

ホームレスにならないためには、働くしかない、と意気込んでみたところで、相変わらず欠勤の続いていた自分ですが、10日ぶりくらいに仕事場に行き、4時間ほどしごとをしました。行くまでが大変でした。改札を通ること、電車に乗ること、途中で降りてしまおうという誘惑との戦い、営業所の扉を開けること。難関をクリアーしなくてはならず、レキソタン2錠一気飲みしての強行でした。
今日はお休みですが、明日もまた同じことをします。チャレンジしたいと思うからです。格好つけて書いていますが、チャレンジすることのみが、自分の存在意義のような気がします。自分でお金を稼ぐことがそんなに偉いことだともおもっていませんし、生活保護や誰かの助けを得ながら生きていくことも全然ありだと思っています。でも、何故か明日も通勤チャレンジします。


稼ぐ意義について考えるのは難しそうですが、貯金が30万円できたらいつでも安心ということなので、ただそれを目指して行動を積み重ねては?
お金に安心、自信ができると、相方さんとの関係も楽になるかもしれません。
返信でもタイトル書くところがあるけど、何を書くのかしら?


、「無理をしなくていい」とも言うし、したいこと・やらないといけないことができない時は、割り切ることも必要だけれど、それは人として成長したり目標を立てて向上したい気持ちを割り切ることとは違いますよね。
つぼっちさんがそれを「チャレンジ精神」と表現されているのであれば、おっしゃる通りだなと思います。
でも難しいのは、この病気になると、極端に物事ができる時とできない時があるし、つまり継続がままならなくなるし、それで存在意義を図ってしまうと、自分は存在意義がない、って全面否定に陥ってしまう可能性があることだと思います。
変に自分を妥協しないという意味で「チャレンジし」し続け、でもななかなか進まない時に「挫折」と病的に捉えずに、そういう気持ちの持ちようって大変だけど、大事にしていきたいですよね。
私は何にチャレンジしたいだろう。うまく言葉にできないけど、つぼっちさんみたいに「何故か」明日もチャレンジするぞってまい進する精神は失いたくないなって思いました。
ちなみにちかさん、前の掲示板では返信する際に、Re:のようになっていたと思いますが、リニューアルしてからはレスの記事にタイトルを入れないと「無題」と出るようですね。そのままでもいいし、ご自身でタイトルを選んでもいい、という感じになったのかと思います^^
リニューアルサイトについて他にご意見や疑問がありましたら遠慮なくおっしゃって下さいね!ではでは。
りさ


どれかの親記事にレスをした場合も、その親記事が冒頭に上ってくるんですね!
(私がいまさら気づいてどうするという感じですが笑)
ではでは


できるだけ自分を肯定したいと思うのですが、通勤できなかったり、早退したりすると、自分を全否定。なにがチャレンジだよ、ボケ。となってしまいます。俺頭悪いんですよね・・・。


一日8時間働けなくなって久しい。相方に生活費を入れなくなって半年。居候の身の自分としては、もう居候は限界かと考え、一人住まいをし、生活保護を受けようと思い区役所へ。しかし、一人住まいをするお金がない。そういう場合は施設に入らなくてはならないそうで、横浜市ではかの有名な寿町に「はまかぜ」という施設があり、周りを簡易宿舎(一泊2000円)が囲っている。施設に平均3カ月入り、30万のお金を働いて貯め、一人暮らしのアパート代とし、退所。晴れて生活保護を受けれる身となる。働けない場合は、簡易宿舎に移り生活保護を受給できるらしい。寿町だけで6000人いるとのこと。・・・働こうとおもいました。相方に頭を煙りが出るほど擦りつけ、もうしばらく置いてもらうことに成功。
衣食住。大事ですね。区や市は何もしてくれません。ホームレスになるのは簡単です。


先日、改札を通れず仕事を欠勤したことについて、投稿させてもらいました。あずささん、ちかさんからの優しい返信を頂き、休みながらでも少しづづやってみるかな、と思い、仕事は辞めることなくなんとか続けています。レキソタンを午前中だけで4錠飲み、休憩中は煙草を吸いまくり、帰りたいなーという気持ちを頭の隅にもったまま、適当?にやっています。
前回の主治医の診断で、躁鬱混合と言われました。自分にも思いあたるふしがあったので、素直に受け止められました。
鬱で結構きついのに作業所に行ってみようとしたり、ケースワーカーと会ったり、区の生活支援センターの行事に参加しようとしたり・・・主治医から休むように言われました。
自分は2型ですが、躁っぽくなるとやたらメールしたり、行動的になったりします。それが鬱で苦しんでいる時に突然やってきたりします。大分前からです。気をつけてコントロールしていかなくてはと思いました。
ちかさん、お母さんのこと話してくれてありがとうございました。自分は物心ついたころから母を憎んでいたし、嫌っていました。自分を育てた叔母が母を嫌っていたからです。ここでは書けないですが、その記憶は根が深いです。今は逆に叔母を憎んでいます。しかし憎んでいるのにぞんざいに扱えない、縁が切れない。叔母に対して緊張してしまう。幼いころの記憶って、恐ろしい・・・ここはカウンセリングの場ではないですね。失礼しました。
明日は仕事休みです。とくに予定もないので、天気も悪いし、主治医の言うように休みます。
最近のことでした。


自分の経験上、「コントロールしなきゃ」と思ったときは相当体も心もクタクタなのです。。休んで横になってて、焦りとかせかせかする気持ちが来ても、寝まくってくださいね。


今日は雨で寝まくりましたよ。昨晩は胸の辺りがザワザワしてしまい全く眠れませんでした。その分今日は寝まくりです。
返信ありがとうございました。


これを読んで私もレキソタンを一つ、飲んでみました(笑)
混合ですか。それの時、私はリスパダールをのむことになっていますが、混合の時は自分に忙しくてそれどころでないです。
家のあちこちに、クリップ入れとかにリスパダールを置いて見やすくしているんですが、それを見ることもなく、あくせくしてしまいます。
つぼっちさんの今の叔母さんに対する気持ちが、私の母に対するのと似ているのかもしれません。
私にとっては母が育ての親なので。
エッセイ漫画で
母がしんどい
っていうのがあります。この漫画の母はけっこうな人なのですが、こういう母の元に生まれると困るよね〜と共感する部分もあります。
あと
今日もかるく絶望しています。
って漫画も、あるあるです。躁に振れにくい気分障害の人が描かれていて、彼女の自分のことを理解しようとする態度が好きです。
うーん、ちょっとお昼寝しようかな


自分の場合、ちかさんのような虐待こそなかったですが、精神的に追い詰められた子供時代を送っていました。全然家柄なんて良くないのに、自分は長男として、祖母と叔母に育てられ、ある意味洗脳され、鬱気味で働かない父親のようにならないように、母親を嫌うように仕向けられました。叔母からは条件つきの愛情があたえられました。良い子にしていれば叔母ちゃんがママになってあげる。今思うとぞっとしますが、子供の自分は本当の母が叔母だったらよかったのにと思っていました。
小学校1年から中学3年まで一人の奴からずっといじめにもあっていました。家では気を使い、学校ではびくびく生活していた自分。いじめのことは両親にも叔母にももちろん先生にも相談せず、9年間耐え続けました。高校生になり、叔母もちょっと変だぞと思うようになり、いじめからも解放された自分はそれまで自分の外側の環境とばかり戦っていた生活から、自分の内側の世界にこもるようになり、高校2年の頃、病院には行ってませんが初めての鬱の時期を経験しました。躁も経験しました。
子供時代の環境がこの病気に影響を与えるものなのかどうかは、自分はわかりませんが、自信を持てなくなるような環境に育ったとは言えるのではないかと思います。
母が亡くなってしまった今。母に何かを伝えることはもうできません。母もしんどかったと思います。仕事のできなかった父も風呂場で喉を切り裂くくらい辛かったのだから、なにか言ってあげたかったけど、20年前に亡くなっているので。
くらーい話ですね。普段は、仕事めんどくせーなーと煙草ばかり吸っていてあまり深くは考えてません。今日もなんとか仕事してきました。帰ることばかり考えていたけど(笑)
おやすみなさい。


昔の人が雨の日は家で本読むというのはだいたい正しいみたいです。躁鬱や、鬱病の脳は、お医者様がいうには何か伝達物質が普通の人よりも足りてない。ただそれだけなのに、えらい日常生活にダメージが…。いろいろ考え込むより、もう休みまくったよ!って声に出したいくらい横になって、1日三食を大正時代とか旅館の朝ごはんみたいな米、魚、のり、納豆、みそ汁みたいな安くても新鮮なラインナップにすると、なぜか気持ちが落ち着きます。自分でごはんを作れないとは、牛丼屋さんの朝定食が安くて量多くて満足できます。
頭の中ばっかり、症状が辛いときは働いてしまうから、でもどうにもできないからもっとつらいんですよね。


私はこの期におよんで、職場いじめ的なものに遭っています。いろいろ言われる時、こんな些末なことによくエネルギーと時間を割けるな〜と心の中で思いながら、真剣な顔で傾聴してスルーします。
何を言われても、給料が同じならいいやって思います。
私もつぼっちさんと同じで、いじめがありました。
保育園から小学校までは多く転校したので、その度にいじめられました。でも、母からの暴力と洗脳により、闘いの技能と論理を学んでいたので、いじめる級友たちにそれで対抗しました。
やばかったのは、母は、その兄も父も全部暴力家系で(全員が妻子を殴っていた)、かつ、全員柔道をしていたので、母のノウハウは本格的すぎたことです。
私が、母から体得したことを級友にすると、やり過ぎになるみたいで(窮鼠猫を噛む的な)、先生が怒って通信簿に書き、それを見た母が毎学期末に逆上し、さらに私を殴る蹴るでした。
もう、暴力はこりごりです。暴力テレビ・ドラマも見ません。
職場の人にも、暴力や洗脳で対抗とか、しなくていいです。
終わったら帰ればいいので♪
子ども時代を今から変えることはできないので、たまにこういうところでつぶやき合えるとうれしいです。
あとはお金の工面をして、レキソタン飲んで、私はタバコでないのでお酒を飲んで、たくさん寝て、死ぬまで生きたら御の字です。
実際は、今も鬱ぎみでうじうじしていますが(笑)


子供の頃の書き込みをしましたが、ちかさんの言うように子供時代のことを今から変えることはできないんですよね。自分も今の自信のなさを子供の頃の環境のせいと分析してみたところで、それが自信につながることはないんですよね。
前向きにとかポジティブにと言われてもピンとこない自分ですが、気楽に自分をほめてやりながら少しづつ変わっていくことは47歳になった自分にも可能かなとは、思っています。




私は躁の時は完璧主義になり思考もとても前向きで面白い位毎日が充実し、羨ましがられたりと自分に自信すら湧いてきます。他人から見ても明白らしく躁の時は周りにも大切に扱って貰える程です。
が、いっぺん鬱になると何も出来なくなり後ろ向きな思考で周りからも情けないと言われたりまともな方からは相手にされなくなり自分が動く事すらままならず結果適当に扱っているのだから仕方ないと分かりつつも常に劣等感に苛まれています。
しかも私の場合鬱の方が長いので尚更。
躁と鬱ではまるで違う人間だと周りからも言われてしまい。
職種すら変える始末です。
同じように悩んでいる方がおられたら仲良くしたいです。


初めまして。りさと言います。
件名の「躁とうつと違う人生」、本当に身に染みてわかります。
躁は、周りに迷惑をかける側面が強調されるところがありますが、それはもちろんそうだし、とくにうつで振り返るといやというほど自責の念に苛まれますが、
あやかさんのおっしゃる、躁の自信って、単なる幻想ってだけでなく、周りをひきつけたり、うつで自分の存在を全面否定しているところから、やっと自信も表に出せた解放感は本当にリアルで、それだけ切り取ると本当に自分は輝いていたなと思えたりします。
周りが「大切に扱ってもらえるほど」というのも、うつと比較すると、おっしゃることわかります。
私が人前でわかる形で躁の気さくで友達にも好かれる明るさから、いきなりうつのゾンビのように近寄りがたい存在になったときに、友達の離れ方はあからさますぎて、本当に切なかったし、みじめな想いでした。
でも、心を許せる方に相談したら「それは皆が自分が挫折した時の姿をりさを鏡として見てしまって、目を背けてしまうのであって、りさが悪いのではないよ」と言われて、救われました。
うつと躁でまったく違う自分、それの周りに反応によって環境も変えざるを得なくなって、波としてころころ変わる「人生」のあり方が、それに振り回される自分像、長期的な人生計画もももう収集つかなくなりそうで、目をうつろになることがあります。
でも、そうやって躁の中に自分の魅力を見つけられたり、うつでそれを客観的に振り返ってバランスが取れたり、波を調整する中で、過酷だけど、うまく言えないけど、他の人と比べて数倍丁寧に人生を考える人間になってきたように思えます。
あやかさんの場合は、躁とうつの時のあやかさんを見てくれて、指摘してくれる「周囲」には、あやかさんを想いやってこそのものもあるのかな、それほどの理解がなくても、周りの反応を鏡にして自分像を心で整理していけるのかな、なんてポジティブに考えたくなって、それが押しつけがましいようだったら申し訳ないです。
それで職種をお変えになることになって、本当におつらい状況だと思います。
是非、関東ウエーブに仲間になっていただければと思います、きっと私だけではなく、あやかさんのお気持ちに共鳴される仲間はたくさんいらっしゃると思います。
眠剤を飲んだ後の、まとまらない文章で失礼致します汗
今後ともよろしくお願いいたします^^ おやすみなさい。
りさ


悲観ばかりしていましたが少し元気が出ました。確かに病気のおかげで人生を丁寧に生きて来れたのは事実で良いところも有ったんだとふと気が付きました。
是非これからも宜しく宜しくお願いします(^^)


自分は現在パートで仕事をしていますが、昨日は今月二度目の欠勤。今朝も重い体を引きずって駅まで行きましたが、改札に入ることができず、三度目の欠勤となりました。一昨日まで鬱気分もなく、比較的楽にできていたので、うんざりとした気分です。もうどれくらいこんなことを繰り返したことでしょう。
生活が成り立っていないので、明日ケースワーカーとの面談を入れてもらいました。昨年末に母が他界し、間髪いれず新しい職場へのチャレンジ。ちょっと無理してるのかな?
自分は母とは疎遠な子供時代を送りましたし、ずっと別々に生活をしていました。最後は弟と一緒に看取りましたが、涙も出ませんでした。今の不安定さは母との別れというより、新しい職場に対する場所・人への緊張感だと思っています。
焦らずもうここまできたら、人にもある程度頼って、すこしづつ安定に向けてのんびり(できたら・・・)やっていきたいと思っています。
母の死と病状なんて関係あるのかな。


昨年末にお母様をお見送りになったとのこと。たとえ疎遠でいらっしゃったお母様であっても、やはり家族の看取り(家族でなくてもですが)とその後のお葬式や色々なことは、たとえ自分では、意識していなくても、とても心身を疲れさせると思います。
しかも、その疲れは、結構、後で出て来ることも多いみたいですよね。
そのような大きなことの直後に、新しい職場に入られ、新しい人との関わりをなさっているというのは、やっぱりきつかったのではないかと思います。
健康な人でも、これだけ立て続けに色々とあると、かなり疲れると思います。
ましてや、私達のように、双極性障がいという無理のきかない病気を持っていれば、つぼっちさんの健康といのちを守るために、お体が、「動けないよ、疲れたよ」とサインを出していらっしゃるのかもしれないですね。
ご自身でもおっしゃっているように、焦らずに、得られるあらゆる助けを受けて、すこしずつ安定にむけてお休みになってほしいなと思います。
つぼっちさん、どうぞお大事になさってくださいね。


わかります。私も、職場の階段を上がれなくなって、辞めたことがあります。
そういう時に飲む頓服とかありますか。私はレキソタンを飲みます。
それは一時的なことですが、全般的につらそうですね。
お母さんとの関係がつぼっちさんの今に影響しているのか、については、これを否定してもいいし、受け入れてもいいし、その考えを時々変えてもいいと思います。
私の今の気分では、私は母がだいきらいです。
最近、保育園の先生からメールをもらい、母のことがほめてありました。
母は教育熱心で、外面がよかったけど、家では児童虐待で、そのことは、ひとりっこである私と傍観者だった父しか知らないのが、すごくくやしいです。
つぼっちさんの投稿を読んで、自分と母のことを思い出しました。
人に頼るのはいいし、力が湧いてきたら頼るのを減らすのもよいと思います。
今は、とても疲れているようなので、ケースワーカーさんに頼ってみたらいいのでは。
お母さんのことも話してもいいと思いますよ。


明日は仕事ですが、マイペースにやれることからやってみます。まずは改札通れるかどうかですが・・・


このところ、うつでほとんど寝たきり状態で、動けないです。
2月に外に出たのは2回だけ。朝、顔を洗う気にもなれなくて・・・。母のことがだいぶ落ち着いて来たので疲れが出ているのかもしれないです。
朝起きたとき、乾いた悲しみと何も出来ない罪悪感があります。どんどん時間が過ぎて行くこと、年齢を重ねて行くことの焦りもあります。


風が強いです。どこか遠くへ行きたいな。近所に出るだけのことがどうしても出来なくて・・・
猫のメロディーは今に生きていてすごいです。


往復で、ほんの300メートル。
2月に入って3度目の外出。
やっと外に出られました。


おめでとう!!
りさ


がんばりましたね
何年も前ですが、つらくて、「動物のなまけもの」だったならよかったのにと切に思いました じっとしていればいいんだすから


300メートル歩いたあと、家の前で振り返ったら、道が輝いて見えました。小さな達成を特別に感じられることは、この病気の恵みなのかなと思います。
まあ、今日は、だらだらと動けませんでしたけれど、焦るとかえって回復を遅らせてしまいますね。
ハムスターのみなさん、ほんとうに可愛いですね!
くれぐれもよろしくお伝えくださいね。
みもさん、「がんばりましたね」と言ってくださって、ありがとう。みもさんも、寝たきり状態のおつらいときがあったのですね。
ナマケモノって、個性的で可愛いですよね。
動けないときに焦るとかえって遠回りになるみたいです、この病気って。
今日は猫の日なので、うちのメロディー(6歳、女の子)に、おやつのササミを多めにご馳走します。みもさんのねこちゃんにもくれぐれもよろしく。


猫の手は表向きなのか、裏向きなのか、とか。
家から出て、道が輝いたの、すごいですね!
3回目、いいんじゃないですか。
私もひきこもりぎみで、ゴミ出しがなかなかできないです。
情報全般にも興味がなくて外もニュースもたまにしか見てないですが、近所の天気予報を聞くと、「へー、そうなんだ」と思います。
食べ物が尽きているので、明日は出かけないと!
猫の日。2月の季語ですね。


そう状態が軽く、ずっと うつ病 の診断で・・・私の方から「躁状態ではありませんか」と言ったのに・・・そのことを思うと、くやまれます あの時に正しく診断されていたら、そのあと、あまり寝込まなくてもよかったかもしれないのに
抗うつ剤は、私にはまったくといっていいほど効きませんでした
5年くらい前にやっと双極性障害と診断されました
外に少しでも出る気になれたら、私の場合は徐々に回復していきます
あずささんもそのきざしですね
合う薬がみつかるといいですね
私はある薬が効いています
この薬ともうひとつ飲んでいましたが、そううつ病カテゴリー
のブログを読んでいると、その薬を飲むと眠気が強い、と2人くらいの人が書いていて、私から医師に「**をやめてみたい」と言い、やめたらすぐ好転しました あのまま飲んでいたら、と思うと怖いです
名前をふせたのは、人それぞれ合う薬が違うからです
私の主治医は副作用についてはまったく言いません
自分で情報を得るしかありません
良い薬と出会うことも縁なのかもしれませんね
うちにはぼうこうがんの12才の犬もいて、介護が必要な時にうつで寝込まない事を願うばかりです
あずささんが、このまま好転しますように願ってます
私の文章を読んでで落ち込むところがあれば、忘れてください

アドレスは
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170218-00015785-kana-l14" target='_blank'>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170218-00015785-kana-l14
一部抜粋
市は17日、有識者を交えた検討会を28日から開催する、と発表した。4回にわたって検証し、問題点の洗い出しや改善策の取りまとめを行う。
とありました。
生活保護受給者にとっては本当に生活保護業務を担当する小田原市職員に困っていると思います。それにしても市の対応が甘く感じるのは私だけでしょうか?公務員がしてはならないことしたこれは減給処分としたほうが最初からすっきりしてよかったと思うのです。正当な権利として憲法25条の生存権があるわけで、私はこの経過を把握しています。
健常者で働けない方、精神障害者で働けない方もいるのです。私も過去生活保護を受給していましたから。
1に健康、2にお金、3に対人関係と思います。
全国でも水面下でこのようなことがされていると推測しています。
公務員は全体の奉仕者、守秘義務があります。
しっかりして欲しいものです。


生活保護には、地域の事情等も絡むと思いますが、小田原の担当者集団はとにかくダメですね。
私がずっと思っているのは、精神障害の線引きってそんなにはっきりしているのかな、ってことです。
病気ならよく保護をもらうけど、健康だと難しい。
病気仲間には保護受給者が多かったですが、貧困でボーダーくらいで、保護対象にならなくて、うまく暮らせないでいる人たちって世の中に大勢いますよね。
例の施設の殺人の人は一時は同病かと言われましたが、最終的に精神障害でないと判断されました。あの人よりも私の方が、精神がよりおかしいのか?・・・わかりません。
医療は診断基準をいろいろと考えているでしょうが、健康が一応「正常」でお金と対人関係がおかしいのと、健康が「精神障害」で同じ条件なのとでは、法や行政の対応が大きく違うのに違和感があります。
その違和感は、私の遺伝子や脳はそんなに絶対的にダメなのか、という哀しみにつながります。
長年年金生活をして、そういうナイーブさを乗り越えたつもりになっていましたが、やはり時々あたまをもたげます。
魚夢さんくらい生きたら悟りが開けるのかな。


前の記事のスレッドが長く(?)なったので、あらためて投稿します
障害年金を絶対受給したいと思っている人は、年金事務所に行く前に社労務士に相談すべきだと思います
私には、障害年金を絶対受給したいといゆう意志と切迫感がたりませんでした
軽い動悸で受診した事など言わなくてよかったんじゃないか、と思います


当事者の奥さんのブログでした
障害者手帳が3級から2級になり、同時期に障害年金2級の認定がなされたようです
全部奥さんが動いてました 申請しようと発案したのも奥さんでした
何度か年金事務所に相談に行っていました
社労務士に相談するか、家族や誰か頼りになる人に相談し、いっしょに行動することが必要だと思いました
あとネット情報だけでなく、関連書を読んで学ぶことも必要かもしれません
今は申請しないことにしたので、寛解をめざします
なんて、
めざしてかなえられるものならいいんですが
今後の事はわかりません
障害年金の申請を考えたのは、夫の定年がきっかけです
経済的になんとかなりそうなので、収入を得てくれている夫に感謝しながら生きていきます


私は行けても半日、週3回
収入にならずマイナスです


私夫の扶養者です
私は障害者3級の障害者手帳を持っています
そのことにより、所得税の障害者控除がなされています 夫の職場に知られたくないため自分で税務署に行って還付の手続きをして来ました
すると、自動的に住民税も還付されました これについては来月から控除された金額が給料から天引きされたら額がへっているので、職場にわかってしまいますが、どうなるかわかりません
あとソフトバンク(ハートフレンド会員)のホワイトプランの基本料金が無料です
パケットし放題の下限額が0円から利用可能です
市から交通費などの優遇が受けられます
これらの知識はそううつ病カテゴリーのブロガがーさんが書いた記事から得られました
ほんとうにありがたいことです。
それで私もこのことを発信しています
最近長い文章を打っているせいか背中が苦しいんですが、がんばって打ちました
他にも障害者手帳を持っていることで受けられる事があれば教えてほしいです
障害者年金については考慮中です
国民年金では3級がなく、2級を受けられる程症状が重くないように思います


障害基礎年金、受給しています。何故、今まで真っ当に年金を払って来たのに、手をこまねいているのでしょうか?この躁鬱病の場合、ほぼ99%受給できるはずです。
発病してからどれくらいなのか分かりませんが、遡求請求すれば、何百万か、もらえるかもしれません。実際、500万円還付された友人もいます。
もしも貴方が大金持ちならスルーしてください。
わたしは、激躁状態の中、一人でお役所のカウンターで職員達と喧嘩しながら申請をしました。なんとか司を頼らないでも、一人で出来ますよ。がんばらないで、がんばってくださいね!
かしこ


おしえて君では、前に進みませんよ。
この現代社会、ネットをフル活用してやりましょう。
ちなみに、わたしは超アナログ人間ですが。
追記 さてエルダーさん、一体わたしを誰だと思いますか?貴方の良く知る人間です。なんどもお会いしています。ヒント はねうさぎさん!ははは!


みもさんも、多少混乱しているように思います。
確かな情報は、地域の公的機関に相談してはいかがですか?
そこで、詳しく述べられない問題については、そこが、適切な
どこかを紹介してくれるはずです。
ふさわしい公的機関が分からなければ、お医者さんにどこがよいか聞いてみたらいいです。
ちなみに、私の病院には、そういう相談窓口があります。
もっとも、私は、ハローワークと役場で聞いて、分かりましたけど。。


自立支援は受けています
ネットでいろいろ調べてみました
年金については、勇気を出して公的機関に相談に行ってみます
国民年金にも3級があればいいのに、と思います


是非このサイトのリンク集の中の「福祉関係」のリンクに目を通して見て下さい。何か発見があるかもしれません。
http://bipolar.ac/kanto/link.html" target='_blank'>http://bipolar.ac/kanto/link.html
障害年金ですが、ずいぶんと以前と比べると、現在はかなり厳しくなっていて、手帳3級の方が年金2級を取得するのはかなり厳しくなっているのは事実です。
「日常生活の用を弁ずることを不能にならしめる程度のものを1級に
日常生活が著しい制限を受けるか又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度のものを2級に
労働が著しい制限を受けるか又は労働に著しい制限を加えることを必要とする程度の障害をのこすもの及び労働が制限を受けるか又は労働に制限を加えることを必要とする程度の障害を有するものを3級に」
となっていますので、いかに日常生活に著しい制限を受けているかというのは、医師の診断書の内容次第というのが現実のようです。
なので、相談できる医師であればよく話し合って見ることが重要だと思います。
是非、あきらめずに、挑戦して見て下さい。
cooさんへ
えっ。本当にぴょーんといなくなってしまったあのうさぎさんですか?
もしそうなら、また一度会ってみたいものですね。
ただ、道ですれ違っても、私は目が悪くなりすぎて見分けがつかないので、気兼ねなくそちらから声をかけて下さい。
でも、うそぴょーんなんて言わないで下さいね。
このスレッドへのお返事は、大変遅くなりましたが、目が悪いせいで掲示板を読むことが少なくなり、申し訳ありません。
エルダー


年金事務所に行って来ました
一時間半 話を聞いて来ました
ネットの情報では得られていなかった事を言われ
「えー」「へえー」「はー」を何度言ったことでしょう
症状にはまったくふれませんでした
初診を証明する書類が一番重要なんですね
なんと、軽い動悸で循環器科を受診し「精神的なもの」と言われ安定剤を出されたところまでさかのぼりました
「どんなに重症でも初診が証明できる書類がないと申請できないんですか」と聞くと「年金では そうです」
「何か救済処置はないんですか(なぜかこんなことをくちばしっていました)」と聞くと「年金では ないです」と言ってました
症状について聞くと、エルダーさんが書いてくださったとうりでした
私は症状を重く書いてまで申請する気はなかったので、ダメ押しで年金事務所に行って話を聞きに行ったのです
はじめに症状を言って、「その状態では適応ではありません」と言われれば、2、3分ですんだことです
でもこの病気は、うつ状態の時は、日常生活に著しい制限を受けますから、病名的には適応らしいですね
私が一家の大黒柱なら、社労務士に相談し、絶対申請し受給できるよう最大限の努力をすると思います
今は夫の収入でなんとか生活できています
私が年金を受給できるのは後8年後です
年金をかけ始めた時は、60才から受給できるはずだったのに
どうしても60才から受給したい場合は額が減りますが受給できるのは前と変わりないそうです
年金事務所の人と話した内容について書くと長くなるので、書きません
1時間半真剣に話をしてとても疲れました


診断書を書いてもらえると思います。その病院にお電話などなさってみてはいかがでしょう。
的外れなことを言っていたらすみません。


今ネットで検索したら、循環器科を受診した病院がわかりました
初診は24年位前です
その後、その土地で精神科に3件かかりました
不眠で緊急的に受診した病院(遠くて通院できず、今は看板が無い)、知人に紹介された病院(遠くて通院できず)、自分で見つけた病院(ここには電話してみましたが、もうカルテは破棄されたと言われました)
その後引っ越して、今の病院に至っています(20年位通院)
5件の病院から証明書を取らないと、極めて申請は難しいと言われました
ひとつ悔やまれるのは、引っ越して転院する時に口頭だけで紹介され、紹介状を書いてもらわなかったことです
紹介状を書いてもらえば、それまでにかかった精神病院の事が書かれていたと思われます
今の病院に初診の時、医師に「前の病院で手紙を書いてもらえばよかったですか?」と聞いたら「いやいいです」と言われました 医師同士知り合いでした
今、精神安定剤を処方された人全員に、今後どのような事になるかわからないので、初診の病院名、日にちは覚えておくようにアドバイスしたいです
そしてその後経過がよくても絶対1年6ヶ月以内に受診するように、と
ここ1年間体調がよく、行動を拡大する方向で進んでいます
皮肉なもので、体調が良くないと年金事務所に行き相談するなどという気になれません そして年金事務所でまともに集中して相談できる状態の時は、日常生活に著しい制限がある時ではありません
つまり2級の対象にならない状態です
2級の対象となりたければ、誰かに付き添ってもらい、その人に相談してもらい、本人はおとなしく聞いているだけの方がいいんじゃないかと思いました
でも2級の対象かどうかを決めるのは、その時の相談相手ではなく、書類審査ですから、そんなこと気にしなくてもいいのかとも思います
ネット情報では、日常生活の状態は自己申告で医師は内容を見ないとか
ちょっと書類を見たら、現在の状況を書く事になっていて、まったく2級に該当しません
精神障害者にとって、年金2級の申請は、書類の準備、病状の記載の方法などかなりエネルギーがいりますね
社労務士に依頼するといいんでしょうが
私の場合初診から1年6ヶ月以内に受診してないので、さかのぼってもらえるお金(なんていう名称か忘れました)が無く、負担が大きすぎます
なので、
いまのところ、申請はあきらめています
長くなりますが、じつは私は平成24年に母を平成26年に父を亡くしました
私は近くに住んでいてできる範囲で生活の手助けをしていました(そううつの波があり思うように手助けできず、すごくつらい時がありました、消えてしまいたい時もありました) 5ヶ月くらい同居をしたこともありました
私にとって母は最後まで怖い存在でした 母の感情を害しないよう気を使っていました
子供を持ち、母への愛着がいっきに増しました 感謝の気持ちがわきました
なぜか、母の三回忌以後 体調が良くなり始め、心から笑えるようになりました
あずささんは、ご家族との葛藤をお持ちではありませんでしたか
ご結婚していないようなのに、こんな話をしてごめんなさい
なんの参考にもならず、かえって傷つけてしまったかもしれませんね 申し訳ないです
ゆっくりお話ができたらよかったですね


精神科医に勧められた本を読んでいたら、幼少時のかなり深く傷ついた記憶が呼びさまされてしまい、その後、芋づる式に、次々と、忘れていたような痛ましい体験も思い出しています。
かなり心の血を失いましたよ。青ざめています。
幼少時の痛みを再体験し、強い怒りと悲しみを覚えています。
そして、『生まれて来なければ良かった』と泣きながら叫んでいるのです。
死にたいという衝動が襲って来ています。台所に行くのが怖いくらいです。ナイフとか見るとまずいです。
自分では意識しないようなところで、結構、まだ古傷にさえならず、開いたままに血を流して痛んでいる傷口があったのだなと思い知らされました。パンドラの箱を開けてしまった感じ。
頭が気持ち悪く、叫びたいほど気持ちが悪いです。
でも、病院に行っても、わたしの場合は、あまり意味はない感じです。だって、ただ薬を出されるだけなのですもの。その薬はまだたくさん手元にあります。また、薬に弱くて、微量でも、ろれつが回りにくくなったり、転びそうになるのです。
双極性障害の限られた気分安定薬もそんなに飲めないのです。自分で色々調べた漢方薬を医師に頼んで処方して頂くこともありますけれどもね。
わたしに効く薬が、まだ見つかりません。
そういう状態で、やっぱり自分の過去を急激に見つめるのは、思いがけずびっくり箱みたいに、どーんっと、トラウマが飛び出してくることがあって、危険な時があるようですね。
びっくり箱から飛び出してきたピエロの顔は泣いていますよ。
一生、この病気と対峙して生きていかなければならないのなら、少しでも、人生を整理して、病気との付き合い方も、改善したかったけれど、あまりに危険な試みだったと思います。
「子どもを生きれば大人になれる」という本です。
自分に向き合うエネルギーや自我を持っているときなら、役に立つかもしれません。でも、わたしには時期尚早でした。
叫びたくなるほどの焦燥感と怒り、深い悲しみと痛みで、死にたい衝動にかられています。
わたしは、
自分の意思でこの世に生まれたわけでもなく、
自分の意思で家族を選んだわけでもありません、
自分の意思でこの双極性障がいになることを選んだわけではもありません。
でも、わたしが引き取った身寄りのない猫メロディーは、
わたしの意思で、たくさんいる猫の中から選びました。
わたしは、自分の意思で、この子の里親になったのです。
少なくとも、自分の意思で選んだことには、責任を持たなければいけませんね。メロディーのために生きなければならないと思います。
とにかく、この世に留まらねば・・・。
読んでくださって感謝です。
あずさ


安易に医師から出された薬で、どうにかなる病気ではないですよね。
むしろそんな投げやりな医者・患者関係の中で、幼児時期の一番敏感な時期のトラウマを共有なんて到底できないし、そうやって安易に出されて薬がたまっていくと、それをODのためみたいに負の材料としてしか手元に残らないという皮肉なものですよね。ナイフが手元にある、そこにあるものが自分の中の色んな抑圧されてきた、共有できないものを衝動として呼び覚まして手を伸ばしてしまうお気持ちも、とても分かり、心が痛みます。
副管理人のエルダーさんは、とてもませた男の子で、4歳ぐらいのときに、自分が自分であり、世界は世界であるということを認識してしまって、その世界の認識の全部を小さい四歳の背中に背負っていかないといけないとガツんと気づいてしまい、
エルダーさんのお母さんに「なんで僕を産んだんだ!」と恨めしく言ったそうです。
自我が芽生えないような頃に受けたトラウマを、ずっと漠然と心に潜んでいた重いものを、大人になって見返すのも痛ましく、あずささんがおっしゃるように、どーんっと、トラウマが魔物のように飛び出してくることかもしれないです。
逆に、エルダーさんは4歳で自我が芽生えてしまったようで、魔物のようにわけのわからない「世界」というのが自分に向けて飛びかかってきたんじゃないかと思います。
でもあずささんとエルダーさんと類似しているなと感じているのは、それがいつのときであれ、一人でその魔物と対決していないといけない現実があるということだと思います。
もちろん、エルダーさんは大人になって、家族や仲間がいて、孤独と幼少期の重荷は解消されていっただろうけど、あずささんだってご家族や仲間がいて、でも、とくにこの社会そのものがわれわれを疎外して「子供は生きれば大人になる」なんて本来の在り方を無理にしていると思います。
そこでメロディーちゃんの書かれたことを読んで、実は元旦にうちではハムスターの赤ちゃんが生まれたのですが、自分が一人でいろんなことを背負って、子供のように、まだ自分が支えてもらわないとつぶされそうなときでも、守らないといけない対象があると、不思議と背中が凛として、とにかくこの子達が大人になるまで、私がしっかりしなきゃと思えます。
というか、そうやって自分が崩壊しないのを赤ちゃんたちが支えてくれているのかもしれません。その赤ちゃんたちは自分の中の一番純粋な子供な部分の鏡であるのかもしれません。
自分の中で暴走する魔物を抑えて、何よりその子たちを優先して育むことに集中すれば、そして彼らが立派な大人になってくれれば、飛躍した話しですが、自分も一緒に成長してちゃんと自己同一性が確立した存在に立ち返れるんじゃないかなんて、逆に彼らにそんな希望という形でプレッシャーを与えているというか笑
私は今常に何か壊したくなったり、自分を痛めたくなったり、もう何もかもどうでもいいと投げやりになるとき、あ、でも今朝はちゃんと赤ちゃんたちのえさを用意しないと彼らは死んじゃう、と我に返るし、ほんとつらいときにはつらい重しはすべて投げ捨てて彼らをじっと見つめているだけで救われます。
メロディちゃんのあずささんにとっての存在は、なんだかわかる気がして、つい自分とエルダーとハムちゃんのことを書いてしまいましたが、
なによりあずささんのおつらい気持ち、とても痛ましく、どうか私なんぞの独りよがりな記事へのレスなど気にせず、思うがままここの掲示板に想いを書いていただければと思います。
それだけでもウエーブとしてあずささんにとって何か発散、気持ちの解消の場になれれば幸いです。
りさ


そんなに苦しくなってしまったのなら、勉強を中断して、どうぞ猫に癒されて下さい(猫の手くらいかもしれませんが)。
傷口の位置がわかったのはいいことで、そこに想像の絆創膏を貼ればいいですよ。
なんで傷になったかは考えずに、もう手当したからだいじょうぶ!って考えてみてください。
カウンセリングという手もあります。
私は、公金で通えるカウンセリングにいろいろ、何年も通いました。私費でもちょっと挑戦しました。
どの人にも、私が、当時は言うところがなかったけど、今は社会的問題になっている虐待児童というもののの当事者だったことを話して、考えを整理したかったのですが、どのカウンセラーもそのテーマに取り組むことを反対しました。
理由は、過去をほじってもいいことはないから、今日明日を、できるだけ少なく損して、多く得するように生きることを考えて、でした。
そんなことを考えるためにわざわざカウンセリングに行ったり、本を読もうとする人は、その時点ですでに過去の自分を受け入れているし、自分に関する悟りに近づいているので、もう十分ですよ〜、という意味だったと今は解釈しています。


メロディーちゃんは何ヶ月くらいですか?
おとなの猫ですか?
うちの猫は、「猫を飼ってくれませんか」と一軒一軒回っている人から貰い受けました
はじめに「性格はどうですか?」と聞いたからか、2匹いるうちのおとなしい方をくれたようです
もう1匹の方は、もらわれていった先から「きかなくて困る」
と苦情がきたそうです
あずささんのところのメロディーちゃんはどんな感じでしょうか
猫を飼う意欲が出てきてよかったですね
トイレの掃除とか毎日しなきゃならないですが、いい気の張りになるといいですね
かわいいですか?
ペットがかわいいかどうかが体調のバロメイターになりますよね
猫は散歩をしなくていいし、私逹のような病気の人にはむいていると思います
家の中でだけ飼うんですよね
脱走しないように気をつけてくださいね
うちの猫はじゅ13年飼っていて3回脱走して 探すのがすごーくたいへんでした
自分でもどってきますけどね
今は寒くて玄関のドアを開けておくのがたいへんです


お返事をくださって、こころより、感謝します。
具合が悪くて、ちゃんとした返事が書けなくて、失礼します。書いてくださったこと、何度も読ませて頂きました。
この一か月ほど、ほとんど外出が出来ない状態でして・・・
せっかくのこういう場所も、文章を書くエネルギーがなかったり、出かけるエネルギーがなかったりすると、参加が出来ない感じで残念ですよ。
りささん、ちかさん、みもさん、
あったかくして、優しい冬をお過ごしくださいませ。
ありがとうございます。ほんとうは色々なお話が出来たらと思います。
あずさ