

はじめまして。
この前はチャットに参加させていただきまして、
みなさまありがとうございました<(_ _`*)>
躁を出来るだけコントロールしようと努力したつもりですが、
迷惑をかけていましたら、ごめんなさい。
今日は、みなさまにお伺いしたいことがあって、トピックを立てさせてもらいました。
私は、今の心療内科に6年以上通っていて、ずっと同じカウンセラーに診てもらっています。
最初は本当に抑うつがひどい状態で、(また、時に躁状態で手のつけられない子供のようで)そんな私を、ヘレンケラーのサリバン先生のように根気強く診ていただきました。
近々、先生が他の病院に移ることになり、転院すべきか悩んでいます。
正直、まだ躁うつの感情コントロールが上手にいっていない部分も多く、もっと学びたいという気持ちが強いです。
ただ・・・カウンセラーの先生に依存しているような気がして、本当についていっていいのかな?と思うのです。
先生が好きで離れたくないというか・・・。
でも「いつかはカウンセリングという治療は終えなければならない」、というのはよくよく聞いて理解しているし、ずっと診てもらうことは不可能だと分かってるんですが、、
カウンセラーにこの気持ちも伝えて、転院すべきか考えた方がいいんでしょうか?
もしこの感情を伝えたら、「依存はよくないから、カウンセリングは終了しましょう」とばっさり切られるような気もして、悩んでいます。。


私は専門的知識がとても乏しい人間なので、とても個人的な意見になってしまいますが、
この病気になると、信頼して悩みの相談などをできる人が限られてきて、私も一時期、病気について定期的に話すのは医者とカウンスラーのみ、という状態が続いていました。これは、同病者であれば共感できる経験だと感じます。
とてもパーソナルなお話しもするし、理解を得にくい症状もあるので、それを理解し丁寧に話を聞いてくれるお医者さんやカウンセラーに出会ったら、それはすごい頼りにしちゃうし、つよい表現を使えば「依存的」な気持ちも抱くのも自然だなあ、と思います。
臨床心理学の専門用語で「転移」というものがあります。またまた個人的意見になりますが、ゆめさんの心境は、この言葉に当てはまる面があるかな、と予想します。もちろん病気としての転移、ってわけではなく、意味合いとして共通する面があるかと:
http://w-heart.net/justy/seven/01/" target='_blank'>http://w-heart.net/justy/seven/01/
■転移
<transference>
カウンセリングや心理療法をしていく中で、クライアントが無意識にカウンセラー・治療者に対して、親など過去に出会った人物に対して抱いたものと同様の感情や態度を示すときがある。
これを転移といい、陽性と陰性に分かれる。陽性転移の場合は信頼、感謝、尊敬、情愛などで、陰性転移の場合は敵意、不信、恨み、攻撃性などの感情である。
治療者は、これらの感情を分析することでクライアントの心の中核に迫っていき、治療に活かすことができる。
クライアントが自分の依存や不安に気づき、こうした転移を乗り越えたとき、治療者との信頼が深まりカウンセリングもスムーズに進む。
クライアントの転移感情は複雑で、甘えと恨みが裏表になっていたり、恋愛感情のあとに攻撃性を示したりなど、両方が現れ、陽性でも陰性でも、そうした感情が強く表れると、反対に治療者が巻き込まれてしまうことがある。
治療過程で、反対に治療者の側がクライアントに特殊な感情(恋愛感情など)を持つようになることを逆転移という。
-----------------------------------------------------------
「治療者は、これらの感情を分析することでクライアントの心の中核に迫っていき、治療に活かすことができる。 」
と書かれているところから見ると、カウンセラーに個人的な感情を抱くことにより、自分の内面をよりよく理解していただく機会となり、治療の中でメリットになることもあるのではないか、と感じます。
でも、逆にこのような意見もネットで見つけました:
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1125574396" target='_blank'>http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1125574396
しかし、このサイトでのやりとりは、主に「逆転転移」に着目しているものですし、なんだか内容も極端で。転移ってケースバイケースの問題ですし。
結果的に私の意見としては、厳密にビジネス的な関係よりちょっと個人的な感情を見せるのは、治療自体にメリットがあると自覚してそれを有効活用できるから完全否定しなくていい。でも、その感情が一線を越えないようコントロールしてなきゃいけないし、それができればカウンセラーさんを変える必要はないんじゃないか?という感じです。でも、病院自体変えなきゃいけないとなると、それは別問題として大変そうで、悩むところですね(汗)
ゆめさんは、いいお医者さんに恵まれていいなあ。私の主治医・カウンセラーは逆にちょっと他人行儀すぎて、もちょっとふみ込んで話してくれる人を捜し中です(^^;)
チャット、楽しかったです、またお話しできるといいです。ではでは。
-りさ


お返事ありがとうございます。
チャットの時も楽しい会話をありがとうございました^^
なるほど、転移というのですね。
専門的なことをよく知らなかったので、とても勉強になりました。色々と調べてくださって感謝しています。
気づきになったし、自分の気持ちにも整理がつきそうです。
りささんのいうとおり、個人的な感情があるからこその、治療の進みやすさというのも体験しているように思います。
カウンセラーに「成長したね」と褒めてもらいたくて、治療を頑張っているようなところもあるからです。
でもいつか、カウンセリングが必要なくなるくらい、自立しないといけないですね。
それが一番の恩返しだし、カウンセラーが最も望んでいることだと思うので。
ただ、それでも・・
「こんなにゆめさんが成長したんだと思うと嬉しくって。。泣いてしまったでしょうが」とカウンセラーが涙を流してくれたことだけは、ずっと忘れないでいようと思います。
お世話になった感謝と好意はこっそり胸に持ち続けたいと思います。
転院については、もうちょっと考えますね。
色々と教えてくださってどうもありがとうございました。
りささんにも、素敵なお医者さんとの出会いがありますように、心から願っていますね。


上の記事を読むと、ゆめさんはカウンセラーさんとの関係をとっても客観視できていると感じますし、厳密に「転移」なんて言い方は大げさだったかな、と今は思います。
カウンセラーさんと、本質的なところで思いやりをし合えて、それに加えてゆめさんはその深いおもいやりが極端にならないよう、コントロールし、客観視されているようで、
とてもバランスがとれている、治療上良い関係だな、と感じます。うらやましい限りです(笑)
「カウンセリングがなくなるくらい、自立しないといけない」それが一番の目標ですよね!でもその目標に達するまで、孤立して一人でうんうん悩むか、心を許せる人(あるいは人々)とともにその道を歩むか、大きな違いだと思います。
想像だけで色々言っちゃってエラそうですが(^^;)ゆめさんはとってもいい出会いをしたんじゃないかなあと感じます。それは私が言うまでもなく、ゆめさんが一番実感していることだと思いますが。
チャットでもそうでしたが、私のおたおたとした長文に丁寧に返事していただいて、ありがとうございます。
私のことも「心から願って」いただいて、ほんとありがたいです。実は、「ふん!カウンセラーなんて、主治医なんて、どうせ私のことなんてどうでもいいんだから、仕事以上に思いやりなんてないんだから」ってふてくされてきた私なので、なんだか新しい可能性に目が開いた気がします(^^)
とにかく、とても孤立しやすい反面、人並み以上に他人の思いやりと理解を必要とするのが躁鬱病者だと感じますので、「出会いと人間関係が一番の薬だな」と再確認できました。私にとって、それを今一番提供してくれているのは同病者だと思います。
では、では!
‐りさ


皆さま、初めまして。みなみと申します。
2週間前に、「双極性障害」であることを診断され、
今まだ、その事実がなかなか受け止められず、
受け入れては、希望が見えず絶望したりと、苦しい日々を送っています。
長年鬱に悩んでいて、主治医からは気分循環型障害とはやんわりと言われていたのですが、自分では、あがっている時の自分が本来の姿だと思い、認めていませんでした。
でもちょうど1年前に、たまたま受けた催眠療法が引き金となったのかひどく躁転。 躁鬱に関しての知識がまったくなかったので、絶好調!やっと本来の自分になった!と思うぐらいで、逆に、だんだん鬱に傾いたのが悔しくてなりませんでした。 しばらくたっても、「あれは何だったんだろう」と、スピリチュアルな世界などで覚醒体験として探してもいましたが、
たまたまネットで目にした躁鬱の文字に、まさか。と愕然としました。
しばらくは、自分でも認めたくなかったのですが、
うつの治療で、ありのままを愛していこうというトレーニングをはじめだしたら、「やっぱり本来の自分はそうなのかも」と皮肉にも認める気持ちが出てきて、「せっかくなら、ちゃんと合った治療をした方が治るのも早いかも。」と前向きに考えて、改めて主治医に確認したところ、「双極性障害」ということでした。
自分では受け入れて、主治医に聞いたつもりです。
でも、
実際主治医から、その言葉がでた後は、すごくショックで・・・・。
このその衝撃に、落ち込み、泣き続けています。
ショックを受けているということが、もし同病の皆様に失礼だったら申し訳ありません。 でも、もし同じような経験をして、それを乗り越えた方がいらっしゃったら、アドバイスいただきたいのです。
どうやったら受け入れられますか?
それとも完全には受け入れられなくてもいいのでしょうか?
やっぱり時間はかかるものでしょうか?


大変遅れたレスで申し訳ありません。
そうですね。診断後2週間というと、みなさん、やはり、それを認めるのが難しくて、苦しまれる方が多いようですね。多分それには、多少の時間がかかることなんだと思います。
私の場合は16才(推定)発病で、診断されたのは50才くらいだったので、ずいぶんめちゃくちゃな体験をしてきた後で、自分の人生の謎が解けたと逆に腑に落ちた気がしました。
だから、みなみさんの苦しさを本当には理解できていないのかも知れません。それに、確かに躁の時の自分というのは、今までになかったような自分の力を発揮することもあったり、世の中が本当にきらめくように変わって見えたり、「すばらしい」期間でもあるのですから、全否定する気にはなれませんし、その必要もないと思います。
ただ、うつはやはり苦しくて、躁の時にあまりひどくなると、うつがその分ひどくなるので、それだけは避けたいですね。そういう意味では、躁うつ病の治療をきちんと受けるのは重要だと思います。
私が躁うつ病であって良かったと思うのは、躁うつ病でなければ分からなかったと思う、人間関係の機微が分かるようになったこと、そして、すばらしい躁うつ病の仲間に会えたことです。
お幾つかは分かりませんが、多分私よりも随分若く診断されたことは、私から見ればうらやましくもあります。
いつか、オフ会ででもお会いできたら嬉しいですね。私は躁うつ病のオフ会で随分気持ちが楽になり、多くのことを学んだものですから。
拙い返事でごめんなさい。


管理人のりさと申します。
本当に申し訳ないことなのですが、スパム記事を削除した時に、みなみさんの記事とElder Mopeさんのレス記事を、誤っていったん削除してしまいました。
残されたデータから復元しましたが、文字色と暗証キーを復元することができませんでした。
文字色は私宛にメールを頂ければ変更致します。(私の名前をクリックすれば、メールアドレスが表示されます)また、記事内容を変更されたい時も、メールを頂ければこちらで修正します。
申し訳ありませんが、ご了承下さい。


実は、書き込んで次の日、投稿が消されていたので、
きっといくらツライからと、人の気落ちも考えず、皆さんに失礼なことを書いてしまったのかと、かなり落ち込んでました。
それで、掲示板もみなくなってしまい、返信が遅くなってごめんなさい。
でも、間違いとわかってよかったです。。
(りさ様、文字色などは全然このままで大丈夫ですから。笑)
Elder Mopeさま、温かいコメントありがとうございました。
あれから、だいぶは落ち着いてきましたが、
(あの2週間は本当に安定薬を飲みまくってしまいました。告知前はすごく落ち着いていたのに。。。)
まだ、自分でも何がここまでショックなのか、よくわからないでいます。
>確かに躁の時の自分というのは、今までになかったような自分の力を発揮することもあったり、世の中が本当にきらめくように変わって見えたり、「すばらしい」期間でもあるのですから、全否定する気にはなれませんし、その必要もないと思います。
そうなんだですよね。。。。
うつだと思っていたとき、うつの自分が情けなくて嫌いで、、、、
今度は、元気だったときの自分も、病気だっったのかと思うと、
もう、自分ってなんだったのか、わからず、、
深く落ち込んでしまいました。。。。
でも、Elder Mopeさんのおっしゃるとおり、全否定しなくてもいいのですよね。
なかなか難しいですが、双極性であるということは認めながらも(治療はしながらも)、でも、自分は自分として歩んでいけたらなと思います。
>私が躁うつ病であって良かったと思うのは、躁うつ病でなければ分からなかったと思う、人間関係の機微が分かるようになったこと、そして、すばらしい躁うつ病の仲間に会えたことです。
そうですね。
過去の掲示板を拝見するだけでも、管理人の皆様を始め、本当に皆様配慮に優れ、またきっとすごく頭のよい方達だなぁと思っています。
これから少しずつでも掲示板などで交流できたらと思っています。
どうぞ皆様よろしくお願いいたします。


それはそれは、本当にごめんなさい(><)
私も最初掲示板に書き込みをした時に、「こんなこと書いていいのかな」と思って何度も削除したいという衝動にかられたりして、それだけでもつらかったです。初投稿のみなみさんのお気持ちも同様にデリケートなものだったはずなのに、無神経なことをしてしまい、心から申し訳ないです。
みなみさんのこの病気をどう受け入れればいいか分からない、ショック、という気持ちは、失礼でもなんでもありませんよ。私も同じ風に感じることがしばしばです。なんせ、慢性病と言われているほどだし、「一生付き合う」というのは直面しにくい現実です。
みなみさんの「ありのまま」や「本来の自分」という表現には、とても共感できるものがあります。
躁うつ病とは「こころ」の病気なので、自分自身の性格や価値観をも変えられてしまうのか、と不安になったりもします。
初めてうつ状態から躁状態になって、またうつになる時確かに一番ショックな体験かもしれないですね。「もう自分じゃないみたい」から「やっと自分を取り戻せた!」ってなって、安心とうれしさでいっぱいなのに、結局、全部ただ病気だったの?って結果で。
私は小さいころから躁鬱気質だったので、「病気」と「自分」を分けて考えるというよりは、病気と言われている側面も実は自分の一部分と考えて、あまり否定しないようにしています。ただ、社会が否定しているだけで(苦笑)
都合の良い考え方かもしれませんが、社会的には病気として理解して許容してもらい、でも心の中では、病気って言っても、本来の自分が極端に引き出された形なんだ、何が悪いーって割り切っていたりします。社会がちょっと変われば、「すばらしい感性」とか、「人並み以上の複雑な感情と世界観」だと、認めてもらってもいいんじゃないか、って(笑)
実際、この病気を担ってなければ理解できなかった感情や思想、人々などがいて、それにはありがたく感じているくらいです。ただ、やっぱり社会的になかなか機能しにくい、というのは本当に受け入れがたい時もあります。
みなみさんも、同病者との交流などを経て、自分なりにこの病気と付き合える形を見出せるといいですね。私もそれをせっせか目指しています(^^;)
‐りさ


温かいコメントありがとうございました!
この場では新参ものですが、りささんの書かれていること、強く共感してしまいました。
>都合の良い考え方かもしれませんが、社会的には病気として理解して許容してもらい、でも心の中では、病気って言っても、本来の自分が極端に引き出された形なんだ、何が悪いーって割り切っていたりします。
そうなんです。ちょっと極端な考えかも知れませんが、
「病気」と判断するのは何ですか?医者、ひいては西洋医学ですよね。
で、なんで西洋医学で判断したことが「病気」になってしまうかというと、、
よく考えたら、それが「『健康保険』のベースになっているから」という事実だけだと思います。
つまり、気功や整体、カウンセリング、その他のことにも同様に保険が効いたら、、、、逆に、病院に保険が効かなかったら、、、薬だけ出す治療方法にそこまでお金を出すでしょうか? みんな行くでしょうか??
つまり「双極性」というのは西洋医学的な判断であって、
極端な話をすれば、それが宗教的な世界では悟りを得た至高体験などと言われるものではないのかなーとも思ってしまいます。
>社会がちょっと変われば、「すばらしい感性」とか、「人並み以上の複雑な感情と世界観」だと、認めてもらってもいいんじゃないか、って(笑)
確かにそう思います。 おこがましいかも知れませんが、今より昔の方が音楽、絵画、文学、などでも天才と呼ばれる人が多いのは、現代のように、
画一的に標準でなければ「病気」とみなす医療が発達してなかったおかげもあると思います。
(実は、私はアート系の仕事をしていまして、激躁になった時は、それこそイメージもクオリティーもすごく冴えて、「あー、"降りてくる。”」ってこういうことだったんだーって思いました。)
今ほど人口も多くなく人付き合いも複雑でなかった。
勉強だって家庭で教えることも多かったと思うし、
学校があったとしても、ここまで画一的ではなかった。
メールやネットもなく、即レスしなくても気を遣わなくてよかった。
そんな時代だったからこそ、のびのびと、いわば「躁」の時に大きな力を発揮できたのだと思うのです。
今は、ちょっと片付けができなければ、ADHD?? ,
境界人格障害などなど、、、いろいろありすぎて、、、
一体、どんな人間が”健康”なんだろうか。。。と思ったりします。
まぁ、でも結局のところ、反動の激うつがあまりにひどかったので、
今はお薬に頼っていますが、、、笑。
きっと、のどかな昔であったならば、これも個性としてありだったと思います。。(鬱の苦しみには耐えなければいけませんが。その点は、天才たる方たちはすごかったんだなーとは思います。ただ、やはり自死も多いですけどね。)
と、そうは思いながらも、やっぱりそんなことは、戯言で「病」と認めて、治療はしなければいけないのかという葛藤はあります。
ごめんなさい、新参者なのに、アツく語ってしまいました。
でも、りささんなら、わかってもらえそうで、つい心の内を書きました。笑
ご意見伺えたら、嬉しいです。


削除の件は気にしないでくださいね!人間ですからミスも当然。笑。
私は逆に、ミスでよかった〜って、受け入れてもらっただけで嬉しかったですので。


私の極端(?)な考えを理解していただいて、なるほど、同類のアート系の方だったのですね(^^なるほどってなんじゃw)お仕事をされているとは、それだけでうらやましいのに、アート系とは。何か作品とか作られているのですか。私は趣味の範囲ですが、でもアートは大好きです。
クリエイティブな頭で考えてみると、何気なく日常で使っている言葉の定義をもっと柔軟に解釈することができて楽しかったりします。たとえば「こころの病気」と言っても、それを悲観的に捉えること自体とても狭い解釈だと感じます。みなみさんのように「健康保険のベースになっている」と見ると、なんだか「せいしんびょうしゃ〜うわ〜」と主観的に捉えがちなものをもっと冷静に捉えれる気がします。
私にとって「びょうにん」とは「社会から外れた性質の持ち主」というとこでしょうか。みなみさんの文章を読んだあとは「現代社会」の方が適切かなとも考えました。
私もよく、精神病という言葉がなかった大昔の時代には、精神病者はどう見られていたのか、あるいは精神病自体存在したのか、とか考えたりします。アフリカの民族文学をちょっくりと学校で勉強したことがあって、とても印象深かったのが「子供は精が宿る暗い森を抜ける儀式を経て、成人する」って節です。とにかくふつうに森を何日かかけて抜ける儀式なんだそうですが、すごい怖い体験だそうです。自分の精神世界に宿る未知の恐怖に直面し、それに立ち向かい乗り越えることの象徴だそうです。私はそれを応用して、混合状態など乗り切ったことがありますw「森を抜けるんだ、そしたら成長できるんだ」って唱えるだけなんですがw
実際今の社会では社会的な成長ばかり重視されていて、精神的な成長はあまり重視されていない気がします。狂気とは何か、絶望とは何か、愛とは、孤独とは。こうゆう問いを社会の一部として理解しようという取組があるとは思えませんし、現に人は他人とまったく接触せずに孤立し、他人あるいは自分の内面世界はあまり理解せずにでも生活は成り立ちます、なんと!w
元から精神病は存在するのか、あるいは社会が病気を作るのか、にわとりと卵のような問いですが。私は元から人並み以上に内面世界が豊かな人々が、それを受け入れ理解する体制のない社会に生まれ、その内面世界が孤独の中で歪んだカタチになってしまうのではないかと思います。環境がよくなれば、「びょうにん」ではなく「せいじゅくした精神の持ち主」として見られるかも。あの森を抜ける儀式、躁鬱病者だったらかなり上手くできると思うんだよなー(^▽^)
私も長々と語ってしまいました(汗)色々想像するのは楽しいですが、リアルに見れば薬を飲まなければ社会的に機能できないんだし、「躁うつ病である自分」を否定しなくても、社会の定義上「びょうにん」であることは事実ですよね。でもそーゆー微妙な解釈のだんだんを理解してればちょっと気が楽だったりします。
削除のこと、優しいお返事ありがとうございます。今後は気を付けます。
私事ですが、最近調子が悪くて人とやりとりするのが難しかったので、久しぶりに充実した内容でやりとりができて、嬉しいです、ありがとうございます(^^)
ではでは!
‐りさ


>私事ですが、最近調子が悪くて人とやりとりするのが難しかったので、久しぶりに充実した内容でやりとりができて、嬉しいです、ありがとうございます(^^)
こういっていただいて、とっても嬉しいです。
今は体調は大丈夫ですか?
私も、気持ちを話せて、わかってもらえる人がいたというだけで、
こんなにも気持ちが楽になるのかとビックリしています。
(レスを見た後、今朝はすごく気分が楽なんです。笑)
こちらに勇気を出して、書き込んで本当によかった! オフ会にも行けるよう元気になりたい!
細かいお返事は改めますが、やっぱり人間を本当に救うのは、
人とのつながりなんじゃないかなーって改めて思います。
今、現実的な悩みとして、周りに病気のことを言えず、本当に孤独だったので。(あくまで、現代社会での「病気」と思っていても、なかなか話す相手がそこまではわかってくれないでしょうからね。笑)


ふふ、あたたかいお返事、ありがとうございます!(^▽^)
Elder Mopeさんも躁うつ病になってうれしかったことは「すばらしい躁うつ病の仲間に会えたことです」と書かれていますが、私もこれに尽きると思います。
理解してもらわなきゃいけない側面が人並み以上にあるからこそ、それを同じように経験し理解してくれる人がいるって、私もほんとーに感動でした。ずっとひきこもって一人ぼっちだったので、自然体でいられる仲間ができて、大げさでなく心の支えとなっています。
本当に人を救うのは、人とのつながりですよね。ほんとにそうです。
ただ、初カキコのみなみさんに言うのはどうかな、と迷いましたが、躁うつ病者って、人並み以上に理解し合える反面、うつや躁の症状がぶつかり合うこともあって、それですごい対立してしまう時とかもあるんですよね。オフ会とか全然そんなんじゃないし、のほほんと楽しいですが、それ以上にお友達とかになった人とは、たまぁーに(^^;)自分がうつだとうつの人を支える元気がなかったり、躁だと極端な反応をしちゃったり。
「今この流れで言うことではないだろうー」という感じですが、実は私が調子が悪いのも最近同病者とのお友達とそんな気まずいことになってしまって、人とのやりとりがしんどくなっちゃったんです。でも、別に躁鬱病者みんなと絶対そうなる、ってまとめて決めつけることでもないし、
実際そのような対立も乗り越えて、おたがいを許し合えれば、本当にすごい強い絆も築けるはず、と信じています。そう思えるようになって、ちょっとずつ調子が戻ってきています。
なんか本音ぽろぽろな書き込みになってしまって、ごめんなさい(^^;)交流についてみなみさんが引いてしまうかもしれないのに(汗)でもそうゆうつもりはまったくないし、オフ会に私は何回も参加していますが、いつも平穏で心落ち着く場です。不思議なぐらいw
私はちょっとの間書き込みが少ないかもしれませんが、みなみさんと話せて交流の原点を思い出したようで、本当にありがたいです。(なんかすごい経験者みたいなえらそうなw私も交流会など参加してそんな経ってないのですが)私は長文を書くくせがあるのでレスが大変だと思うので、上の書き込みに返事してもしなくても全然OKですよ。
でも、もしよかったらまだ話しましょう!オフ会などがまだ負担であれば、チャットも月に三回ほど行っていますので、参加してみてはどうでしょうか(^^)ではでは。
‐りさ


レスありがとうございます。(お互いスゴイ即レスですね。笑。)
本音の書き込み、ありがとうございました。
そうなんですか、ちょっと落ち込んだりツライ時期でしたね。
私が思うに、「病気だから」というより、皆さんやっぱり人並み以上に、
「繊細」だからなんでしょうね。 だから落ち込みも激しいし、逆に人の優しさや嬉しいことに触れたら、人並み以上に喜んでしまう。
まだ初心者なので、あまり偉そうなことは言えませんが、
そんな気もしました。(自分への慰めも含めてなのですが。笑)
えー、りささんも交流始めてそんなに経ってないなんて!!笑
レスの感じから、大ベテラン?笑の方かと思いました。
ご自身も体調悪い中、役員までやられて素晴らしいですね。
そのおかげで、多くの皆様の力と励み、生きる希望になっていると思います。
はい、オフ会にもぜひ行ってみたいです。(緊張しますが。)
チャット、実は楽しみにしています。
今度の土曜日ですよね〜。


私調子悪くなると文章能力(というかコミュニケーション能力)が低下してしまうので、ちゃんとやりとりできるかなぁ、とひやひやして書き始めたのですが、わりとすらすら文章が出てきて、うれしくって(笑)みなみさんが理解の早いアーチスト思考の人からでしょーか(^▽^)
そうですね、繊細、そうゆう捉え方すると前向きでいいな。おもいっきりぶつかり合えるのも、それほど気を許しあってるともいえるし、前向きに捉えたいですね。みなみさんの言うように、うれしいことを分かち合う時は自分はさらしざらしうれし涙ぼろぼろ、人並み以上にドラマチックでも、それをも受け止めてくれる仲間はいるし。
いえ、とても偉い名文ですぞ。w
関東ウエーブに参加してから、一年半ちょっと立ったでしょうか。Elder Mopeさんなどには全然及びませぬw 運営に関わってからも、その分いっぱい同病者と関わって、短いながらいっぱい学びました(^^)でも、最近ちゃんと出来てないから、ほかのスタッフの方々に甘えてばっかです(汗)
では、チャットでお話しできるといいですね。私も実はチャットもオフ会も、最近ひきこみりモードに戻ってしまっているので、すごい緊張しています(^^;)参加、できるといいな(無責任な(苦笑)
ではまた後程♪
‐りさ


私は躁鬱障害一型の涼香といいます。
病歴は6年です。
相談はお付き合いしている人も躁鬱障害なのですが、
同棲するにあたって気を付けることなどありますか?
収入は障害年金と両親からの援助で生活しています。
彼も年金収入と簡単なアルバイトで生活しています。
一緒に住むのは彼の一人暮らしのアパートです。
彼の親族のもちものなので家賃はかかりません。
子供は望んでいません。避妊をしています。
家事は分担です。
よろしくお願いします。


初めまして、私も躁鬱病者です。りさと言います。
私は同病者との同棲の経験がありませんので、想像からの意見になってしまいますが、
多分気を付けることとして、どちらか、あるいはおたがいの調子が悪くなってしまう時だと考えます。
私はいつもおもしろい矛盾だなあ、と感じていることですが、躁うつ病のカップルって、
相手の症状を頭では理解し、健常者以上に許容できる反面、
相手の症状を受け止め、支えるほどの心の余裕を持ち合わせていない時が多い気がします。
なので、一人が調子が悪く、うんうんうなっていると、もう一人もそれに触発されて調子が悪くなり、悪循環になってしまう場合もあると思います。同病者の彼の家で一か月ほど泊まった時の私の経験です。
そうゆう時は思いっきりけんかをしたりおもいっきり一緒に調子が悪くなっても、その後それを乗り越えて「おたがい調子悪かったんだね。おたがい大変だったね。」と状況を理解して許容し合えれば、結果オーライで、
それ以上におたがいの絆が深まるような気がします。
家族のように健康な人と暮らしていると、つらい時に支えてもらえてありがたい反面、頼ってしまって申し訳ないなと感じてしまいます。
同病者だとつらい時には二倍大変だったりしますが、依存的な要素があまりなくて、なんだか自立した関係で自分が成長していくのを感じます。
未熟な経験からのささやかなアドバイスでした。あまり参考にできないかもしれません、ごめんなさい^^;
同棲うらやましいですね!私も目指したいです。涼香さんも、がんばってください、応援してます。
では^^ノ
‐りさ


そうですね、体調面が一番不安です。
調子が悪くても、家事はなんとかなっても、言い合いになったり、投げやりになったりしあうと辛いと思ってます。
でも、おっしゃる通り、同病者ならではのきずなはお付き合いしているときから感じています。
りささんも彼氏さんと一緒に暮らせる日がくるといいですね。
ありがとうございました。


私にとってこの病気は、孤立が一番つらいことなので、苦しみを分かち合ってくれる人が一人でもいるとほんとに支えになったりします(幸せじゃなく、苦しみ?w)
多分涼香さんはもっと具体的なご意見をいただきたかったのだろうな、と後ほど考えて、なんだか抽象的なことを書いてしまって申し訳なかった、と思いました^^;涼香さんは同病者カップルの先輩なのですから、もうわかってたことだろうしw
私はまだ自立をしていなく扶養家族なので、お金のこととか、やはり家事など日常的なことも色々考えていかなければいけないことがあるだろうと想像します。
涼香さんの今後の経験から、逆に同棲に関して助言をもらっちゃおうかな、と図々しいことを考えてしまっていたりします‐v−
こちらこそ考えなければいけなかったことを、思い出す機会をいだたいて、ありがとうございました。応援のお言葉も、ほんとありがたいです。
あ、あとあけましておめでとうございます!
今後ともよろしく^v^
‐りさ


ネットで、病気の方と交流できるようになって、10年位になると思います。
基本的には、ハンドルネームだけの交流ですが、オフ会等を通じ、直接お会いする事も有ったりするわけですが、そういった中で、私が知っている限りでも、数組の当事者同士の夫婦もいらっしゃって、大変な事もあるみたいですが、それぞれの、ご家族や、周りの人や、行政の支援等も活用しながら、うまくやっていらっしゃるようです。
逆に、夫婦の一方のみが、結婚後病気が発症した時などは、病気が原因で、色々な夫婦間のすれ違いにより、うまくいかなくなるケースも多く見聞きします。
お二人が、同じ病気を持つと言う事で、逆に絆が強まると言う事もあるかと思います。お二人の明るい未来を願います。
私自身は、双極性T型の男性40代ですが、仕事、家庭、友人、趣味、親戚、まあ、ぼちぼちやっています。


最近の私の感じでは、上がって様と、下がって様と、いろんな場において、後悔しようと、言いたいとことは貯めずに、相手の迷惑にならない程度まで、最後まで全て、言いっ切ってしまう事でしょうか?
相手は多少傷つきますが、自分は、すっきりしますので、その後で謝ったりします。


みなさん、こんにちは。
リーマスを開始し、倍の400oになりました。
400oになったところで、手が震え始め、仕事にも多少
支障が出てきてしまいました。
それが、理由かわかりませんが、急にテンションがあがってしまい。寝なくても元気。活動的になりあちこち出かけてしまっています。今回は、自分の頭の変化に気がつくことができたのですが、暴走がとまりません。とりあえずは、散財はしていませんが・・・。ぜんぜん、寝なくて平気・・・どうしよ。
おかけで、掃除ははかどるし、いらないものもすっきり捨てて
部屋がきれいになりました。
これから、乗馬にいってきまーす。


僕もリーマス400飲んでいますが、血中濃度0.3で今のところ、副作用は無いです。
今回は、自分の頭の変化に気づくことができたので、主治医に連絡か通院して、デパケンR等の抗躁剤を処方してもらったほうがいいと思います。
ぜんぜん寝なくて平気というのは、健常者には無いことですから、今、自分は異常であると認識されることが必要かと思います。
乗馬から帰ったら、病院に行かれたほうがいいですよ。


レスありがとうございます。
さすがに、乗馬で疲れ、体のあちこちが・・・。
でも、元気。
とにかく、寝なくてはと思い、病院が休みだったので、
いつもの倍の眠剤を飲んで(眠れないときの指示が前々からあったので)寝ましたが、短時間で起きてしまいました。
今日は、ウェーブのミニオフにでるつもりでいます。
なんか、楽しみー。
儀助さんは、ちゃんと血中濃度測られているんですね。
私の通院している病院は、小さいクリニックなので、測ってもらえるかどうか・・・。場合によっては、内科に受診しなければいけないかもしれないんですよね。きっと。面倒くさいなぁ。
あれもやりたい。これもやりたい・・・心配です。
レスありがとうございました。


その後、いかがでしょうか。
今回の軽躁とリーマスの投薬開始に因果関係はないと思います。儀助さんがデパケンRを抗躁薬とおっしゃっていますが、リーマスもまた基本的には抗躁薬としての気分安定薬です。
ただ増量の過程が確かにデパケンRの方が容易なのですが、むしろ急性期には、リスパダール等のメジャートランキライザーを用いるべきだと思います。そして同時に気分安定薬を増量していく。
あとリーマスの有効値は最低でも0.4ミリモーラーだったと思います。経験的には0.7くらいあった方が躁にも鬱にも傾きにくいと思います。
お大事に。


そうですねぇ。今も、躁状態です。
眠剤を倍に増やしても、短時間しか眠ることができません。
最近までは、1日14時間寝ないとだめだったのに、へっちゃらです。多弁ではありませんが、非常に活動的です。
薬はリーマス600o、デパケンR800o、エビリファイ6oが基本になっています。
先日、採血したので2週間後に検査結果です。
ドキドキですが、今の状態、鬱よりいいな。


リーマスは量的には問題ない値が出ると思いますが、抗躁としてはデパケンRの方で狙っている処方のように思います。エビリファイ6mmは通常抗鬱効果を狙う量で、軽躁に対しては普通もっと多くの量を使用すると思いますよ。
主治医に確認してみて下さい。


そうなんですよね。わかっているんですけれど、軽躁のときの過活動が止まりません。
今日、母の命日だったんですけれど。振り返ると、それに向かって、躁状態になっていったように思えて、自分にとっては
自分の心を防御するためになってしまったように思います。
母は長い闘病生活の上、癌の末期でなくなったのですが、
死にゆく姿を見るに耐えられなくなり、激鬱になり、薬を飲んでいるうちに、激躁になってしまったのですが・・・。
それも、やっぱり、心を防御するためになってしまったように思えてならないんです。
じゃなきゃ、自分を責めて今頃自殺していたと思います。
それくらい、母の死は痛ましいものでした。
自分が、変わってあげたかったと今でも思ってしまいます。
鬱がくるのも時間の問題かな。
今日、母の命日で色々振り返ったら、ちょっと凹みました。
でも、昨日、当直で忙しくってまるきし寝てなくて、今も
眠たくないので・・・やばいです。
話はかわりますが、先日、血液検査をしました。
結果はまだですが・・・。
手が震え、看護婦の仕事をしているので、採血のときや、
カルテに文字を記入する際、大幅に震えてる時もあって
苦労しだしました。
それでも、意地になって頑張りましたけれど・・・。
薬の件、主治医に確認してみますね。
ありがとうございました。


女性は特にリーマスが合わない方も多いと思います。気分安定薬は他の選択肢もありますので、ご検討くださればよいかともいます。


うつ病と診断されてずっと抗うつ薬を飲み続けていたのですが、ある日急に躁転して、初めてリーマスを処方されました。
でもたったの200mgで続けられ、効果とか副作用とかが感じられず、飲んでいる感覚とかまったくありませんでした。
それでも主治医は、一度も血中濃度なんか計ろうとしませんでした。
うつ病で本をたくさん出しているような有名な医者だからといって、小さなクリニックなのに患者が殺到して、そんな余裕はなさそうでした。
躁うつ病のことも知らないはずはないのに、本当に患者を治そうという気があるのか疑問に思って、ちっとも躁が治らない間に、そのエネルギーで医者を探しまくって今の主治医にたどり着きました。
医者選びって大切ですね。


ご無沙汰してしまいました。躁でとっちらかっていました。無理がたたって、脳と体がガタガタです。気分的には躁の終わりで、混合っぽい状態です。
今日は、妙な妄想が頭から離れないので、同じ思いをしている方がいらっしゃったら、教えて欲しいのです。
それは、破滅妄想です。自分がもうすぐ破滅してしまう。あるいは不治の病で死ぬという妄想です。クレジットカードはすべて止めてしまい、貯金も妻に渡して、身の回りの整理をしています。死の予感は、ほぼ確信に近く、自分でもおかしいと思うのですが、体も勝手に反応して、手に汗をかいたり、足先がひどく冷えたり、食欲が昼間まったくなく夜中に馬鹿食いをしたり、とにかく滅茶苦茶になっています。
ブログを読んでも、なんだか神がかり的なことが書いてあります。とりあえず、内科的な検査をして、1週間後に結果が出るので、それを待ってさらに検査ということになりそうです。ただ、死の確信から、何か良からぬ事をしそうで、、、。ああ、なんだかもうわけわからないです;;


いま、せんさんは鬱病相に入っているのではと思います。
私も、双極性うつ病の時、7年前のいたずら電話を思い出し、そのことを謝りにいきたいと友達に相談したことがあります。
それはもう時間も経っていることだし、謝る事のほどではないと諭されて、誤りに行きませんでした。
うつ病感情が本気で謝りに行かせようとした罪業妄想でした。
今の、せんさんも、うつ感情のため疾病妄想になっているのではと思います。
うつ感情が回復すれば、疾病妄想も自然と消えると思います。


混合は、私としては一番こわくてつらい状態です。
普通のうつは悲観的でもそれはアクティブな行動にでないことが一般的ですし、躁は嫌というほどアクティブになってもそれは楽しかったりします。
しかし混合は、悲観的な感情が行動やめくるめく思想としてアクティブに表に出て、とても疲れますし、とにかくこわいです(汗)
せんさんとは少し形が違いますが、私はひどい混合状態の時、強迫観念がひどくなりました(・・;)「誰かに狙われている」「殺される」頭で症状だと自覚している面があるのですが、感情としてはどうしても本気と感じてしまい、とにかく(自分の中では)リアルに死に近い状態で、ただただこわくて仕方がなかったです。
私もその頃何も建設的な方向へ、と考えることができず、またふつうなうつに自然に戻ってしまったのですが、
一応今振り返ってみて気づく点があって。というと、混合というのは自分にとってはとても忙しく、エネルギーを使うものですが、
なんだか「自分の世界の中」のことって感じで、周りはあまり気づいてくれないことです。それで、ますます孤立し、ますます思考が激しく膨らむ、という悪循環がある気がします。
せんさんは、主治医か誰かに、この症状についてお話しされましたでしょうか。
多分その心境自体を理解するほどの創造力をもった方を見つけるのは難しいと思いますが(苦笑)その漠然として人並みでない恐怖だけでも、できるだけだれか信用できる方に打ち明け、「なんだか分からないけどとにかくほんとに怖いのね。つらいね。」と共用してもらうことにより、できるだけ孤立→思想の悪循環を解消することができるかな、と感じます。
なんだか参考にならず、ごめんなさい。少なくとも私はせんさんの心境を(ちょっと大げさな表現になりますが)震えるほど共感できる面があります。
どうか、お大事にしてください。
‐りさ


企死念虜というより、もう死神が見えてます。でもそれは過去に一度死んだ自分自身の霊、、、もっと分かりやすく言えば、僕が死産すれすれで産まれ、医学の力で生きながらえた事と関係があるみたいなんです。僕は産まれる途中で一度心肺停止して臨死体験をしてるんです。そして脳は、自分は死んだと思っています。そこに双極性障害が重なって、鬱相の死への逃避志願と、躁相の空想力が生み出した、とんでもない状態を繰り返して来ました。時には神に、時には鬼に、そして、戦う姿はさながら阿修羅のごとく、、、悲しい。その中で、自分が無い=じゃあ、死ねば良い。という思考がぐるぐるとすごい勢いで回ってます。
今は、肉体は生きている。ただ魂がない。境界性人格障害のひどい人にすら、「あの人は怖い」と言われるほどの、ゾンビ状態。
ある信頼できるひとに相談したところ、あと3日でお前死ぬぞと言われました。そして、自分が苦しく生きることを決めたんだとも言われました。でも産まれた瞬間にそれを強くすりこまれた僕を救えるひとは、、、たぶん世界中探してもいないかもしれないと。でも意外と近くにいたりするんだよね、、とも。
だから、何も考えずあと一日だけ生きれば良い。それでもまだ生きてたら、もう一日生きれば良い。それだけやってなーって。
人間は生まれたから死ぬんだって。そのあたりまえの事を、理解しただけなんだって。それに気づいた人は、とても苦しい。その一人である釈迦はその体験をひとびとに話した。人が生きる上で漠然と感じる苦しみを、明瞭にしてしまうと、もっと苦しくなるんだぞと。それが仏教の本質。奇しくもその域に達してるんだって。
とりあえず、今日も生きてみます。もしかすると、もう明日は無いかもしれない。これっきりになっても仕方ない。それが、生まれて来ては行けないと、神に拒絶された子供の生き様なんだから、、。
ああ、これが最後かもしれないので、死神君が教えてくれた僕の正体を書いておきます。ぼくは、ポートフォリオ。知を智慧に変える力を持つファイルケース。双極性障害はきままに生きることで軽くなるというのは本当です。自分を掘り下げても、苦しみが強まるだけですから、飄々と変な人をやってれば、決して悪い人生にはならないと思います。失った分は必ずちゃんと戻って来ますよー^^
ごめんなさい。許して下さい。愛しています。ありがとう。そして、もしかしたら、、、、さようなら。


私やせんさんの心理状態は、一般的常識としては論理を超えた「妄想」とひとくくりにされ、それでやりとりが終わってしまうケースが多いと思います。しかし確かに私たちの心境とそれに基づいて導く結論には、一般的通念を超えた論理はあると思います。
せんさんの場合は「死はかならず訪れる。死神とのやりとりもあった」(解釈が間違えていたら、あるいは単純化していたらごめんなさい)
私の場合も、「私は何としてでも迫害された孤独な人々を救わなければ、自分もその一人なのだから、私の存在も危うい。それを実行すれば、だれかに殺される覚悟も持たなければならない」(これもあの経験がトラウマ的なものであり、記憶を忘却している面もあるので、単純にそれだけ、というものではありませんでした。過程として、私なりにしっかりとした論理的段階を踏んだうえでの結論でした。)
「今は、肉体は生きている。ただ魂がない。」「ゾンビ状態」
私も極限に経験した混合状態で、身も心もそのような状態でした。しかし、殺されても、そのためになんとか自分は自分のような無理解によって迫害された人々を救うムーブメントを起こさなければと、それは自分の命にもかかわるものだと、緊急性と恐怖にかられていました。もちろん、躁状態の誇大妄想も含めて膨らんだ論理とは自覚していましたが。
その時、孤独でなんでこんな責任を背負わなければいけないんだ、もう死にたい、と気持ち的につぶれていた時、その頃も今でも私はまったく宗教的な人間ではないけれど、自然と神に祈りだしていました。そして、私は神という存在に対面しました。幻覚ではなく、その「対面」についても文章で短く書いても難しいので具体的に書きませんが(ただ、あやしいことではありません^^;)とても怖い経験だったというのは確かです。
しかし私はその経験をその後見返して、こんなメモを書きました:
「この精神病という苦難は、自分ひとりでも、周りでもどうにでもできないこともある。それによって、死にいたることもある。「人」より人間を理解し常に愛してくれる誰かが(神)、病気が一番ひどかった時の私に、毎日を生きぬくために不可欠だった。神様がいるかどうかなんて全然考えなかった。ただ神様が必要だったから自分の中でだけでも存在を与えた。
神様は私に大丈夫、って言った、僕だけはりさのことわかってるから大丈夫。それは何の謎の存在でもなく、私の鏡みたいだった。「人」という第三者が私を誰一人肯定してくれない中で、自分のように自分を理解してくれ、自分の「存在価値」を全面的に肯定してくれる。そんな唯一の第三者だった。
神様は人が自分の中に生む可能性は、みんなもってると思う。おたがいの存在価値を確かめ合う、理解し合う、愛し合う。それをできれるだけみんなから引き出そうという思い、それが混合時に私が感じた「みんなを救いたい」という気持ちの根源だったのかも。私が窮地にいた時に唯一常にそばにいれてくれた彼(神)にそれだけの恩返しはしたいなと、今でも感じている。」
つまり、いくら一般的常識では理解してもらえなくても、何かの強い感情には何らかの象徴的な根拠・論理を見いだせるものだと思います。それほど強く感じるものであれば、「それはすべて妄想だ」などという意見は無責任であり投げやりであり、人間の心理の複雑性を何も考慮に入れていないものだと感じます。
せんさんの死神との対面も、(もうすでにせんさんが書かれているところもありますが)、恐怖を解消するための自身の心境の整理、私の言葉では象徴的な「意味」を整理できたらな、と小さくアドバイスするかぎりです。とにかく、せんさんがあまりにも恐ろしい状態をできるだけ解消できるよう。
参考になるかどうかわかりませんし、せんさんの心境からかなりずれているという可能性もありますが(汗)
「人間は生まれたから死ぬんだって。そのあたりまえの事を、理解しただけなんだって。それに気づいた人は、とても苦しい。」
もっともな見解だと思います。しかしその見解がすごい恐怖心につながってしまうとして、なんとかそれは解消できれば・・・と願っての私からご提案です。
「飄々と変な人をやってれば」とのことですが、全然変な人ではありませんよ。誰でも認識すべき大事なことを、人並み以上に敏感に感じ取っている、特別な存在だと思います・・・まあでも言い換えると私もせんさんも「いい意味で変な人」とも言えるかもですがw
なんか変な情熱ごぼしてごめんなさい。あと、とてもずれた返事をしていたら、ごめんなさい。書いたあとに無責任かもしれませんが、そうであればすらすらっとスルーしていただければと思います。
あと長文で読みづらいと思います(汗)それもごめんなさい。
本当につらいと思いますが(><)せんさんがこの状況を乗り越えることを心から願っています。
‐りさ


さらに、この境地に至る方法は、人それぞれみんな違います。なぜなら、世界の中心は、常に個々の人の心の中にあるからです。
それを理解できる人は千人にひとりか、もっと少ないと思います。僕も、偶然にももう一人の覚醒者に出会えたので、生きています。りささんはひとりでここに至ったのですから、とてもすごい人なんだなーと思います。
今の僕に必要なのは、休息。それと、生きることを諦めずにあがく事。ただ、ポートフォリオの智慧が必要な時は言って下さい。


すみません、せんさんと私の経験が同じだ、というような印象を強調しすぎたと思います。せんさんが一人と感じないよう共感できる面もあると伝えたかったのですが、文面の印象としてはそうであったと思います。
一人一人違うのは、ほんとうですよね。とくにとても複雑な症状や心境は。
せんさんにとって「議論」のようなやりとりはつらいという心境の中で、このような長文を書いてしまって、本当に申し訳なく感じています。
ゆっくりお休みください。お大事にしてください。
‐りさ
(今、「飄々」「知を智慧に変える」仏教についてなどの文章を読み返すと、
私は「自分の状態の追及」のようなアドバイスをして、せんさんのまったく真逆のことを言っていた気がします汗ずれているといよりかは、どんでん返しですね(^▽^;)
それぞれの苦しみの捉え方は違っても、苦しいという点で共感し合えたらな、と私の文章のその部分だけはひっこ抜いて、あとはほんとスルーしてください汗たびたびごめんなさい。)


りささんが、同じ経験をして、それゆえに同じように苦しむことになったと知る事ができただけで、僕はとてもうれしかったのです。でも、2人の世界に入ればとめどなく言葉があふれ、躁の階段をまっしぐらに昇ってしまうのが分かっているので、あえて、興が冷めるような書き方をしました。
僕は細いクモの糸の上を綱渡りしている。今までは広い草原を歩いていたつもりだったのに、それに気づいた瞬間、足がすくんで動けなくなった。この糸が切れたらどうすればいいのか、それしか考えられなくなった。これが妄想なのか。現実なのか。それが問題です。


せんさんの前の記事(No.299)の意図(心理の方が正しいでしょうか)とても理解できました。
だから、言いたいことはいっぱいありますが、返信不要ですし、私もできるだけ短くしますね。
人は、日常では触れにくい、悟りにくい真理にいきなり対面してしまうと、それはそれは他人にも共有したいような内容であり、そうしようとしてしまいます。私はそうゆう真理にふれ、「アート革命を起こそう」と感じ、実際とてもささやかな形で実行しました。真理とは、言葉では伝わりにくく、せんさんのおっしゃるとおり同病者であれば躁状態を促すようなパワーをもっています。
私はアートだったら比較的スムースにその内容が人の心に入り込むことができるかな、と感じました。
あら、短くするといいながら上記の内容は脱線ですねw
せんさんの文面は詩的で、私はとても好きです。真理とは詩でしか表現できないこともあるな、と感じることがあります。
私の解釈となりますが、
「広い草原」とは「死」や「愛」や「運命(つながり)」などの色々な真理に対して無知だからこそ、のびのびと図太く生きていられること。しかしそれにより、周りの人々がその無知により苦しめられていることも知らない。
「細いクモの糸」とはそのような真理に少し触れてしまい、その「知」をもったことにより自身の土台が崩れる。そして、(把握しにくい、感情が揺さぶられるという意味での)もろく、恐ろしい「真理」への道を歩み出す。
しかし、いつかそのゴールにたどり着けば、周りの人々を救う「知」にもなるかもしれない。
・・・なーんて想像しちゃいました。
本当に返信不要です。「というか書かれちゃったらもうそれで躁を促すのだよ」という感じだったら、削除しますので。
色々考えさせられました。ありがとうございます。(^^)
‐りさ


ただ、体の不調はあいかわらずです。おかしくなったのと、同じくらいの時間をかけて、ゆっくりと戻って行くのでしょうね。心を病むと、体もおかしくなってゆく。知識としては知っていたのに、理解していなかった。【死】という言葉を直視しただけで、心も体もここまで追いつめられるのかと、今回はじめて知りました。
りささんがアートならば、ぼくは科学によって真理を追求する者です。生命は計算によって創造することができると信じて、突っ走って来ました。ただ、僕の言葉は虚しく「無知の闇」に吸い込まれてゆき、僕は「心の病み」にとらわれたようです。神様が、あえて人の知を制限するのがちょっと分かったような気がします。


返信が遅れました。
今体調の方はどうでしょうか?
せんさんは自身の「体調不良」をとても哲学的に、思慮深く見返す能力をもっていて、すごいと思います。
でも体調が思わしくないのには変わらないのだから、つらいですよね。少しでも安定した形に持って行けていることを願っています。
あたしは、アートにも科学があると信じています。「科学」というより論理というか「知」というか、とにかく言葉にできない心の闇に潜む心理を、人に伝わるよう表現化するツールだと思います。
私たちが経験する、言葉以上の感情の連鎖や複雑な思考を何等かの形で表現し、整理し、消化することによって、それらの感情や思考の縛りや「吸い込まれ感」から解放されることは可能だと思います。そして、その後その経験をほかの人に教えることも。
しかし、神様があえて人の知を制限したというのは私もわかる気がします。世界のすべての「知」が一遍に頭に入ってしまったら、悟り以前に頭が爆発してほんとうの狂気に至ってしまうでしょうね(^^;)
しかし私たち感情障害者は、すべての知ではなくても、人並み以上にこころの「知」を取り込む能力があり・・・生活の弊害になってしまう面もありますが・・・
その知を見返せないほどの狂気ではまったくないので、
ある意味その感情や心理という「知」に完璧に吸い込まれず、客観視し、建設的に把握する素質があると感じます。
科学の「知」をしることも説明しきれないほど大事ですが、心の「知」をしれる私たちも実は大事な存在なのでは、と望みをもっています。
では、せんさんとまたお話しできる機会があればと
思います。考えさせれるスレッド、ありがとうございました。
‐りさ


りささんとの対話をたどると、頭の中をいろいろな観念が回っていた事が分かります。躁の終わりに現れた観念奔逸でしょうか。しかし、脳は疲れきっていたのでしょう。自分で読んでいても、何かを訴えたいのはわかるけど、結局何が言いたいの?っていう文章になっています。死、真理、智慧などのキーワードがぐるぐる回ってますね。
でも、ここで頭の中身を吐き出せたことは、自分にとって本当に良かったと思います。双極性障害と診断される以前から、自分はもうだめかもしれないという破滅妄想は、常に心の中にあります。同時に、「自分を認めて欲しい」という強い欲求があります。この2つが混じり合うと、化学反応を起こして、大量のエネルギーを放出した後、燃え尽きるようです。
このエネルギーをうまく形にできれば、それは芸術や、人々を導く思想になるのかもしれません。でも悲しいかな、僕の脳はそれを支えられるほど強靭ではない。ただ、本音を言うと、今回経験した絶望の中の悟りの境地のようなものは、いつか形にしてみたい。訳が分からなくなってしまった心ではあっても、「双極性障害」の一言で片付けてしまうにはもったいない、すごい体験でしたから。


おはようございます。はじめまして、だいです。
この掲示板が、少しでもお役にたてて良かったです。
おっしゃるように読む・書く・話す・聞く 事によって、頭の中が整理されるのは確かですね。
芸術の域まで、昇華するといいですネ。
でも、趣味でもイイと思います。
今後ともよろしくです。

本来なら「雑談」の方に書く内容なんだけど、「雑談」の方が書けないので、こっちに描きます。
今日は、家に一人で居て食事を取った後、ものすごい腹痛と背中痛が来て、ソラナックスを飲みました。
それでも、のたうちまわるほどの痛みが止まらず、応急処置で喉に指を突っ込んで食べたモノを全部吐きました。
それでも、痛みが止まらず横になって、そのうち眠ってしまった。
この、身体の痛み、背中だったり、腹痛だったり、腕だったり、場所も移動する。
主治医の見立ては、「セロトニンが移動してイタズラをしてる」。。。それで、ソラナックスをだしてもらった。
そして、ソラナックスは、効いてくれている。
それまでは、我慢するか、食べるモノもロクに食べられなかった。
入院していた時、ナースに「お腹が痛くなりそうだから、ソラナックスください」と言っても「そんな使い方してるの?」とか「不安なの?」とか、いちいちうるさくて薬をくれなかった。。。それで七転八倒。
今日、痛みの中で、そんな事を思い出して怒っていた。
ナースは、皆がそうではないと思うけど、精神病の人間を「人間」だと思っていない。
影で笑い者にしてたのも聞いたし、統合失調症の女の子を男性ナースが取り囲んで「なんで、そんなこと言うんだよ」って泣くまで苛めてた。
先生が出している薬を何でナースの権限でくれないの?
退院する時、入院中の頓服として出てた沢山の「ソラナックス」を見て怒り心頭!


まずはソラナックスが効果があって良かったですね。
思い出し笑いというのがありますが、思い出し怒りですね。
以前、森田療法で精神科病院に入院中、神経症の男性が、病院職員に対して、入院患者だと思ってバカにしやがってと腹をたてていました。
神経症を克服された、人格者の精神科医でさえ、お酒の話から、嫌なことを思い出して、腹を立てられました。
思い出し怒りは皆さんあることで、時間の経過と共に少しずつ薄まってゆくのが自然なのかなと思います。
もちろん私にも歯の治療の事でなど、思い出し怒りは結構あります。

そう!まさに「思い出し怒り」です。
医療従事者もストレスがたまると思いますが、患者を人間扱いしない、また「上から目線」には本当に腹が立ちます。
ドクターよりもナースの方が酷い場合が多いと感じるのは、私の気のせいでしょうか。。。。
この前の閉鎖病棟入院体験は、本当にショックでした。
私の通っている病院は、退院時「頓服」は返してくれましたが、「山のようなソラナックス」には、やっぱり「思い出し怒り」を感じます。
ちなみに昨日は夜も具合が悪くて、ソラナックスのお世話になりました。この痛み、苦しみを分かってて、薬をくれなかったのだろうか。。。と、また「思い出し怒り」(笑)


その思いお察しします。
我侭ではなく必要だからこそ要求しているのに伝わらない。しかも退院後にはシッカリと出してくれている。。何の為の入院か分りませんよね。大変、嫌な思いされましたね。
どうしてこんな事が起こるのでしょう?
連携がなってなかったのでしょうか。。
私も似たような体験をしましたよ。
初の躁状態と初の閉鎖病棟入院。睡眠薬を服用したにも関わらず夜中やはり眠れず起きてしまう私。その旨を看護師さんに伝えているのに「なにをうろついてるんだ、何故未だ起きている」の一点張りで首を横に振り部屋へ戻れのジェスチャー、、、なかなか私の声を聞いてもらえませんでした。どうして邪険に扱うんだろう。。。と、戸惑っていたら一時間後!ようやく他の看護師さんから睡眠薬を貰うことができました。
dangoさんの病棟へ先生は来て下さいましたか?
その状況は伝えられましたか?
私の場合、主治医は一度しか来てくれずなにも伝えることが出来ませんでしたので。
この際、看護師さんの名前を覚えていれば、お互いの為のクレームを病院側にでも出せたんじゃないかなーっと今でも悔やんでなりません。
お腹と背中の痛み緩和しますように。

私は5回入院しているのですが、マロさんの書かれている通りソラナックスの件については、どうもうまくナースに伝わっていない気がします。
それと言うのも、外来の本来の主治医と入院の主治医が別の先生だからです。
ソラナックスについては、こんなに「痛み」に効く患者もいるということに考えが至っていないのかもしれません。
ちなみに、本当の主治医(外来の)は世界的にも有名な「薬」について詳しい先生です。
入院の主治医は、良く話を聞いてくれますが、ソラナックスの事では、少し頭をかしげけてる雰囲気です。
本当なら、いつも診てもらっている先生の勤務する病院に通いたいし、入院もそこでしたいのですが、遠すぎて体調を崩してしまったので、今は、週1度先生が外来を行っている近所の病院に通っています。
I先生と言う方なのですが、名古屋から外来に来ている患者さんもいるそうです。
マロさんのアドバイスをいただいて、次回の入院(多分ある)には、役立てますね。
本格的に痛くなる前に飲めば地獄は避けられるので。
それでは、ありがとうございます。


医療の現場で必要なことに手が届いていないことは残念なことですが(連係プレー、申し送り等)
そうですね
dango さんの仰るとおり
いつも診てくださる主治医に前以て、
入院の際はそちらの先生と看護師さんにソラナックスの件処方が必要不可欠。と伝えてもらうと地獄をみないで済むと思います。それと、以前のヒドイ状況を話すことも必要だと思います。
いつも診てもらって下さるI先生がとてもいい先生のようで、なによりdangoさんと相性が良さそうで羨ましい限りです。
では
またね。
失礼します。


私は双極2型です。正直軽躁が支障になるほどのことは無く、たまに、言い過ぎてひんしゅくを買う程度です。
自分の軽躁の言動には、その場で気づいて、会話量を減らすこともできますし、やっています。
軽躁を減らさないと次にくる、うつ病が酷くなるから、軽躁の言動を自覚したら、その場で抑制しています。
それでも、辛い中等症レベルの双極性うつ病がやってきます。
加藤忠史先生のホームページに以下のような文章がありました。
予防薬には、主としてリチウム、カルバマゼピン、バルプロ酸の3つがあります。リチウムは、手がふるえる、のどが渇くなどの副作用があり、中毒になりやすい薬なので、医師の指示を守りながら服薬する必要があります。これらの薬を効果的に使えば、ほとんどの患者さんでは薬を飲んでいる限り病相(躁状態、うつ状態)が全くなくなるか、軽い病相ですみます。
具体的にリーマスを毎日600mgを飲み続けることで、強い躁を予防したり、軽くすることは掲示板の書き込みなどから確かにあると思います。
では、具体的にリーマスを毎日600mgを飲み続けることで、双極性うつ病を予防したり、軽くすることはあると思われますか?
私はよくわからないのですが、もう双極性うつ病で苦しむのは嫌なので、今まで、効果を感じられなかったので、リーマスを飲んでなかったけど、今後は毎日リーマスを飲み続けることにしました。
効果があって欲しいと念じています。
皆さん、リーマスを飲み続けることで、双極性うつ病の予防や軽減があると思われますか?

初めて、リーマスを服用して有効血中濃度に達した時は自覚するくらい「心がまっすぐな状態」になったのですが、あれから2年、最近は感じません。
前回、躁になった時も、血中濃度が著しく下がった原因が分かりませんし、また、服用を始めてから、この2年で何度も自傷を起こしていたり、全くもって「フラット」とは程遠い状態になっているからです。
手の震えや不快な副作用もあるし。。。辛いですね。
以前、主治医に「この病気って治らないんですかね」と言ったら「とにかく、この薬を飲んでください」と言われて、「治らないんだなぁ。状態を軽くする意味しかないのかなぁ。。。そもそも、効いてるのかなぁ」とシミジミ感じてしまいました。
効いていないのなら、止めたいなぁと思っているところです。
でも、デパケン単剤で、精神状態ぐちゃぐちゃになっちゃったし。。。それよりは、マシか。。。


リーマス服用しながら、自傷行為は大変でしたね。
今、加藤先生の躁うつ病のホームページ読んでいますが、リーマスを服用することで、以前より躁、うつの波が少なくなったけど、そううつが辛いというような記述がありました。
やはりリーマスは服用が必要だと思います。
僕は、リーマスの副作用はないのですが、長期服用で、甲状腺機能低下があるので、定期的な血液検査も必要ですね。
今、僕は、朝食後リーマス400mgを一度に飲み、夕食後アモキサン75mgを一度に飲んでいます。
加藤先生のホームページは大変参考になるので、じっくり読んでみようと思っています。


いろいろと検索して、ここにたどり着きました。
少し聞いていただきたくて書き込みさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
ずっと「鬱病」として8年近く治療を受けてきた夫が
昨年光トポグラフィーを受けて双極性障害2型と診断されました。
お薬はパキシル(減薬中)、リーマスがメインで、
ほかにラミクタール、ジプレキサなどなどいろいろ試して試行錯誤の最中です。
夫は無職。
私の収入だけでは生活が難しいので、義母が援助してくれています。
普段の生活は、家からまず一歩も外にでない。
起きたらPCをつけて、延々とニコ生を聞きながら
お気に入りの子のツイッターのチェックをして
ひたすらPCの前から動かない生活です。
一緒に暮らし始めて2年半近くになりますが、
やっと躁と鬱の見分けがつくようになってきました。
今、少し躁っぽい感じがするので一昨日の診察の日に担当医に言ったら
「混合期でしょう。ラミクタール少し増やしましょう」となりました。
こういう状態の時の夫は、女性にのめり込んで見境がつかなくなります。
前回は(訳2年前)夫の母に預けてあったお金(80万円くらい)を持って
このままじゃよくない。家を出て友達のところで少し仕事してくる。
と、一人でどこかに行ってしまいました。
私は「別れようか?」と言ったのですが「待っててほしい」と言われました。
義母も私もそのときは信じて待とう、と話し合ったのですが
だんだん「これは、なんか、おかしい」と思い始め
私が彼をやんわりと追求すると、法に背く行為をしてお金を得ようとしているところでした。
さすがにそれは全力で止めました。
行っている最中はネットで知り合った女性と一緒にいて、
行った先にも同じような女性がいました。
この時は80万円全部使い切って、ぼろぼろになって帰ってきました。
帰宅して2か月はほとんど話しもせず、ネットにのめり込む毎日でした。
今回は1か月くらい前から始まりました。
メンタルリフレというところで、女子高生がお話相手になってくれる
というところにはまっています。
もちろんお金はかかりますし、お店の外に連れ出せば、ごちそうしたりもします。
差し入れをもっていったり、また指名料もかかります。
エッチしたり触わったりできないキャバクラ?みたいなもの?
で、現役女子高生がお相手してくれる。
癒しを求めているのかもしれませんが、
行動を見ていると、もう行かなくては気持ちがむずむずして落ち着かないといった風情です。
普段は私が会社に行っている時に、適当に出かけています。
昨日は私が休み家にいるにもかかわらず、
気に入った女の子がお店に来たと知るや
(お店が宣伝のためにニコ生で放送していて、それをずっと見ているのです)
気持ちがどうにも止まらなくなったのでしょう。
ありったけのお金を集めて出かけて行きました。
普段はそこに行く時は必ずシャワーして、お気に入りの格好をして行くのですが、
夕べは3日もお風呂に入っていないことや、
部屋着の作務衣のままなのも気にもせず
飛んで行ってしまいました。
と、大して携帯や彼のPCをチェックしなくてもこれくらいのことがわかるくらい
言ってはなんですが、ちょっと間抜けで、
逆にそういうことに私が気づいていることも気づいていないのです。
いつも「最近自転車で飛ばすと気持ちいいんだ」と言い訳して
また、私がそれを信じていると思って出かけていきます。
前置きが長くなりましたが、ここからが本題なのですが、
これは、私が知っていることを明らかにして、
自分がしていることを見つめさせて、諌めた方がいいのでしょうか。
それとも飽きるまで放っておくのがいいんでしょうか。
ただ、彼は収入の術をもたないので、またヤバいことをして
お金を得ようと画策したり、
このお店へののめり込みが過ぎて、お店に迷惑をかけることにならないかと
それもまた心配ではあります。
前回もそうでしたが、このちょっと上がった時期のあと、
前回では家に帰ってきてからは、2か月くらいひどい鬱が続きました。
躁の後の鬱の方が危険だと、いろんなところで読みました。
担当医に話しても、具体的なアドバイスは言ってはもらえません。
どなたか、同じようなことをご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか。
いいアドバイスがあったら、どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m


まずは、80万円全部使い切ってやメンタルリフレでお金を使う行動は、軽そう状態の範疇ですね。一般的な軽そうより一ランク軽い、弱そうといったほうがいいかもしれません。
この弱そうは本人も、周囲も指摘されないと気づかないと思います。
基本的に言われているし、多くの躁鬱者の経験談として、躁を出来るだけ抑えることで、次にくるうつがそれだけ軽く短くなるということです。
軽そう状態を薬や自分の意思で抑えても、次にうつはきますけど、それだけうつは軽くなります。
ご主人に、今は軽躁状態なので、抗うつ薬を抜いたり、抗そう剤で抑えたり、自分の意思で行動を抑制しないと次にくるうつがより重くなるよと話し合いをしてみてはいかがでしょう。
過去に、何度か重いうつを経験していれば、聞く耳をもつと思います。
例えば私の場合ですが、パソコンカラオケに、軽躁状態ではまりましたが、お金は使ってないし、軽そうで余分なアルミホイールを買ったりしたのも、自分で稼いだお金です。
物品を買うのに今まで、ローンを組んだことがないですし、人からお金を借りて買った事もないです。
無職で派手にお金を使ったり、法に背く行為は、軽そうの影響もありますが、その人の性格によるところが大きいと思います。
T型の激そうの行為は病気によるものが大きいと思いますが。
不景気といえども、ショッピングモールの掃除や荷物の仕分け作業などのアルバイトは雇ってもらえると思うので、パソコンが出来るぐらいの体調なら、アルバイトをしてみてはと言ってみてはどうでしょう。
ちなみに、私は、低所得の仕事で稼いでいます。


早速のお返事、ありがとうございました。
彼はまだ「自分が躁の状態にある」ということが理解できていないようです。
この連休で少し話してみたのですが、あまりピンときてはいないようでした。
前向きな考え方をしないので「今がよければいい」という気持ちが先にたつのだと思います。
病気の話になると、ふいと横を向いて喋らなくなってしまいます。
本当はもうちょっと現実に目を向けてほしいのですが…。
ただあまり強制すると反動で何もしなくなってしまい、
私の言うことにも全く耳を傾けなくなります。
少しづつ時間をかけて説得してみたいと思います。
ただ、いまちょっとハイなので、私が何を言っても
「オレの行動を規制するな、陰険な詮索をするな」と言われるのがオチなのです。
それを受け止めるのも私にはつらいしな…とぐるぐるしています。
私が彼に対して何も言えなくなってしまうのが一番よくないのは
わかってはいるのですが…なかなか思い切れません。
ああ、愚痴になってしまいました。
すみませんでした。


昼寝しすぎて眠れない、ぱんちょです。
本人は病識がないのですね。でも今回、ちなさんは軽躁に気付いて、処方を若干増やしてもらった。その気付きは何でしょう?
散財の他に、多弁、落ち着きのなさ、睡眠欲求の減退等があるかと思います。いずれにせよそれらの兆候を、一度整理して早めに対処することだと思います。
ちなみに私は睡眠をチェックしていて、3-4時間睡眠になるとリスパダールを頓服として飲み始めます。軽躁は上がりきったらだめです。私の場合は、睡眠時間は変わりませんが、それ以外の軽躁の症状がほとんど出なくなり、一緒に働いている同僚にもわかりません。
なので、できるだけ早めに気付くことと、速効性をようするのでリスパダール等のメジャートランキライザーで躁を押さえに
かかるよう主治医と話される方がよいかと思います。あと、ご主人との話し合いは、主治医からしてもらってはいかがですか。ただこれは、主治医との信頼関係によりますが。
いずれにしても、お義母様が味方のようで心強いですね。
お大事に。


なおと申します。
双極性U型と思われますが、適応障害と言われたり診断は確定できていない者です。
ぱんちょさんも書かれていますが、ちなさんの書き込みからは本人に病識がないように思われますがいかがでしょうか。
この病気、何より本人が病気を自覚して躁や鬱に対処するのが一番です。
病識なしに対する対処は、まず主治医に話してもらう、そしてちなさんはじめ周りの人からは、症状に振り回されて辛いということを率直に本人に伝えられたらと思います。
ちなさんが本人に病気を自覚させるというのではなく、周りで世話をしている者が、このように苦労していて辛いという思いを本人に伝えるのです。
鬱になって辛いのは本人ですが、本人の躁に振り回され後始末に苦労するのはだいたい周りにいる方です。
本人も躁鬱に振り回されて辛いでしょうが、周りにいる人も苦労しているということを知れば、少しは本人も考えるでしょう。
この病気、本人だけでなく周りにおられる方の協力が不可欠ですが、ちなさんやお義母様という心強い協力者がおられるようで、その点はいいのですが、いかんせん本人に病識がないように見えるので、この点をどうにかしないと堂々巡りで、結局はちなさんやお義母様が余計な苦労(躁の後始末という意味です)を背負い込むことになります(本人が自覚すればお二人の苦労がなくなるというわけではないのが苦しいところですが)。
水島広子先生の「対人関係療法でなおす双極性障害(創元社・\1,500+税)」でも第6章に双極性障害対策チームを作る という項目があります。
ちなさん家ではチームはできておられるようですが、いかんせん本人の病識に対する意識がまだまだです。
その本にはチーム作り以外にも病気に対する対処法等具体的にいろいろ書かれています。
今の夫さんには少しハードルが高いようですが、少しずつこの本のような状態にもっていかれたらと思います。
薬物療法についても原則論ですが少し書かれていますので、良かったらご一読ください。
今の躁や鬱に対する具体的な対処法は、儀助さんやぱんちょさんが書かれていますので、割愛します。
良い方向に向かわれることを祈っています。


ありがとうございます。
あまり刺激しなようにしながら時々病気のことについて話したりはするのですが、
なかなか本人実感は持てていないようです。
強く言うと聞く耳を持たなくなったりもするので、そのへんの案配が難しくて^^;
でも地道にささやき続けて行こうと思っています。
睡眠はわりととるほうです。
エリミン、ロヒプノールなど3種類の睡眠薬を飲んでいるのでなかなか起きられないようです。
昨日も私が仕事に行っている間に義母が来て、彼といろいろ話してくれたようです。
様子みながら、主治医にもきちんと報告と相談をしながら考えていきまたいと思います。
なおさま
ありがとうございます。
水島先生の本は、早速アマゾンで取り寄せしました。
今日届くのでしっかり読んでみます。
いま加藤先生の「双極性障害」も読み返しています。
彼は、心で思うことと自分行動が矛盾していることに気がついていないようです。
なかなかわかってもらえませんが、少しづつでも彼にも理解してもらえるようにしたいし
私もさらに彼の身に鳴って考えられるように努力したいと思います。
義母も
あんまり思い詰めちゃダメよ」と言ってくれていますし、
私も考えすぎないよう気をつけます。
みなさまにいろいろアドバイスをいただいたら、
少し気持ちが落ち着きました。
あしがとうございました。
今度チャットにも参加させていただきたいなと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。


自分を観察するもう1人の自分ができてくると、躁の自覚が出てくるのですが、それでも躁エピソードは意思では抑えられない事があります。指摘されても、自分は正しいと思っているので、かえって機嫌が悪くなったり、イライラして出て行ってしまったりするのがこの病気の面倒なところですね。
で、うちの嫁さんがやってくれたことは、毎日朝8時に窓のカーテンを開ける事。うつのときも躁のときもです。それと、一杯のコーヒーをいれて(インスタント)食卓のテーブルに置いておいてくれました。
たぶん、それだけで、生活リズムが朝型にずれて来たのでしょう。勝手に早めに寝るようになり、最近では自分でカーテンを開けられるようになりました。ここまで来るのに5年かかってます。
生活リズムができてくると、働く意欲も出てくる可能性があります。
躁にはいってくると、家族が先に気付きますよね。そういうとき、嫁さんはひとこと「躁になってるでしょ」と不機嫌そうな顔で言い放ってくれます。ただし、「今日は結婚20年なので、20万円へそくりから出すから好きな物買っていいよ」という様な時は、何も言わずにがっつり受け取ります。
わが家は、こんな感じです。ご参考になるかどうか、、、。


こんにちは、
躁うつ病団体のスタッフだという意識もそっちのけ、精神障害というアンダーグラウンド世界から抜け出して、地上世界(健常者いっぱいの大学)にのそのそと這い上がって、なんとか移住しようと努力してきたりさです(紹介長っ^^;)
でも、ダメでした。耳を丸めてまたアンダーグランドに戻ってきました・・・。
ややこしいメタファーはやめると、とにかく大学持続失敗しました。今日クラスを全部落として、正式に一学期の生徒ではなくなりました。二学期からまた戻れるそうですが、自信はありません。
同病者の方々と出会って、対人関係や仕事(団体のスタッフとして)もある一定こなせるようになって自信がついてきたのに、なぜか健常者の世界だと、病気の症状に押しつぶされてしまいます。
大学に入った瞬間、人間が変わったようです。アパシー症状と私は呼んでいますが、動けない、話せない、とにかく人間として自然な喜怒哀楽を表現できない。思考停止状態というのでしょうか。
何か、怖いのでしょうか。自分自身学校は小さいころから大好きで、今でも大学に行くのは楽しいので残念です。しいて言えば、自分が楽しみにしている環境なのに、なぜか特定的にその環境で「病気の症状がひどくなる」のが怖いです。
心理的なものであれば、カウンセリング等で直せる面はあると思いますが、唯一心理的な何かを分析してみると「自分の病気の理解がない環境にいると病気が悪化する」というコネクション。外因的な問題ではないので、直し方が見つからず、困ります。
とにかく、オンライン大学等でかんばるか、あるいは生活保護を覚悟するか、健常者がコントロールする社会や施設で自然に活動できない場合の、自分が満足できる生活を、どう見出していくか、考えていかなければなりません。
もうこの数年間「予備校・大学・バイトに行かなきゃ・・・でも行けない」の繰り返しで、正直疲れてしまいました。本当につらいです(><)あきらめたくないけど、あきらめはある意味解放としても感じられます。
とにかく、最近の悩みでした。
大学もないし、もっとまたみんなとお話とかしたいです(*^^*)みんなでがんばっていきたいですね。よろしく!
‐りさ


大学がすべてではないと思います。
だけど、なんだろうね、その症状?の根本にひかえているものは?
今のアルバイトは、オープンなのかな?
躁うつ病団体のスタッフとして、あまり理解がないと思われる人などに一人で交渉したりするのは、セーフなのかな?(その場合、相手は自分が躁うつ病だと認識しているという点では気が楽なのかな?)
家族、彼氏など、とても理解の深い人のそばを離れて、ある程度理解がある人に囲まれた時はどういう状態になりそうかな?
(りささんの場合、適切かとか、適切じゃないかとかは別にして、例えば病院のデイケアとか?)
なんか、質問攻めにして、苦しくさせてしまったら、ごめんなさい。苦しかったら答えなくていいからね。




しっぽさんの質問は、カウンセラーより思わせる内容で、信頼できるぞ。
私こそしっぽさんを「答え攻め」にしたくないので(笑)ちょっと考えてからお答えしますね。関心をもってくれて、ありがとう。それだけですごいうれしいです(今まで無関心って反応の方が多かったから・・・高校・大学のともだちとかだけれど)
じょーっっっずさん
あれ、最初読んだとき「じょー」って書いてあったと思って「なんじゃー名前変えたな」と思ってたぞ(笑別に私が怒ることじゃないけど。名付け親というか、強制名前変更親?笑)
ありがと。かんがるー(この表現一回使ってみたかった)
‐りさ


大学が1学期続かれなかったとのこと、残念でしたね。
でも同病者の団体でついた自信は本物だと思います。
それと大学に行くのは楽しかったとか。
これも本当だと思います。
ひょっとしてりささんは他人が自分の病気を理解してくれるかくれないかをかなり気にしておられませんか?
自分の経験からは他人は案外そういうことはそんなに気にしていないようです。
みんな自分のことで手一杯なので。
大学では勉強他することがいっぱいありますよね。
病気の理解よりもそちらに気を向けることは難しいでしょうか。
そこから他人とのコミュニケーションが始められないでしょうか。
大学に行くのは楽しいとのことでしたので、いいこともあったのではないかと思います。
ここのスタッフをしての自信とあわせて、落ち着かれたらまたそこから出発されたらどうかと思いました。
二学期から戻るかどうかはその後考えられたらと思います。




はじめまして!
兎が大好きなマロと申します。
相談、宜しくお願い致します。
とあるブログでこの掲示板やチャットがあることを知り涙が出るほど嬉しく感じていました。似たような経験をされた人と話したいと切に願っていても、躁が入ってくるとなると此処では自助グループさえもなかなか見つからないものですから。
沖縄に住んでいるので関東で時々交流されている皆さんがとても羨ましく思います、笑。と、同時に積極的に病気と接する姿リスペクトしています。過去の記事を読んだりと勉強させて貰っています。
皆さんの場合
この病気を受け入れる迄の前向きな心の動きを教えて欲しいです。
戸惑いや苦しみを
どう乗り越えてきましたか?
私の場合前向きに行かなきゃと「ショック」に蓋をして過ごしてきたのですが、とうとう蓋が開いてきました。やりきれない思いで過ごしています。いつか必ずこの思いから抜け出したい次第です。
経過を少し書きますね。
五年ほどうつ状態でようやく力が漲ったー。
春に虫が蠢くようにとても活動的になりました。
しかし約一年ほど前、初めて躁状態になり入院しました。躁といってもその中でも不調があったので入院するのは身体の不調とばかり。退院して三ヶ月経った頃に家族に事の真実を伝えられ、ショックではありましたが再発を防ぐことや大波にならない前に目立った兆候をヒントに対策を練ろうと今後について大いに話し合いました。
通院でリーマス、などなどを服用し現在に到ります。
蓋が開いてしまった今日この頃。
やはり振り返ってみても
迷惑を掛けてしまったことを反省したいのだけれど
今でもあの時のなにが悪かったんだろう。。
まったく自覚がありません。
恥ずかしいことに反省ができないのです。。。
主治医曰く軽躁状態だったそうですが家族としては躁状態の何ものでもなかったようです。人に対して心を配って生活していたと思っていたことが私のものさしと他人の見え方が全然違うこともショックでなりません。鬱も辛いけれど躁の後も辛いのですね。遅ればせながらやっと孤独というものを感じました。
「最高潮に上がっていたからしょうがない」との声もあります
。しかし、仕出かした事は事実と聞いているので電話や手紙で謝罪してまわりました。他人というより、ほぼ大切な人々に被害が回っていたのですから。。得体の知れない、自分が怖くて、また別の言い方をするならば、別の人格の私が私の知らない間に何かしているような感覚にさえ陥る不思議な病気だと感じています。
絶望が
受け入れたくないという思いが
ショックを引き起こしていることは承知しております。
皆さんも戸惑いを感じた時、自分が怖くなった時、どうやって道標を立てましたか?
この病にどんな意味があるのだろうか、まだまだ答えは見つかりませんが人として懸命に生きていたいです。大の大人がここ最近は泣いてばかりです。本来はとてもとても明るいマロより、笑


はじめましてです。
沖縄在住のマロさんが、めちゃくちゃ、うらやましい〜です。
病歴が20年近くありますが、全然飼いならせません。
躁状態の時は、病識が無いと言うのが病気ですので、
マロさん自身、普段から人に気遣っていたにも関わらず
ショックだった事は、よくよくわかります・・・
大切な方々に、誠意あるお手紙を出されているなら、充分ですよ。
分かって下さる方はわかってくれるし、離れる方は離れるし。
この病は、究極の学びと私は考えています。
懸命に生きていたからこそ、病気にもなってしまったのだし、
自分が信じられないような事を人様にしてしまう・・と言う
ショッキングですが、薬のコントロールで
そういう失態は、まず無くなっていきます。
この病気の多くの仲間たちは、
マロさんのような体験をしてきました。
私のやばい兆候は、寝れなくなる。
お金の使い方が派手になる。おしゃべりになる。
絶望はしないで。希望も少ないけど。
沖縄の明るいおひさまを浴びていれば、
いつの日か、薄皮を剥ぐように
マロさんの心の波も
沖縄の海のように穏やかになる日が
来るはずですヨ。


アルパカが大好きなみっしです。
薄皮を剥いだらリアル痛いですよね。(痛)
薄紙が正しいですね。


お返事すんごく嬉いです。ありがとうございます。
病歴20年のみっしさんの放つ
「この病は究極の病ですと私は考えています」
何度も何度も復唱してしまいました。
それから皆さん多かれ少なかれ同じ体験をして来たのですね。
私の兆候もみっしーさんとほぼ似たようなものでした。
ここの太陽は肌に突き刺さるようにチリチリします。ですから薄皮であってますよ、笑。その太陽も最近は穏やかになってきて外の空気がクンクンクン。少しばかり秋めいてきました。兎を連れて近くの広場でお月見などして涼んでいます。アルパカさんもフワフワの毛つながりでいつかご一緒に、笑。
経験談、優しいアドバイス本当にありがとうございます。
ここで色々皆さんのコメントを見て勉強させて下さいね。
みっしさんに感謝を込めて。


どん底でしたよ。今でも、飼いならせていないですが、
あの頃の心境を考えると、気持ちが随分、気楽な方向に
向かいました。だから
マロさんにも絶望して欲しくないのです。
マロさんの文章から、
なんとなくのんびりさんの癒し系な感じが伝わります。
私も、のんびりです。
ですので、のんびりの特性を生かして
のんびり時間を過ごしていけば
あっという間ですよ。約20年があっという間でした。
先輩ずらして、学びと表現してしまいましたが、
学び。としか言いようが無い事が多いです。
健常では、わからなかった、見えなかった世界が
沢山ありますし、くやしい経験も沢山しました。
マロさんも、そういった直面に接する機会があったら
これは、学びなんだ・・・と。
今日はお月見の日ですね。(兎さんの居場所の)
沖縄も秋めいていますか〜関東も秋めいています。
お月さまは一つです。
沖縄で、心細いかもしれませんが、
同じ月を見ている仲間です。
まろさん、そのうち、なんくるないさ〜
(方言が不適切だったら申し訳ありませんm(__)m)


みっしさん
私ったら前レスで失礼なことを
×「この病は究極の病ですと私は考えています」
○「この病は、究極の学びと私は考えています」
間違って書いてしまいました。
全く別の意味合いになってるわ、、
大変失礼しました。
神様がいらっしゃるならば
この病でなにを伝えようとしているのだろうと、、絶望感でいっぱいで浄化できるのならと泣くだけ泣いている私。躁を含むとなるとまだまだ二年の病歴もない私。その間、悔しくて情けなくて恥ずかしい経験をしてきましたが、みっしさんの長い長い途方に暮れるような経験や年数に比べれば絶望なんてしてられませんよね。「これは、学びなんだ、、」そう心に刻みます。お医者さんよりも有難く思えるアドバイスです、笑。
今宵はとてもお月様が眩しくキレイです。
関東から見えるお月様も光っていることと思います。
月光浴もいいものですよね。
うんうん!
なんくるないさー当たっていますよ。大当たり。
みっしさん良くご存知ですね。
ケセラセラと同義語になりますよ。
「なんとかなるさ」「どうにかなるさ」です。
私はのんびりさんに見えるのですね(笑)
そうかもしれません、兎が好きなのだけれど数年前から亀ペースですので。アルパカのんびり先輩に感謝の気持ちでいっぱいです。
ちなみにロバも大好きです。
力強くて優しい目をしているからです。
パカッパカッパカッ。
またですね、みっしさん。


私もロバ大好きです。
数年前、大切だった人と動物園で、
「みっしは、ロバに似てるなぁ〜」
なんて言われて有頂天になった事が
ありました。(笑)
ロバと一緒に少し険しい山道を
慎重にゆっくりと歩く感じで・・・。
またですね〜マロさん!


ふふふ 定期的に見てますよー
(閲覧しながら勉強させて頂いてますので)
ロバに似ているなんて!!!
最高な褒め言葉。
で、それを嫌がらずに受け止めたみっしさんの視点も、笑。ステキ。
重い荷物を持てるロバ
優しい優しいロバ
昔の童話や絵本にも登場しますものね。
ロバの魅力、等々。
みっしさんブラボーです。
はあいまたですね。

