

警察に逮捕された人が身近にいたらどう思いますから?
それは怖いですよね。




双極性障害 うつ病者 健常者とそれぞれ脳の違いがあることが分かりました。
興味のある方は参考にしてください。
↓
https://www.amed.go.jp/news/release_20171130-01.html


精一杯 (試聴) 加川良
これだけ今日は頑張りましたと 日は暮れてゆきます
これだけ今日も歩きましたと 僕は僕でひとりごと
ひとりごとばかり手のひらにのせて
あんたこれからどちらまで
そして私はあちらまで あんたも僕も精一杯
抜けられません この先は 戻れませんよ ここからじゃ
もう何にも聞きたくありません もう何にも言えません
上には上がありました そして僕は僕でしかなかったし
下には下がありました それでよかったとひとりごと
夕焼け空は何色でしょうと 首をかしげて見つめるよりも
眺めてみれば幸せでした あんたも僕も精一杯


ある候補者によれば、「日本は世界一の黒字国なのに、三百万人もの貧困児童が居るのは、金融システムが根本的に間違っているから」なのだそうです。
「自分の一票なんかじゃ、何も変わらない」と諦めることはもうやめましょう。
選挙は民意を反映させるいい機会です。
自分が「これだ!」と思う人、政党に一票を投じましょう。
期日前投票なら、比較的体調のいい日に、自分のペースで投票できます♪


口出し出来ないよ。
韓国の問題もあるけどね。


みなさん、こんばんは
鬱が来る瞬間ってどういうのですか?
私の場合、数日前から雲行きが怪しくなって、ある瞬間に鬱が自分に入った!と感じます。
お化けみたいなものが頭から体に入って、膝が崩れるように脱力するイメージです。
最新のはおととい夕方5時45分でした。


さっきまで楽しかったことがしらけた感じになって来て
夢から覚めたような がっかりしたような気分がやってきます
それから脱力ですかねぇ
高齢者となって、鬱の量が増えてます


私の場合は、何のまえぶれもなく
突然激鬱がきます。そんな時は頓服薬はきかず
クリニックに行ってお尻に注射うってもらいます。
ヘタレでした。


5月25日に、焼肉の支度をしていて、部屋を片付けて、ゴロっと横になり、野菜を切って横になりと、うつ病モードになっていると実感したのを覚えています。
それでも人前では、普通に接して、しんどいなと思いながら働いていて、徐々に下降してゆき、6月15日には仕事に行くのは無理と感じ、それから今も仕事を休んでいます。
6月25日には食器の片づけができなくなり、近くに住む年老いた母親に、食事や片づけをしてもらうようになり、どんどん重症化してゆき、7月5日にこちらの掲示板に書き込んだのを最後に、掲示板にも書き込めなくなり、7月12日までは最悪で、風呂には5日に1度、1時間30
分かけて入り、頭を洗って、床に横たわり、顔を洗って床に横たわりと、一度に体を洗えないからです。
うつの苦しさを例えたら、38度5分ぐらいの熱が出た苦しさと同じぐらいです。
今日もうつで苦しいですが、何とか掲示板に書き込もうかという気になり、書き込んでいます。
回復するときも徐々にです。
14年ぐらい、双極性障害者の人とオフ会等で何度も会い、掲示板で何度もやりとりするようになって、感じることは、一般的な本にも書いてあるような双極性障害者の方は、スイッチが入ったかのように、躁にもなったり、うつにもなったりする印象を受けます。
私の場合はうつから回復して、数か月後ぐらいに、じわりじわりとテンションが高くなって行く感じです。
また、私の場合は、常時、漠然とした不安が込み上げていて、夜トイレに起きて、その後寝ようとしても、漠然とした不安感で寝られず、1日5時間ぐらいの睡眠で、寝不足が数か月つづき、その後うつになっていく感じです。
この漠然とした不安感は、幼少期に虐待を受けた影響だと思います。


こんにちは
本当にそうですね。
言われてみると突然のと、猶予付きのがありました。
突然のはまさに、さっきまで楽しかったことがしらけた感じ、何の前ぶれもなく、です。
それだけでなく、活動してごろ、起きて活動してまたごろ、もあります。
義助さんの詳しい記憶か記録によると鬱がけっこう長いのでそろそろ抜けるといいですね。
来鬱のイメージや言葉を教えてもらったりして自分の中に多くもつと、耐性がつく気がします。
今も鬱が自分の中に居座っていて苦しいですが、仲間を思い、頓服を飲んでがんばります。


いきなりの自分の話でごめんなさいね
今日 墓参りに行ってきました
夫に従っていつも行くのだけれど、私 これが嫌で嫌でたまらなかったのだと思い出しました私はいわゆる長男の嫁で、姑の世話もし小姑とも
付き合わなければならなかったのだけれど
姑も小姑も大嫌いなのだとはっきり感じました
姑を見送って8年 もたっているのに、姑の呪縛から逃れられなかったのだ
それが私の強迫観念の正体のようです
辛い感情を見ないようにしていたのです
あっ、書いてしまいました
もう一度検討してみますね




私の話には脈絡がないですね
私の気付きは動画とは関係がないかもしれませんね
私はひーさまのように、婚家を飛び出す事もなく
この家で頑張って来たのだけれど、それはこの家が実家よりもずっと素晴らしい家庭だと思い込んでいたからなのです
口では、姑も小姑も大嫌いと いいながら、あんな酷い環境で育ってきた自分にはそう感じる資格がないと思っていました
自分の感情に自信が無くて、むしろ怖かったです
姑を見送って8年も経つのに姑の影に怯えていました
これはきっとトラウマと言うものなのでしょう
でも、ある時ふっと
姑はもう死んだんだ!夫の親戚とも冠婚葬祭さえ我慢すれば、もう会わなくていいんだ!私は自由なんだ と気づいたのです
それが動画を見ていた時でした
動画の何かの場面がきっかけになったのかもしれません
分かりづらい内容ですみません
読み流してくださいm(_ _)m


きっとご自分の中でなにかに気づかれたのだろうと思いました。
気づくということは諸刃の刃で、気づいたことによってその場に居づらくなってしまったり、関係が変わってしまったりするので、お返事することも慎重にしていました。
気づきはまるこさんの中で起こることなので、いいも悪いもなく、まるこさんにとって大切なものだと思います。だから、ここに書き込みたいことは、例え脈絡がなくても書いてもいいのだと思います。
私は読んでいますが、「それはこうだ」とか「こうした方がいい」とか言えません。 気づきが気づきを呼び、どんどん変化していくかもしれません。なので、自分の中から言葉が出てきた時だけ、お返事致したいと思います。
どうぞよろしくお願いします。


そうですね
脈絡が無くても書くことで気持ちが整理されて行く感じです
これから、どう変化していくか分かりませんし
何も変わらないかもしれません
こちらこそ、どうぞよろしくお願いします


https://youtu.be/NMA2mAsIJns
「統合失調症についてのドキュメンタリー」
これは相当以前にユーチューブで見つけて、ときどき見ては自分を勇気づけていました。


見ている内にはっと気づく事もありました
私の強迫観念の正体です
まだはっきりしないので、ここには書きませんが
有難うございました
躁の早とちりではないか
よく検討して見ます


まだ私の子供たちの小さかった頃に書いていた日記を、たまたま見つけて、読んでしまいました。
私の病状が1番酷かった頃の日記です。
元奥さんにもずいぶん苦労かけました。
今読むと、離婚して当然と思いました。
ちょっと前に元奥さんを通して、子供たちに会ってみたいとメールしました。子供たちの答えは、大人になってから考えるというものでした。確かにそういう気持ちは理解できました。
周りの人に辛い想いをさせてきた自分。今になって自分の、会いたいという気持ちだけで、子供たちの気持ちも考えずに、安易だったかもしれません。
いい加減なことも、ずいぶんしてきました。
今思うのは、元奥さん、子供たち、あなた達だけはどうか幸せに、という願いです。
自分と同じように、周りも辛かったということを、思い出させられました。
私は今、同居人とまぁ穏やかな生活を送らせてもらっています。バイトも始めたりして、いろいろ緊張や考えることも増えて、自分のことばかり考えていました。
でも、これは良かれ悪かれ、自分で選択してきた道なので、誰にも、ひょっとしたら病気にも、責任をなすりつけることは、できないのかもしれません。
今は、元奥さんと子供たちの幸せを願いながら、自分の幸せを見つけて行く事だと思います。
私は、失ってから気づくことがあまりにも多いです。
ふつうの人は失う前に気づくのかな。
同居人もこの微妙な心の動きは、話しても理解してもらえず、投稿してしまいました。
自分は、命も失ってから、その特別であったことに気づくのかもしれません。
そうならないように、日々感謝を忘れないようにはしたいです。今まで、できていなかったので。


みなさんも、幸せに。


私も娘の良い母親でありたいと願いながら、自分の病気のために随分と辛い思いをさせたと思います。
病気に溺れていた時もそれはそれで苦しいですが、仕事を始めるなどして少し病気から離れて冷静に考えられるようになると、そういう事実にも気づかなければならないので、新たな苦しみがやってきますよね。
でもそれが回復してきた証拠なのだと思います。(偉そうに聞こえたら済みません。自分にも当てはまります)
病気になったのは、つぼっちさんが100パーセント悪いわけではないと思います。生い立ちなどは自分で決められるものではありませんから。でも回復の責任はつぼっちさんにかかっています。ですが、焦らずじっくりなさるのがいいと思います。
お子様達も大人になったら考えてくれると仰っているので、それまでにつぼっちさんが仰るように自分自身が幸せになるように進んでいけば、お子様達にもきっと会えると思います。
何か偉そうな言い方になってしまい、済みません。
簡単にお返事させていただきました。


偉そうなんて、全然思いませんでした。
優しさと希望のあるレス、感謝いたします。
私の考える方向は間違っていないのかな?と確認もできました。
良くひーさまの投稿には、自分の責任を自分でとるというワードがでてきます。これは単に自己責任とかいう意味ではないように聞こえるのです。うまく言えませんが、責任をとれる事において、人は自由にやって良いという意味に読んでいました。間違っているでしょうか?もし良かったら、ひーさまの言う責任の意味について、もう少し深く知りたいです。とても大事な意味があるような気がするのです。


人っていろんな思い込みがありますよね? 例えば私だと、「パソコン買ってサポート(当時は有料でした)に入ったけれど、『えっ? そんな初歩的なこともわからないの?』と思われるかもしれないから、恥ずかしくて聞けない」というのがありました。その時にセラピストに「貴女はお客さんなんだから、何を聞いても大丈夫だし喜んで教えてくれるよ」と言われました。理屈はそうだけど今までの習慣があるから、最初は恐る恐る、「こんなことを聞いて本当に申し訳ないんですが、・・・」って電話して聞いていたのです。取扱説明書が難解で、友達も誰も居なかったので、そうする他はありませんでした。
最初はサポートの人と話すだけでグッタリで、「すいません、限界なのでここまででいいです」とか言ってました。 ここまで書いて気がついたのですが、私は周りに誰も居なくなってセラピストだけが頼りという時期が何年もあったのです。
だから、生き延びるために、セラピストが「〜してもいいんだよ」ということはやってきました。 またセラピー外の時間は自分だけが頼りなので、出来ないことは出来ませんが、他に止める人も居ませんし、思いついたことは全てやってきたのだと思います。
パソコン・サポートの話に戻ると、「自分はお客さんなんだから気にしないで聞きたいことを聞いていい」と思えた瞬間から、とても自由度が広がりました。 そんな生活をしていたから、「出来ること、やってみたいことは人に迷惑がかからなかったら、とりあ
えずやってみる。 恥ずかしいか恥ずかしくないかは人によるから、あまり考えない」ということが身についたのかもしれません。


何故、責任について聞いてみたいと思ったかというと、ひーさまの書かれていた、病気の回復の責任はつぼっちさんにかかっている、という意味が今一つ分からなかったからです。ひーさまの返信で思ったことは、勇気はいるけどやってみる自由。そこから生じる責任は自分で引き受ける。ひーさまの場合、セラピーだったのでしょうが、専門家の力を借りつつ、しかし自分の病気は自分で突き止めるという気持ち。それが、病気の回復の責任はつぼっちさんにかかっているという言葉の意味することだったのでしょうか?
鬱のドツボにはまっている時は、なかなか難しいことですが、じっくり焦らず取り組む価値のあることだと思いました。
ありがとうございました。
今、自分に理解できるのはこれくらいですが、じっくり取り組んで行ってみたいと思います。


「回復の責任はつぼっちさんにかかっています」の意味は、「自分で選べない生い立ちなどのせいでこんなに大変な病気になってしまっているというのに、回復するためには本人の努力が不可欠だなんて、理不尽だ。 でも頑張って」ぐらいの意味です^^
私ももう少し自分が何を言わんとしているか、きちんと伝えられるように努めます。


何だろうと考えてみると嫉妬のようです
何の嫉妬かというと、私がいい歳をして過去に囚われているのに比べお二人が進む方向を見いだしているという
事に対しての嫉妬です
私はこの感情と直面するのが辛くて、随分と遠回りをしたのだと思います
私の苦しみは
躁鬱や生い立ちのせいだけではない
この事実に、本当はうすうす気付いていました
でも
怖くて目を背けていました
自分の醜い感情に向き合わないから、自責の念に苦しんだ
子供たちの課題を子供達に託す事が出来なかった
ああ そうだったのか
つらいけれど とりあえず今は、この感情に向きあって見よう
そんな風に考えて、少し落ち着きました


そうなんですよー 夫は長男でね この時期は大変!
お墓掃除に、坊さんに挨拶、仏壇に花や鬼灯を飾って
だんご作って、果物や野菜を備えて、14日には
お坊さん お経をあげに我が家に来ます
ね!昭和初期の暮らしみたいでしょ!
(*^_^*)
鬼灯 可愛いですよ
赤い色は1年以上持ちます
お孫さんに見せたら、きっと 喜んでくれると思います


うちもお坊さんがお経をあげに来ていました。
月一回ぐらいと。盆と暮れに。
両親は共働きだったので、お坊さんが来る日は仏間に通じる扉は鍵が開けてあったのです。
二人とも般若心経だけは一生懸命に唱えていました。
うちの父は実母が5歳の時になくなり、その後にきた継母に虐められて性格がいびつになってしまいました。まるこさんのお母さんと似ていますね。
不幸自慢ではありませんが、実母が脚気で亡くなり母乳で育った三人の兄弟が乳児脚気で亡くなりました。父と伯母だけミルクで育ったそうです。今思ったけど、奇跡ですね。父も母乳で育てられていたら、父も私もこの世には居ませんでした。DV父だったけど、そう思うと、疎遠にしていますが大事にしてやらなくてはと思ったりします。
楽しかった思い出も実家にあります。
気づかせてくれて、ありがとうございます^^


前向きで明るいひーさまにもいろんなことあったのですね
私の母とお父様は似ていますね
私は母が嫌いでしたが、今は母の気持ちがわかるような気がします
悲しくて、淋しくて、苦しくて、だけれどどうすればいいのかわからなくて・・
私も苦しかったけれど、母はもっと苦しかったのだと思います
そう言えば、七夕の季節には必ず、大きな笹に一杯飾りを付けてくれましたっけ
母はやはり、幸福な家庭を夢見ていたのですね
お盆には母のことも思い出してやりたいです
ひーさま、声をかけて下さってこちらこそ有難う
私は鬱の長いたちで、家に居る事が多いです
こうして、お話が出来る事ありがたいです


私が躁鬱と診断されたのは10年前 発症したのは30年前でした
20年もの間 混乱の子育てでした。私も苦しかったけれど、子供達はもっと もっと辛い毎日だった事でしょう
今でも、子供への申しわけなさと自責の念が私を苦しめます
親に愛された子供は人に対する信頼感を持つ事が出来るという文章を読めば、消えてしまいたい思いになります
私は自分が生きるだけで 精一杯でした
死にたいけれど死なない
毎日、ご飯を作って洗濯をする。これだけはしよう!
そう思って生きて来ました
子供たちは、私の混乱の影響を受けています
私は躁鬱の他に 実母との関係の悪さから、子育てに対して強迫観念も持っていたのですから尚更です
それでも、いい母親になりたいという思いは強くありました。思いだけが上滑りしていました
娘とは行き来がありますが、息子からは音沙汰がありません
今の自分に何が出来るだろう
私も死ぬまでこの疑問を持ち続ける事になると思います


辛い経験を思い出させてしまいました。文章にして投稿するのは、さらに辛かったと思います。
何度も読み返しました。
同病者として、また親として、まるこさんが今抱えているであろう懺悔の気持ちはとてもとてもわかります。
自分の事で精一杯。その感覚はなったものしか分からないと思います。自分の親と同じことをしてしまうかもしれない。自分が親にたいして思っていたように、子供たちも自分のことを原因に心に病を抱えてしまうかも知れないという思いが、おありかもしれません。私がそうです。間違っていたら、ごめんなさい。
私からは、こう考えなさい等とは、言えませんが、まるこさん、もう肩の荷を、重い重い肩の荷を、少しだけおろしても良いのではないでしょうか?
ご飯を作り洗濯をするのは、病状がひどい時にはとてもしんどい家事ですね。それをなさってきた。立派だと思います。
自分は17歳の時に、自覚しました。私には自信というものがないと。50歳近くになってもその課題は解決していません。私はその事で、両親や、育てた人たちを憎みました。今でも素直には考えられません。
でも、意味があってその親の所に生まれたとしたならば、その意味を見つけて、乗り越えて行くのは、その個人の課題だとも思います。
私のもとに生れてきた息子たちは、私の子供としての学びをする課題があるのではないか。それは親である私も介入することはできないのかもしれません。
彼らの問題なのかも。
冷たく聞こえますか?今私は自分に言い聞かせながら書いています。
こんな私なので、偉そうに言えませんが、まるこさんは精一杯やったと思います。
ひーさまも言っていたように、焦らずじっくり行きましょう。
この文章が、トンチンカンでないことを祈ります。


その言葉がどんなに私を救う事か・・
どうしてこんなにも、私の思いを言い当てているのかと感じるばかりです
肩の荷を降ろす そうですね 大きな手で頭を撫でてもらったような気持ちです
年を取ったせいか すぐに涙が出ます
ほっとします
分かって貰えた安心でしょうね
子供のこと、もう少し距離をおいてみてやりたいです
すぐにはできないかもしれないけれど、自分のことも許してやれるようになりたいです
焦らずじっくりですよね


お盆のお買い物が本格的なので、七夕と同じように小さい頃を思い出してしまいました。
実家も今もお盆は旧暦でやります。
でも母が鬼灯やお花を揃えて、お彼岸には団子を必ず作っていたので、それらを全部思い出しました。
いいものですね〜
私が鬼灯を買ったのは仏花に一本入っていた時ぐらいです。
私も今年は鬼灯を買ってみようと思います。
ありがとう、まるこさん^^