてきたらメモに書いて、終われば消していくってことをしてましたね。終わっても次のことができてくることが多いので、仕事がゼロにならないなんてしょっちゅうでした。
あと、人相手の仕事ですから、何かと過敏になってしまうんですね。子供の反応、保護者の反応、上司の反応などなど…。心に余裕があればどしっって構えられますが、反対にないと必要以上に心がすり減っていくんですね。
ミスすると他人よりも自分を責めることが多いので、できない自分に嫌気がさすことが多かったです。
これらのことを踏まえて、次のステップを考えないといけないですね。もちろん、いろいろな方の話をよく聞いて…。
では…
JYA
1979年の4月3日
これが私の誕生日。
この時にこの世に生を受けてから今年の2016年までたくさんの人生のレールを自分なりに走り続けてきた。
色々と悪い事もして、良い事もして。
たくさんの場所へ行って。
様々な人々との出会いを繰り返し、別れを告げて、又再び異なる出会いを繰り返す…。
それが例え偶然でも必然でも、私にとって会いたくない人だったり、悲しみにくれた出会いであろうとも。
どんな内容にしても【そこに自分自身が生きている証明】になりえると私は思う。
たくさん後悔の念はあり、悔やんでも失った時間が戻る訳は無いのだが、
それでも私自身にとっては一つ一つが大切な思い出だと感じる。
今でも思う事は、それをどんな形であっても頭から【忘れてしまう事】
たった一日で読んだ本の内容を覚えきれる訳が無い、人間なんだから【忘れる】事があるのは当たり前だとかそういう事では無く、
苦しい時に助けてくれた人々や、自分自身がその時に辛くても頑張って良い結果を出した事によって周囲の人々みんなが笑顔を見せてくれた事。
自分の未来に繋がる為の知識や自信の糧になるべき大切な過去の思い出を、その時無意識にせよポロッと忘れてどうしようもなく嘆く。
生まれてこの方それを何度繰り返してきた事か…。
自らの妙な障害のせいであろうとも自分自身の存在すら否定したくなり、そこから逃避したくなった時に人間の防衛反応の一種として【忘却】という方法を無意識に発動させてしまっているのだろうが、大切な思い出までも【忘却】しているなら自分が憎くて仕方ないと思う。
自己責任だと言ってしまえばそれで片付くやもしれないが、失ってはいけない事は。
【他者との交流】
そして
【自分を認めてあげる事】
人との会話は自らに知識と縁を与え、自らを信じ認める事によって落ち着いた精神力を与えると思う。
私自身まだ空回りで容量悪くこの領域では全くないが、
まだまだこの先の人生でたくさんの後悔の念は出るだろうが、いつまでも自分に言い聞かせながらしっかりとゆっくり踏みしめて歩こうと思う。
私の大切な人たちがこの先で心強く落ち着いた希望に満ちた未来で過ごせますように。
ゆうさんは、人として大切なことを大切になさり、また、これからもそうしたいと願っていらっしゃる。「他者との交流、自分を認めてあげること」どちらも必要なことで大事なこと、そして素晴らしいことだと私も思います。どこでなにをしていても、人として最も大切にしたいことを大切にしようっていう願いを持つ人の人生は決して不幸なものにはならないと思います。
ゆうさんには、何度も助けて頂きました。感謝しています。
ゆうさん独特の魅力があると思います。ゆうさんは、とってもとっても素敵な方ですよ。だからこれからもゆうさんでいてほしいです。
あずさ
御自分が辛い時にも関わらず、本当に毎回ていねいな返信を頂きまして感謝致します。
試用期間を過ぎてさらに覚えなければならない業務内容に困惑していた時に、貴方からの言葉を頂いて私の心に安らぎが一度戻ったようでした。
ありがとうございます。m(__)m
人それぞれの性格と個性、価値観、物事に対する捉え方に異なる認識など。
聖書にある禁断の果実を食べたアダムとイブのように、不純な意識が人間に芽生えなければ今頃は争いの無い毎日が平和の日常で溢れていたでしょう。
辛く嘆き悲しむ意識を人間が持った事により、表面上は確かに苦しく自らに憤りを感じる程の過酷な現実でしょう。
しかし、その辛く苦しい現実を背負う事により人間という生命は、より強く必要以上に成長できる何事も変えがたい自分自身の様々な無限の可能性を宿して、色々な事象に立ち向かっていける勇気を持てるんだと思います。
人間はたった一人だけでは成長できず、周囲の人々の協力と交流を持って自信をつけていける生命。
以前に読んだ本から得た言葉です。
あずささんが口にする言葉には力があり、相手の辛く苦しい意識を心で感じ取り、本当に幸福を掴んでもらいたいという大切な願いが込められているのでしょう。
多くの人々に支えられながら私が今を生きているのは当然の事実ですが、
貴方が願う祈りと、元気を込めたこの優しく力強い言葉によって支えられている事こそ絶大な真実でしょう。
共に支え合って生きましょう。
以前にも言いましたが我々は家族ですから。
ささやかですが、いつか一緒にお茶を飲みたいですね。(^_^)
掲示板ではお久しぶりなのに、一言になっちゃうけど、また落ち着いたら改めて挨拶させていただきますね。
最近、中途半端な躁なのか、混合なのか、抑うつなのか抑制なのか、カテゴライズする余裕もないです@@ ただただつらい。病的につらいのがほっといてくれない。
でもそれだけ客観視できているだけで、緩和されるものがあるだろうし、今んとこよしとしとこう!と思うことにしています。
写真はいただいたガーベラの花束がしおれてきたので、ボウルに浮かしてみたものです。
私のしおしおし出した心もかろうじてお水に浮かして、余裕が戻るまで維持できればです笑
りさ
しおれて来たお花を、こんな風に、水をはったお皿に浮かべてあげるって、素敵だなあって思いました。しおれているかもしれないけれど、この写真をみて、最初に出て来た言葉は「わあ〜きれい!」でした。
お花さんたち、「しおれた花なんてと言って、すぐに捨てたりしないでくれて、きれいなお皿にきれいなお水に浮かべてくれたあなたのこころ、嬉しかった。ありがとう。見守っていてくれてありがとう」って言っているように思いました。
りささんのおこころも、りささんに、「つらいのに、わたしを否定しないでくれてありがとう、よしとしてくれてありがとう」って感謝しているかもしれないって思いました。
こころがしおれだしてつらいこの時間も、お花といっしょに、優しい土にかえって行くのかもしれませんね。焦ることなく、やわらかく、あたたかく、雪が溶けていくように。
わけのわからない文章になってしまってごめんなさい。
どうか、くれぐれも、ご自分をいたわってあげてくださいね。
たくさんの愛が、りささんをやわらかく抱きしめていてくれますように。
あずさ
人生は何かを成し遂げるには短いけれど、何かを悩むには長すぎる。
私心だが「これ」は病気でなく、症状と捉えるのが楽だと考える。そして、治療するのではなく、改善を試みているのだ。
ただし、症状が、人生において不都合があるとか、その症状に対して自分が嫌だと思うのならば、という前提だ。
今や地球上の生き物で、人間に対抗できる生き物はいなくなったのではないか?カラスやゴキブリにたまにやられることはあっても、命を落とすことまではない。
地球の平和や、平穏や、秩序や、摂理を考えたときに、人間同士がどう生きていくかと言う問題だけが残っているのではないかと言う気がする。
今や、自然災害に対して、悲しむことはあっても、自然と刃物を持って戦う人はいない。雨の日に、傘もカッパもなく勝負に出る人もいない。
しかし、その人間そのものを見たときに、なんと様々な人がいて、様々な考え方があり、価値観があり、好悪があり、駆け引きがあり、嫌がらせがあり、喜怒哀楽がある。
しかし、我々の症状の「これ」は、事実、肉体的に精神的に苦しい。それを共有する、分かち合うことは、もちろん、個々の自由であるが、何が「改善」に当たるのかは、例えば自分自身の「性格」に悩むようなことと同義であると感じる。
だとすると、「これ」は他人事ではなく、病気でもなく、相談してもよいが、相談できることでもなく、自らが「決める」だけのことなのだ。
「つぶやき八助」である自分は、病気でも、障害でも、不便でも、迷惑でも、辛いことでも、面倒なことでも、症状でもなく、単に、複雑な人のDNAの一つの形態と割り切っているが、定期的に病院に通い、薬を処方してもらい、手帳も受け、自立支援も申請し、しかし、その薬の処方と言うのは、あまり、「これ」に効くものと一般的に言えるものとは言えない気がするが、止めるとやはり日常において問題となる可能性が高いことも事実である。
薬の副作用について若いころには心配したこともあったが、もう、30年近くのみ続けて、自分と同年代で、健康であった人も亡くなり始め、今更、死に方についてわがままを言える年代でもなくなったと思う。
以上つぶやき。
うつでほとんど横になっています。動けないと虚無感がありますね。でも、虚無感や無力感への免疫をつける練習をしているのかもしれません。
疲れがひどくて、灰になったようです。体は動けないのに、頭の中は、考えや言葉であふれてぐるぐるしてにぎやかです。こういう複雑な病気ってなろうとしてなれるものではないから、何か精神的成長のための発見でも出来て、それを社会に伝えることが出来たらとも思います。弱っている人の感受性はするどいのかもしれないです。
今年の目標に、これをする・・・みたいな立派なことはとても言えないです。何しろ、次の30分後の体調も予測できないので。今年も、「今このときを生きる練習」をしていきたいと思っています。
今年もよろしくお願い申し上げます。
かなり、お疲れのご様子です。
目標や、予定が立てられないってのもこの病気
の特性なんですよね・・・ですが、気づいたのですが
すでに、今このときを生きる練習というタイトルが
ついているし、人生は、全部ぶっちゃけ本番の
365日24時間なんですよね。
本当は、一番書きたかったことは、具合が悪くて疲れきっていて、ボロボロになっている中、もっと頑張れ的な雰囲気のことを言われてもっと疲れちゃったよってことでした。本当に疲れてしまいました。それでも、「今このときを生きる練習を続けたい」というのは、ほんとうです。
どうもご無沙汰しております。
相変わらずのきつい御様子お察しします。
やはり我々も地球上に存在するちっぽけだけど確かな生命の一つですから頭の中身がゴチャゴチャして自分を保ってはいられなくなるような存在なのは仕方ないやもしれないです。
みっしさんの言葉通りに【人生とは365日24時間ぶっつけ本番】ですね。
ビクッ!とされる方もいらっしゃるかと思います。
しかし、そのぶっつけ本番でなければ得られない大切なものもたくさんあるかと思います。
私はよく他の人から聞くのですが、
【見る。と、聞く。とは様々な面で違う。】
研修で学ぶ内容と、実際の現場では臨機応変に対応する事が多々ある事も、私が過去たくさん経験してきた様々な職で教わってきました。
その臨機応変さを自分の中で吸収して色んな場面でうまく使い回しが出来たらどんなに良いだろうとも思いますが、それが上手に出来なくて、努力して自らの内に消化するのが可能だからこそ我々は【人間】なんだと思います。
何かにおわれているような状況で自分を振るい立たせる時には必要だとも感じますが、予測出来ないと自らが認識している時点で、言葉によって自分を束縛しているのでは?とも私には思いました。
何分後かに【これをやる!】ではなくて【これを出来たらいいな。】という目標ではなく、夢という形で考えていくともう少し、自らの身にかかる重圧を解き放てるのではないでしょうか?
言葉には力が宿っています。
使いようによっては他者を傷つけて、自らをも破滅に導きかねないとんでもないもの。
しかし今の自分には何も出来ない。と認識している事で、ブレーキを踏んでそれ以上の負荷をかけずに
いる事が出来ているし、あずささん御自身のまだ見ぬ能力の一端を精神的成長の発見として捉えて、社会に伝えていきたいとの意思表示は、今では無くても今後必ずかたちとして形成されて今の世の役に立つべきものだと信じています。
たとえ鬱で寝たきりだとしても、ゆっくりとした御自身の呼吸やいつも様々な人の為に願ってくださっている祈り、聖書を熟読して身につけた豊かな知識は、今この時を生きる練習として。
いや、予測は出来ずとも、それ以上に今後もあずささん自身がこの時を何も出来なくても力一杯生きていきたい。という夢の原動力として貴方の内に一つ一つ徐々に根付いていく事でしょう。
言うなれば【生きていきたいという夢の為の力の貯金】をされていると私は感じます。
いつもうまく伝えにくくて申し訳ないのですが、心はいつも貴方と共にあると信じています。
無理をせずに時間を気にせずに過ごされて下さいね。(^O^)
過去の出来事は愚痴るのはいいですけど、愚痴りすぎると、空に向かってつばを吐くようなものですから、控えたほうがいいです。
うつは、軽度で37度、中等症で38度、重症で39度の熱が出たぐらい苦しいです。
うつだから出来ないとぐちって、歯だけでも磨けばいいのです。
根性でどうにかなるものでもありませんから。
うつが自然と回復した時点で少しづつ用事をすます。
すこしでも、生活を楽しむ。
あと加齢を補うための知恵と工夫が必要だとおもいます。
冷凍食品等の調査。
風邪を引かないための工夫。
僕は、優先順位をつけてできるときにやっておこうです。
うつでできなくなることが多いですから。
一秒一秒有意義に生きるなんて考えていたら神経がもたないですよね、実際。自分以外のいのちに、心を向けていられる時が少しでもあったら自分を好きでいられそうです。インフルエンザが流行っているそうです。みっしさんも、くれぐれもあったかくなさりお大切になさってくださいね。感謝。
>予測出来ないと自らが認識している時点で、言葉によって自分を束縛しているのでは?とも私には思いました。
何分後かに【これをやる!】ではなくて【これを出来たらいいな。】という目標ではなく、夢という形で考えていくともう少し、自らの身にかかる重圧を解き放てるのではないでしょうか?<
ゆうさんの、おっしゃる通りかもしれません。「30分後の体調が予測できないから予定が立てられない」というよなことをずーっと思って来ました。予測できないという認識で全ての扉が閉まっている感じでした。
でも、ゆうさんがおっしゃるように「予測できない」という言葉が自分を束縛していたかもしれないです。「今日、これが出来たらいいな」って思ってみます。そのほうが自分に優しいですよね。今夜は、やっとチーズオムレツが作れました(笑)。
有難うございます。ゆうさんも、どうかあたたかい物を食べて、ご自愛くださいね。くろちゃんにもよろしく。感謝。
>うつは、軽度で37度、中等症で38度、重症で39度の熱が出たぐらい苦しいです。<
面白いことをおっしゃいますね。感じが出ていますね。37度ぐらいの微熱だとだるい感じで、軽度のうつと重なりますし、39度だと起き上がれないので重度のうつと重なります。わかりやすいです。
>うつだから出来ないとぐちって、歯だけでも磨けばいいのです。<
本当にそうですね。洗顔と歯磨きだけは、毎日しています。
あと猫のごはんのことも。
>うつが自然と回復した時点で少しづつ用事をすます。
すこしでも、生活を楽しむ。<
「自然と回復した時点」というのは微妙なところをついていると思いました。重要ですね。無理やり回復させようとすると逆効果ですからね。そして「少しずつ」とか「少しでも」というのが何だかいいなあと思いました。うつって、本当に待つことの求められる病気ですね。
>冷凍食品等の調査。
風邪を引かないための工夫。<
なるほど・・・。私は、食欲に波があり、食事の準備もしたくないときがあるので、食べ物をあまり買い込みたくないです。その点、冷凍食品を上手く利用するのは良いですね。ちなみに冷凍食品の野菜は、旬の野菜を冷凍にしているので質が良いみたいですね。
>優先順位をつけてできるときにやっておこうです。
うつでできなくなることが多いですから。<
優先順位ですか・・・これは脳力を要しますね。儀助さんはなさっているのですね。凄いなあと思います。
雪がたくさん積もっている地域も多いので、儀助さん、運転にはくれぐれもお気をつけてくださいませ。深夜に洗車をなさるようなこともあるのでしょうか?あたたかくなさってお大切になさってくださいね。感謝。
スレ違いだたら すみません
私は薬剤からの遅発性ジスキネジアになってしまいました
痛みも伴い とてもつらいです
全然楽になっていません
おなし仲間のような方がいたら よければお話 苦しみ分かち合えたらよいなとおもっています
よろしくお願いします。
相談掲示板には間違い書き込みしました すみません
こちらに書き込みさせてもらいました。
美月さんのブログに遅発性ジスキネジアとはというタイトルがあります。
貼り付けいたします。
http://kimi18.blog47.fc2.com/blog-entry-230.html" target='_blank'>http://kimi18.blog47.fc2.com/blog-entry-230.html
僕はセロクエルで逆行性射精になりました。
ある方はセロクエルで筋肉の癒着が起こったと以前書き込みがありました。
抗精神薬の服用に関しては、注意が必要だと思います。
なおさんが1日も早く回復されるのをお祈りいたします。
ひとりで孤独をかんじています
同じかたがいらっしゃったら
返事いただけたら良いです
さぞ、お辛い事でしょう。
3年前にあるクスリの副作用でジストニアになり会社を数か月休みました。
正直、ジスキネジアとジストニアの関連性はわかりません。
恥ずかしながら知識不足です。お役にたてるかどうか。
もしよろしければメールでお話ししませんか?
辛いですよね。
私は、やはり薬の副作用で筋肉が硬縮癒着、そして今は、歩行困難になりました。
医師は、副作用をきちんと認めないし、とても悪い状況です。
こんな人もいると知って頂けたら。
ずっと、レスするか悩んでやっと書き込みました。
きっと、他にも悩んでいる人はいると思いますが、色々書けない事情があるのではないか?と思います。
私も、これでは歩けなくなると思うと不安と恐怖で大変ですから。
本当にどうしたら良いか困りますよね。
そして、かつさんは、ある薬が原因とありましたが薬を変更したのですか?
治ったと言う事なのですか?
教えて頂けたら幸いです。
私の場合は、ジストニアではないと思うのですが。
なおさんの、症状が分からないのであれこれ言えないのですが。
辛い気持ちは、分かるような気がします。
相変わらず大変なんですね。どうか諦めないでください。
クスリですが、躁状態に処方されました。ポピラーなクスリなので、クスリがなにかはひかえさせていただきます。
突然、体が曲りおばあさんのようになり歩行困難になりました。
整形外科でMRI、脳神経外科でもMRI、ともに異常がありませんでした。パーキンソン症候群の疑いを指摘され愕然としました。
ところが、ずっと通っている心療内科で主治医は心配もなくあるクスリの副作用で、抜けば2,3日で治ると言ったのです。
しかし、すぐには治りませんでした。
神経内科に受診もしましたが、ここでもパーキンソン症候群の疑いを指摘され、愕然としました。
その後、突然、腰がまっすぐになったのです。
参考になりました。
とても、嬉しいです。
なおさん、一人でじっと苦痛に耐えているのでしょうか?
全然適切な医療機関にいけてなく
症状を理解もらえなく
地獄のようなつらいです
対処できてません
周りの人からの理解はまるでない
苦しいこっさえ解ってもらえず
苦しめる言葉ばかり投げかけられます
はやく症状の苦痛とりたいです
田舎なもので 医療機関が高い所はかなり遠く 気力も体力ないです
つかれました
ながながすみません
不随意運動がひどいです
ひとりで苦しむのはつらいです
同じ方と話せたらいいなと思ったのですが..
精神科医が神経内科に紹介状をかいてくれません
ひてりぼっちはつらいです
だれかいませんか
つらいです
はやく とってほしい
明けましておめでとうございます!
去年は再び世間の荒波にもまれて生きる事の辛さを痛感し、私にとっての【出来ない事、出来る事】を明確にさせた一年であったと思いました。
同時に自分にとって【働く】という事がどういうものであるか、他の人との関わりを持って生きる事が、自分にどのような変化をもたらすのかを考えさせられた一年だったと思います。
今まではがむしゃらに生きてきた自分ですが、中身の不明瞭な【今が楽しければどうでもいいや。】のようないい加減と思しき生き方をしてきて、様々な罰じゃないと思うけど自分なりの苦しみを多少なりとも味わってきたのだと感じました。
自分が持つ精神障害による様々な葛藤に気付かず悩まされ、考えた末の結論を【お前には向かない。】との理由で両親から意見を覆されたり、与えられた仕事を要領良くこなせず、時間内に完遂できなかったり、やらなければいけない事・やらなくてもいい事の区別がつかずにやりすぎてしまって他人から批判されて信用を無くしてしまう事。
【単に被害妄想が強いだけだ。】【君自身の自己満足。】【難しく考え過ぎだ。】とそれだけで簡単に片づけられてしまう事もありました。
否定はしません、確かにその時、意見を仰いだ人の言う通りです。
そして私の考えだけで世の中を生きられる程、世間は甘くないのも事実です。
しかし、今の世の考えに沿って生きる事がすべてだとは思いません。
人はどんな状態や、形であろうとも、自分自身を認めてあげていたわる事が大切だと改めて感じさせられました。
同じ事を何度繰り返してもその時に気付く事の無かった、又気付く事が出来なかった事の大切さを再び認識出来た年であったと思います。
2016年は何事に対しても【継続】という言葉を旨にして自分なりに頑張っていこうと思います。
落ち着いて物事を見定めるという事、世の中の時間の流れに惑わされず【自分】の考えをしっかり持つ!という事。
今まで生きてきた中でのたくさんの経験と知識は、必ずこの先の未来で役に立つと信じて。
少しずつ、ゆっくりと歩いていきます。(^_^)
2016年も皆で良い年にしましょう。
私も、躁鬱の波に振り回されるのを少なくして、変化と継続のバランスをとっていきたいです。