

1979年の4月3日
これが私の誕生日。
この時にこの世に生を受けてから今年の2016年までたくさんの人生のレールを自分なりに走り続けてきた。
色々と悪い事もして、良い事もして。
たくさんの場所へ行って。
様々な人々との出会いを繰り返し、別れを告げて、又再び異なる出会いを繰り返す…。
それが例え偶然でも必然でも、私にとって会いたくない人だったり、悲しみにくれた出会いであろうとも。
どんな内容にしても【そこに自分自身が生きている証明】になりえると私は思う。
たくさん後悔の念はあり、悔やんでも失った時間が戻る訳は無いのだが、
それでも私自身にとっては一つ一つが大切な思い出だと感じる。
今でも思う事は、それをどんな形であっても頭から【忘れてしまう事】
たった一日で読んだ本の内容を覚えきれる訳が無い、人間なんだから【忘れる】事があるのは当たり前だとかそういう事では無く、
苦しい時に助けてくれた人々や、自分自身がその時に辛くても頑張って良い結果を出した事によって周囲の人々みんなが笑顔を見せてくれた事。
自分の未来に繋がる為の知識や自信の糧になるべき大切な過去の思い出を、その時無意識にせよポロッと忘れてどうしようもなく嘆く。
生まれてこの方それを何度繰り返してきた事か…。
自らの妙な障害のせいであろうとも自分自身の存在すら否定したくなり、そこから逃避したくなった時に人間の防衛反応の一種として【忘却】という方法を無意識に発動させてしまっているのだろうが、大切な思い出までも【忘却】しているなら自分が憎くて仕方ないと思う。
自己責任だと言ってしまえばそれで片付くやもしれないが、失ってはいけない事は。
【他者との交流】
そして
【自分を認めてあげる事】
人との会話は自らに知識と縁を与え、自らを信じ認める事によって落ち着いた精神力を与えると思う。
私自身まだ空回りで容量悪くこの領域では全くないが、
まだまだこの先の人生でたくさんの後悔の念は出るだろうが、いつまでも自分に言い聞かせながらしっかりとゆっくり踏みしめて歩こうと思う。
私の大切な人たちがこの先で心強く落ち着いた希望に満ちた未来で過ごせますように。


ゆうさんは、人として大切なことを大切になさり、また、これからもそうしたいと願っていらっしゃる。「他者との交流、自分を認めてあげること」どちらも必要なことで大事なこと、そして素晴らしいことだと私も思います。どこでなにをしていても、人として最も大切にしたいことを大切にしようっていう願いを持つ人の人生は決して不幸なものにはならないと思います。
ゆうさんには、何度も助けて頂きました。感謝しています。
ゆうさん独特の魅力があると思います。ゆうさんは、とってもとっても素敵な方ですよ。だからこれからもゆうさんでいてほしいです。
あずさ


御自分が辛い時にも関わらず、本当に毎回ていねいな返信を頂きまして感謝致します。
試用期間を過ぎてさらに覚えなければならない業務内容に困惑していた時に、貴方からの言葉を頂いて私の心に安らぎが一度戻ったようでした。
ありがとうございます。m(__)m
人それぞれの性格と個性、価値観、物事に対する捉え方に異なる認識など。
聖書にある禁断の果実を食べたアダムとイブのように、不純な意識が人間に芽生えなければ今頃は争いの無い毎日が平和の日常で溢れていたでしょう。
辛く嘆き悲しむ意識を人間が持った事により、表面上は確かに苦しく自らに憤りを感じる程の過酷な現実でしょう。
しかし、その辛く苦しい現実を背負う事により人間という生命は、より強く必要以上に成長できる何事も変えがたい自分自身の様々な無限の可能性を宿して、色々な事象に立ち向かっていける勇気を持てるんだと思います。
人間はたった一人だけでは成長できず、周囲の人々の協力と交流を持って自信をつけていける生命。
以前に読んだ本から得た言葉です。
あずささんが口にする言葉には力があり、相手の辛く苦しい意識を心で感じ取り、本当に幸福を掴んでもらいたいという大切な願いが込められているのでしょう。
多くの人々に支えられながら私が今を生きているのは当然の事実ですが、
貴方が願う祈りと、元気を込めたこの優しく力強い言葉によって支えられている事こそ絶大な真実でしょう。
共に支え合って生きましょう。
以前にも言いましたが我々は家族ですから。
ささやかですが、いつか一緒にお茶を飲みたいですね。(^_^)


掲示板ではお久しぶりなのに、一言になっちゃうけど、また落ち着いたら改めて挨拶させていただきますね。
最近、中途半端な躁なのか、混合なのか、抑うつなのか抑制なのか、カテゴライズする余裕もないです@@ ただただつらい。病的につらいのがほっといてくれない。
でもそれだけ客観視できているだけで、緩和されるものがあるだろうし、今んとこよしとしとこう!と思うことにしています。
写真はいただいたガーベラの花束がしおれてきたので、ボウルに浮かしてみたものです。
私のしおしおし出した心もかろうじてお水に浮かして、余裕が戻るまで維持できればです笑
りさ


しおれて来たお花を、こんな風に、水をはったお皿に浮かべてあげるって、素敵だなあって思いました。しおれているかもしれないけれど、この写真をみて、最初に出て来た言葉は「わあ〜きれい!」でした。
お花さんたち、「しおれた花なんてと言って、すぐに捨てたりしないでくれて、きれいなお皿にきれいなお水に浮かべてくれたあなたのこころ、嬉しかった。ありがとう。見守っていてくれてありがとう」って言っているように思いました。
りささんのおこころも、りささんに、「つらいのに、わたしを否定しないでくれてありがとう、よしとしてくれてありがとう」って感謝しているかもしれないって思いました。
こころがしおれだしてつらいこの時間も、お花といっしょに、優しい土にかえって行くのかもしれませんね。焦ることなく、やわらかく、あたたかく、雪が溶けていくように。
わけのわからない文章になってしまってごめんなさい。
どうか、くれぐれも、ご自分をいたわってあげてくださいね。
たくさんの愛が、りささんをやわらかく抱きしめていてくれますように。
あずさ


人生は何かを成し遂げるには短いけれど、何かを悩むには長すぎる。
私心だが「これ」は病気でなく、症状と捉えるのが楽だと考える。そして、治療するのではなく、改善を試みているのだ。
ただし、症状が、人生において不都合があるとか、その症状に対して自分が嫌だと思うのならば、という前提だ。
今や地球上の生き物で、人間に対抗できる生き物はいなくなったのではないか?カラスやゴキブリにたまにやられることはあっても、命を落とすことまではない。
地球の平和や、平穏や、秩序や、摂理を考えたときに、人間同士がどう生きていくかと言う問題だけが残っているのではないかと言う気がする。
今や、自然災害に対して、悲しむことはあっても、自然と刃物を持って戦う人はいない。雨の日に、傘もカッパもなく勝負に出る人もいない。
しかし、その人間そのものを見たときに、なんと様々な人がいて、様々な考え方があり、価値観があり、好悪があり、駆け引きがあり、嫌がらせがあり、喜怒哀楽がある。
しかし、我々の症状の「これ」は、事実、肉体的に精神的に苦しい。それを共有する、分かち合うことは、もちろん、個々の自由であるが、何が「改善」に当たるのかは、例えば自分自身の「性格」に悩むようなことと同義であると感じる。
だとすると、「これ」は他人事ではなく、病気でもなく、相談してもよいが、相談できることでもなく、自らが「決める」だけのことなのだ。
「つぶやき八助」である自分は、病気でも、障害でも、不便でも、迷惑でも、辛いことでも、面倒なことでも、症状でもなく、単に、複雑な人のDNAの一つの形態と割り切っているが、定期的に病院に通い、薬を処方してもらい、手帳も受け、自立支援も申請し、しかし、その薬の処方と言うのは、あまり、「これ」に効くものと一般的に言えるものとは言えない気がするが、止めるとやはり日常において問題となる可能性が高いことも事実である。
薬の副作用について若いころには心配したこともあったが、もう、30年近くのみ続けて、自分と同年代で、健康であった人も亡くなり始め、今更、死に方についてわがままを言える年代でもなくなったと思う。
以上つぶやき。


うつでほとんど横になっています。動けないと虚無感がありますね。でも、虚無感や無力感への免疫をつける練習をしているのかもしれません。
疲れがひどくて、灰になったようです。体は動けないのに、頭の中は、考えや言葉であふれてぐるぐるしてにぎやかです。こういう複雑な病気ってなろうとしてなれるものではないから、何か精神的成長のための発見でも出来て、それを社会に伝えることが出来たらとも思います。弱っている人の感受性はするどいのかもしれないです。
今年の目標に、これをする・・・みたいな立派なことはとても言えないです。何しろ、次の30分後の体調も予測できないので。今年も、「今このときを生きる練習」をしていきたいと思っています。
今年もよろしくお願い申し上げます。


かなり、お疲れのご様子です。
目標や、予定が立てられないってのもこの病気
の特性なんですよね・・・ですが、気づいたのですが
すでに、今このときを生きる練習というタイトルが
ついているし、人生は、全部ぶっちゃけ本番の
365日24時間なんですよね。


本当は、一番書きたかったことは、具合が悪くて疲れきっていて、ボロボロになっている中、もっと頑張れ的な雰囲気のことを言われてもっと疲れちゃったよってことでした。本当に疲れてしまいました。それでも、「今このときを生きる練習を続けたい」というのは、ほんとうです。


どうもご無沙汰しております。
相変わらずのきつい御様子お察しします。
やはり我々も地球上に存在するちっぽけだけど確かな生命の一つですから頭の中身がゴチャゴチャして自分を保ってはいられなくなるような存在なのは仕方ないやもしれないです。
みっしさんの言葉通りに【人生とは365日24時間ぶっつけ本番】ですね。
ビクッ!とされる方もいらっしゃるかと思います。
しかし、そのぶっつけ本番でなければ得られない大切なものもたくさんあるかと思います。
私はよく他の人から聞くのですが、
【見る。と、聞く。とは様々な面で違う。】
研修で学ぶ内容と、実際の現場では臨機応変に対応する事が多々ある事も、私が過去たくさん経験してきた様々な職で教わってきました。
その臨機応変さを自分の中で吸収して色んな場面でうまく使い回しが出来たらどんなに良いだろうとも思いますが、それが上手に出来なくて、努力して自らの内に消化するのが可能だからこそ我々は【人間】なんだと思います。
何かにおわれているような状況で自分を振るい立たせる時には必要だとも感じますが、予測出来ないと自らが認識している時点で、言葉によって自分を束縛しているのでは?とも私には思いました。
何分後かに【これをやる!】ではなくて【これを出来たらいいな。】という目標ではなく、夢という形で考えていくともう少し、自らの身にかかる重圧を解き放てるのではないでしょうか?
言葉には力が宿っています。
使いようによっては他者を傷つけて、自らをも破滅に導きかねないとんでもないもの。
しかし今の自分には何も出来ない。と認識している事で、ブレーキを踏んでそれ以上の負荷をかけずに
いる事が出来ているし、あずささん御自身のまだ見ぬ能力の一端を精神的成長の発見として捉えて、社会に伝えていきたいとの意思表示は、今では無くても今後必ずかたちとして形成されて今の世の役に立つべきものだと信じています。
たとえ鬱で寝たきりだとしても、ゆっくりとした御自身の呼吸やいつも様々な人の為に願ってくださっている祈り、聖書を熟読して身につけた豊かな知識は、今この時を生きる練習として。
いや、予測は出来ずとも、それ以上に今後もあずささん自身がこの時を何も出来なくても力一杯生きていきたい。という夢の原動力として貴方の内に一つ一つ徐々に根付いていく事でしょう。
言うなれば【生きていきたいという夢の為の力の貯金】をされていると私は感じます。
いつもうまく伝えにくくて申し訳ないのですが、心はいつも貴方と共にあると信じています。
無理をせずに時間を気にせずに過ごされて下さいね。(^O^)


過去の出来事は愚痴るのはいいですけど、愚痴りすぎると、空に向かってつばを吐くようなものですから、控えたほうがいいです。
うつは、軽度で37度、中等症で38度、重症で39度の熱が出たぐらい苦しいです。
うつだから出来ないとぐちって、歯だけでも磨けばいいのです。
根性でどうにかなるものでもありませんから。
うつが自然と回復した時点で少しづつ用事をすます。
すこしでも、生活を楽しむ。
あと加齢を補うための知恵と工夫が必要だとおもいます。
冷凍食品等の調査。
風邪を引かないための工夫。
僕は、優先順位をつけてできるときにやっておこうです。
うつでできなくなることが多いですから。


一秒一秒有意義に生きるなんて考えていたら神経がもたないですよね、実際。自分以外のいのちに、心を向けていられる時が少しでもあったら自分を好きでいられそうです。インフルエンザが流行っているそうです。みっしさんも、くれぐれもあったかくなさりお大切になさってくださいね。感謝。


>予測出来ないと自らが認識している時点で、言葉によって自分を束縛しているのでは?とも私には思いました。
何分後かに【これをやる!】ではなくて【これを出来たらいいな。】という目標ではなく、夢という形で考えていくともう少し、自らの身にかかる重圧を解き放てるのではないでしょうか?<
ゆうさんの、おっしゃる通りかもしれません。「30分後の体調が予測できないから予定が立てられない」というよなことをずーっと思って来ました。予測できないという認識で全ての扉が閉まっている感じでした。
でも、ゆうさんがおっしゃるように「予測できない」という言葉が自分を束縛していたかもしれないです。「今日、これが出来たらいいな」って思ってみます。そのほうが自分に優しいですよね。今夜は、やっとチーズオムレツが作れました(笑)。
有難うございます。ゆうさんも、どうかあたたかい物を食べて、ご自愛くださいね。くろちゃんにもよろしく。感謝。


>うつは、軽度で37度、中等症で38度、重症で39度の熱が出たぐらい苦しいです。<
面白いことをおっしゃいますね。感じが出ていますね。37度ぐらいの微熱だとだるい感じで、軽度のうつと重なりますし、39度だと起き上がれないので重度のうつと重なります。わかりやすいです。
>うつだから出来ないとぐちって、歯だけでも磨けばいいのです。<
本当にそうですね。洗顔と歯磨きだけは、毎日しています。
あと猫のごはんのことも。
>うつが自然と回復した時点で少しづつ用事をすます。
すこしでも、生活を楽しむ。<
「自然と回復した時点」というのは微妙なところをついていると思いました。重要ですね。無理やり回復させようとすると逆効果ですからね。そして「少しずつ」とか「少しでも」というのが何だかいいなあと思いました。うつって、本当に待つことの求められる病気ですね。
>冷凍食品等の調査。
風邪を引かないための工夫。<
なるほど・・・。私は、食欲に波があり、食事の準備もしたくないときがあるので、食べ物をあまり買い込みたくないです。その点、冷凍食品を上手く利用するのは良いですね。ちなみに冷凍食品の野菜は、旬の野菜を冷凍にしているので質が良いみたいですね。
>優先順位をつけてできるときにやっておこうです。
うつでできなくなることが多いですから。<
優先順位ですか・・・これは脳力を要しますね。儀助さんはなさっているのですね。凄いなあと思います。
雪がたくさん積もっている地域も多いので、儀助さん、運転にはくれぐれもお気をつけてくださいませ。深夜に洗車をなさるようなこともあるのでしょうか?あたたかくなさってお大切になさってくださいね。感謝。


スレ違いだたら すみません
私は薬剤からの遅発性ジスキネジアになってしまいました
痛みも伴い とてもつらいです
全然楽になっていません
おなし仲間のような方がいたら よければお話 苦しみ分かち合えたらよいなとおもっています
よろしくお願いします。
相談掲示板には間違い書き込みしました すみません
こちらに書き込みさせてもらいました。


美月さんのブログに遅発性ジスキネジアとはというタイトルがあります。
貼り付けいたします。
http://kimi18.blog47.fc2.com/blog-entry-230.html" target='_blank'>http://kimi18.blog47.fc2.com/blog-entry-230.html
僕はセロクエルで逆行性射精になりました。
ある方はセロクエルで筋肉の癒着が起こったと以前書き込みがありました。
抗精神薬の服用に関しては、注意が必要だと思います。
なおさんが1日も早く回復されるのをお祈りいたします。




ひとりで孤独をかんじています
同じかたがいらっしゃったら
返事いただけたら良いです


さぞ、お辛い事でしょう。
3年前にあるクスリの副作用でジストニアになり会社を数か月休みました。
正直、ジスキネジアとジストニアの関連性はわかりません。
恥ずかしながら知識不足です。お役にたてるかどうか。
もしよろしければメールでお話ししませんか?


辛いですよね。
私は、やはり薬の副作用で筋肉が硬縮癒着、そして今は、歩行困難になりました。
医師は、副作用をきちんと認めないし、とても悪い状況です。
こんな人もいると知って頂けたら。
ずっと、レスするか悩んでやっと書き込みました。
きっと、他にも悩んでいる人はいると思いますが、色々書けない事情があるのではないか?と思います。
私も、これでは歩けなくなると思うと不安と恐怖で大変ですから。
本当にどうしたら良いか困りますよね。
そして、かつさんは、ある薬が原因とありましたが薬を変更したのですか?
治ったと言う事なのですか?
教えて頂けたら幸いです。


私の場合は、ジストニアではないと思うのですが。
なおさんの、症状が分からないのであれこれ言えないのですが。
辛い気持ちは、分かるような気がします。


相変わらず大変なんですね。どうか諦めないでください。
クスリですが、躁状態に処方されました。ポピラーなクスリなので、クスリがなにかはひかえさせていただきます。
突然、体が曲りおばあさんのようになり歩行困難になりました。
整形外科でMRI、脳神経外科でもMRI、ともに異常がありませんでした。パーキンソン症候群の疑いを指摘され愕然としました。
ところが、ずっと通っている心療内科で主治医は心配もなくあるクスリの副作用で、抜けば2,3日で治ると言ったのです。
しかし、すぐには治りませんでした。
神経内科に受診もしましたが、ここでもパーキンソン症候群の疑いを指摘され、愕然としました。
その後、突然、腰がまっすぐになったのです。


参考になりました。
とても、嬉しいです。
なおさん、一人でじっと苦痛に耐えているのでしょうか?


全然適切な医療機関にいけてなく
症状を理解もらえなく
地獄のようなつらいです
対処できてません
周りの人からの理解はまるでない
苦しいこっさえ解ってもらえず
苦しめる言葉ばかり投げかけられます
はやく症状の苦痛とりたいです
田舎なもので 医療機関が高い所はかなり遠く 気力も体力ないです
つかれました
ながながすみません


不随意運動がひどいです
ひとりで苦しむのはつらいです
同じ方と話せたらいいなと思ったのですが..
精神科医が神経内科に紹介状をかいてくれません


ひてりぼっちはつらいです
だれかいませんか
つらいです


はやく とってほしい


明けましておめでとうございます!
去年は再び世間の荒波にもまれて生きる事の辛さを痛感し、私にとっての【出来ない事、出来る事】を明確にさせた一年であったと思いました。
同時に自分にとって【働く】という事がどういうものであるか、他の人との関わりを持って生きる事が、自分にどのような変化をもたらすのかを考えさせられた一年だったと思います。
今まではがむしゃらに生きてきた自分ですが、中身の不明瞭な【今が楽しければどうでもいいや。】のようないい加減と思しき生き方をしてきて、様々な罰じゃないと思うけど自分なりの苦しみを多少なりとも味わってきたのだと感じました。
自分が持つ精神障害による様々な葛藤に気付かず悩まされ、考えた末の結論を【お前には向かない。】との理由で両親から意見を覆されたり、与えられた仕事を要領良くこなせず、時間内に完遂できなかったり、やらなければいけない事・やらなくてもいい事の区別がつかずにやりすぎてしまって他人から批判されて信用を無くしてしまう事。
【単に被害妄想が強いだけだ。】【君自身の自己満足。】【難しく考え過ぎだ。】とそれだけで簡単に片づけられてしまう事もありました。
否定はしません、確かにその時、意見を仰いだ人の言う通りです。
そして私の考えだけで世の中を生きられる程、世間は甘くないのも事実です。
しかし、今の世の考えに沿って生きる事がすべてだとは思いません。
人はどんな状態や、形であろうとも、自分自身を認めてあげていたわる事が大切だと改めて感じさせられました。
同じ事を何度繰り返してもその時に気付く事の無かった、又気付く事が出来なかった事の大切さを再び認識出来た年であったと思います。
2016年は何事に対しても【継続】という言葉を旨にして自分なりに頑張っていこうと思います。
落ち着いて物事を見定めるという事、世の中の時間の流れに惑わされず【自分】の考えをしっかり持つ!という事。
今まで生きてきた中でのたくさんの経験と知識は、必ずこの先の未来で役に立つと信じて。
少しずつ、ゆっくりと歩いていきます。(^_^)
2016年も皆で良い年にしましょう。


私も、躁鬱の波に振り回されるのを少なくして、変化と継続のバランスをとっていきたいです。


みなさん
こんにちは
ハンドルネームをちかに変えたいと思います。
外でも呼んでもらいやすいように^^
ちか、ってちょっと音がきつい響きになっちゃう感がありますが、
中身は変わらず天然系ですので、どうぞよろしくお願いします。
みなさんは年末年始はいかがすごされますか?
私はふつうに、ふつうに、平日と同じように過ごすのを目指しています。
朝起きて、少し用事して、たまに運動して、ごはん食べて、お風呂入って、寝る、ですね。
今日のごはんは、サトイモと豚肉を昆布で炊きます。


躁うつ病です
昨日一昨日とちと無理して遊んでて寝不足かならきてると思いますが夢だが現実だか分からん歪んだ景色で妄想みたいなリアルな夢見て体調くずれました
何かの予兆でしょうか?起きて音などに敏感に反応してます


こんにちは^^
専門的な知識はあまりないので、憶測で失礼しますが、
もしかしてそのような不思議な状態になって、体調が崩れたというよりは、その前から体調が悪化する傾向(もしかして躁状態?)にあって、二日間無理をした反動でがくんとうつ転か混合状態になったのかもしれません。
うつの時は眠りが浅くもかなしばりにもなりやすいし、混合だと現実と夢が分からないような混乱状態に陥りやすいと思います。ゼラチンさんがおっしゃるように、寝不足で体調が悪いと、精神面で敏感なだけじゃなくて、体も音や色や五感的に敏感になると思います。
そのような症状が起こる以前は、基本的にどのような調子だったのでしょうか? 振り返って見たら、最近なぜ、どのように体調が変動したのかより理解しやすいかもしれません。
とにかく私的にはそうゆう頭も体も混乱している状態が一番しんどいので、早く緩和できるといいですね><
りさ
(相談掲示板に記事をアップして下さいましたが、現在相談掲示板には大量のスパムが入ってきていて、構造上も壊れてしまっています。
大変勝手ながらゼラチンさんがアップされた記事はこちらの雑談掲示板に移させていただきました。
できるだけ早くスパムを処理したいと思いますので、お時間いただければと思います。
今のところ躁うつ仲間か雑談掲示板をご利用いただければです。ご迷惑をおかけして、大変申し訳ありません。)


今日は、わたしの誕生日です。
こうして今日を生きてむかえられたのも、うつでつらいとき、
アイデアがほしいとき、こちらで、思いやりあるお言葉を
くださった方達のおかげです。
こころから感謝申し上げます。
わたしが、人生の中で、何か微笑むような出来事に出会ったとき、その喜びやあったかさが、すべて、みなさまにも降り注ぎますように。
感謝
あずさ


誕生日おめでとうございます^^
あずささんこそ、みんな孤独とか独特のつらさをここで共有する中で、ぱっと光りを照らすような優しい記事やレス、ほんとにいつもありがとうといいたいです。
あずささんの名前の由来をちょっと調べてみたら、樹木の一種なんですね!それにちなんでささやかなプレゼントを笑
この画像ウィキで見たら、あずささんの包容力とピースフルな暖かい感じと、はあ確かに由来そっくりと思って、私を象徴するハムと、それを抱っこしているのはあずささんが以前私にくれた「大丈夫かえる」さんを加えました笑 (ちなみに彼は今も待ちうけとしていつも私を励ましてくれています。)
ではまた一年関東ウエーブをよろしくです^^!!!
りさ


今日は誕生日だったのですね♪どうもおめでとうございます!!!
その後の体調の経過はいかがでしょうか、
いよいよ寒くなりつつありますが、暖かくして日々を過ごされていく事と思います。
パートタイムですが私はようやく再び仕事が決まり、千葉県全域を回走して様々な現場で日用品の売場を作る仕事に着手しています。
25歳あたりの時にお世話になっていた会社なのですが、今再び縁があって採用され、必死でしがみついている所です。
きっと身動き出来ずともたくさんの人々の為に祈り続けている貴方の純粋な願いが届いてくれたのだと思います。(^_^)
一日、一日を不器用ながら懸命に頑張り抜く事でお金では無い何かを得ている事を改めて実感しています。
36歳という自身の時間の流れを生きている事、その中に私が見据える未来への意味…。
自分にとって一つの真実を解き明かすと、又新たな迷いが生じて歩く道を見失う、迷宮のようなループ。
しかし、それを幾度となく繰り返し誕生日を迎える事によって、人は知識をつけて一つ一つ成長を遂げていく事が出来ると改めて思いました。
確信は一切無いのですが、双極性障害や発達障害、その他の様々な精神障害にとって最も有益な薬というのは【時間】なのではないか?という結論を自ら出しました。
体内に物理的な薬剤を投入する事や、怪しい催眠療法などを受けるというものではなく、ただひたすら時間を置いて自ら心の病と向き合い続けるという方法です。
薬剤を飲む事や、様々なカウンセリングなどを受けるか否かは
すべて自分次第ですが、とにかく長〜く時間をかければ人は何事も【慣れ】が生じて、様々な物事に対応できていく【順応力】を持つ事が可能になると。
つまりは、【頭が覚えずとも身体が覚えている。】という亊ですから、貴方自身が気づいていない内に鬱に対する耐性のようなものが少しずつ、ついてきているのだと思います。
あずささんが鬱と共に共存し続けてきたこの一年は、病気を知り病気と共に生きてきた大切な期間であり、誕生日はその【証明】だとも感じますし。
誇りと・優しさを秘めた貴方自身の大切な【証明】を自身の為と、貴方をこの世に産んでくれたお母さんの為にいつまでも大事に、強く抱いていてあげて下さいね。
あずささんの女神のような包容力や優しさ、慈愛の精神にはいつも救われています。
【本当にいつもありがとう!】
つたない文面で申し訳無いですが、感謝を申し上げます。
本当に一分でも長く…、一秒でも長く…貴方といつか出逢える事を夢見て、緊張して何も喋れないかもしれないけど、せめて直に【いつもありがとう!】とお礼を言いたいです。
これから寒さ厳しい冬へ入りますが…、どうか体調を崩されませんようお大事にして下さいね。
この先ずっとあずささんの誕生日を祝福できるよう心に刻んでおきます。
2015年も今月までで残り少ないですが、どうか事故無く安全に日々を過ごされて下さい。


そして、ハムちゃんが「だいじょうぶだよかえる」を抱きしめてくれている可愛い絵、大好きです。有難うございます。
とっても嬉しかったです(*^^*)
りささんこそ、いつも相手の気持ちになって思いやったり、良いところを引き出して勇気や自信をくださっていると思います。それに時々拝見させてもらっているブログでは、知性と感性あふれる文章で、鋭い視点もあり、すごいなと思います。
あずさという名前は、自分の今をつける前に両親がつけようと思った名前なのだそうです。りささんのプレゼント画像のような緑あふれるとありころで、ただ気持ちの良い風にあたったり、小鳥の詩を聴いたり、草木や花や小鳥のいるところへ行きたいなあと思います。
今年も生きてここまで旅が出来たこと(ちょっと大げさですけれども)、感謝の気持ちでいっぱいです。
りささんの絵って好きです。
ありがとう、りささん。
あずさ


今、千葉全域を走り回るお仕事をなさって、様々な現場で、日用品の売り場を作っているのですね。それぞれの地域のみなさまが、便利な暮らしが出来る助けになってくださっているのかもしれないですね。
ゆうさんが、おっしゃるように懸命に誠実を尽くして働くことで、お金以外にも、かけがえのない宝物を、ゆうさんのお心の玉手箱に増えて行くのだろうなと思うと、嬉しいなあ、偉いなあって思います。
わたしは、未来の計画の立てにくい体調ですので、ひたすら、「今ここに神さまといっしょに生きる練習」をしているところです・・・初心者だから難しいけれど・・・。
ゆうさんにはいつも親身になった、そして、ゆうさんの透明なおこころから出て来るお言葉を頂きました。
わたしのほうこそ、どれほど感謝していることでしょう!
このように今年の誕生日を迎えられて嬉しかったです。
本当に有難うございます。


こんにちは
息子は21歳で嫁さんは24歳
子供は3ヶ月です。
息子は、1日3,4時間のアルバイトにいってやっと
4ヶ月になります。
なんとか続いているのですが
若いのでライブとかにいきたがります。
嫁さんは、産後不安定になり
息子にやいやい、おこってばかりで、家事も、ご飯もつくるのも
具体的にこれしてというのではなくて、いつも起こったような口調でいうので、余計に逃げたくなって、約束以外のライブも
いってしまい、またおこられてしまいます。
困ったときに主人とかにいちいちめーるしてきて
呼び出し問い私たちが、片道1時間半を車でわざわざいって
おかずとか、いろいろ買っていっても、あいさつもせず
おかずも当たり前のように何も言わずに食べます。
いろいろてつだったりしてももういいです、やりますからといって
何をしても嫁さんに怒られます。
息子が、やっとバイトが続いてるから、おいつめずに
言い聞かせようとしたら、甘やかして、そんなんでは、おかあさんにまかせますとえらそうな口調で言います
嫁さんも、さんごのうつのようです。
心療内科でみてもらってほしいです。
息子は、薬もきちっと飲んで、お酒も飲まず、生活しています。
きっと、やいやい怒られなければ、いいとおもうのですが
まず、バイトとしても、仕事が続いてることと
薬をしっかりのんでいることを、ほめてほしいのですが
病気の人に対する、接し方は、理解されにくいですね・
息子も、しんどいとおもいますが、がんばっているのです。


お久しぶりです。りさです。
息子さんはこの病気を抱えて、お仕事も持続されてすごいなと思います。私も同病者おパートナーがいますので、おたがいキャパがとても少ないのですぐ理由もないのにそれをどこかへ投げつけないとやってられないぐらい追い詰められてけんかに発展したり、誰かと暮らすのって同病者同士じゃなくても、大変なのに、息子さんはご家庭も支えられていてほんとに尊敬します。
大変さが想像ではありますがちょっと理解できるこそ、息子さんがりんみんさんをリスペクトしていないからとかでなくて、病気もある上ご家族やお仕事や責任を取らないといけないものがあるから、余裕がとてもなくそうやって冷たくかのように振舞うんじゃないかと思ってしまいます。ご家族であるりんみんさんもとてもおつらいだろうし、私のいらいらやものを投げるまでの怒りっぽさ、ヒステリと死にたい願望に、私の母もストレスが大きくなりすぎてうつ状態に近くなってしまったことがあるので、これも想像ですがちょっとは理解できます。
ほんとに大変ですよね>< その中でもふんばっておたがいを支えあって愛が根底にあるりんみんさんと息子さんはすごいと思います。影ながら応援しています。
(以前に相談掲示板に記事をアップして下さいましたが、現在相談掲示板には大量のスパムが入ってきていて、構造上も壊れてしまっています。
大変勝手ながらりんみんさんがアップされた記事は雑談掲示板に移させていただきました。
できるだけ早くスパムを処理したいと思いますので、お時間いただければと思います。
今のところ躁うつ仲間か雑談掲示板をご利用いただければです。大変ご迷惑をおかけして申し訳ないです。対応がものすごく遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした。)


いろいろ難しくてレスできませんでした。
以前と状況が変わりましたね。
何はともあれ、お孫さん無事に生まれておめでとうございます。
孫は、子どもよりもかわいいとよく聞きます。
さて、お嫁さんの心境が変わりましたねー。
以前は確かとても理解があり、息子さんのよき理解者であり並走者のようであった覚えがあります。
ちょっと、今は、息子さんに不満があったり、息子さんのご病気に不満を感じているように感じます。
その穴埋めとして、りんみんさんが、十分フォローしてるのに、そのことに対しても、「感謝の気持ちがない」というか「して当然」と言わんばかりの態度。
「なんだかなぁ」ですよね。
りんみんさんのお気持ちは、至極まっとうで、当然のお気持ちだと思います。
りんみんさんも、りんみんさんのご主人も、たいへん協力的によくやっていると思います。
その辺は、自信を持ってください。 同病者からも感謝いたします。
まぁ、お嫁さんも若いし、息子さんも若い。
まだ、至らなくて当然じゃないですか。
至ってたら、「我慢」してるかもですよね。
「我慢」してたら、健康に悪いですよね。
やっぱり、お孫さんの親が、できるだけ『健康』でないと、いけないですよねー。
りんみんさん、また、グチってください。
若い二人の至らないところは、「吐き出させてあげてる」と思ってくれないでしょうかね。
またまた。
(超亀レスになるかもしれませんが…)


お嫁さんも浮き沈みが激しく、
気分やなので、その日その日でとても差がありますが
子供が、ちょっとまとめて寝てくれるようになったみたいで
すこし、ましになってきました。
息子もなんとか気を利かせて、お嫁さんの気分をそこねないようにしてもらいたいです。
わたしたちは、苦しいですが、援助をつづけなければなりません。
しんどいですが、息子と、お嫁さんのことを考えなければいけないのですね。
孫は、かわいいです。
何とか、続いてほしいです。子育ての喜びも味わってほしいです。2人ともそれなりに子育てもしているようです。
これから、かわいくなってくるので、大丈夫とおもいますが・・・
だんだんと、息子の状況も進歩してきました。
後は、家庭を持っていることの自覚を持ってほしいです。
若いから、なかなか、むずかしいですが・・・


お嫁さんは、日によって、お嫁さんの気分が違うのですが
お嫁さんのお母さんから、主人に電話があり、
私たちへの、お嫁さんの態度が、冷たいので、すいませんということだったんですが
それが、うちの息子の対応で、限界がきてしまい
ストレスがたまるので、はきださないといけないからということでした。
それから、いろいろなことを息子に注意して、急変してしまっては、こわいから、わたしたちにゆっくりはなしてくれませんかというのです。
今は、薬をきちんと飲んで、まあ、おちついてるのですが。。。
嫁さんに、ストレスをためさせないように、息子をきちんと
指導してほしいというかんじです
それから、わたしも、発達障害がすこしあるのですが
そちらのおかあさんも話を理解できないところがあるようですねと、指摘されたということです。
私たちは、息子の嫁さんの否があることはいっさいいわないようにしようねといってますが
はいはいといって、聞き流してます。
息子は、嫁さんの実家の近くにいるので、まあ、預かってもらってると思って、耐えてますけど
お嫁さんもありがとうは、あまりいわないで、あれこれ指摘してきます。
嫁さんのお母さんは、一応、いろいろとありがとうございますとは
いってくださいましたが、
私だったら、相手がわに息子がそんな対応していたら、
息子に、話して、そんな態度をとらないように、注意したいと思います
本当にもうしわけございませんでしたといいます。息子にストレスをためないように、してくれませんかとはいわないです
お嫁さんは、れんらくしないでくださいとか
急に、いろいろというてきたりとか
ふりまわされてます。
息子は、前に、姑さんには、座布団を敷いて、どうぞといったり、きをつかうところがあったので、そういうところは、
よかったなと思いました。
お嫁さんは、義理の親に、あまり、ありがとうをいわずに
文句は、いろいろといってきます。
まあぼちぼちいきます。


息子に対する主人の対応が甘いと、もう少し注意しないといけないというし
おこるともう少し、人間的な対応しないといけないんではないですかというし
いろいろと大事なことを、れんらくしないといけないのに
連絡しないでくださいとお嫁さんはいうし
息子に話をしたら、話の理解ができてないんではないですかといいます。
はなれてるのに息子にゆっくりとはなしてくれませんかというし、私たちには、このごろは、きれたりしないんです。
離れていて、余裕をもっているからでしょうか。
わたしは、本当は、嫁さんが、料理をまったくしないのがきになるんですが・・・
お米をわたそうとしても、いりませんといわれるし、なにもできないんです。
病気の息子を世話してあげてるという感じです。
本当は、目上の人とかには、ちゃんと挨拶して、
何かしてもらったら、ありがとうございますとか、
すいませんとか、ごめんなさいとか
そういうのは、息子は、このごろは、やっと
いえるようになってきたと思います。
息子は、病状がでたときは、義理のお母さんに、すごい態度をして、私は、本当にもうしわけございませんでしたといいましたけど、息子にストレスをためさせたら、出てしまうからといって、嫁さんのせいには、しませんでした。
そういうことは、本当にとんでもないことだと思ったからです。
わたしたちは、病気の息子をあずかってもらってるからなにもいえません。
何を言われようが、耐えるしかないです。


息子に対する主人の対応が甘いと、もう少し注意しないといけないというし
おこるともう少し、人間的な対応しないといけないんではないですかというし
いろいろと大事なことを、れんらくしないといけないのに
連絡しないでくださいとお嫁さんはいうし
息子に話をしたら、話の理解ができてないんではないですかといいます。
はなれてるのに息子にゆっくりとはなしてくれませんかというし、私たちには、このごろは、きれたりしないんです。
離れていて、余裕をもっているからでしょうか。
わたしは、本当は、嫁さんが、料理をまったくしないのがきになるんですが・・・
お米をわたそうとしても、いりませんといわれるし、なにもできないんです。
病気の息子を世話してあげてるという感じです。
本当は、目上の人とかには、ちゃんと挨拶して、
何かしてもらったら、ありがとうございますとか、
すいませんとか、ごめんなさいとか
そういうのは、息子は、このごろは、やっと
いえるようになってきたと思います。
息子は、病状がでたときは、義理のお母さんに、すごい態度をして、私は、本当にもうしわけございませんでしたといいましたけど、息子にストレスをためさせたら、出てしまうからといって、嫁さんのせいには、しませんでした。
そういうことは、本当にとんでもないことだと思ったからです。
わたしたちは、病気の息子をあずかってもらってるからなにもいえません。
何を言われようが、耐えるしかないです。


私は、嫁さんにちゅういするほうが、よっぽどこわかったです。
それにかんしては、なにもおもってないようです