

はじめまして。躁うつ病と診断されて約1年の、せん(男性40代)です。
叔父がやはり躁うつ病だったらしく、自殺しています。
今一番不安なのは、いつまで社会や家族が自分を見捨てないでいてくれるかです。すでに見捨てられている気もします。それが、ずっと心の底に澱の様にたまり続けて、自分の未来がとても暗いものに思えて、苦しいです。
現在、リーマスを400mg飲んでいますが、運良く寛解したとしても、一生この病気とつきあわなければならないのですね。そして、健康な自分はもう戻ってこない。
みなさんは、どのようにしてこの病気と折り合いをつけて、生きておられるのでしょう。もしよろしかったら、お聞かせいただけると助かります。ぶしつけな質問であることは承知しております。ただ、苦しさに負けてしまいそうで、、。

私は、dango。今年50歳になりました。
病名が確定したのは、40代半ば。でも、10代から、ずっと死にたかったです。
この病気と折り合いをつけて生きている人なんていないのではないでしょうか。
私も薬は、デパケン800とリーマス800を毎日と、それ以外にもセロクエル、エビリファイ、睡眠導入剤、副作用止めと。。。薬でお腹が一杯になりそうです。
だからと言って、調子が良いわけでもなく、ウツ〜としてたり、躁でベリハッピーになったり、忙しいです。
死にたい病(希死念慮)になると厄介で、色々しでかしたりもするわけです。でも、こうやって文章を書いているという事は今、この時は、私は生きているのです。
確実に。
苦しくて無様でみっともなくて。。。それでも生きている。。。死ねないからです。
怖いからというよりは、「死ぬ」には何かが足りないような気がします。
神様の許可と言うか、そんなもの。
せんさんの今の気持ち。鬱がもたらすマイナス思考ではありませんか?
私は、反対に躁が残っていて、楽しい厄介です。
最近も入院していて、鬱の人は躁がなくて可愛そう。。。なんて思ってしまったくらいだから。
リーマス、デパケンのお陰で、躁で「困ったチャン」になることはなくなりました。
これは、いいことですね。
服薬と休養と自分の生活のバランスをいかに取るかでしょうかね。。。言うは易しなんですが(笑)


質問とは違うことでしたね。僕は家族にこの病気を気づいてもらえませんでした。その挙句離婚です。会社にはなんとか恵まれて今はアルバイトで使っていただいています。
だいぶ苦しそうですね。後は正直薬に頼るしかないと思います。
参考にならなかったらごめんなさい。


このような漠然とした書き込みにお返事をどうもありがとうございます。今はうつ状態で、なんとか動ける程度なのですが、気がつくと病気について呆然と調べていて、ここにたどりつきました。
心の状態がおかしいと分かっていても、自分の力でできることには限界を感じます。薬を飲みながら、揺れ動く自分に翻弄されながら、まずは生きることから始めようと思います。
ここに来て、1人じゃないんだと思ったとき、本当にうれしかった。これからも、できればよろしくお願いいたします。




今は、ふたたび迷いの森で、苦しんでいます。自分では認めたくないのでしょうが、多分今は鬱状態です。とても不安です。
ここで質問してから、半年しかたっていなかったのですね。その間に、自分ではいろいろと試みて、なんだか落ち着いて来たのではないかと、思っていた。それが、病気の波の中で、ただ上がったり下がったりして、今再びもとのところに戻ってしまっている。この虚しさをどう表現したらいいのかわかりません。
そうですね。それでも生きている。今この瞬間を。それが一番大切なことであると、思います。でも、苦しいですね。逃げ出したいくらい、苦しいです。誰かと、話したい。誰かに、すがりたい。ごめんなさい。


お久しぶりです。
私も今ひどいうつで、せんさんの心境は、とても共感できます。
普通人は心の葛藤に直面すると、それを乗り越えて成長して、色々得るものがあったと感じる。
でもこの病気がもたらす葛藤というのは、いくら「迷いの森」を通り抜けようととしても、実はぐるぐるっと回っているだけで、また元の場所に戻っている気がする。そんな実りのない、目の前が真っ暗な旅。たまにそんな気がします。
がんじがらめで、堂々巡り。その心境を誰かに伝えたくて、1000ページ綴ったとしても、何らかの結論に至らない、ただの文字の連なりになってしまう気がする。誰にも伝わらない混乱したものな気がする。だから、誰かになかなか助けを求められなくて、孤独な葛藤で。
・・・なんか絶望のかたまりみたいなレス書いてごめんなさい(^^;)
ただ、私たちが経験することは、人並み以上な葛藤、解明しにくくてゴールが見えにくい旅だからこそ、それほどの実りが必ずあると思います。今この瞬間も、自分がまだ自覚していないだけで、人並み以上の心の成熟をちゃくちゃくと身に着けているはず。せんさんがおっしゃるとおり、一般の人では経験できないこの一瞬を大事に思えれば、と感じています。
私はこの病気から逃れるのが難しいならば、この病気から何か得られないか、と考えの転換をできるだけするようにしています。例えば、社会的に弱い立場にいる人々に共感に近い、新たな寛容性が芽生えたこととか。
迷えるうつ同士、がんばりましょう。自分で書いててきれいごごとかもしれないと感じてしまう面もありますが、それでも絶対、ただ意味のないだけの迷いと葛藤では絶対ないはずです。
‐りさ


そんな成長があるのかもしれません。大切なのは、自分にだまされない事?普通なら、自分を信じろというところですが、自分を信じ過ぎない事もまた大切?
今は?だらけの迷いの森の中。一緒に歩いて下さって、ありがとうございます。


下の人からは、なんでせんさんだけ特別扱いなんでしょう。その魔法の力で私たちも救って下さい(悪意はない子なんですが、若いのです)。上司からは、僕のあとに厳しい人が入ったら、どうなるか分からないよ。他に職を探したら?と。
ああ、ぼくはこの組織の中で、異質なナニカになってしまったのだなーと考えたら、心の奥がずーんと重くなってしまいました。僕は病気です。薬を飲んで、症状をコントロールできるようになってきました。きっと治してみせます。そんな言葉はかけらも出てこなくて。
暗い話題ですみません。他に吐き出せるところがなくて。


どうぞ、ここで吐き出してください。
それで、お気持ちが楽になるなら・・・
なかなか、外見からは解りずらい障害なので、健常者は仕事のストレスからついぼやいてしまったのかなと思います。
ところで、
ご職場では、せんさんは、障害のことをオープンにされてますか?(障害を伝えてますか?)
障害は、内緒にされてますか?(クローズ?)
このオープン・クローズでかで、私の場合の返事も変わりますが、例えば僕ならこのように言うかもしれません。
・こう見えても、障害があるので・・・
・なかなかこちらのように良い職場は無いもので・・・
・そうなんです、どうなるか不安でしょうがいないです。
または、無難に
・すいません、頑張ります
でしょうか。
『お口から出なかった言葉』は、それでいいと思います。
たとえ、言ったとしてもますます理解されない、変なをいやみを言われかねなかったとも思いました。
ここは、理解されず悔しいとは思いますが、
職場での周囲の発言で、体調を崩さない(欠勤しない)よう
体調管理に心がけることを祈ってます。
ぼくも、経験ありますから。
現在無職で、就労訓練中のだいでした。


職場ではオープンになっています。ただ、双極性障害という病名ではなく、適応障害ということで、いくつかの業務を免除してもらっています。それがまた、目に見えない不満を周囲に募らせる原因だと思います。
だいさんのおっしゃる通り、「口から出なかった言葉」は、言わなくて良かったと感じます。自分に強いプレッシャーになって返ってくるだけで、また体調を崩しかねないですね。
ここは、そういうものと受け入れて、今まで通りに、今の自分にできることを、こなすしかないのかな。くよくよ考えていても、病気が治るわけじゃないし、僕が休めば周囲に迷惑かかるけれど、暴走したらもっと迷惑かけるわけですし、最悪の事態も、、、。ここは、つらいけれど受け流しながら、あくまで自分の体調管理に専念します。
ありがとうございます。




でも、周りのペースの半分で、いや1/10でいいから、少しずつ、ゆったりと生きることを良しとしよう。からだに染み付いた「不安病」を、ゆっくりと治すために。


ここに書き込んでから、まだ1年なのですね。なんだかとても疲れています。でも、比較的気分は落ち着いています。今、まだ生きていることが、不思議です。
ここに書き込んだ頃、僕は生暖かい不快な闇の中にいました。もがいても、もがいてもまったく見えない光明。
気持ちはどんどん死へと向かいました。いつしか、お墓を巡りながら、死者と話をするようになりました。そんな折、古墳へと向かう途中で、小さな黒猫と出会います。ひとりぼっちで捨てられて、ずいぶんとご飯も食べてないようでしたが、「僕は生きる」という強いメッセージを放っていました。(続く)


生き生きしている、と言えるようなハッピーな状態でなくても、今まで「生き延びられる」のを(変な表現ですが^^;私はよくこの二つ -生きる、と生き延びる- を使え分けます)おつかれさまです。
私たちは死と隣り合わせのようなうつを経験することがあって、
同病者の方は、私の鏡のような存在なので、そのような経験を乗り越えていただくと、なんだかほとんど自分のことのように、ほっとします。そして、私のとっての希望にもなるので、ありがたいです。
生と死というのが表裏一体だとして、
せんさんが黒猫の象徴として書かれているように、「死」と隣り合わせということは、「生」という存在の強さ、重要性もかみしめられる立場に、私たちはいるのではないでしょうか。
つらい中でも、ふつうの人が見過ごしてしまうような、ささやかな幸せを拾い上げていきたいです。ぼろぼろの捨て猫のような(笑)
ちょっと頭が回っていないので、まとまりのない文章になってしまいました。レスは気にしないでください。また続きをお待ちしています。
-りさ


黒猫は、自分にとっては生への最後の希望のように思えました。この子猫を見捨てたら、僕はもう生きられない。本気でそう思いました。
黒猫を家に持ち帰ると、当然のごとく妻に捨ててこいと言われました。でも、今回は子猫を見捨てる=自分も死ぬと決めていましたので、頑なに拒否しました。そして、里親会に連絡したり、動物病院に相談したりして、里親を捜しました。
しかし、里親はなかなか見つかりません。事はだんだん大きくなり、ついには実家の両親まで来て、期限を決めて、それまでに里親が見つからなかったら、保健所で処分してもらうという約束をしました。それは、僕が死ぬ日でもありました。
僕は躁鬱混合状態になっていました。言動がだんだん怪しくなり、激高したりもしました。黒猫と二人、迫り来る死期を見つめながらの生活。不思議と絶望はしませんでした。でも、スヤスヤと眠る子猫の顔を見るとやるせなくて。しかし無情にも里親は見つかりませんでした。
里親が見つかったのは、期限ギリギリでした。パーキンソン病の父親が、昔の記憶をたよりにもらってくれる人を探してくれたのです。結局、僕は皆に迷惑をかけただけでした。
今回のことで、僕が心の病気である事を自他ともに再確認しました。今は、黒猫はが生き延びたのが、素直にうれしいです。自分にはもう世の中を変えるような力は残っていない。むしろ世間のお荷物です。でも、黒猫は生きました。これが障害を持っていても、生きていても良いという事なのかなと、少しだけ思いました。ほんの少しだけ、、、幸せでした。


皆さんは入院されたことがありますか?
今、入院を勧められていますが、お金がありません。先生は、薬の調節とラミクタールの導入を入院管理下に一気にやってしまいたいみたいなのです。
自立支援みたいに、入院費が安くなるような制度ってありますか?

普段の通院には、「自立支援」がつかえて診察代、薬代ともに一割負担になりますが、入院するとすべて3割になります。ただし、代わりに高額療養費限度額認定が適用されます。
収入に対して、一定以上の負担はしなくていいという制度でっす。
細かい事は分かりませんので、加入の健康保険組合にお問い合わせください。
入院、凄くお金がかかりますよね。
私は、15年ほど前に入った医療保険型の共済に助けられています。


レスありがとうございます。
オフ会ではお世話になりました。
高額〜、私も使ったことあります。
あれって、月初めからだと、かなりお得ですが、半ばからの半ばまでの入院とかは、損した気分になりますよねえ・・・。
私は、発症が早かったので、保険は入れておらず、頭が痛いです。就職したら、せめて、がん保険だけでも入りたいと思っていますが・・・。


入院;自分は、過去入院勧告はされましたが、結局入院せずに現在に至ります。過去一度も入院したことないです。
(2型ラピッド 病歴約18年)
入院勧告⇒他の病院での第三者意見(診察)⇒入院しなくて不要の意見もらう⇒自己判断⇒入院せずに通院・投薬治療を続行
というプロセスで現在に至ってます。ご参考まで
なお、自立支援、手帳、障害年金の諸制度は現在利用中です。

時々、他人のちょっとした態度で「嫌われてるんじゃないか」と思い込んでしまう。
これは、ずっと昔から。。。
本来なら、自分の方が怒ってもいい場面でも、そう思ってしまって何故か、謝らなくては。。。と思ってしまうので性質が悪い。
もめるより、謝った方が楽だからかな。。。


困った妄想ですね。でも、実際嫌われているか・好かれているかは確認するまでは妄想か事実かどうか解りませんね。
反対に言えば、誰からも好かれたい症候群でしょうか。
それとも「過剰反応」かな。
自分も、鬱が重い時そのような気分になった事があります。
でも、鬱がそうさせてるいると、解っているもう一人の自分がいるので、「謝罪しよう」とまでは思いませんでした。
具体的に『ちょっとした態度』とは何ですか?
『他人』とは、近所の方ですか?ご家族・ご親族も含みますか? ご愛犬でも同じでしょうか?
『時々』とは、どのような特定の時ですか?
レスは、すぐには出来ないかもしれませんが、もう少し詳しく教えてくださらないでしょうか。


大丈夫ですよ。嫌われ妄想、私も有りますよ!
たぶん、現在、精神的に落ちた状況に
あられるか?と推測いたします。
常に落ちている私は、所詮、嫌われていると。
まあ、接触する範疇の人間が少ないもので
別にいいか・・・と。割り切っています。
それに、好き嫌いは、
あくまでも相手側の判断基準ですので
どう思われようが勝手にしてくれ〜と
開き直っています。
私は、家族に嫌われまくっているので
事実の部分もあります・・(苦笑)


ラミクタールが承認されると聞きました。
私がこの薬について知っていることは、
1、双極性障害の鬱に効くということ
2、副作用でスティーブン・ジョンソン症候群が起きるかもということ
の2点だけです。
私は鬱メインの双極性障害だと自分では感じているので、ラミクタール試してみたいな・・と思います。
でも、私は皮膚が弱いので、副作用で、皮膚科まで通うことになったら、疲れ果て、他の薬でも服薬に対して嫌なイメージを持つことになるかもしれません。
昔は、うつ病と診断された時、薬に関しては、物凄く勉強しました。
だけど、双極性障害と診断されて、もう治らないんだ、もう、何のんでもいいや・・と思い、薬の知識を仕入れることを辞めてしまい、今の私があります。
お薬は主治医まかせ。
リーマスで手が震えようと、主治医のいうとおり我慢。
むずむず足も長いことがまん。
通院は月1回。
どんな適当な主治医でもどんと来い!薬さえだしてくれれば。というスタンス。
ラミクタールに興味を持って、あぁ、やっぱり、ちゃんと飲んでいる薬を調べる姿勢をもって、進んでいる病院にかかっておけばよかったと、反省しています。
長くなりましたが、
ラミクタールについて、みなさんは、どのような立場をとっておられますか?


私もうつがメインです。
平時は、リボトリールとデパス。
リーマスは効果を感じないので、平時と鬱時には飲まないことにしました。
リーマスの副作用の怖さもあります。
鬱時はアモキサンです。
ラミクタールは副作用がなければ飲んでみたいです。
azamiさんが薬に詳しく、聞いてみられるのもいいと思います。
皮膚が弱いとの事。
私は、40歳を過ぎて初めて、ステロイド(マイザークリーム 副腎皮質ホルモン)の塗り薬を塗り、これはよく効くと、この数年は頻繁に塗っていました。
皮膚炎がよく治るのですが、また更に酷くなって再発するの繰り返しで、効き目も弱くなりました。
ステロイドの副作用のリバンドと2ヶ月前ぐらいに知りました。
今、脱ステロイドをしていて、少しづつよくなっています。
結論から言うと、非ステロイドと自然治癒で時間がかかっても治るなら、ステロイドは使わないほうがいいということです。
リンクは雑談掲示板に貼っときます。


azamiさんのブログを少し拝見してきました。
なんだか、とても、高度なお話をされているようで、すごいですね。
ラミクタールの私のトンチンカンな質問につきあって頂けるのか、不安です。
何しろ、私はほとんど理解しておらず、効くらしいくらいしか、わからないもので・・・。
私は、今、ステロイドを使っています。
一つは、吸入ステロイドで、喘息用です。
もうひとつは、耳の鼓膜の手前にできる湿疹を繰り返していて、耳鼻科でも処方されています。
YOU TUBEも拝見させていただきました。


ラミクタールの副作用であるスティーブンスジョンソン症候群は最重症の薬疹であり、大量のステロイドを点滴しないと死亡します。
ステロイドは、内服、注射材で使用するのと外用薬では体内に取り込まれる量がかなり違います。
また、ステロイド外用薬に関しては強さのランクと適切な使用量、使用期間があるため、適切な疾患に適切なランクのステロイド外用薬を塗布すれば、副作用は殆どおこりません。
ラミクタールはスティーブンスジョンソン症候群が6〜7%の確率で副作用が発現するようです、この副作用がでた時点で内服は中止、他剤へ変更です。


少量ずつ長い期間をみて試されてみるという手もあります。
参考にならないかわかりませんが体験者として


昨日から飲み始めました。私はデパケンも飲んでいるので、主治医が慎重に行かなくてはいけないといって、とりあえず、25ミリを隔日投与を2週間続けます。主治医の計算では維持量にするまでに3カ月かかるらしいです。
今、鬱がけっこうひどいので、ちょっとじれったい感じですが、転院して2カ月くらい経つ今の主治医は、絶対、抗鬱剤は出さないといっているので、耐えるしか仕方ありません。
とりあえずは、副作用がでないことを祈るのみです。
今、


済みません、伺いたいのですが、むずむず足症候群 はリーマスの副作用で出たのでしょうか?


はあー・・・
雑談掲示板にも書きましたが、私は今、三年ぶりに大学に戻る手続きをしています。
それが、つい先日、私の大の憧れであるTomio Koyamaという美術館で、アルバイト募集をしているのに気づき、すぐに履歴書を送りました。前も正社員の募集をしていて、履歴書送って、その時は落ちちゃったんだけど、今回は大卒とかの条件が全然なくて、唯一の条件が「明るく元気な方」なんだもの。
・・・しかしそれが、よくよく詳細を見てみると「週五日制」「11時〜19時」の仕事で、これでは時間的に大学と両立できないことが判明。
どっちか選べないとだめなのかなあ・・・まあ、まず採用されてから考えよう、と思っていたら、
昨日四歳からの幼馴染の友達たち数名と会って、すごい自信喪失をしてしました(涙)
私は躁うつ病の人と関わる前はひどいひきこもりで、人間関係がなかなか続かないのが悩みの種だったんだけど、
理解のある同病者との関だと関係が続くことがわかって、じゃあそうゆう関わり合いを持てる毎日が、「健常者」との関係、社会参加を保てることにつながるかなあ、と期待していたんだけれど・・・
昨日久々に「健常者」(と言っても家族のように馴染みのある友達たち)と会って、ほとんど会話が成り立たなくて・・・。
中学、高校のころから頻繁に会ってたメンバーなのに、この病気が発症してから、このような同窓会に四回ほど行って、四回全部体調を崩して、早退して・・・
今回も例外じゃなかったんです(泣)まあ、最後までいられたんだけれど、
私は人と会うと「アパシー症状」が起こってしまうのが常で(アパシー症状とは、うつの悲しいとも違って、感情表現、自己表現自体できにくくなってしまう。だから、ちょっとにこにこしてそこに座ってるだけで、言葉もほとんど発せられないし、自分が考えてることも上手く伝わらない。)こうゆう症状持ってる同病者の方、ほかにもいるのかな?少女漫画では「人形病」とか呼ばれているけど・・・(苦笑)
とにかく、同病者と関わる毎日を過ごして人間関係に少し自信を持てて来たのに、それで同時にアルバイトと大学にまで申し込んだのに、
昨日は、自信喪失でした・・・(−−;)申請はしたけど、ほんとに、健常者の中でちゃんとやってけるのかなあ。
健常者・当事者って区分けをすること自体あまり好ましいと感じない人もいると思うけれど、私にとっては思想的な価値観とかのうんぬん以前に、ただの苦い現実で・・・その区分けは。
Tomio Koyamaは本当に夢のようなお仕事だけど、失敗しても自分以外あまり迷惑のかからない大学一学期にチャレンジ!の方が、妥当かなあ・・・でも、Tomio Koyamaだよぅ(泣)宇宙飛行士が月に行けることと同じくらい夢実現!だもの(謎笑)
うー・・・。私の人生今までずっとの悩みですけど、最近強く痛感したので、ここに綴ってみました。健常者・あるいは病気にあまり理解をもてない人々・環境では自分がなかなか機能できないって、
同じ悩みを持っている方いるのかなあ。
‐りさ


僕も若い頃、不安障害で、異常に緊張して、ちぐはぐな会話をしていました。
月並みですが、対人経験を沢山積む事。
アパシーのような神経症者の特徴として、自意識過剰になり、内向きになる気質なので、意識的に相手をさりげなく観察して、外向きにすること。
そうすれば、相手の本音や演技も分かるようになってきます。
相手の気持ちが正しく分かると対人不安でぎこちなくなるよりも、現実にどのように反応して会話したらいいか、瞬時にできるようになります。
女子同士の会話は男子同士より気を使っていますね。
りささんの文章表現能力は高いですよ。
相手の顔の表情と声と態度で気持ちを察すればいいです。
自分の気持ちを分かってほしいは相手の勝手なので、ほどほどにしたほうがいいと思います。
自分の気持ちの全部を伝えるのは無理なので、5割ぐらい伝われば上出来ぐらいの心構えでいいと思います。


>
私は人と会うと「アパシー症状」が起こってしまうのが常で
>
これで、これまでのりささんの投稿文面文章表現力と実際対面したときの会話との私の印象違いの理由が解った気がします。
ステレオタイプ的発想では、日本文化の特徴として「横並び文化」「他人を見て自己表現」があります。他方、欧米では「他者は違う文化を持っている」「だから討論(ディベート)・会話して理解しようとする」文化があります。
自分は、帰国子女でりささんは、ハーフでこれまでに学校で培ってきた会話・人との接し方が、日本社会では不適応と無意識に感じていて、それがこの症状が発症している原因の一面もあるのでは?と、医者でもないのに思いました。
と、いうのも似たような症状が、私にも過去2度の帰国時にあったからです。現在は、ある意味俺は「変なおじさん」と、開き直って自己表現・他者と接してます。無理に他者と同調したり、共通点を見出してそこから会話をするというスタンスをとってません。
こればかりは、私もそうでしたが儀助さんがおっしゃるように『場数』『場慣れ』することだと思います。
他方、多くの文学作品や書籍、雑誌記事など活字読書するのも
有効かも知れません。
あせらず、あきらめず、継続されてください。
求職に関しては、何事もトライされたらと思います。トライせずに後悔するより、トライして後悔する方が、そこから何か人生を学ぶ気がします。上記の『場慣れ』に通じるものがあると思います。(余計なおせっかいかも)
チャンスは、逃すなと、思います。(自戒の念こめて)
ではまた


丁寧なお返事、ありがとうございます。ちょっと体調がすぐれてないので、一応の短いお返事になります。
うーん、まず問題の症状である「アパシー」について私の説明不足だった気がします。あるいは、自分の症状を一般的な「アパシー症状」と表現するのが、多少ずれているのかもしれせん。
アパシー(というか私の症状は)、儀助さんが述べられたような、対人恐怖あるいは不安・焦躁感や、だいさんが述べたようなカルチャーショックとは性質が違うと思います。
ちなみにだいさんと会った時に私がアパシー症状になったことは、ないですよー(笑)なんか私の空気読んでないバカ明るい感じ、あれは国籍問わず私の地の性格です(^^;)
本来の自分の気持ちや考えが環境の変化や人間関係で実際(不安やカルチャーショックという形で)変わる、というよりかは、本来の自分が変わらないのに
なぜかその本来の自分が引き出せない。「人がこわい」などの思想、不安・焦躁感などの感情の弊害が先に来るというよりかは、まず本来その人たちといるのはまったく自然なことだし、そう感じているのに、(ちなみにその同窓会に来たのは男女両方いたし、英語も日本語も話せる私と同じハーフでしたし、何より馴染みのある友達でした)
その「自然、健全」な思想や感情を表現する力がなくなっちゃう、って感じです・・・。つまり「感情」の支障でなく「感情表現」の支障ですね。
でも確かに結果的に二次的症状として、人と会うことに対して不安になったり、境界線を感じるようになるので、それを克服するには、
儀助さんやだいさんが言うように、チャレンジのみだと思います。本場での「場馴れ」をするためにも、躁鬱病者の間でリハビリ的に「人馴れ」するのもいいことだと思っています。
貴重なアドバイス、ありがとうございます。励みになります。
ちなみに、儀助さんとだいさんの「アパシー」の定義とは、どうゆうものでしょうか?私は前から自分の症状を説明する時、この言葉を正しくつかってないのでは・・・と感じてたので、ほかの人の考えに興味があります。
英語の直訳では「無感情」という感じですが、私の中ではやはり「感情表現の出来無いさま」という感じでしょうか。
ちなみに、私はよく、文章上の私と実際会った感じが違う、と言われますが、それはみんなもそうだ思いますが「外の自分」「内の自分」の違いだと思います。性格に裏表があるっていうわけじゃありませんが、(笑)やっぱり文面だと人にあまり見せない内面的な自分が出せるという面があると思います。だから儀助さんが言うように、そのような内面的な、ディープな理解をカジュアルなコミュニケーションでぜんぶぜんぶ求めるのは控えた方がいいかなあ、とも思いました。
それとつなげて、だいさんのアメリカ・日本のコミュニケーションにあたっての相違も、興味深いですね。日本人は社交的な場では「飛び出た釘」にならないようにする、という性質があるかもしれませんが、その分個々の内面世界は充実している気がします。アメリカでは「個性individuality」が社交的な場でも評価されますが、ただ意味もなくショッキング・パワフルなことをしたり、「個性をもつための個性」みたいな感じで、日本の「秘められた個性」ほど、個人的には真実味を感じられません。
あら、なんか短く書くとか言ってずいぶん脱線しながら長く書いてしまいました(^^;)精神障害と人間関係、どう自然な形で両立させていくか、大きい課題ですね。今のところ儀助さんとだいさんがアドバイスしてくださったように、とにかく実践してみマス。
‐りさ


昨晩かな、ロボットについての特集をテレビでやっていた。
感情を表せるロボットって言うのもいて、不思議とそいつに接触する人は感情移入をするのが可能らしい。
ロボット研究者には二つタイプがいて「ロボットはあくまで人間のために役立つツールのようなもの」と思う人と「ロボットも、外見的にも感情的にも、だんだんと人間に近づいてく素質があるだろう」と思う人。
一人の人なんて、「いつかロボットも人権を持てるようになるだろう」とまで言っている。
ロボットが感情をもつとして、一体いかなるものになるだろう?
というとまあ、実際感情をもつのは不可能としても、接触する人間がロボットをあたかも同じ人間かのように思ってしまうほど感情移入してしまう、という意味で。その「ロボット人権宣言の研究者」はこれを
「つまりロボットが”人間になる”時がきたら、そのロボットを人間が処分できなくなった時だろう。とんかちは役立ち、役立たなくなったら処分するのが当たり前だが、人間は役に立たなくなっても、生きる価値のある人間であり、なかなか排除できないものではないか。」
と私の解釈も含めてこのようなことを言っていた。
人間のような感情をもつロボットは、つまり「完璧な感情」をもつのだろうか。よくSFとかでロボットは人間が完璧になってしまった、不自然な形、と批判しているようだが、
感情障害をもつ私としては、「完璧な感情」についてとても不思議に思うし、悩みの種である。
ガタカという映画や、狂史郎2030という漫画でも、ロボットではないが、人間のDNAを改良し「完璧な人間」を作ることに成功した近未来を描いている。両方の作品とも、その「完璧」さへの批判を含めている。
フロイトやラカンのような精神分析者は、他の生体科学と違って、人間の感情・精神だけは「謎」に包まれていて、解明しきれない面がある、と言っている。
感情障害を担う私たちにとって、感情の治癒とは、どのようなものを意味するのだろう。せめて私にとって「完璧」さ(それがどのようなものかも、よく分からないけれど)とは違うものな気がする。
私たちは、その精神の「謎」、(一番生体の中で人間的な面?)によくも悪くも触れている気がする。それが人間の心理を解明するにあたって重要なことでもある気がする。
さきほどの研究者が「僕は人間をより理解するために、より人間に近いロボットの製作に努めている」と言っていた。
しかし、ロボットに「無意識」「滞在意識」「謎」は持てるのだろうか。今現在の人々は、私たちのような心理状態に感情移入できない段階にいるけど、そのような心理状態をロボットで再現できるのだろうか。
そのテレビに出てたロボットは、とてもリアルに多面的な「表情」を持ってた、けれど、
感情は外観の「表情」だけではなく、その裏に隠された、「心」の表れであること、それは生身の人間にしか持てないであろうことを、
なんとなく考えている自分でした(^^)
でもロボット科学は、なぜかとてもおもしろいぞ!その自分の中でも気持ちの矛盾で、お悩み中です(^^;)
「ロボットはいつか人権をもてるだろう」とか言うけど、躁うつ病者は実際社会に認められてない面があるから、なんか複雑な気持ち・・・。
−りさ


今日、同病者の仲間とぶつかり合って、躁鬱病者の関係の矛盾について、考えてた。
もちろん前提として、おたがいの症状にある一定の共感や理解をもてるけど、 とくに親い関係になって、同じ環境や状況で活動するようになると、それによるストレスを抱える時期も、かぶってしまう。
同病者として、おたがいがどうゆう心境にいて、その症状がどれほどつらいか、どれほどコントロールできないか、充分理解してるのに、痛感してるのに、
皮肉にも、同時に調子が悪くなってしまうと、いくら頭で理解していても、調子が悪くてその理解を実行に移す心の余裕をもてない。つまり、相手の気持ちを受け止めて、「大丈夫?」とやさしい声をかけられないほど、自分自身の精神状態を支えるので精一杯。
逆に自分自身が相手に気持ちを受け止めてもらいたい立場にいて、 おたがいがおたがいの症状を受け止められずにいると、 「何で受け止めてくれないの?」「同病者として、理解してくれていたはずなのに・・・」と症状の悪化につながり、悪循環になったり・・・。
私が考えるには、躁うつ病の一番の悩みは「孤立」と「周りの無理解」だと思うんだけど、
でもやっと二つともの悩みを同時に解決してくれる「同病者との関係」がどんどん親くなると、上記のような矛盾が生じる。
私は、躁うつ病者という集まりが、寛容性や理解や人間関係について新たな、広い観点を社会に魅せる素質があると信じてる。 でも、その素質を発揮するためには、ここで話す矛盾を乗り越えればいけない。どうやってそうすればいいのか・・・
やっぱり、一番ひどい症状のぶつかり合いも含めて、ありのままの私たちをおたがいに受け止めあい、許し会うことから始まるのかなあ。実際今日その人と仲直りした時、なんだか大きい山を乗り越えたような、絆がもっと深まった気がいっぱいした。
自分のような立場にいる人は、頭の中では常に受け入れられる姿勢にいるけど、やっぱり気持ち的には自分のことで精一杯になっちゃうこの病気。そんな心境にいる人が集まって絆を深められたら、逆にすごいパワーと許容力を生み出すことが出来るんじゃないかな!そんな気がする。
私たちの在り方から、私たちよりも数倍心の狭い社会が学べることがいっぱいあるなあと思えると、 今親い同病者と、もっとつながりを深めていきたいと思えてくる。
ぶつかり合いは人並み以上に大変かもだけど、人並み以上の絆を作るために、躁うつ病者との関係は、努力していきたい。
-りさ


私は今障害者スポーツセンターという施設を利用しているんだけれど、
身体障害者も精神障害者も、もちろんいて、
あまり話さす機会のない身体障害者の方とお話ししていると、
同じ「障害」と呼ばれていても性質の違う所や考えたことがなかった接点とかあって、それについて興味を持ち始めた。
身体障害者の方と話して始めに感じたことは、うらやましさだった。一面的な考え方かもしれないけれど、その人は自分が障害を担っていることについてショックやひどい落ち込みを感じるだろうが、精神自体には私のように「支障」をきたしてないわけだから、その鬱状態・トラウマ・コンプレックスを一山乗り越える希望は、私よりもてるものな気がした。
でも私の場合は、精神自体に「障害」があるわけだから、それに関しての二次的なショック等を乗り越えようとしても、堂々巡りのように、一山の次の一山、波の次にもう一波のように、悪循環から抜け出せないような気がする。
もちろん一面的な私の第一印象で、そう単純化して区別できることではないとは認識しているけど、
確かに精神障害と身体障害には自覚すべき接点や、興味深い違いなどがあると思う。あんまり考えたことなかったら、なんだか考え始めたら興味深かった。
例えば、精神障害は「見えない」病気と呼ばれていて、それがデメリットのようにいつも私は感じていたけど、「見える」病気である身体障害者の悩みやつらさ、二つの病気の性質の相違は、いかなるものなのだろう。私は本音を言うと、理屈抜きに、というか感覚的に、「見える」病気を担うこともとても怖い。その怖さの根底などが何なのかも、考えてみたい。
「悩み」ではないけれど、みんなで考えていきたいなあと思ったことなので、ここに載せておきます。
(私は前から躁うつ病の一番特徴的な二次的症状が「周りの無理解」や「孤立」だと思っていた。そうゆう意味で、身体障害者も同じなのかもしれないな、大きい接点となるかもしれない、と思った。
(「男女の躁鬱病者が社会に理解されず、おたがいに深い理解と愛情を見つける」なんていう小説があったら素敵だなあって考えたことあるけど、
精神障害者と身体障害のラブストーリーも、今までないもので、その愛情の根底や二人のつながりがどこからくるのか、考えるとおもしろい(^^へへ)
−りさ


興味ある話題ですのでレスさせていただきます。
ちなみに自分のことを話しておきますと、
私は片眼を失った「身体障害者」であり(ただし義眼を入れているので、事情を話していない人にはわからないようです)、
かつて躁鬱病(たぶんU型)と診断されていました。
「かつて」というのは、過去の復職時の調子の変化から主治医は躁鬱病であることを疑い、その後「適応障害」に診断名が変わりました。
自分としては、「躁鬱病」が基本に残っており、その上に「適応障害」があると見ています。
現在ではメンタル系の薬はたまに飲む睡眠薬を除いて、気分安定薬も抗うつ薬・抗精神病薬も全く飲んでいません。
以上が私の事情ですので、それを念頭に置いていただければと思います。
りささんの書かれた内容を読んでいますと、どうも考えておられることが頭の中の「イメージ」に偏っておられるように感じます。
身体障害者にせよ、精神障害者にせよ、考えなければいけないのは、どちらも「生活しなければならない」ということ。
従って、生活する上でどういう支障があり、どのようにしてそれらに対処していくか、ということを考えなければいけないと思います。
その観点から見ると、精神障害者、特に躁鬱病者の場合、身体的機能には支障がないので、気分さえ元に戻れば健康人(俗に言う普通)の生活が可能です。
でも身体障害者の場合、どのようにしても普通の生活は無理です。
私の場合、片眼を失っているということは、もはや取り返しがつきません。
永遠に片眼で元に戻ることはありません。
今では片眼でもある程度立体感もあり、それほど支障はありませんが、はじめの数年間は行進でもふらふらしてちょっと支障がありました。
それと私は強度の近視に乱視も併発していますが、それも残った目に負担がかかったが故であると思っています。
そのことを考えると
>その鬱状態・トラウマ・コンプレックスを一山乗り越える希望は、私よりもてるものな気がした。
と書かれていることは、自分の障害が一番苦しいと見られ、他の障害に関する想像力や理解がまだまだだなと感じました。
気分のコントロールさえできれば健康人とそれほど違わない生活ができる躁鬱病者と、もはや失ったものは取り返せない身体障害、その違いはどう思われますか?
>私は本音を言うと、理屈抜きに、というか感覚的に、「見える」病気を担うこともとても怖い。
私が想像するに、これはご自分が経験されてないが故の恐怖ではないかと思います。
自分が経験していれば、嫌でも受け入れざるを得ません。
一種の開き直りができます。
もっとも私の場合は、片眼といっても矯正視力で1.0くらいあり運転免許も持っているので、障害者手帳は取れないようです。
精神障害についても、2ヶ月以上メンタルな薬を飲まなくてもよい状態が続いており(もっとも去年も4ヶ月弱薬を飲まない状態が続いた後でむごい鬱に落ち込み、相当苦しみました→約半年波の差はあれ、鬱の状態でした)、元気な状態なので、今苦しんでおられるりささんに対するレスとしては不適切なものになっているかもしれません。
>男女の躁鬱病者が社会に理解されず、おたがいに深い理解と愛情を見つける」なんていう小説があったら素敵だなあって考えたことあるけど、
>精神障害者と身体障害のラブストーリーも、今までないもので、その愛情の根底や二人のつながりがどこからくるのか、考えるとおもしろい(^^へへ)
「障害者も健常者も生活していかなければいけない」という視点も交えると、よりいっそう深みが出るのではないかと思います。
不適切な点があれば指摘していただければと思います。
よろしくお願いします。


と私は一応強調しておくために、このような段落を置きましたが、
全体的に私の書き込みが想像力が欠けた無知、及び無神経なものとなおさんが受け取ったのであれば、それはお詫びします。
デリケートなトピックだとは認識した上で、私の素直な第一印象を綴ろうと試みたのですが、今後はもう少し言葉を選んで、読み手を考えて書くよう努めます。
しかし私の見解としては、やはり「躁うつ病より身体障害の方が”いい”あるいは”楽”、」あるいは何か単純なイメージに還元しようとしたつもりはまったくなく、
デリケートなトピックながら、みんなで率直に、オープンに考えていくべきであろうことだと思った次第です。
なおさんは身体障害を「取り返しのつかない」という風に表現し、躁うつ病は「気分」さえ直れば・・・と表現していますが、
もちろんその体の障害自体は、取り返しのつけないものかもしれませんが、果たして「精神」の修復は、取り返しがつかないと言い切れるのでしょうか。
実はこの親記事を書いた晩、私は身体障害者で、とても前向きな、とても精神的に芯の強い方とお友達になって、彼は普通に五日制の会社に通い、残業もこなし、同僚や上司に信頼されている、とのことでした(仕事が増えるから、困るほどだよ、とのことで笑)
その衝撃的な出会いの上で、上記の私の「第一印象」を綴ったかぎりです。もちろん同じ身体障害者でも、生活面で個々によって大きな違いがあることは認識しています。
私はなおさんが言うように、精神障害者と身体障害者の「違い」より、むしろ「接点」(なおさんの例で言いますと、「生活しなければいけない」こと等)について強い興味を抱いています。
その中で、社会的に染みついてしまった表面的な「イメージ」(私の「見える」病気についての怖れ等)も素直に分かち合うことが過程的な意味で大事だと思います。接点のある人々の間にある表面的な境界線を乗り換えるため、という点では。
それを言った上で、なおさんの「気分が直れば・・・健常人の生活が可能」という「イメージ」は、多少ひっかかります。理屈としては正しいと思いますが、躁うつ病は実質上「慢性病」であり、例えば身体障害を「体の慢性病」と呼ぶとすれば、躁うつ病は「精神の慢性病」であり、
「どちらが生活的にもっと有利か」などに重点をあてるよりかは、その表面的な違いの裏の、本質的な接点について追求していきたいと私個人は感じています。
例えば、なおさんが触れました「適応障害」。これは言葉を換えますと、身体、あるいは精神障害の「二次的症状」と呼べると思いますが、私はこれに本来の病気よりも苦しんだ面があります。具体的に言いますと、病気により「二次的なひきこもり状態」に陥り、生活が成り立たなくなることです。
なおさんが「生活をしなければいけない」という概念を身体と精神障害の接点として捉えるのは、とても興味深いことだと思います。これを「社会参加」と言い直しますと、私は、精神も身体障害も「社会から外れた」立場にいると信じており、社会参加ができない、という障害を乗り越えることが本質的な人生の目標なのか・・・あるいは、本来の自分の自然な形を逆に社会が受け入れるべきか。本質的に「取り返しのつかない」要素により社会から外れているのであれば、厳密な「社会参加」以外の生活は望めるのか。
とても興味深いテーマでありながら、とてもデリケートなテーマなので、私としては中立的な立場から、どっちが良いどっちが悪い、身体はこうゆうイメージ精神はこうゆうイメージ、などの単純化はさけ、それらの表面的なもの下に潜む本質的な接点をさぐりだすことに強い興味をもっています。その面だけ、誤解を解消したいかぎりです。
ちなみに私の親友は、目の障害を担っています。なおさんと似ている面があり、片目からしか目が見えず、焦点が合いません。彼はそのコンプレックスを乗り越えるためにとてもつらい思いをし、結果としてうつを発病してしまいました。なので私が軽薄にも「身体障害はコンプレックスを乗り越えるのが精神障害より簡単だ」などと宣言したかったわけでは、まったくありません。
実は彼は最近、「世界、僕の左目を通して(Life Through my Left Eye)という自伝を書いて、出版しようとしています。彼は彼なりに、自分の障害と向き合う方法を見つけて、私はとっても嬉しいし、正直やっぱり羨ましいです(笑)コンプレックスを乗り越えるというのは、障害の類は関係なく、個々によってタイミングが異なるのかもしれませんね。
ちなみに「目の障害」というのは「精神の障害」と等しい、あるいは似つかわしい面があると私は感じます。「目に心が映る」と言いますし、その表現には真意が含まれていると思います。
でも、一番人間的なものを、コンプレックスや生活的困難を通じて痛感してきた人々こそ、逆にその人間性を一番理解し寛容的に受け止める力を得られるような気がします。だから、私はこの病気を「運命的」あるいは「取り返しの付かない」と信じていますし、その場合に備えて覚悟は持っていますが、それらをすべて否定的に受け止めていませんし、逆に私の人格にとって必然的であり、その上良いことだと感じています。
レス、ありがとうございます。自分の考えをもう少しだけ整理できたような気がします(読む人にとっては、くり返しが多くて冗長で整理がなっていないと感じられるかもしませんが汗)
しかし、人とデリケートなトピックについてお話するかぎりは、相手の解釈や自分の言葉の選び方に気をつけるよう、努めます。
ありがとうございました。では。
-りさ


くしくも、私には30年以上の交友歴がある身体障害者(1級)の親友が一人います。(既婚)彼は、一目瞭然の脳性麻痺身体障害者で、歩行・腕・手・脊髄等に障害があります。
彼との交友歴と、自分の一時期のスポーツ障害(アキレス腱半切断)の経験から、
相違は、一言で言うと『寛解』があるか無いかです。
しょせん、病気・障害の本当の辛さは、本人でなければ解らないとも思ってます。
出勤前なので、短くレスしました。


子供と離され母親たる私の娘が苦しんでおります。 どうか、先方の親や夫が異常であることを認識してもらい、子供と母親が一緒に暮らせるように力を貸してください。
東日本の震災報道を見るたびに、胸が痛くなります。そして、被災し、家財を失いながらも母子が抱き合っている姿を見ると、頑張れと声が出てしまいます。 しかし、それでもその母子が幸せに思えてなりません。 私の娘にはそれすら出来ないのです。仙台という地は、私にとっては鬼の住む地なのです。
私の娘は、女児を産み、5ヶ月して産後うつになり、入院しました。退院して、産後うつが治っても、母子が離され、離婚をさせられようとしております。病院を退院してからも、娘の夫の母(義母)が孫の可愛さのあまり、ご両親とホテルに勤める義姉の大勢で部屋に来て、子供を連れて行き、母たる娘に子供を返してくれません。娘の夫は、娘を無一文状態で部屋のキーを取り上げ、娘に自立しろと言って部屋から追い出しました。お産のために仕事を辞めた娘に対して、自立しろと言う状態です。そして、夫は自分の母親を思うばかりで、娘に離婚を迫っております。 娘は当然のことながら、子供と一緒にいさせてと懇願したのですが、夫は自分の母親の孫に対する心情を優先し、4年も連れ添った妻たる娘、母たる娘から子供から引き離すばかりです。やむなく、仙台の家裁に子供を母たる娘に引き渡して養育させてもらえるように調停をかけたのですが、強引に連れ去った状態であっても、今が問題無いとのことで、母親を無視する判断をされました。裁判所が母子を引き離す判断をするのです。判断の根拠となっている記述は間違いが多く、仙台という地場のためか夫側の一方的な主張のみが採用されている状態でした。それでも一端、記述したことは変えられないとのことのようで、判断されました。間違いだらけの調査をした人には、何の罪もないのでしょうか? これほどのいい加減な調査や内容で、娘の人生を左右させられるのです。この間も、娘は子供と引き裂かれた当初は、何度も死のうとしましたが、一歩手前で踏みとどまってくれました。そして、母と子が一緒に暮らせるように自立しようと必死の思いで働きに出て、冬の日も一日も休まず勤めました。夫からは、保険も取り上げられ、子供のためにと言われて母子手帳まで送るように言われ、身が切れる思いで子供のために母子手帳を渡しました。また、メンタルクリニックにも通い、主治医からは当初、『母子が離されているほどの強いストレスはない』と言って、娘の相談とカウンセリングを行ってくれました。そして、2ヶ月ほどで育児には全く問題はない、5ヶ月目では、完治の診断を受け、投薬もなくなりました。うつは完治しているのに、裁判所は一端うつになった母では心許ないと判断して、子供を娘に養育させないばかりか、会わせてもくれません。仙台という地場だから、そのような判断をされたのかとも思っております。
娘は、それでも当然、子供をあきらめることなど出来る訳がありません。そのため、子供と一緒に暮らせることを夢見て、経済力も身につけなければならないと、このような心情の中で専門大学を受験し合格しました。そして、今大学に通っています。それでも、仙台の裁判所は母子を引き離す判断をするのです。裁判とはこれほど非情なものであり、人間の心が通わないところかと思っております。また、人の上に立つ裁判所であるはずなのに、人の道に外れるような判断をするのかと不信感を持っております。
今、子供は仙台の夫の実家で、娘と引き裂かれ養育されています。娘の夫は郡山の病院に医師として泊り込みながら勤め、子供は託児所に預けたりしながら、夫の母親が子供を育てています。娘は夫の給料には到底届かないですが、子供を育てるだけの経済力を身に付けようと必死で勉強をしております。
今回の地震では、幸い海から離れた泉区の長命ヶ丘であったため、無事でした。
母親と離され、母親と接することなく育てられている子供が不憫でなりません。母親の愛情を受けることなく心身ともに健康に育つのか、心に傷を負うことはないのかと子供が可愛そうでなりません。娘も自分が育てられない辛さと、子供が母の愛情無く育てられていることや心が歪まないかと思う辛さで一杯であります。
何故に仙台では、母子を引き離してまで、自分達だけが幸せになろうとするのでしょうか? 人の道に外れたことも、仙台では許されるのでしょうか? 今回の地震と津波で必死に生きようとしている人達がおられる中で、このような非情な仕打ちをする人が仙台にはいるのです。 仙台の被災した方々に対してのお手伝いをしたいと思うのですが、なかなか出来ません。 どうか、母と子が一緒に居れるようにしてもらいたい。 仙台で、人としての道に外れるようなことはしないでください。 どうかお願いします。娘を殺さないでください。


私が見受けるかぎり、高橋さんも、高橋さんの娘さんも、私の想像以上のつらい経験をなさっていると思います。
私は躁うつ病者ですが、親には「結婚はかまわないが、病気が治るまで子供は産むな」と言われています。躁うつ病とは慢性病と呼ばれていて、私は親の条件をとても不条理のものと感じています。
このサイトが主催しているオフ会で、「子供を持つ精神障害者」についてお話したこともあり、私の結論としては、精神障害者の親だからこそ子供に教えられることもあり(偏見を超えた寛容性など)、障害者だからと言って親と子供の愛は変わらないということでした。私は病気のせいでなかなか社会への復帰を果たせず、将来家族を作ったとしても生活保護を覚悟していますが、生活保護や障害を担った親は子供をちゃんと育てられないということ自体、大きな偏見だと思います。
高橋さんの娘さんは、うつ病も完治したとのことですが、メンタルクリニックの先生がおっしゃるとおり、今の深刻な状態を耐え抜くと言うことは、とても大きな精神的負担になることには変わりないと思います。
それでも娘さんは自立を実現するために多大な努力をしており、それも大学や仕事を通じてすでに果たしている面も大きく、自立を目標としている私から見ると、尊敬の念でいっぱいです。
「娘も自分が育てられない辛さと、子供が母の愛情無く育てられていることや心が歪まないか」と高橋さんはお悩みのようですが、まず娘さんの心のあり様ですが、今すさまじい力と速さで病気の完治、そして自立を果たすところまで来れたのは、お子さんと一緒になるというモチベーションがあってのことだと思います。もちろん母と子が引き離されるなどという状況は、根本から不条理なものであり、あるべきでない状況だと思います。
娘さんの心にとって一番必要なのはこの不条理さを正すことだと思いますが、不条理さを耐え抜いている今の娘さんも、自立や病気の完治を目指す私から見て、とても輝いているように感じます。お子さんと再開したいという強い気持ちは、とても切実で、美しい心のあり様とも言えると思います。子供と一緒にいることを当たり前のように感じているお母さんよりも強く深い愛情、とまで言えるかもしれません。
お子さんの心のあり様についてですが、お母さん(高橋さんの娘さん)の強い愛情と、それを糧に貫いた血がにじむような努力について、いつかお子さんに伝われば、お子さんは今までお母さんが傍にいれなかったことについて理解してくれるであろうと私は想像します。お子さんも一旦はつらい気持ちを抱くことはさけられないかもしれませんが、その気持ちの責任を負うのは高橋さんの娘さんではなく、娘さんもお子さんをも取り巻く不条理な状況なのですから。それがいつかお子さんに伝わることを、私も祈っています。そうすれば娘さんの努力も、ちょっとづつでも報われると思うからです。
なんだか想像だけから色々と綴ってしまって、ごめんなさい。
高橋さんが経験しているつらさのすべてを理解しているとは私は到底言えませんが、精神障害を取り巻く偏見や不条理な状況については、自分なりに共感を抱いているつもりです。
お子さんを取り戻すための、実質的なアドバイスは、残念ながら私の知識からはあまり言えませんが、精神障害者の観点から高橋さんのお話を聞いて、心から共感と同情をできる面はあると思います。
あまり助けになれることを言えず、申し訳ないです。しかし、また胸の内を話す場所が必要であれば、ここにお書きいただければと思います。
よろしくおねがいします。
−りさ


「躁うつ仲間の掲示板」に書かれていたルーンさんのスレッドは、性格上この掲示板に移動しました。
ご了承下さい。


こちらの掲示板の使い方わかりました。
ありがとうございます。
先日、診察に行きましたが今のところ、主治医が変更になってばかりという事もあり、薬は不変です。
相変わらず、副作用が多いので今月末の大腸カメラ検査までは
様子を診たいと思います。
今後とも宜しくお願いします。