

孫のお祝い等でお忙しいところ、お尋ねしたいことがあります。
まずは私事なのですが、高校1年生の秋に強烈な不安障害を発症しました。
症状は極度の緊張と、不安で、些細なことで、物凄くドキドキ心臓が脈打ち、息をするたびに胃が痛く、そして過敏性腸症候群で下痢をするという症状です。
いわゆるストレスからの神経性下痢です。
些細な刺激で、下痢になっていました。
通学は、バスとJRを乗り継いで行くのですが、不安障害を発症してから、毎日のようにJRの駅か、学校について、下痢のためトイレに行っていました。
学校でも、昼までに下痢のためトイレに行き、1日2回はトイレに駆け込んでいました。
高校は男女共学で、授業中に我慢しきれずにトイレに行ったりで、それなりに恥ずかしい思いをしていました。
今はある程度は良くなりましたが、やはり些細な刺激で神経性下痢になることがあります。
わたくしの場合は四六時中不安、緊張が胃のあたりから込み上げている状態です。
幼少期の虐待が原因で、些細な刺激で、異常に不安と緊張が発症する脳に変質しているためだと思います。
それで、りささんの同窓会の記事のコメントにひーさまさんが以下のように書かれていました。
↓
私事ですが、先日孫の一歳の誕生祝いの席に出ました。
孫が一升餅を背負う姿が見たい半分、健常で有職のあちらのお母さんと顔を合わせるのがしんどかったです。 当日はトイレから出られなくなるほどの下痢を起こし、フラフラしながら行って周りました。
このコメントは、娘さんの旦那の母親に会わなければいけないという、プレッシャーというか、緊張と不安で、体調不良になり、神経性下痢になったということでよろしいでしょうか?
教えていただければありがたく思います。


私が書いたのは神経性の下痢についてです。
私は「脳が変質する」という言葉は嫌いなので使いません。 良くなりたい人は使わない方が良いと思います。
それに、うつ病の脳、双極性の脳、アスペルガーの脳、ADHDの脳というのは、まだ見つかっていません。
「脳には可塑性がある」という言葉が好きです。
私が未来を切り開く為に信頼したのは、「全ての精神疾患は複雑性PTSDである。 複雑性PTSDであれば治癒する」いう文言です。
儀助さんが幼い頃に虐待を受けたのは事実だと思います。
トラウマがどの様に病気を作ってしまったかを解明するには、なかなか一人では難しいし、精神科の五分診療でも無理です。 心理士がカウンセリングをしてくれるクリニックもありますが、認知行動療法では恐らく無理でしょう。
人によって違いはあると思いますが、私の場合は箱庭療法が功を奏しました。
自分で箱庭を作るので、自分で治るもとを作っているようなもので、張り合いがあります。その分エネルギーを使うので、最初は苦しくなったり、続けるのが難しくなったりします。
トラウマは一人で直面しようとすると、非常に危険で、死にたくなったりします。
だからプロフェッショナルに伴走してもらいます。 芸術療法である点も、危険を回避するらしいです。
ハコミとか、ソマティックエクスペリエンスとか、いろんなセラピーがあり、試して、出会って、続けなければいけません。 私は箱庭を続けるためにも、作業所に通い続けます。
医療に繋がっているとついつい人のせいにしがちです。 私もそうでした。「言う通りに薬を飲んだのに」、でも全て自分の責任で、失敗しても自分で責任を持ち、また資金を調達してやり直します。
でも、それだけの価値はあると思います。
双極性障害は、不治の病なんかじゃない。
私はそう思います。


それでも本当の自分を取り戻したいという人にしか、勧めません。


まずは、神経性の下痢であったということで、何と言いましょうか、自分と似たような症状の人もいるんだという、共有感があり、ある意味安心する感じです。
ハコミセラピーマインドフルネス、ソマティックエクスペリエンシングのトラウマ療法は知りませんでした。
お気に入りに登録しましたので、今後の参考にしたいと思います。
2018年12月20に幼少期の強いストレスと精神疾患の関係性を初めて知り、約6ヶ月あまり、トラウマ関係の本を8冊読み、図書館で発達障害の本を5冊読み、ユーチューブで勉強とかなり納得できる感じで理解できてきました。
最近の精神医学の発達はとても目を見張るものがあり、急速に進歩しています。
都合上脳が変質すると書きましたが、そこはひーさまさんと同じで、当然どこまで健康な脳に、可塑性があるか、ある程度まで健康な脳に変わっていくのではないかと考えております。
ひーさまさんはそれを箱庭療法でしているのですね。
私も、36年前、心理学の先生に精神分析を希望したところ、箱庭療法を勧められ、何回か受けたことがあります。
しかし当時は、精神医学のレベルが低く、またパソコンもないので、情報収集もできませんでした。
箱庭療法では、今心が異常に燃え盛っているのを、鎮火させる作用があるというような説明を受けた記憶があります。
今の知識では、不安を感じる脳の偏桃体が、異常に活動しているので、それを鎮めるのが箱庭療法と解釈もできます。
自分が変わり始めると、周りとの軋轢が生じるかもしれません。
それでも本当の自分を取り戻したいという人にしか、勧めません。
↑
ひーさまさんのこのコメントは、私も重々承知で同じ意見です。
私の場合は、希死念慮というのが無くて、死ぬのが怖いというものなので、もうすでに、一人でトラウマ処理というものをやっております。
父親の弟に、父親の事を聞いたりしています。
原爆で父親の父が死に、その後色々あって、私の父は今の中学3年生で働き始め、その後、47歳の母と、今の高校1年生の年代の父と、小学5年生の弟の3人で暮らし始めたと言っていました。
そしたら、5歳年下の弟に私の父が、行儀が悪いとか難癖をつけて、箸で、顔を突いてきたと言っていました。それを必死で除けたり、
ハンマーで殴ったろうかと脅されたりもしていたということです。
それで、夜になったら自分から家を出て近くの小屋でねていたといっていました。
ただ、私の父の母親はいい人で、人の気持ちをよくわかってくれたと言っていました。
私の、父の弟は両親からは可愛がってもらい、当然叩かれたりしたこともないと言っていました。
ですから、私の父の弟は小学5年生までは、精神的には恵まれた環境だったということです。
私の父から、暴力を受けましたが、親からではなく、5歳年上の兄からであり、又小学5年生からであり、その間には、良心的な母親がいたという関係で、物凄い自分勝手な兄貴だったという程度です。
私の父の弟は、友達が多く、今でも山に登ったり、以前からしていた空手に通ったりと、やりたい放題活動的です。父の弟は82歳です。
友達を沢山家に連れてくるので、奥さんはその世話が大変なため、つれてくる友達を減らしてくれと言っています。
私の父親は、当然のことながら、一人も友達がいませんでした。
私の性格は父親には似ておらず、小学生の頃は、近所の子供と毎日のように遊んでいました。
当然父親の子供の頃と私は友達関係の多さが全然違うので、それが逆に憎たらしかったのかもしれんません。
今、発達障害の勉強をして分かったことは、私の父親は完全なアスペルガーだったと診断できます。
私は、父親の性格は遺伝しなかったのです。
しかし、理不尽にやられまくった私からすれば、父親が憎たらしいの一言です。
ちなみに私の父親は、51歳で心不全のため死にました。


箱庭の良い点は、いろいろありますが、言葉を介さない所です。
トラウマティックなイベントを立体的に表現することができます。
そうすると、ナラティブセラピーでは抜け落ちていた気づきが得られると思います。
私も病歴25年になりますが、もう少し早く出会いたかったです。
それからお祖父様が原爆で亡くなったいること、一族は大変なトラウマを受けておられることでしよう。 だからといって病気の原因がすぐに判明するわけでもないので、そこを押し進めていくのは大変なこととお察しします。
まずは出来ることから、ぼちぼちいきましょう。
私が先日、NLPで精神疾患から回復されたという方のブログを読んで、試してみて良かったことを書きます。
全ての症状は良きことのために現れたと仮定します。
そして自分の症状に心からありがとうと言ってみます。
そうすると、少し身体が緩む感じがしませんか?
十分にたくさん症状にお礼を言った後で、「貴方は何の為にこうして存在するのでしょうか?」と訪ねてみてください。
お礼を言うだけでも、辛い時は少し楽になります。


NLPという心理療法もあったのですね。
半年近くトラウマに関する勉強をしていたのに、6月3日のこよいさんというかたから、発達性トラウマ障害という言葉をしっかり自覚したりと、まだまだこれからも、なるほどという知識があると思っています。
躁うつ病も相当勉強しました。
加藤忠史先生の本も読みました。
症状にお礼を言うと言うことでしょうか。
なかなか難しそうですが、一つ言えることは、他の病気で地獄の思い
をしている人がいるという、共感はできます。
昔は、モルヒネ等の痛みを抑える鎮痛剤が、今ほど効果の高いものが無かったころ、患者の苦しむ姿を観て、いっそ楽にしてあげたいとか、患者自身も、殺してもらって楽になりたいとか、そのような気持ちはよくわかります。
今うつ病で、15日から仕事を休んでいます。
いくらか回復したら、以下の事をやってみます。
↓
十分にたくさん症状にお礼を言った後で、「貴方は何の為にこうして存在するのでしょうか?」と訪ねてみてください。
色々と教えてくださりありがとうございました。


家に着いて儀助さんの投稿をじっくりと読み直しました。
祖父母の代に大きなトラウマがあるという点では、私にも共通点があります。
父方の祖母が26歳の時に脚気で、父の二人の兄とまだ乳飲み子の妹が乳児脚気でなくなりました。父が5歳の時でした。
父とその姉(叔母)は親戚をいくつかたらい回しの後、祖父が身寄りのない女性と結婚して、その人から継子いじめに会いました。
父は「自分が我慢して丸く収まるのであれば、我慢する」と決心したそうです。まだ5歳なのに、です。
その反動は結婚してから出ました。仕事が続かない、パチンコ、DV、酒癖が悪い・・・ちっとも我慢できない父でした 苦笑
母には母のトラウマがあります。 農家の二番目、次女でしたが、女であるが故に弟より大切にされることはなく、10代で口減らしのために奉公に出され、そこで虐めに合いました。 母も私に暴力暴言の人だったので、子供の私が文句を言うと、「お母さんの方がもっと酷い目にあった。 お母さんはねぇ、・・・」と母の身の上話に掻き消されてしまいました。
その時父も、「お父さんなんか、オネショした敷布を真冬に外で洗濯させられた。 そして、・・・」と自分の不幸を話すので、私の話は誰も聴いてくれませんでした 苦笑
こんなことを言っては差し出がましいかもしれませんが、儀助さんのお母様の方には別段トラウマと思われる出来事はなかったのでしょうか?


父親の父は原爆投下後、1ヶ月後ぐらいに死んだんですけど、わしが親父の遺体を焼いたんじゃとか、なにげに、私が小学生のころ、あ〜たいぎいの(しんどいな〜というような意味)とふと漏らすと、今からたいぎいと言って、大きくなったらどうするんや〜とか、話の脈絡もなく、喧嘩腰で、いきなり吹っ掛けてきます。
完全な話の一方通行で、相手の言い分は全く聞く耳は無しです。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=urtdThOO18I
この動画の最初の方のコメントにあるような感じで、更に自分より弱いものにのみ暴力をふるいます。
このようなエピソードがありました。
私が18歳の時運転免許をとる練習のため、父親の助手席に乗って、団地の造成地に向かっていて時、事故をしました。
その時、相手が、私が運転していたと言ってきました。相手も男性2人です。相手のほうが8割ぐらいの過失があるので、このような言いがかりを言ってきたと思われます。
私自身は、当然反論したと思うのですが、あれだけ家では傍若無人に振る舞う父親が、黙ったまま、何も言わないのです。
あれ?と違和感を感じたのを覚えています。
父親のコミュニケーション能力は中学生レベルでした。
ですから、父親に関しては、原爆に会おうが、今の時代の恵まれた環境に生まれようが、暴力の度合いは少しは違うかもしれませんが、人格的には、あまり変わらないと思います。
母親は、女、女、女、女、男、男の6人兄弟で、途中2人幼いころ病死していて、島で育ち、戦後ミカン農家をしていたので、戦前戦後食べ物に困ることは無かったようです。
私の母親の父は、軍需工場で働いており、年が多かったため、兵隊には行っていません。
母方の祖父母は80代で死んでおり、それなりに良い人生だったと思います。
そして最近母親にどのように両親から、育てられたかと聞いたら、悪いことをしたら叱られたが、私のように理不尽に殴られたりしたことは無いと言っていました。
母親は自分の父親から、叩かれたことは無いと言っていました。
母親の家庭は、当時としては、普通で、恵まれた環境だったと思います。
しかし、母親は、意地の悪い面があり、何気に、わざと相手が不愉快になる言動をすることがあります。
ただ、私が、うつ病の時は、ご飯を準備してくれたりと、面倒を観てもらっています。
私も、母親宅の修理や、重たい物の買い物や母親の友達の老人ホームに車で連れて行ったりと、もちつ、もたれつの関係です。
今まで、私のうつ病の原因が分からなかったので、私がうつ病になったときは、母親から、この障害児がとか、死にやがれとか、言われました。こうでも言わないと、母親の精神が持たないと言っていました。
今回のうつ病は、原因を母親も理解しているので、罵声とかは無いです。
母親自身も、父親から頬を平手打ちされ、鼓膜が破けたことがあるので、私がうつ病のになって、同情することも言うようになりました。
私自身両親の悪口のような事ばかり書いてはいますが、小学生、中学生の頃は、家で自分がやられていたような事を、同級生に対してやってしまうこともありましたし、また同級生から仕返しを受けることもありましたが、私自身がアスペルガーではないので、手加減もあり、喧嘩しても仲直りもありで、遊び友達も多かったほうです。
ひーさまさんの文章を読んでいると、両親からの強いストレスは、両親の幼いころ、厳しい環境から身についたものを、子供のひーさまさんが、そのあおりを受けたという印象です。
ひーさまさんの場合は、まだ、両親に文句を言える環境で、それに対して、両親はもっと酷かったと反論されて、自分の気持ちを分かってくれないという、不満ですよね。
私の場合は、一つ例にとると、中学3年生の時、いとこの結婚式があり、外に出た時、3月30日だったので、傍にいた父親が、いきなり喧嘩ごしで、服を着いやと言ってきて、ええよと断ると、次の瞬間、着いやと、思いっきり頭をげんこつで殴られるという状況でした。
傍から観たら、異様な光景だと思います。
私の母親のお姉さんの旦那さんが、私が小学校の時、あんたのお父さんは変わっとるけえのと言われたことがあるように、超偏屈人間でした。
しかし、私の父親は仕事だけは、カゼを引いても、仕事で足を怪我しても、赤チン付けていき、死ぬまで、一度も仕事は休まなかったです。
ひーさまさんには、娘さんがいて、お孫さんもいて、二人に愛情を注いであげてください。


私がもっとも儀助さんが勘違いをされていると感じたのは、以下の箇所です。
>父親のコミュニケーション能力は中学生レベルでした。
>
>ですから、父親に関しては、原爆に会おうが、今の時代の恵まれた環境に生まれよう
>が、暴力の度合いは少しは違うかもしれませんが、人格的には、あまり変わらないと
>思います。
ここは全然違います。
「原爆が落とされて1ヶ月後に亡くなった父親の遺体を焼かなければならなかったお父さん」は、客観的に見ると大変なトラウマを負っています。 同じ事をしても人間らしさを保ち続けた人はいるでしょう。 当時お父様は多く見積もっても十代であったでしょう
考えてもみて下さい。別にお父様の肩を持っている訳ではありませんよ。
お父様はご自分でも原爆の被害に会われていることでしょう。
そして十代の多感な時期に、たったひとつの爆弾であれよあれよという間に自分の父親
が亡くなって、その遺体を自分で焼かなければならなかった。
そのようなトラウマがあれば、コミニュケーション能力が中学生のまま成長を止めても、全く不思議ではありません。
続きます。


後悔しても何の意味が有るんだ
取り戻しは出来ないんだ
明日は明日の風が吹くんだ
頑張れヘタレ気にするな。


2月の頭から調子がわるくなり、先週まで寝込んでおりましたが、
やっと鬱期が抜けたようで、半日ながらも仕事にも行けるようになりました。
いつもながらですが、この数か月の鬱期は、辛くて辛くて‥
生きる意味を悶々と考えながら、ほぼ寝たきりの日々‥
どうやら、わたしは、2〜3年ごとに、3〜4か月、軽躁状態になり、その後
3〜4か月のひどい鬱期がやってくるようで、今回、初めて
そのサイクルを自覚することが出来ました。
ただ、もう何度もひどい鬱期をすごしてきているのに、、今回も
戸惑い、苦しみ、絶望し、希死念慮の嵐、自分自身を虐めぬき、
本当に情けない状態でした。
皆さんの躁鬱のサイクルはどうなですか?
聞かしていただけましたら幸いです。


こちらの動画が、おそらく典型的な双極性障害の症状だと思います。
NHKの最初に出てくるみかんさんです。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=FuNpqfknwxk&t=712s
私の軽躁状態の場合は、上記のみかんさんと違うところは、1日4時間の睡眠でもなぜか眠気もなくすっきりして元気ということはなく、やはり、寝不足で調子が悪くなります。
無駄に沢山買ったり、また、買った靴がいつまでも値札がついているということはないのです。
しかし不安を紛らわせるために、感情を無意識に高ぶらせる癖がついているので、双極2型と同じような状態です。
21歳で初めてのうつ病になり、1年3ヶ月うつ病でした。
そして3年8ヶ月軽躁状態で、2回目のうつ病になり、2年2ヶ月うつ病でした。
そして、
そして1年6ヶ月軽躁状態で、3回目のうつ病になり、2年6ヶ月うつ病でした。
そして、5年6ヶ月軽躁状態で、4回目のうつ病になり、3年2ヶ月うつ病でした。
うつ病では当然仕事はできず、休職か退職していました。
4回目のうつ病では、朝昼晩とリタリンを飲みながら仕事をしていましたが、やはり無理が重なり退職しました。
4回目のうつ病で自分は双極2型と自覚しました。
そして、このうつ病を少しでも軽くするためには意思の力で軽躁を抑制することだと教えてもらい、少しでも感情が高ぶると徹底的に自分で感情を抑制しました。
すると、うつ病と軽躁の周期が短くなり、41歳から59歳までの間は平均すると、軽躁とフラットが6ヶ月 その後うつ病が1ヶ月ぐらいの間隔になり、うつ病の苦しさが前4回の超地獄に比べれば軽くはなりました。
さくらんぼさんがどのようなタイプの躁うつ病か分かりませんが、軽躁の時、100%の全力を出さず、80%に抑制すれば、今後のうつ期が今よりも短く軽くなる傾向になってゆくのではと思います。


〇私の投稿で、すれ違いでさがってしまいましたね。
軽躁とフラットが6ヶ月 その後うつ病から軽度うつ病を含めが2ヶ月ぐらいの間隔になり、うつ病の苦しさが前4回の超地獄に比べれば軽くはなりました。
しかし未だにうつ病で苦しんでいます。


お気遣い、恐れ入ります。
また詳しくてわかりやすいご説明、ありがとうございます。
やはり、軽躁、または躁状態の時に、どう過ごすかが、この後にくる鬱期を
きめるのですね。
わたしは二型です。
わたしは、今回初めて、軽躁状態
を自覚しました。
儀助様に教えていただいたこと、肝に命じて、次、軽躁状態が来た時
に備えたいと思っております。
しかし‥本当に鬱は辛いですね‥‥。


だ〜いぶ前にお世話になっていました。
ここ3-4年くらい引きこもってました。
太るし活力ないし不安だし(老後2000万円とか、、)最悪でした。
ここ最近になってようやく少し動けるようになりました。
hpずいぶん洗練されましたね!
またお世話になります。
よろしくお願いします。


ずっとしんどかったんですね。最近上向いてきたということ何よりです。
また是非例会(前はオフ会って呼んでだけど三年前から月一回やるようになって例会に変わりました)の参加もご検討いただければ嬉しいです!
HPのリニューアルは2年前ぐらいにしました。その前はレトロなHPでしたよね笑
今後ともよろしくお願いします >w< (ハイなためテンション高めで失礼します汗)


今日恥ずかしい失敗をしました
とても惨めでした。消えてしまいたかったです。もうその場にはいけないと思いました
でも、二人の方が、それと気づいて そっと庇ってくださいました
これからも来ても良いと言ってくださいました
自分も人も怖い私が、又行けるだろうか
でも、許してくれるなら、行きたいです
優しい言葉をかけてくれたお二人の言葉を信じて
どきどきしながらでも参加したいです
今の状況から抜けられる日が、来たら
怯えながら又参加したいです
わかりにくいないようで済みません
書かないと眠れそうもないので、自分に言い聞かせるために書きました


恥ずかしくて眠れませんでした
自己嫌悪に陥って苦しんでいました
とても恥ずかしいことをしました
許してもらえるだろうか。自分はなんて、卑劣なんだろう
でも許されるならもう一度参加したいです
自分
の大切な居場所だからです
勇気をふるって参加したいです
そして、温かな言葉をかけてくれたふたりの方に
会いたいです
お布団から離れる事が出来たらそうしたいです


でも、理解者もいたみたいで良かったです。
詳しくは、事情はわかりませんが、対人恐怖は自分も強いものがあるので、眠れない気持ちは理解出来ます。
今日はコンタクトレンズを買いにいきました。
自分のことは自分でする!と唱えながら、歩きました。
今、帰って来て、少しの達成感を感じています。
まるこさんも、その場所に行けたこと、すごい事だと思いますよ。行けた上に理解者もいた。対人恐怖は根強いものがありますが、ひとつづつ行きましょう!
布団から出られる日もきっと来ると思います。


独り言なのにレスをしてしまってごめんなさいね。
おつらかったですね。まるこさんはとても誠実な方だから、何も悪くなくてもご自身をつらいところまで責めてしまうところがおありなのではないかと思いました。私もうつがひどいと自分を必要以上に責めてしまうことがしばしばなので、そういうところもおありなのかなと想像しました。
どうかご自身をお責めにならないで下さいね。まるこさんみたいに優しく暖かい方だったらどんな居場所でも大歓迎だと思いますよ!
おつらいことがあったら掲示板をお気軽に利用してはき出して下さいね。今後ともよろしくお願いします^^
りさ


私は今ボロボロなきながらこのメール読んでます
こんなに惨めでみっともない私にもったいないです
温かな思いやり本当に感謝します
コンタクトレンズ買いにいけてよかったです!
りささんへ
優しい言葉有難う
私はやっぱりボロボロなきながら読んでます
さっきまで、ずっと緊張してどどきどきしてました
メールを読んで、肩の力が抜けました
許してくださったのですね
優しいお気持ち有り難く受けとります
有難うございます


掲示板を見て気持ちがほぐれたのだったら本当に何よりです。
また体調が上向きましたら例会でお会いできればうれしいです^^


パートは6つぐらい変えました
おまけに近所の人と何人も関係を壊しています
それこそ、外を歩く時はそろーっとです
多くの目玉ににらまれる夢もみます
人が怖いです
何の自慢にもならないけど、励ましにもならないけど、
近所には、夫の知り合いが沢山いて、にらむ人さえいます
心ぼそいです。悲しいです
でも、躁鬱なんですと言う訳にもいきません
何の助けにもならないけど、私こんな状況で生きてます
そして、怯えながら 外に出ます
何のアドバイスにもなってないですね
ごめんね


自分だけが大変なんじゃないと、力になります。
また改めてコメントさせていただきます。
今、同居人が帰って来ました。
短くてすみません・・・


少しの不安感と少しの期待感を持って、今はいます。
昨日のイライラ感は、あまりありません。
掲示板で吐き出せたからかも、しれません。
まるこさんも吐き出せて、少し楽になってくれると嬉しいですね。


今週の土曜日から、アルバイトに行くことになりました。やはり飲食関係です。
今夜はとても、イライラしています。アルバイトが始まることから来る、イライラ感だと思う。
採用されたときは、やはり嬉しかった。でも、またいつものパターンにはまってすぐに辞めてしまうんじゃないか、とか良くない考えが頭をよぎります。
無理のないシフトにはしてもらっています。
どうなるかなんてわからない。
ただお金がないので、働こうとおもっただけ。
たかがバイトでこのイライラはなんなんだと思う。
この10ヶ月間、ほとんど引きこもりのような生活をしていたから、まぁ、家事はボチボチしてたけど、人と関わることに対して、警戒と怖さがあるんだろうと思う。
どうなるかは、また書き込ませていただきます。
昨晩7時に寝たので、今目が覚めました。また寝ます。


勇気のいる事だったと思います
新しい事を始めるのにイライラするのは当たり前のことだと思います
新しい人間関係に恐れを抱くのも、ただの主婦である私が、言うのも変ですがよくわかります
でもつぼっちさんは 一歩を踏み出したのですよね
上手くいってもいかなくても、素敵な事だと思います
私もつぼっちさんに比べたらちっちゃな事ですが
一つ用事をこなしてこようと思います
震えながらでも行くだけ行って見ようと思います
つぼっちさんにポンと肩を叩かれた感じです
つぼっちさん そろそろと行きましようね
怖がりながらそろそろと


そうですね。怖がりながら、そろそろと、でも良いんですね。なんかホッとしました。
まるこさんも今日、用事があるのですね。お互い気負わずに少しずつやっていきたいものですね!
しかし、私は5年の間に10ヶ所以上、仕事場を変えているのです。だから、今回はこの掲示板と同居人以外には、アルバイトが決まったこと言ってません。なんか数少ない友人や先輩にも、あまりに続かないことにあきれられているような気がして、ハイ、またね。と思われているような・・・。他人は私が考えている程、私の事には無関心だとは思いますが、気まずさを感じます。
まぁ、良いです。結局は自分のことなので、いくら転職を繰り返そうと、困るのは自分。同居人には、迷惑かけてますが、自分を理解して認めてやりたいものです。
時間はかかりますが・・・。
いかん、もう私、気負っているかもしれない。
ソローリ、ソローリ行きます。


儀助さん、お疲れ様です。
削除、修正が出来る様になりました
これも儀助さん、のおかげです。有り難うございました
心より感謝します。
ヘタレでした。


孫の運動会は中止になになりました
私は相変わらず半日寝ている日々です
昨日の夕方
多摩川の土手を散歩していたら、土手の片隅で花を育てている方が、「これ持っていく?」といって矢車草を一束分けてくれました。
私は嬉しくて それから切なくなって、思わず「私、躁鬱なんです 散歩するのがたった一つの楽しみで 今日だって、やっと歩いているんです」と、打ち明けたくな
りました
鬱で気弱になっているのですね
私は花を持ち帰り 玄関に飾りました
今日は誰かと話しが出来たからこれでよしと思いました
明日は晴れますように
(行動半径が狭いので、私の話つまらないですね
ごめんなさい)


鬱なのに散歩に行けて、素晴らしいですね。
矢車草を調べてみました。可愛らしい花ですね。
雨は鬱陶しいです。気分も落ちこみがちですが、晴れる日もくるでしょう。それまでじっと耐えたいですね。
去年、プランターに差しておいた紫陽花が咲きました。
ただ切って差しておいただけなのに、咲いてくれました。梅雨にも良いことはありますね。
明日晴れるかなー。


分かります
私も精一杯だから
毎日苦しいね
元気な人の書き込みを読むの辛い
毎日辛いね
でも生きようね


ハイ。